03 ノルデンガルディ大公国
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「トリスティア、よく来たね。ノルデンガルディ大公国へようこそ」
隣国では背の高く、体格のがっしりとした青年が出迎えてくれた。
彼はまだ二十二歳という若さだったが、大人びていたこともあり、八歳のトリスティアには中年の男性に見えた。実のところ、トリスティアについてきた二十歳半ばの巫女にも、彼は年上に見えていた。
「悲しみの聖女はまだ若いとは聞いていたが、こんなに小さいとは思わなかった」
彼はトリスティアの前に膝をつき、トリスティアと視線を合わせた。
「トリスティア、私はこのノルデンガルディ大公国を治める大公のアルスター・ヴォルフレイムだ。気軽にアルスターと呼んでくれ」
アルスターが握手を求めて手を差し出すと、トリスティアはそっとその手に触れた。
あまりに小さな手に、アルスターは小鳥を連想し、自身の口元が笑みの形になるのを感じた。
彼は、聖女であるにもかかわらず聖王国サントエルバから追放されたトリスティアのことを不憫に思っていた。
トリスティアを引き受けてほしいという城の文官からの書簡には、現在、王は王妃が亡くなったことに心を痛めて休養中であること、その間の代理を務めている王太子により、トリスティアが追放されたことが綴られていた。
「我々がこれほど小さな子に求めるものなど何もない。自由に、健やかに過ごしてほしい」
「私……わたくし、不幸を呼び込むと言われて追放されたのですが、牢などに入らなくてもよろしいのですか?」
周囲の大人達は痛ましい表情となった。
王太子が追放の理由としてあげたのが、悲しみの聖女は不幸を呼び込む。そのために、王妃や前悲しみの聖女のマリアンヌが亡くなってしまったという、これまでの聖女信仰では考えられない出鱈目な理由によってだった。
アルスターはトリスティアを抱き上げた。
「いいんだよ。トリスティア。君は、何も悪くない。それに、悲しみの聖女が不幸を呼び込むなど、そのようなこと、これまで一度も言われたことはない。今回のことが、異常なことなのだ」
王太子が下した判断が間違いであり、今回のことを王が知っていたならば、必ず止めただろうとアルスターは思った。
ノルデンガルディ大公国は数代前のサントエルバ聖王国から独立したが、前大公には子供がおらず、聖王国の前王の第二王子だったアルスターが養子に入り、跡を継いだのだ。
つまり、アルスターは現王の年の離れた弟だった。
アルスターは追放されたわけではないが、突然、生まれ育った国を離れることになったトリスティアの気持ちは少しはわかるつもりだった。
「さぁ、トリスティア、君が住むことになる城を案内してあげよう」
トリスティアは首を傾げた。
「お城? 神殿ではなく?」
「ああ。すまない。この国は小さくて、神殿が一つしかないし、そこは領民が管理していて、生活環境は整っていないんだ」
「そうなのですね。でも、わたくしには巫女のお姉様方と一緒がいいのですが」
アルスターは悲しみの聖女の神殿から一緒に来たという巫女たちを見回した。
聖王国にある大きな神殿を管理していた巫女たちは二十人ほどいた。
その全員が聖王国に残らずにトリスティアと一緒に大公国に来たというのだから驚きだ。
「大丈夫だ。トリスティアが望むなら、彼女たちも城で過ごしてもらおう」
「わたくしは、お姉様たちの希望を叶えていただきたいです」
アルスターは一つ頷き、巫女たちへ視線を向けた。
「トリスティアの侍女として働きたい者は城へ。神殿で巫女として働きたい者には、家を用意しよう」
アルスターの言葉に、彼女たちは各々の希望を言うのではなく、相談を始めた。
しばしの相談の結果、サラという一人の巫女が侍女としてトリスティアについて城へ行くという。
残りの十九名は神殿を整えることに尽力するそうだ。
