油断してはならない
一方、ピュアとリリィの二人も、霧の中を慎重に進んでいた。背後の警戒をリリィに任せながら、ピュアは自身の魔法で霧を晴らすことができないことに、歯痒い思いを感じていた。
かつての自分、つまり封印される前の自分は世界でも名の売れた魔術師だった。おかげで数多くの厄介ごとにも巻き込まれてきたが、そのたびに自身の魔法で修羅場を潜り抜けてきたものだ。しかし今、それはできない。目も眩むほどの光を放っても、全てを吹き飛ばすほどの風を吹かせても、霧が晴れることはない。それが、魔術にだけは絶対の自信を持っていたピュアのプライドに傷をつけたのだ。
「ピュアさん……大丈夫ですか?」
「ん? んん、大丈夫よ」
顔に考えが出ていたかしら。ついさっきまでピュアが考えていたことというと、霧の出所を探り、もしそれが人の手によるものだったのなら……。
「もしも、この霧を出してるのが魔法の得意な人間だったら、ギタンギタンのケッチョンケッチョンに叩きのめして、格の違いという物を見せつけてやろうって考えてただけよ。気にしないでね」
「……」
やばい人と一緒になってしまった。この時のリリィはそう思っていた。しかし彼女がいたからこそ、リリィは命の危険から逃れることができた。
ピュアは魔法障壁を作り、マーディルを弾のようにして放つ攻撃から二人の身を守る。しかし、苛烈かつ執拗な攻撃で、早くも障壁に亀裂が入る。相手の魔力はそれだけ強大なようだ。
「反撃に出るわ。リリィちゃん、私の後ろに」
言われたとおりに、ピュアの背後に立つ。すると、ピュアは障壁を解き、強力な風を吹かせる。それによって敵の攻撃の軌道がずれ、二人は事なきを得た。
「さあ、やるわよ」
声と共に、ピュアの目の前に剣や槍と言った幾つもの種類の武器が現れる。武器召喚だ、とリリィは思った。魔術を扱う者なら誰もが知っている魔法だが、大抵は一本か二本の召喚が限度だ。それなのに、あの魔女は七本はある多数の武器を召喚し、そのうちの一本の短剣を手にする。そんな光景を目の当たりにして、リリィはしばし圧倒されていた。
そんなリリィを置いて、ピュアは単身、敵のいる方へと飛ぶ。遠くにうすぼんやりと見えていた人影が、見る見るうちに近づいてくる。それは鋭い目つきをした、いかにも悪人といった風貌の男だった。
「お前がっ……!」
今目の前にいる男からは強大な魔力を感じる。間違いなく、こいつが自分たちを襲った張本人だ。そんな凶悪な男に向けて、短剣を振り下ろす。何お情け容赦もなく、殺すつもりで。
「それが大魔女様の腕力か?」
驚き、顔を上げる。目の前に、口角を吊り上げる男の顔があった。ピュアが振った短剣の攻撃は、簡単に防がれてしまった。
「どうした、もう終わりか!?」
男は腰を落とし、下から突き上げるように剣を出す。ピュアは身を引きながらも盾を召喚し、どうにか寸でのところで防ぐ。
しかしそれだけでは終わらない。男はこちらを蹴って突き飛ばし、毒切りを吹き付けてくる。
どうにか逃れようと上に飛んだが、息を吸った際に微量を取り込んでしまったようだ。僅かに胸に痛みを感じる。その痛みの中、さらなる追撃がピュアを襲う。
「ッ!?……くぅっ!」
男が投げたナイフが途中で分裂、何本あるか数えることも億劫になるぐらいのおびただしい数のナイフが向かってくる。ピュアは胸の痛みと目の前から迫りくるその危機を、呻きながらも身をよじって回避する。
リリィも、黙ってそれを見ていただけではない。剣を抜き、男に向かって突進する。
男はこちらに向かってくるリリィに気づき、にやりと笑う。
