第四章『希望の先へ』(2)
異様な部屋だった。
道路側にある窓は完全に隠され、外の景色は見えない。
部屋に置いてある物は大小様々な観葉植物だけだった。
観葉植物だけと言ってもその数は目を見張る程多く、部屋を囲むように、端に隙間なく敷き詰められていたのだ。
和則は二人を交互に見る。
「なんの部屋なんだ?」
スーツの男はドアを閉めた。
「なんの部屋だと思う?」
派手な男は笑いながらこちらに近づいてくる。入り口のドアに寄りかかっているスーツの男も小さく笑みを浮かべている。
背中がぞわ、と鳥肌が立つような恐怖が湧き上がった。
派手な男から距離を取るように、後退りした。派手な男が進む度、和則は後ろに後退する。
「なぁ、なんの部屋だと思う?」
再度、派手な男に問いかけられる。
鳥肌が身体中を駆け巡った。和則は、本能で察知した。
殺される。
死が初めて実感として沸いてきたのだ。
死にたくない。
先程まではどこにでも連れて行ってもらって構わないと考えていた。だがこの恐怖は異常だった。
和則は逃げる為、弾かれたように入り口のドアに向かって走り出した。ドアに寄りかかっているスーツの男を殴ってでも逃げようと思った。
しかし何かに足を掴まれ、勢いよく前のめりに転倒した。咄嗟に足元を見ると、部屋の端に置いてあった観葉植物の枝や幹達ががっしりと足に絡みついていた。
「な、なんだこれは!」
訳が分からない。ぐるぐると足に巻き付いてゆく。解こうと試みるがびくともしなかった。
「俺の力さ。俺が“衝動”に駆られた時、この力は発動される」
派手な男は和則を見下ろしながら言う。
「“衝動”? どういうことだ? 何が起こっているんだ?」
「今から俺に殺されるのさ。殺したいという“衝動”の間、この力は使える」
「それに、ただ殺すだけじゃない。貴方にはこの世に負の感情を抱きながら死んでいただきたいのです」
「それはどういう――」
ぱき、と内側から音が聞こえた。それとほぼ同時に燃えるような痛みが身体を巡った。
右脚の足首が折れていた。強い痛みで地面をのたうち回る。
「ぐうぅぅぅうう……」
「痛いか? 痛みで苦しむ人間が見てて一番楽しいんだよな」
派手な男は嬉しそうにけらけら笑っていた。
足首は本来ではありえない方向に向いていた。
何故こんなことになっているのか全く分からないまま痛みに耐えていると、スーツの男が口を開いた。
「貴方は今、何故家庭が最悪なことになっているのか、冷静に判断していますか?」
スーツの男は問いかけるが、痛みで頭が回らない。それなのに、意識は妙にはっきりしていた。
「おい、早く雄一の質問に答えろ」
派手な男が頭を掴む。
「答えないと、もっと痛い目見るぜ」
「やめろよ、拓実。――ずっとこのままじゃつらいでしょう? 僕の質問に答えてくれたら治してあげますよ」
実際はそんなことは絶対にないのだが、和則の頭は正常に回っていなかった。
「……気づいたら、こんな、状況になってたんだよ……!」
苦しげに途切れ途切れに答える。
「そうですよね。早く気づいていればこんな事にならなかったのかもしれませんね」
「そうさ! 俺があの時気づいていれば、こんな最悪な事なんて起こらなかったんだ……!」
「あの時、とはいつの段階ですか?」
「妻が上司と関係を持った時だ!」
「気づけたとして、貴方は結果的に子供の顔を見ることができていたんですかね?」
「どういうことだ?」
「子供を生む前から浮気をされていて、果たしてこの先も妻を愛していけますか? 今の自分ではなく、昔の自分に戻って考えてみてください」
「俺は――」
実際、その時の和則がどうするかなど判るわけがない。でも雄一という男が言うように、当時の和則ならば、悔しいがきっと別れていたかもしれない。そうすれば子供に恵まれなかった。子供達の顔を見ることができなかった。
涙が流れる。結局、昔を想像してみたところで今の状況など変わらない。
心が底なしの沼に吸い込まれていく。
バキッ、と腕の骨が砕ける音を聴いた。
部屋に絶叫が響く。
それから何回も強烈な痛みが襲い、痛みに意識が朦朧とする。しかし和則の意識は無くならなかった。
雄一の言葉が頭から離れない。
「じゃあ、俺はどうすればよかったんだ。結局、此処には後悔しか残らないじゃないか」
途切れ途切れでなんとか喋る。
痛みと悲しみで嗚咽が酷い。家族四人で仲良く過ごした日々が思い出された。
「そうです。何もかも、手のつけられない過去に落ちていくのです。その時に掴み取ることでしか打開策はない。しかしその時掴み取ったものが未来にどうなるかは、“その時”にならなければ分からないんですよ。――それが、“後悔”という感情です」
「後悔……?」
強烈な後悔が和則を掴んで放さなかった。
その時また、全身に痛みが襲う。口から血が出た。視線を落とすと、観葉植物が腹部を貫通していた。ぶよぶよでドロドロした血に塗れた赤い物体が、貫通した観葉植物にぶら下がっていた。
(俺の、内臓……?)
