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其処に草が生えている 緑之章—踏み潰す—  作者: 宮林 實
第五章『君の気持ちを』
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第五章『君の気持ちを』(5)

 雪の言い方も全く気にしていないように、五十嵐は雪にカットクロスを掛けながら、人の良さげな雰囲気を纏って話を続けた。


「そうなの? 付き合ってる彼氏に短くしてほしい、とか言われたのかと思いました」

「それはないです。付き合っている人いないですし」

「じゃあ、好きな人とかいるんですか?」

 一瞬、均の顔を思い浮かべてしまって、大きく首を振った。


「いませんよ! そんなの、いたってなんにもなりません!」

「あ、それ絶対いるよね。鏡に映る君の顔赤いよ」

「気のせいです! 万が一、気になる人がいても好きになる理由はありません!」

 誤魔化すように言う。


「好きになるのに理由なんているのかな。そういうのって、ある日突然なんでか分からないけど好きになってるものなんじゃないかな?」

「そうなんですか?」

「それか周りの人とは違う何かを感じ取ったときとかね」

「何かってなんですか?」


 つい気になって聞いていた。

「それが、人それぞれの魅力ってやつじゃないかと僕は思いますね」

「…………」

 鏡越しに目が合う。


 女性に困った事なんてないのだろうと容易に想像がつく端正な顔。それを引き立たせる髪型や服装。そして柔らかい雰囲気。

 世界から異物と認識された者。


「不躾な事言ってごめんなさい。でも本当に君はその彼が好きなんだね。好きな人の話になった途端、表情豊かになったから」

「好き、とかじゃないです。ただ……」


 君を知りたい——そう言った均の言葉に心を打たれたのは事実だ。例え優香を通して言っていることも分かっているが、それでも己のことを気にかける言葉を言ってくれたのが嬉しかった。

