第四章『希望の先へ』(5)
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五十嵐拓実は中学二年生の時、最初の人殺しをした。相手は拓実の祖父だった。
祖父は盆栽が好きで、よく中庭に座って盆栽と睨めっこをしていた。
威厳のある人だった。人生の経験をたくさんして、物事全てに余裕を持って対応できる人、という印象だった。
ただ一つ引っかかったのは、
「この小さな盆栽だけは絶対に触るな」
という言葉だった。
同居する家族にいつも意地になるように言っていた。数あるコレクションの中でも一つだけ。その盆栽はかなりの価値があるらしい。
拓実には全く解らなかった。
祖父のコレクションの中でも一番みすぼらしく弱々しく、祖父が買っていた盆栽の本に載っているような盆栽とは似ても似つかないからだ。つまり価値のない盆栽ということだ。誰が見ても明らかだった。
それなのに一番執着している。
母にそれを言うと、母は拓実には理解できない表情をした。
あの盆栽は、早くに亡くなった祖母から貰った大切な、祖父にとってかなりの価値がある盆栽らしかった。
価値のない盆栽なのに価値のある盆栽。
拓実には全く解らなかった。
だからある夜に、中庭に座って盆栽を見ながら肩を揺らし、鼻を啜っていた祖父がいたので、気になって後ろで暫く眺めていた。
「……ずっと二人で生きていけると思っていたのに、なんであの時——」
祖父は一人で静かに泣いていたのだ。理由は皆目見当がつかない。
「じいちゃん、なんで泣いてるの?」
月明かりに照らされた祖父は、ゆっくりと拓実の方に振り返った。目の前の祖父に威厳はなかった。
「……後悔しているからだ」
半分独り言のようだった。
「後悔?」
なんで? なにに?
「…………」
その姿が、言葉が、今までの祖父の印象を遠ざけた。
“絶対的な存在なんて存在しない”
その想いが拓実の心の底に落ちた。そして拓実は“衝動”が来たので、祖母の盆栽で祖父を殺した。
「じいちゃん、良かったな。ばあちゃんから貰った大切な盆栽で死ねるんだからさ」
ガチャン、と複数の盆栽が台から落ちて大きな音が鳴った。
すぐに家族は拓実と祖父がいる中庭に駆け付けた。
家族は拓実を見た。どう考えても拓実が何かしたことは明白な状況だった。なのに、何も言わず黙ったままだった。家族に表情は無く、拓実にはそれがまるでロボットのような無機質なものに見えた。
「正しいことをしたんだ。俺はじいちゃんを救ったんだ」
その時思ったことを口にすると、途端に家族の表情は普段のものへと戻った。
「そうね。拓実はおじいちゃんを助けようとしたのよね」
祖父は盆栽を置く台が壊れ、落ちてきた複数の大きな盆栽の下敷きになり、当たり所が悪くて亡くなったことになった。
この時、ある意味拓実は絶対的な存在になった。
それから高校生になるまで人を殺すことはなかったが、たまに自身の能力が使える瞬間があった。
それは、人が何か悩み事がある時や悲しい出来事を見たり聴いたりした時だった。
祖父の時の事を考えれば納得した。だからその人の悩み事や悲しい出来事を見たり聴いたりすると、殺したい“衝動”に駆られる。その時は近くの植物が自分の手足になった感覚になり、自由に動かすことができた。それと同時に、草木で殺したりしたことを自分の罪にならないようにする力も在るみたいだった。
だが殺したことを罪とされない状況にできる『確信』が持てない間は、さすがに殺しはできないと思った。いつも身近な人間ばかりだったからだ。祖父の時のように、文字通り衝動的には殺せなかった。自分の罪にならないようにするには『確信』を待つしかなかった。
高校生になり、電車を乗り継いで一時間弱かかる高校に進学した。
拓実は要領の良い生徒だった。
成績はいつも比較的上位の方だったし、愛想も良く、先生にも好かれていた。運動もでき、見た目も悪くなかったので女子にもモテた。
優等生とまではいかないものの、高校生活は何不自由なく過ごしていた。
“衝動”で人を殺せないことだけが不自由だった。“衝動”が来ているのに使えない。もどかしかった。
その反動なのか、陰で悪い奴と付き合ったり、煙草を吸ったり、夜遊びをしたり、どんどん素行は悪くなっていった。
それでも成績は良い方だったので、他の生徒よりはお咎めは軽かった。
そんなある日の出来事だった。
その日は、無性に煙草が吸いたくなって、授業中に体調不良を理由に教室を抜け出した。もちろん仮病だった。
校舎の一番端にある最上階の非常階段で煙草を吸う。運動場や門とは反対側の校舎で、この場所が一番人が来ないのだ。
(この一本吸い終わったら保健室に行くか……)
地面を見下ろしながら吸った煙を大きく吐き出す。非常階段から見下ろすと見える地面は、いつもは雑草が生えただけの場所なのだが、草刈りをしたのか雑草は無くなっていた。
だから今までその中にマンホールがあることに気がつかなかった。
自分の肌が逆立っていた。
放課後、拓実は半ば無意識のうちに、そのマンホールの前に立っていた。
そのマンホールは完全に閉められておらず、蓋がずれて隙間が空いていた。軽々と持ち上げることは難しいものの、開閉できる状態だった。
心の中で何かが囁く。
『死体をマンホールの中に入れろ』と。
衝動に駆られるままに、蓋を掴み、引き摺って横にずらした。
一度もマンホールなんて開けたことはなかったが、一人で引っ張って開ける蓋は重かった。
マンホールの中は吸い込まれそうなほど真っ暗だった。闇が目の前にあった。この闇が全てを覆い隠してくれるのだと、拓実は『確信』した。
“衝動”で人を殺してもいい。殺して此処に投げ込めばいい。
マンホールの蓋の重みは、きっと命の重みなのだと、高揚した気持ちで、これから死んでゆく人達を想った。