身体中が燃えるように熱い。もうどこが痛いのかすらも判らない。
「俺は……ここで、死ぬ、のか」
「ああそうだな。おじさんはここで死ぬんだよ。個人的にもっと命乞いしてくれた方が楽しいんだけどな」
「それは今回期待できなさそうだね。最後に何か言いたいことがあれば仰ってください」
「くそ……俺はただ、家族で、静かに過ごした、かっただけ、なのに……」
「さようなら。世界は貴方に優しくないんだ」
もう首が動かないので顔を見ることができなかったが、呟くように言った言葉が異常なほど無機質な言い方だった。痛めつけられて頭が正常ではないからそんな風に聴こえるだけかもしれない。
(何も掴み取ることができなかった気がする――……)
和則は意識を手放した。
*
和則が動かなくなった後、拓実は能力を解いた。観葉植物は、通常の姿へと戻った。
「満足か?」
拓実は雄一に視線を向ける。雄一は和則をじっと見ていた。
「そうだね」
「よくやるよな、毎回毎回」
「知りたいんだ。どんな想いを持って消えていくのか。ーーその時に何が残るのか、僕は知らなければいけない」
「なんも残んねぇだろ」
部屋の真ん中に大きな血溜まりができている。
和則の身体は、いろんなところがあらぬ方向へ向き、内臓が散乱していた。
「拓実は楽しかったかい?」
「もちろん。やっぱり、人が痛みに苦しむ姿を見るのはやめられないな」
「次もすぐに衝動が来るといいね」
「そうだな。とりあえず早く帰ろうぜ。いつも急で悪い」
「問題ないよ。僕もたくさん衝動が来てくれた方が嬉しいからね」
二人は部屋の外に出る。ドアを閉めて背を向けるが、すぐに雄一は振り返ってドアを開けた。
「確認しなくて大丈夫だろ」
「一応ね」
雄一は部屋を見る。
和則の死体はなかった。血溜まりも綺麗さっぱり無くなっていた。
この場所で人を殺すと、一度ドアを閉めて、次に開けた時には、死体も血も臭いも無くなっている。あるのは静かに佇む観葉植物達だけだった。
これも拓実の力であった。
何もかも無くなっていることを確認して、今度こそ、雄一は部屋を出た。
雑居ビルを出て車に乗り込む時、雄一は今までいた雑居ビルを眺めながら言う。
「聞けばいいのに」
「なにが?」
「結局あの人が言ってたのはただの憶測や状況把握で、実際ちゃんと話し合いをしたわけでもないだろうから、直に聞く勇気があればあの人も何か変わっただろうな、と思ってね」
「そういうのも含めて、後悔してるんだろ? こういうヤツらは」
「…………」
拓実はエンジンをかけて、日常へと戻るため、アクセルを踏んだ。
拓実が、ちらりと助手席を見れば、雄一は感情の読み取れない無表情のまま窓の外を眺めていた。




