垣間見える地獄
扉を開けた先にある広い部屋では、老若男女問わず大勢の人々が同じ方向に向かって祈りを捧げていた。彼らの視線を追うと、部屋の奥に信仰の対象と思わしき彫像が見えた。しかしそれはマーディや彼女に付き従う神とは似ても似つかぬ異形の姿が模られている。この教会は間違いなく危険だ。そう感じたリーコンは部屋を出ようとする。しかし目の前には修道女が立ちはだかる。
「どこに行くおつもりでしょうか?」
「気が変わった。どうやら俺に宗教は合わないみたいだ」
そう言い、リーコンは修道女を避けて戻ろうとする。だが彼女はそれを許さない。
「そういうわけにはいきません。主は貴方に手を差し伸べています。その手を払いのけるということは、すなわち貴方は主と、“与えし者”の名誉を汚すという事と同義なのですよ」
「こんなカルト宗教の言い分になんて付き合ってられるか。ピュアはどこだ? 昼に俺と一緒にいた、あの女は!?」
声を荒げるリーコンに人々が注目する。ある者は奇異の視線を向け、またある者は怯え、主に救いを求めていた。どれもこの村で見た顔ぶれだった。
「村人全員が洗脳されているのか……?」
どうやら想像以上に事態は深刻なようだ。リーコンは拳を固め、覚悟を決める。どのみちここから考えを変えて教えを受け入れることにしても、もう遅いだろう。ならばさっさとピュアを見つけ、自分から出て行ってやる。
「あの扉の奥か」
彫像の後ろの扉、そこの奥からピュアの気配を感じる。そこに一直線に向かおうとするリーコンを、修道女が止める。
「止まりなさい。それ以上進むというのなら、神の名の下に罰を与えます」
「……」
これまでとは打って変わって冷たい口調で言う修道女。対するリーコンも肩越しに鋭い視線を見せる。口を開けば一気に壊れてしまいそうなこの空気に耐え切れず、自然と村の人々は部屋の壁際へと身を寄せる。
「警告は致しました。それでもなお、先へ進むと?」
「ああ」
返答と同時に剣を抜き、修道女の頭に向けて振り下ろす。しかし女はそれを素手で受け止める。
「仕込みナイフか」
ナイフというには少し大きいが、女の服の両方の袖口からは鋭い刃が顔を覗かせていた。その刃はリーコンの顔面に向けて真っ直ぐに突き進む。それを身を反らせて避け、勢いを活かした宙返りで距離を取ると再び剣を構え直し、二人は睨み合ったまま正対する。
女はほぼ直立の姿勢でこちらを見据えていた。露出が少なく動き辛そうな服装だが、その身からは隠し切れない殺気が滲み出ている。確実にこれが初めての素人などではない。油断した方がやられる。彼女のたたずまいはリーコンに細心の注意を抱かせた。
しかしそんなことで戦意を喪失するほどリーコンは臆病ではない。相手に向けた視線を外さず、次の一手を考える。
確か腰のポーチに閃光爆弾を入れておいたはずだ。隙を見てコイツを爆発させ、目が眩んでいるうちに一気に攻撃を仕掛けることにしよう。
剣を構えたまますり足で女との距離を詰める。リーコンの作戦は、まず正面から剣の連撃を喰らわせ、相手の体勢を崩した後に素早く閃光を使って目を眩ませ、急所を狙う。上手く行くかどうかの確信はないが、やってみる価値はある。
素早く距離を詰めて腕や胴を狙った連撃を放つ。女は眉一つ動かさずにそれらの全てを捌き、両腕を広げて回転するように斬りつけてくる。リーコンは身を低くしてそれを避け、肩で女を強く押す。目論み通り、女は体勢を崩して尻餅を突いた。
女はすぐに立ち上がろうと床に手を突くが、その時既にリーコンは目眩ましを自身の足元に向けて放っていた。
眩い光に信者たちは驚き、反射的に目元を覆う。それはあの修道女も同じようだった。
好機を逃さず、リーコンは女の首筋目掛けて剣を振り下ろす。目論見だと、次に瞬きをするよりも早く女の首が飛ぶはずだ。リーコンは勝利を確信していたが、彼の剣はしっかりと受け止められる。
「バカな……」
爆弾は確かに効果を上げていた。女は固く目を瞑っている。しかし彼女は自身の得物を交差させ、リーコンの剣を受け止めていた。
「主よ。我に悪の化身を打ち滅ぼす力をどうか――」
小さな声で、女はそう唱える。すると剣を持つ手に鋭い電流が走る。焼けるような痛みに驚き、思わず剣を手放してしまう。女は素早くそれを掴み取り、自身の新たな武器とする。
「この刃で貴方の心の臓を刺し貫き、その血を主に捧げることにいたしましょう」
「くっ……」
女は瞬き一つせずにこちらへにじり寄ってくる。そんな彼女を見つめたまま、リーコンは後方へとゆっくり下がる。そして頃合いを見て、一気に振り返って扉を開けた。対抗手段がない以上、逃げるしかない。
