26話 目的
レイが戻ってきたのは、閉店時間が近くなった頃だった。ここ数日は外に出ている時間が長く、店に顔を出してもすぐにまた出ていくことが多かったが、その日は戸を開けるなり鞄をカウンターに置いた。
「たぶん、分かったよ」
キョウが帳簿から顔を上げる。
「何がですか」
「あの人たちが、なんでこの店を調べてるのか」
奥にいた店主も顔を出した。レイはいつもの丸椅子に腰を下ろすと、少し疲れたように息を吐いた。
「献金で金を集めてるのは本当みたい。でも、それだけじゃ説明つかないでしょ。店主がいない日にわざわざ三人も来て、箱のこととか、誰が感情を出し入れできるのかとか聞いていった。それに、最近は一人への疑いだけ預けられるのかまで試してきた」
「それは僕も気になってました」
「で、もう少し調べた」
レイは一度、店主を見た。
「団体の代表に娘がいる。二十代後半。三年くらい前に事故に遭って、それからずっと意識が戻ってない」
キョウの表情が変わった。
「植物状態ってことですか」
「そういう状態だって聞いた。呼びかけにも反応しない。自分で意思を伝えることもできない。今も病院にいるらしいよ」
キョウは黙った。事故の内容も、脳がどれほど損傷しているのかも分からない以上、そこから先を想像だけで話す気にはなれなかった。
「それで、この店に?」
「最初に噂を聞いたのは偶然だったみたい。記憶とかを預かる質屋があるって話」
レイは棚へ視線を向けた。そこには今日も、小さな箱がいくつも並んでいる。
「当然、最初は信じなかった。でも実際にここへ来た人間を知った。何かを売って、店を出たあと本当に変わった人をね。記憶を失った人、感情を失った人。その辺から調べ始めたみたい」
「娘さんの記憶を取り戻したいんですか」
「そこまでは分からない。ただ、この店が人間の中にあるものを本当に取り出せるって分かったら、気になるんじゃない?」
レイは棚を見たまま続けた。
「記憶も、怒りも、悲しみも、才能も取り出せる。しかも、ただ消えるわけじゃない。箱に残って、場合によっては別の人に渡すことまでできる。普通なら人間の頭の中にしかないと思ってるものを、この店は物みたいに扱ってる」
キョウは以前、絵の才能を買っていった男を思い出した。誰かの中にあったものが店に残り、それを別の人間が金を払って持っていく。それを目の前で見ている。
「だから、仕組みを知りたい?」
「多分ね。もし記憶や感情を人間から切り離せるなら、じゃあ意識はどうなんだって考えるかもしれない。意識が戻らない娘の中から、何かを取り出せるのか。逆に、外から何かを入れられるのか」
キョウは店主を見る。
「できるんですか」
店主は笑った。
「さあね」
「またそれですか」
「だって、やったことないから。意識そのものを預けたいって客も今までいなかったし」
「できないとは言わないんですね」
レイが小さく息を吐いた。
「向こうも、その答えが欲しいんだと思う。だから最初から代表本人が来て質問するんじゃなくて、周りの人間を使って確かめてる」
「どこまで感情を分けられるのかとか」
「そう。全部の疑念を取れる。じゃあ、一人に対する疑念だけは? 箱に入ったものは誰が扱える? 店主以外でもできる? 箱そのものに何かある? 少しずつ試してる」
三人の来訪者の質問を思い出すと、確かに筋が通った。
「でも、それなら娘さんをここに連れてくればいいんじゃないですか」
キョウが言うと、店主が先に答えた。
「契約できないよ」
「意識がないから?」
「本人が何を預けたいのかも、何を欲しいのかも確認できないからね」
キョウは黙った。以前、子供が寂しさを預けたいと言って来たときでさえ、店主は本人だけでは契約できないと断っている。まして、意思を示せない人間を家族が代わりに契約させることはできない。
「つまり」
レイが言う。
「この店に娘を助けてもらうんじゃなくて、この店がやってることを知りたいんじゃないかな。それが分かれば、自分たちで何かできるかもしれないと思ってる」
「できると思ってるんですかね」
「思ってなきゃ、ここまでやらないでしょ」
キョウは棚を見た。
今までそこに並ぶ箱を気味悪いと思うことは何度もあった。ただ、店主が契約を結び、本人が手放すと決めたものだけがここへ来る。それが当たり前になっていた。
