9話 レイという女
開店前に、雑に戸が開いた。
客ではない。
「早いね」
店主は顔も上げなかった。
女が入ってきた。カウンターの前には立たず、回り込んで、店の側の丸椅子に座った。キョウの隣だった。
年は分からない。店主と同じで、若くも見えるし、そうでなくも見える。ただ、良い匂いがした。この店には相応しくない匂いだった。
「まだいたんだ」
女はキョウを見て、そう言った。
「レイだよ。前に言った集客の」
店主が言った。
「来週は忙しくなるよ」
レイは店主に言った。
キョウは帳簿を見た。今週、指を押した客は三人だった。
「ねえ」
レイがこちらを向いた。
「仕事には慣れたの?」
「まあ、多少は」
レイはキョウを見て、首を少し傾げた。
「意外だなー。君は辞めちゃうと思ってたけど」
レイは続けた、
「まあ辞めたところで、君に行く宛なんかないか」
キョウは何も答えなかった。
「キョウが今辞めたら、眼も見えず、手足も動かない、記憶もない人生だからね」
店主が言った。
「そりゃそうか」
レイは笑って言った。
それで終わった。レイはそれ以上話さなかった。
レイはしばらく、何もしないで座っていた。
レイは立ち上がって、棚の前に行った。手前の袋を見て、奥の箱を見た。
「この七個の箱がキョウのやつ?」
キョウは顔を上げた。レイは振り向かなかった。
「どれが一番高いの?」
「記憶だね」
店主が答えた。キョウの知らない値段の話を、二人でしている。
「そっか」
レイは戻ってきて、キョウに言った。
「余程大事だったんだろうね」
それから、戸の方を見た。
「次、ちょっと遠出するから当分来られないんだよね」
レイは戸のところまで歩いて、店に出たり入ったりを繰り返した。
「これ、君にはできないんだ」
笑っていた。面白がっていた。
キョウは何も言わなかった。
「頑張ってね」
レイはそう言って、出て行った。




