第六章『存在の証明』(1)
例の男——五十嵐という男の職場が分かって、雪とギクシャクしてから五日程が経過してしまっていた。
連絡は取っているが、均からの連絡が殆どだった。使者とは全く関係のない話題を一方的に送っているような状態だった。
ラーメン屋巡りをしようと約束していたので、誘ってみたがそれも断られてしまった。
雪のことが心配だが、雪の表情を思い出すたび、大人しくするしかないと自分に言い聞かせた。
その間も生活はいつも通り過ごさなければならない。
大学の授業も受けつつ、バイトもこなしているが最近やっと慣れはじめた。
バイトでの人間関係は良好で、良い人ばかりだったからだ。
あの町のように、土足で上がり込むような人はいない。世間話はするが、当たり障りのない良い距離感の関係を築けているので比較的気は楽だった。
そんな時、惣菜部門の鈴木さんが辞めるという情報を手に入れた。
直接聞いた訳ではなかった。一緒のシフトになったパートのおばさんに偶然聞いて知ったのだ。普通は他部門にまで辞めるという情報は入ってこないみたいだったが、鈴木さんは少し問題児らしかった為、情報が入ってきたのだ。
仕事ができない人らしく、一部では有名だったみたいだ。
しかし、全くそんな印象はなかった。どちらかというと、放置された均の存在をいち早く気づいて気を使うような、目立ちはしないが仕事ができる人、という印象だったのだ。
実際のところは、仕事をしている姿を直接見たわけではないのでなんとも言えないのは事実だった。均は出会ったら挨拶する間柄になったので少し気になった。
五十嵐の件は進展はなかった。
どうなるか分からないから接触は避けた方がいいとのことだった。
接触しない方がいいと言われる前に一度、五十嵐の働いている美容室に行ってみたが、休みだったのか遠くから暫く眺めていても現れることはなかった。
どちらにせよ、客としてあんな輝いた世界に足を踏み入れにくいのが正直なところだったし、本当に自分は何も役に立っていないな、と落ち込んだ。
明日は土曜で大学がなくバイトも入っていないので日用品をまとめ買いしようと、今日の夕方、一駅程離れた大きめのドラッグストアや電気屋に徒歩で向かうことにした。
食費を節約するために、自炊を最近始めた。しかしいざ料理をしてみると、フライパンが一つしかなく、食器も二、三枚しかないのはかなり不便だったのだ。その他にも、欲しいものがたくさんあった。
いろいろ買い物をしている間に、日が落ちていた。
帰りは大荷物になってしまった。両手に荷物をぶら下げながら、探索も兼ねて通ったことのない住宅街を歩く。
バイトを始めたことで、来月お金が入る安心感から、財布の紐が緩くなっている。気をつけねば。
そんな事を呑気に思いながら、公園の横の歩道を歩いていると、ふと気づく。
人の気配がない。静かな住宅街は、人通りがなかった。
緑の銃が発現してから今まで、こんな人のいない場所はなかった。
均は引き寄せられるように、人気のない公園に足を踏み入れた。
公園は大きな木々が複数植えられていた。その木々で隠れるように公園は在った。
ちょうどいいと思い、均は両手に下げた荷物を地面に置いた。
そして、緑の銃を発現させる。
木に向けて銃を構える。もし音がしたら、すぐに逃げようと、逃げる準備もしつつ引き金に指をかけた。
指に力を込める。動かないと思う程、引き金は重かった。さらに力を込めて引き金を引いた。
音は鳴らなかった。でも確実に弾が押し出された感覚があったと同時に、弾は木に当たっていた。緑色の強い光を放っている。
普通の銃弾のように、木に減り込んでいるわけでもなく、特に何かが起きたわけでもなかった。
緑の弾はきらきらと周囲に飛散した。
飛散したそれは、まるで蛍の光のようだった。
その蛍の光が漂う中で、均は不思議な光景を見た。
草や木が深く生い茂っている場所で、視点は周囲の雑草と同じくらいの高さだった。蛍もふわふわと漂っている。空には満天の星空に、迫りくるような大きな月。
木の枝の隙間を縫うように、視界いっぱいに広がる星空が、右から左へと、徐々に流れていく。立ち止まっているはずなのに、自分が動いているように錯覚する。
此処は何処だ?
しかし、そう思ったときには、既に現実の世界に戻っていた。それは瞼の瞬きほどの時間だった。
「なんだったんだ今のは……」
蛍の光のような緑の光は既になくなり、緑の銃を数珠に戻すと、光源は街灯だけだった。
緑の銃弾が当たった木に視線を移す。一見、変わったところはない。しかし見上げると、隣り合っている木々に絡まらないように、枝が上手く収まったような形状に変わっている気がした。
銃弾が当たった木は、少なくとも心なしか小さくなっている。
いまいち効果が分からない。木を小さくするということは、人間に当てたらどうなるのだろうか。
「小さくなる、とか? まさかな……」
遠くから人が歩いてきたのが見えたので、均はそそくさと公園を後にした。
もっと詳しく緑の銃を調べてみる必要がありそうだった。
*
結局、大した進展もなく時間は過ぎてゆき、世間はゴールデンウィークの期間に入った。
均は、瞬と数人の仲間で開催している展覧会に足を伸ばした。場所は下北沢周辺だった。
教えてもらった住所へ着くと、レンタルギャラリーを借りているからか、美術館のような会場ではなかった。広めの一軒家をリノベーションしたような雰囲気の建物だった。
入り口の横に小さく受付を拵えていた。女性が一人、パイプ椅子に座っている。
「こんにちは」
「こんにちは。宮辺瞬の友人なんですが……」
「宮君の!?」
突然の大声により均は腰が引けた。
「み、みやくん?」
「ようこそようこそ! 私、伊藤沙羅と言います! こんなしがないところに来ていただいて……」
「しがないってどういうことだ?」
急に後ろから巨漢な男が現れて、沙羅の頭をがっしり掴む。あまりにも大きいので文字通り見上げた。
「ぎやぁあああ! 山田先輩……!」
「しがないと言っても、みんなそれぞれ自信を持って展示してるんだぞ」
「これは社交辞令として言ってるんですよ! 真に受けないでくださいよ!」
沙羅が焦りながら言うと、山田先輩と呼ばれた男性は「それならいい」と言って、頭を掴むことをやめ、展示が行われているブースに入っていった。
ほっと小さく息を吐いた沙羅は、ごほん、とわざとらしく咳をした。
「……えーと、あの人は冗談が通じないんです……お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。宮君の友人さん、もし良かったらここに名前を書いていただけると嬉しいです」
「は、はい」
均は芳名帳に名前を書く。
「宮君は今、みんなの飲み物とかの買出しに行ってくれてて、もう少ししたら帰ってくると思います。それまで、良ければ作品をご覧になっててください」
「分かりました。ありがとうございます」
お礼を言って、展示ブースに足を踏み入れた。