「もし仕組みが分かったとして、あの人たちも同じことができるようになるんですか」
「それは知らない」
レイが答える。
「そもそも仕組みを知っただけで真似できるものなのかも分からないし」
「でも、できたら嫌ですね」
「何が?」
「この店なら、少なくとも本人が売るって言わないものは取らないでしょう」
店主がこちらを見る。
キョウは構わず続けた。
「あの人たちが同じことをできたとして、同じようにするとは限らないじゃないですか。本人の意思を無視して感情とか記憶を取れるなら……」
そこから先は考えたくなかった。
レイも冗談を言わなかった。
「そうだね」
短く答える。
キョウは少し考えてから、別の疑問を口にした。
「宗教団体そのものは、娘さんが事故に遭ってから作ったんですか」
「いや。集まり自体はもっと前からあったみたい。ただ、今みたいな形になったのは事故のあと」
「今みたいな?」
「悩んでる人を積極的に集めて、相談に乗って、人数が増えていったのがその頃から。代表が娘のことで何かにすがりたくなったのか、調べるために人を集め始めたのか、その辺までは分からない」
「じゃあ、普通に助けてもらった人もいるんですよね」
「いるよ」
レイはすぐに答えた。
「話を聞いてもらって救われたって人もいた。仕事辞めるのを手伝ってもらった人もいるし、家族との関係を戻せたって人もいた。全員が騙されてるわけじゃない」
その言葉に、キョウはかえって嫌なものを感じた。
だが、本当に救われた人間もいる。その一方で、人をこの質屋へ送り込み、金を献上させ、ときには何を手放すかまで誘導する。そして、その結果から店の仕組みを調べている。
「代表の人は、娘さんを助けたいんでしょうか」
「多分」
「それでも、やってることは変わらないですよね」
「うん」
レイはそれだけ言った。
店主は二人の話を聞きながら、棚の箱を一つ手に取っていた。何を考えているのかは相変わらず分からない。
「店主はどうするんです?」
キョウが聞く。
「何もしないよ」
「まだ?」
「理由が分かっただけでしょ。向こうが何かしてきたわけじゃない」
「十分してきてると思いますけど」
「客を紹介して、質問しに来て、何ができるか試してるだけだよ」
「それを十分って言うんです」
「でも、商品を盗んだわけでもないし、契約を壊したわけでもない」
店主は箱を棚へ戻した。
「だったら今は、そのままでいい」
レイが店主を見る。
「私も一回調べるのやめるよ」
「え?」
キョウは意外だった。
「これ以上近づくと、向こうにも私が嗅ぎ回ってるって気づかれるかもしれない。理由もある程度分かったし、今すぐ何か大きいことをする感じでもないから」
「放っておくんですか」
「放っておくっていうか、見るだけ。向こうがまた何かしたら、そのとき調べればいい」
店主が頷く。
「それでいいんじゃない?」
「店主に言われるとちょっと不安なんだけど」
「ひどいな」
レイは丸椅子から立ち上がった。
「じゃあ、しばらく普通の仕事に戻る」
「客探しですか」
「そう。最近それすら全然できてなかったし」
「宗教の人たちに取られてますもんね」
「言わないで」
「気にしてたんですね」
「少しね」
ようやくいつもの調子が戻った。
それから数日、宗教団体から来たと思われる客は現れなかった。店を見に来るだけの人間もいなければ、妙に細かい条件で感情を預けたがる人間も来ない。レイもまた、以前のように客を探して外へ出るようになった。
店主は何事もなかったように営業を続けている。
キョウも、いつものように帳簿を書き、客の話を聞いた。
宗教団体について話すことは、自然と減っていった。
ただ、棚に並ぶ箱を見るたび、ときどき思い出す。
意識の戻らない娘がいる。
その父親が、記憶や感情を取り出せる質屋の存在を知った。
三年間、何をしても娘が目を覚まさなかった人間が、そんな話を聞いたらどうするのだろう。
キョウは棚から目を離した。
少なくとも今は、向こうも動いていない。
ただ、なぜだろう。
レイから聞いた、三年前の事故という言葉だけが、妙に胸の奥に残っていた。
初めて聞いた話のはずなのに。