 使者として親にも友達にも言われたことのない、前に好きだと言ってくれた男子とも違う、使者である本当の自分に興味を持ってくれた。


 目の前にいるのは異物なのに、どうしてこんな違和感がないのだろう。

 今まで異物の事など知ろうとは思わなかったから分かるわけがない。

 鏡越しにいる男は一見普通の男なのだ。


「君は高校生だよね? 彼も高校生なの?」

 諦めて、流れで答えた。

「……大学生です」

「そっか。年上なんだ」


 でも均は優香が好きなのだ。

 重ねて見て欲しくなくて、髪を短くする程度には、モヤモヤした気持ちが勝っているのだ。

 雪の表情を鏡越しで見ていた五十嵐は、暗い影を落とした雪を見て、すぐに話題を変えてくれた。


「君はどこの高校に通ってるの? 僕が通ってたのはT高校なんだけど分かる?」

「T高校って頭の良い高校じゃないですか。私はK高校です」


 T高校はかなり偏差値の高い高校だった。進学校なので美容師になるには、ある意味もったいない高校だった。


「頭が良いって言ったって一部だけだよ。僕は好き勝手やってた方だしね。僕が学生の頃、K高校はサッカーが強い高校だったけど、今はどうなんだろ?」

「今もそうですよ。マネージャーになりたくて入った子は結構いますね」

「そうなんだ。マネージャーって響きが懐かしいよ」

「五十嵐さんは今何歳なんですか?」


 なかなか良い会話できていると雪は勝手に手ごたえを感じていたが、実際は五十嵐がフレンドリーなだけで、会話に乗せられているのは雪の方だった。


「二十七だよ。高校生の君からしたら、僕なんておじさんだよね」

 わざとらしく泣き真似をするが、全く嫌みがない。


「そんなことないですよ。年上に憧れてる友達いっぱいいますよ」

「ありがとう。高校生に慰めてもらっちゃった」


 すぐに人良さげに笑った五十嵐は、本当に普通だった。

 雪は怖くなった。

 もしかして今まで殺していた異物たちは、普通に生きていただけなのではないか。罪の意識から、触れないように考えないようにしてきたのは間違いだったのではないか。


『あの男が何者か調べてから殺しても良いんじゃないのか? 雪は何も分からず殺すことに納得しているのか?』


 均の言葉が反芻する。

 雪だって納得なんてしているわけがない。

 でも異物を知ってどうする? 結果は一緒だというのに。

 殺した時の罪悪感や虚しさを、増幅させてしまうだけだというのに。

 自分は殺す相手の事も背負わなければならないというのか。


 それなのに、均に言われた言葉は水面に波紋を生んだ。

 五十嵐は慣れた手つきで雪の髪を切っている。


「……結婚されてるんですか?」

「結婚どころか彼女もいないよ……仕事が忙しくて、なかなかね。……彼女欲しいよ」


 少し困ったような、自分自身に呆れたような表情をしていた。

 その後も世間話をしながら、雪の髪は肩くらいまで綺麗に切られていった。


 この男を知らなければならない。

 均に協力しなければならないという理由に、もしかしたらこの男を知る事も含まれているのかもしれない。均が異物を知ったほうがいいと言っているということは、そういうことだと考えてもいいのかもしれない。


 雪はカットクロスの中で強く拳を握った。

 普段の世界の五十嵐を知ってみよう。異物は何故、異物として使者に追われる存在なのか。

 本当は知りたくないという、雪自身の気持ちには蓋をした。

 雪は考える。どうすれば、この五十嵐という男を繋ぎとめていられるのか。


 カットが終わり、合わせ鏡で後ろの髪も見せてもらう。

 五十嵐に担当になってもらって定期的に通えば、ある程度顔見知りになれるだろう。しかしそれでは時間がかかりすぎる。

 それに顔見知り程度では五十嵐の本当の姿は見えてこないだろう。


 会計が終わると、五十嵐は雪の前を歩き、店のドアを開けてくれた。

 雪は外に出る。

 五十嵐はドアを開けた状態で笑みを浮かべながら言った。


「今日はありがとうございました。色々お話できて楽しかったです」 

「こちらこそ丁寧にカットしてもらってありがとうございました」


 どうすればいいのか。

 均にも協力をしなければならないということは、五十嵐との事も進展させなければならない。五十嵐が優香の手がかりを握っている可能性が高いからだ。


「またのご来店お待ちしております」

 五十嵐は深々と頭を下げた。

 雪は焦っていた。


 その時、背後で男女の声が聴こえてきた。カップルが仲良さそうな会話をしながら通り過ぎていった。

 五十嵐は、一向に動く気配のない雪に不思議そうにしていた。

 カップル。

 男女の関係。

 手っ取り早く親しくなる方法。


「あ、あの」

 雪は見上げるように、背の高い五十嵐を見た。


「……あ、あの私、今まで誰とも付き合ったことがなくて……でも、好きな人の前で恥をかきたくないんです。年上だし……だから予行演習をしてもらいたいんです。お願いします」


 五十嵐はきょとんとした顔をしていた。

 意図せず自身の顔が熱くなっていくのを感じる。救いなのは五十嵐は嫌がっている雰囲気をしていない事だった。


「……駄目ですか?」

 さりげなく店内を盗み見た。

 雪が恐ろしいことを言っていることに気づいている人はいないみたいだった。


「……急だから驚いたよ。なるほどね。……そうだなぁ」

 五十嵐は言いながら、後ろ手に店のドアを閉めた。五十嵐も外に出た状態となる。

 黙っている。このまま続けて何か言わなければ。


「そ、それに五十嵐さんみたいな人とそういうことできるなら……とても嬉しいです」

 世間知らずで馬鹿な女だと思われているだろう。でも仕方がない。この男を手っ取り早く知る為なのだ。


 これは雪自身の為にしている事だ。この世界を知る為に必要なのだ。

 均に協力しなければならないのだ。

 そう言い聞かせた。

(私は使者だから。でも——恥ずかしい。きっと私、別の意味での羞恥心で赤い顔になってる)


「……いいよ。ちょっと待ってて」

 そう言い残して五十嵐は店内に入ると、少ししてから戻ってきた。

 一枚の小さな紙を手渡される。

 紙には電話番号とメールアドレスが書かれていた。


 五十嵐と目が合う。その時、五十嵐の瞳の奥が微かに、数珠のような七色に輝いた気がした。

 頭の中で、この男を殺せ、と言う声が強く聴こえた。

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