扉の先では道が幾つにも分かれていた。そのうち一つを適当に選び、リーコンは全力で駆け出す。少しでも時間を稼ぐためにと閉めた扉が開く音が聞こえる。次いでブーツの固い足音がこちらの背中を追い始める。あの女が後ろにいるのだ。
早く出口を見つけなければ。あの女が疲れを知らないというわけではないだろうが、追いつかれたら終わりだ。しかし幸いなことに、リーコンは途中で何度も分かれ道に出くわした。その都度道を曲がったり、ある時は無視して直進したりを繰り返しながら進んでいく。そうしているうちに気づいたのが、ここは想像以上に広く複雑な迷宮だという事だった。感覚に任せて進んでいるとあっという間に迷ってしまう、そんな悪意のある造りをしている。リーコンは一旦立ち止まり、自身がやってきた道を振り返る。
「覚悟なさい」
目の前に、例の修道女の姿があった。薄暗く狭いこの通路の中で薄ら笑いを浮かべている。そんな彼女を見たリーコンは驚き、咄嗟に彼女を突き飛ばして再び走り始めた。
それにしても、かなり距離を離したはずなのに何故彼女はすぐ後ろにいたのだろうか。逃げている最中も何度も背後は確認していた。足音を頼りに追跡された可能性も考えたが、この迷宮はちょっとした物音でもかなり反響する。そんな中で的確に足音を聞き分けて追いかけてくるなど相当な聴力の持ち主でもない限りは不可能だと思うのだが……。
「出口だ!」
そんなことを考えながら走っていると、前方に扉が見えてくる。あれが出口で間違いない。通路を一気に駆け抜け、半ば破壊するかのような形で扉を開ける。
「お疲れさまでした」
扉の先では修道女が待っていた。相変わらず袖口からはナイフが顔を覗かせている。その刃を煌めかせ、修道女は掌底を打ち込むようにこちらにナイフを突き出してくる。
しかし、リーコンはその動きを見切っていた。突き出された右の腕を掴み、間髪入れずにその華奢な腕を折る。激しい痛みに女はたまらず悲鳴を上げ、左のナイフを闇雲に振り回す。リーコンは後ろに下がってそれを避けるが、背中に何か柔らかい物がぶつかるのを感じ、反射的に振り向こうとする。しかしそれよりも早く、細い腕が首に回され、きつく締め上げられる。
「お前は……」
どうにか振り向き、こちらを拘束する人物の顔を見てリーコンは驚く。
「ピュア……? 何してる……?」
リーコンは問うが、ピュアは何も答えない。それどころか彼女の瞳は何も映してさえいなかった。
「彼女は私の忠実なる信者となったのです、リーコン」
部屋の奥、リーコンの背後に当たる方から低い男の声が聞こえてくる。こちらの首を絞めるピュアの手に力が加わり、無理やり声のする方へと振り向かされる。そこには修道服を身に纏った髭の長い男が後ろに手を回して佇んでいた。あの男が、修道女がよく口にしていた主に違いない。
「お前が……主か?」
「私を探していましたね。理由は分かっています。彼女を助けるためでしょう」
彼女というのは、紛れもなくピュアの事だ。リーコンは首に回された手を振りほどこうとするが、彼女の力は恐ろしく強く、全く抵抗できない。その様子を見て、主はこちらに向けて手で何か合図をする。するとピュアが拘束を解いた。解放されたリーコンは膝を突き、激しく咳き込む。そんな彼にゆっくりと歩み寄りながら男は荘厳な口調で語り始める。
「かつて彼女は無礼だった。私に対する態度もそうだったが、何よりも度し難く戒めるべき行いが、“上位者”への侮辱だった。上位者は我々に啓示と救いを授ける存在であり、それを侮蔑することは万死に値する。しかし上位者は彼女を許した。その時私は気づいたのだ。上位者の心は寛大なだけではなく、敵をも愛することのできるほどの美しさを持っていることに」
こちらの傍らで立ち止まる男を見上げる。彼の視線はしっかりとこちらに向けられている。その目を見ていると、心を覗き込まれているような気分になってくる。
「貴方は彼女の仲間であり、我々の敵となり得る存在だ。しかし上位者は貴方を歓迎しています。すなわち我ら教団も、貴方を受け入れ、上位者からの啓示を授けることにします」
そう言って、主はこちらに手の平を向けてくる。すると激しい頭痛が起こり、今の姿勢を維持する事すら困難になってくる。そして全ての感覚が無くなった時、目の前に奇妙な景色が浮かんでくる。
「これは……」
そこでは何もかもが異常だった。地面は灰と人の屍で埋もれ、木々は血塗られたかのように赤黒い。一言で言うなら――
「ここは“地獄”なのか?」




