16話 気まぐれ
「最近、店によくいますね」
キョウが帳簿を書きながら言うと、隣の丸椅子に座っていたレイがスマートフォンから顔を上げた。
「邪魔?」
「そういう意味じゃないです」
「じゃあいいじゃん」
レイはそれだけ言って、また画面に目を戻した。
少し前までは遠出するから当分来られないと言っていたはずなのに、最近は数日に一度くらい店に顔を出している。来たところで特に何かをするわけでもない。店主と話したり、丸椅子でスマートフォンを触ったり、客が来れば横から眺めたりして、飽きると帰っていく。
「前は、当分帰ってこないって言ってませんでした?」
「言ったね」
「当分って短いんですね」
「予定が変わったの」
「仕事は?」
「してるよ」
「最近、あんまりしてるように見えませんけど」
レイが顔を上げた。
「キョウ、私の上司だったっけ?」
「違います」
「じゃあいいじゃん」
また同じ答えだった。
キョウが帳簿に目を戻すと、レイが足元に置いていた紙袋を持ち上げ、カウンターの上に置いた。
「そうだ。これいる?」
「何ですか」
「知らない。食べ物」
「自分で買ったんでしょう」
「名前忘れた」
レイが袋から小さな箱を取り出す。中には丸い焼き菓子が四つ入っていた。
「駅前で人が並んでたから買ってみたんだけど、四個もいらなかった」
「じゃあ何で四個買ったんですか」
「四個入りしかなかったから」
レイは一つ取って、自分で包みを開けた。
「食べる?」
キョウは箱を見た。
「もらっていいんですか」
「いらないなら店主にあげる」
「もらいます」
「じゃあどうぞ」
キョウも一つ取った。
奥にいた店主がいつの間にかこちらを見ている。
「私には?」
「キョウがいらないって言ったらあげるつもりだった」
「扱い悪くない?」
「自分で買いに行けるんだからいいでしょ」
レイは焼き菓子を食べながら言った。
キョウは一瞬だけ手を止めたが、レイは特にこちらを見ていなかった。
焼き菓子を一口食べる。
「どう?」
レイが聞いた。
「美味しいです」
「そう」
反応は薄かった。
「レイさんが聞いたんでしょう」
「まずかったら残り店主に押しつけようと思って」
奥から店主が「聞こえてるよ」と言ったが、レイは気にしなかった。
しばらく客は来なかった。
レイは丸椅子に座ったままスマートフォンを眺め、キョウは帳簿を整理する。いつも通りの静かな店内に、外を歩く人の足音だけが時々聞こえてくる。
「あ、そういえば駅前の本屋なくなってたよ」
突然レイが言った。
「本屋?」
「大きいやつ。潰れたのか移転したのか知らないけど、空っぽになってた」
「そうなんですね」
「隣のゲームセンターもなくなってた。あそこ今、ドラッグストア」
キョウは顔を上げた。
「結構変わってるんですね」
「そりゃ変わるでしょ」
レイにとっては当たり前らしい。
キョウは店の中を見回した。
カウンターも、棚も、椅子も変わらない。箱だけは少しずつ増えているが、それ以外はキョウがここで働き始めた頃からほとんど同じだ。
「ここが変わらなすぎるんじゃない?」
レイが言った。
「そうかもしれません」
「ねえ、模様替えとかしないの?」
「する必要ある?」
奥から店主の声が返ってくる。
「ないけど。飽きない?」
「飽きないよ」
「つまんない人」
「ひどいなあ」
レイは笑った。
「外って、そんなに変わりますか」
キョウが聞く。
「何、その質問」
「いや。僕はここから見える範囲しか分からないので」
「ああ」
レイは戸の方を見る。
「季節が変われば服も変わるし、店も潰れるし、新しいのもできるし。別に大したことじゃないよ」
「そうですか」
「そんな気になるなら見に行けば――」
そこまで言って、レイが止まった。
キョウは黙ってレイを見る。
「あ」
「出られません」
「そうだった」
「忘れないでくださいよ」
「たまに忘れるんだよね。普通にそこにいるから」
「普通にって何ですか」
「普通に」
レイは悪びれる様子もない。
キョウはため息をついて、帳簿に目を戻した。
「まあ、何か面白いの見つけたら教えてあげるよ」
「別にいいです」
「じゃあ教えない」
レイは少し笑った。
その日は夕方になる前に帰っていった。
紙袋も持って帰った。
残った焼き菓子を店主に渡すこともなかった。
数日後。
戸が開いて、レイが入ってきた。
「ただいまー」
「おかえり」
店主が答える。
キョウは帳簿を書きながら軽く顔を上げた。
レイの手には、小さな袋があった。
「これ、食べる?」
またキョウの前に置かれる。
「今度は何ですか」
「饅頭」
「また余ったんですか」
「いや。一個だけ買った」
キョウはレイを見る。
「何で僕に?」
「店の前まで来たら、甘いの食べたくなくなった」
「……じゃあ、もらいます」
「どうぞ」
それだけだった。
レイはもう興味を失ったように店主の方へ行き、何か話し始める。
キョウは袋から饅頭を取り出した。
別に自分のために買ってきたわけではない。
駅前で見つけて、なんとなく買って、なんとなくいらなくなった。
たぶん、それだけだ。
キョウは饅頭を一口食べた。
奥で話していたレイが振り返る。
「美味しい?」
「普通です」
「じゃあ次は買わない」
「別に買ってきてって言ってません」
「知ってる」
レイはそれだけ言って、また店主との話に戻った。
キョウも帳簿に目を戻した。
饅頭は、そのまま全部食べた。