「我々はトリスティア様がお祈りを捧げる場所を整えますね」
神殿に向かう巫女がそうトリスティアに微笑めば、トリスティアも「お願いします」と言った。
「トリスティアはまだ小さいのだから、そのようなことはしなくてもいいのではないか?」
アルスターは常々思っていたことを口にしてしまった。
純粋な心を持つ者に現れるという聖女の印。
トリスティアほどではないが、多くの聖女は、十代の若い頃に印が現れるのだ。
アルスターはトリスティアの額にある聖女の印を見て、この印が彼女の世界を狭め、彼女から自由を奪っているのではないかと心配になった。
「アルスター様、トリスティア様は歌うことが好きなのです」
「歴代の悲しみの聖女は皆様、歌うことに喜びを見出しておりました」
「歌うなというのは、お美しい声をお持ちになるトリスティア様には酷なことですわ」
「悲しみの聖女様は、歌声で人々の心を慰めてくれるのです」
トリスティアについてきた巫女たちが口々に言った。
「つまり、義務だけで祈りの歌を歌っているわけではないと?」
アルスターの言葉に巫女たちは肯定を示して返事をした。
「大公殿下もトリスティア様の歌声を聞けば、トリスティア様の歌がどれほど素晴らしいものかわかりますわ」
「ふむ」
巫女に唆されて、アルスターは腕の中の小さな少女がどれほどの歌い手なのか興味を持った。
「トリスティア、君の歌を聞かせてくれるかな?」
トリスティアは微笑んだ。
巫女たちの言うように、トリスティアは歌うことが好きなのだろう。
歌い出したトリスティアの歌声は素晴らしく、巫女たちの言う通りだった。
トリスティアの美しい歌声に、アルスターの心は洗われるようだった。
そして、トリスティアの出迎えに集まっていた文官や騎士、街の人々の中には涙を流している者たちがいた。
アルスターがまだ聖王国の王子だった頃、先代の悲しみの聖女に会ったことがある。
神殿で歌う彼女は、その歌声で神殿に集まった人々を癒していた。
悲しみの聖女の神殿には、家族を亡くした者や、病気や怪我によって体が不自由になったり、未来を思い描けなくなった者など、心に深い傷を負った者たちが来ていた。
そうした人々は悲しみの聖女の歌により自身の心と向き合い、悲しみを乗り越えていくのだ。
そんな悲しみの聖女の歌声は八歳の少女であっても素晴らしく、アルスターは思わずトリスティアを抱き上げていた腕に力をこめる。
すると、トリスティアの歌声が止まり、彼女の小さな手がアルスターの頬に触れた。
「大公様、どこか痛いのですか?」
「いいや……君のことを、守ってあげたいと思っただけだ」
「わたくしのことを?」
トリスティアは不思議そうに首を傾げた。
その様子は、まさに小鳥が首を傾げるような仕草のようで、非常に愛らしいものだった。
周囲から、「我々もお守りします!」と声が上がった。
声が上がったのは、国民たちの方からだった。
それから、騎士団長がトリスティアに微笑みかけた。
「国民たちに遅れをとりましたが、我々騎士団もトリスティア様をお守りいたします」
騎士たちの中にも涙を堪える者は多い。
大公国では深い森から出てくる魔物の被害が多く、彼らは仲間や家族の死を体験している。
本来ならば主人であるアルスターが指示も出していない中で、騎士たちが他の者に忠誠を誓うような発言は許されないのだが、アルスターがトリスティアを守ることを明言していることに加え、騎士たちの気持ちを思えば、レクイエムを歌ってくれる悲しみの聖女は騎士たちにとって最大の慰めであった。
そんな少女を守りたいと思うのは自然なことだった。
トリスティアは少し困ったように、アルスターに視線を寄越した。
アルスターが頷くと、トリスティアは再び騎士団長に視線を向けて、「よろしくお願いします」と小さな声で言った。
先ほどまで大人顔負けの声量で歌っていたトリスティアの声は非常に控えめで小さく、それさえも人々の心を虜にした。