剣を振り下ろした時、男の姿は消えていた。リリィは辺りを見回すが、男の姿は見えない。それもそのはず、男はリリィの真上にいたからだ。
「危ない!」
リリィの脳天めがけて振り下ろされたナイフが、ギリギリのところで弾き飛ばされる。ピュアが魔法を放ったのだ。
「ほう、よく当てられたものだ」
男はそう言いながら、素早くリリィを羽交い絞めにする。それに気づき、召喚した槍を手に突撃しようとしていたピュアの顔色が変わる。
叫びながら、面を踏みつけ、急ブレーキをかける。槍の切っ先は、どうにかリリィの鼻の手前ギリギリで止まる。
「卑怯者! リリィちゃんを離しなさい!」
「そう言われて、素直に従うやつがいるか? 馬鹿な女だ」
「そう言うと思ったわ。なら、二人とも殺す覚悟よ!」
槍を仕舞い、代わりに巨大な槌を取り出す。そして容赦なく、目の前にいる二人に向けて振り下ろす。もちろん、当たるか当たらないかの際どいラインを狙って。
リリィと男には決定的な身長の差がある。よって彼女に当たらないように振った槌の攻撃は、男にだけは当たってしまう。しかし当たらないという事は、男は既に逃れていたようだ。そして彼がどこに姿を現したのか、ピュアには分かった。
「はい、馬鹿者」
投げた短剣が男の首元に突き刺さる。予想外の攻撃に、男は面食らった様子だった。
「やった! 当てた!」
リリィも思わず拳を握り締める。男は目を見開いて呻きながら、仰向けに倒れる。
「馬鹿な……何故俺の位置が分かった?」
「当たり前でしょ。このピュア・シュネーの視力を舐めないで」
仕掛けは簡単だ。いや、仕掛けなんて言葉を使うほどの者でもない。ピュアはその卓越した魔女の視力で、リリィの瞳に映った男の姿を見て、それで居場所を掴んだのだ。
「そんなことが……それも魔女の力なのか?」
この男は何か勘違いしているらしい。ピュアは男の胸ぐらをつかみ、ぐいっとしかめっ面を近づけ、
「私の事をよく知らないみたいだから教えといてあげる。私の名前はピュア・シュネー。世界一の魔術師よ」
そう言いながら、男を突き飛ばす。こいつの顔を見ているとむしゃくしゃしていた気分も、なんだかどうでもよくなってきた。幾分か怒りが収まって落ち着いた頭を振り、辺りを見回してみると、霧がすっかり晴れていることに気づく。やはりこの男が原因だったようだ。
「さて、どうしてくれようか――」
振り向いたピュアの前には、もう男の姿はなかった。奴はどこに行ったのか、リリィにも尋ねてみる。しかし返ってきた答えは「見ていない」だけだった。
「ほんの少し、目を離した隙に消えたんです」
「……あいつも相当手馴れてるみたいね。私ほどじゃないけど」
ピュアは髪をかき上げ、晴れて見通しが訊くようになった荒野をまっすぐ歩いていく。はるか遠くに見える、自分たちの乗っていた馬車に向かって。
「あの男の人、何者なんでしょうか?」
「さあね。でも、相当な魔力の持ち主よ。じゃないとあんなに濃くて広範囲に行き届く霧を出すことなんてできない。それに……」
ピュアは突然立ち止まる。後ろを歩いていたリリィは、危うくぶつかるところだった。
前につんのめった体を無理やり起こし、肩越しに振り向くピュアの横顔を見る。
「……魔法なら誰にも負けないって自信はあるけど、だからって相手を見くびるような真似はいけないってわかったわ。このクセ、どうにかしたいわね」
リリィは、リーコンにどんな敵でも油断してはならないことを教えられていた。それ故に、あの大魔女のピュアでも油断することがあると知り、不思議とほっとしたような気分になった。




