10話 努力の結晶
不合格の通知は、画面に一行だけだった。
浪人して予備校に通って、それでも届かなかった。父は「もう十分だろう」と言った。知り合いの会社を紹介すると。僕は頷いた。頷くしかなかった。
部屋には参考書が積んである。数学の問題集は何周もした。英単語は数え切れない程覚えた。全部、頭の中にある。だけど、もう必要ないものだ。
バイト先の先輩が、駅裏の店の話をした。要らないものを引き取って金にしてくれるらしい。先輩は、友達の友達が行ったと言っていた。
僕は次の休みに行った。
店主は奥にいて、カウンターには若い店員が一人だけいた。僕とあまり年が変わらないように見えた。
「何を預けますか」
「受験勉強で覚えたこと、全部」
店員はすぐには答えなかった。
「受験ですか」
「落ちました。二回。四月から働きます」
「……預かりと買取があります。預かりは三か月で戻せます。買取は戻りませんが、倍出ます」
「買取で」
戻す理由がない。もう受けない。英単語も、何周もした問題集も、この先の人生で一度も使わない。就職に必要なのは、勉強じゃないと父は言った。
店員は帳簿を開いた。金額を書いて、僕の方に向けた。思ったより高かった。
「高いですね」
「努力の結晶ですからね。知識は高く取れます。二年分なら、このくらいに」
店員はそう言って、一度だけ口を開きかけた。何か言いたそうだった。それから、帳簿を僕の方に少し押した。
「ここに、指を」
僕は押した。
路地に出て、頭の中が静かになった。
歩きながら、試してみた。二次方程式の解の公式。出てこない。
あれだけ覚えた単語が、一つもない。
安心した。これでもう、二年間のことを思い出さない。
四月から、父の知り合いの会社で働き始めた。
研修は一週間。覚えることは多かった。同期は夜、マニュアルを読んでいた。僕は読まなかった。読んでも変わらない気がした。
二か月目、同期が先に一人で客先に出るようになった。先輩に「お前もやればできるだろ」と言われた。
やればできる。その言葉が、僕の中で何にも引っかからなかった。やってできたことが、一度もない。
同期に「勉強とか、してた?」と聞かれた。
「してたけど、無駄だった」
自分の声を聞いて、そのとおりだと思った。努力は無駄だ。やってもやらなくても同じだ。僕は二年かけて、それを証明した。
夏、母が部屋の参考書を捨てていいかと聞いた。いいよ、と言った。
母は何冊か持ってきて、僕に見せた。数学の問題集とノートだった。ノートに、模試結果が挟まっている。判定がEからCに上がった模試だ。
見ても、何も感じなかった。結局落ちてしまったのだから、判定なんて関係ない。
母は「頑張ってたのにね」と言った。
頑張っていた。でも、もうどうでもいいことだ。
「よくできたね」
客が出ていってから、店主が言った。奥から出てきて、キョウの帳簿を覗いた。
「何か言おうとしただろう」
「言っていません」
「そうだね。言わなかった。それでいい」
キョウは帳簿を閉じた。
「あの人は、知識を売ったと思っています」
「思ってるね」
「知識だけじゃない」
「知識だけだよ。ただ、彼が結果を重視しすぎているだけだ。知識を売らなくても、
彼はもう努力は無駄だという考え方しかできなかったよ」
店主は棚の一番奥ではなく、手前の方の箱を指した。今日の箱だ。
「君の言った通り、知識とは努力の結晶だ。受験に落ちたからって無駄になるわけではない。今後、些細な場面で人に披露し、褒められ、自己肯定感が上がり、それが次の努力につながることもあっただろう」
店主は箱を持って続けた。
「その可能性を、彼は自ら放棄したんだ」




