霧の中の影
山を西に下り、ようやく麓に辿り着く。そこからしばらく馬車で進むと、道も敷かれていない、見渡す限り岩と砂利が転がる荒れ果てた荒野に入った。
四人は口も開かず、ただ馬車の上で揺られている。そうしていると、遠くに一軒の建物が見えてきた。
「見て、リーコン。あれって家だよね」
「ああ。だが、誰も住んでないみたいだ」
よく見ると、同じような廃墟が至る所にあることが分かる。かつてのここは、それなりの大きさの街だったらしい。
「何だか哀しいところですね」
「そうだな」
リーコンは相槌を打ちながら、辺りの空気に気を配っていた。何かがおかしい。この静まり返った荒野に、自分たち以外の何かがいる。そんな気がしてならない。
「貴方にも分かるの?」
ふいに、ピュアが耳元で囁く。リーコンは頷き、妙な気配の事を話す。
「俺たち以外の何かが、この馬車を付けてきているように思えてならない。何かわかるか?」
「ええ、すぐ傍まで来てるみたい。多分人間だと思う。盗賊か……何か」
リーコンとピュアの見解はほぼ一致していた。馬車の覗き窓から、後方の様子を窺う。やはりというべきか、追っ手の姿は確認できない。感覚を研ぎ澄ませてみても、気配は感じ取れない。
とりあえず、リマとリリィには言っておくべきだろう。
「二人とも。どうやら追っ手がいるらしい。馬車から顔を出すなよ」
「追っ手ですか……わかりました」
「ならボクは姿を消しておくよ。よければ偵察もしておこうか?」
「いえ、やめた方が良いわ」
今まさに馬車から飛び出さんとしていたリマに、ピュアが待ったをかける。
「何か嫌な予感がするわ。もしかしたら擬態を見破られるかもしれない」
「そんなはずはないと思うけど……天下の大魔女様が言うのなら」
リマは渋々身を引き、リーコンの首に後ろから腕を回して背中にもたれかかる。
「はぁ、やっぱりここが一番落ち着く」
スロールを出てからここに至るまで、彼女は暇さえあればずっとこうしている。猫が狭いところを好むように、リマは、リーコンの背中がお気に入りらしかった。
「そんなに良いのか?」
「うん。できれば、ずっとこうしていたいぐらいにね」
リマはもたれかかったまま、うっとりとした声色で言う。さぞ安心しきった顔でいるのだろうなと思い、振り返ったリーコンの目に、リマの顔よりも先にある物が飛び込んでくる。
それは霧だった。さっきまではなかったはずの深い霧が、まるでこの馬車を追うように発生しているのだ。
その霧の中に、何か悪意を感じる。リーコンはたまらず馬車の速度を上げるよう、ピュアに言う。
「おい。早く逃げないとまずいぞ」
「分かってる! でも、この子たちが――」
ピュアが言い終わるよりも早く、馬車を引く二頭の馬が歩みを止める。そのせいで、四人はあっという間に霧に包まれ、お互いの姿を見失う。
「リリィ! ピュア!」
リーコンは声を張り上げ、二人の名を呼ぶ。しかし返事は返ってこない。リマは背中に張り付いたままだったので見失うことはなかった。
「リーコン、気を付けて。何か来る」
リーコンには分からない何かをリマは感じたようで、警告を耳元で囁かれる。
無言で頷き、周囲の状況に目を光らせる。
よく見ると、深い霧の奥に、揺らぐ人影がちらつく。注意深く見なければ気が付かないぐらいの離れたところから、こちらを見ているようだ。
リーコンは馬車を降り、剣を抜く。あれは普通のヒトではないと思ったからだ。
「リマ、後ろを見ていてくれ」
「分かった」
怪しい人影に近づくリーコン。顔が見えるか見えないかの位置にまで近づいたところで、その人影は初めて動きを見せた。
不気味な唸り声とともに、人影が飛びついてくる。それを叩き落とすように、剣を振るう。人影は断末魔とともに地面に倒れ伏す。しかしすぐに起き上がり、果敢に、リーコンに突撃してくる。リーコンは転がってそれを避け、人影と正対する。
「人の形をした影……? とすると、シャドウか」
リマが口にしたシャドウというのは、今自分の目の前にいる人影の事だ。こいつは他の魔獣に比べると少し厄介で、影が本人と同じ動きをするように、戦った相手の姿やその動きを真似るのだ。つまり――
「俺になるとはいい度胸だ」
ただの影だったシャドウは、リーコンの姿に変化した。剣を抜き、まっすぐに本物のリーコンと向かい合う。やる気は十分らしい。
「リーコン、先を急ぐよ」
冷たくそう言うと同時に、リマは魔法を放つ。シャドウは跡形もなくなって霧の中へと消えてしまった。
シャドウの弱点は、一度変身すると、しばらくの間は他の誰かになり替わることができないことだった。それに、完全に本物の能力をマネできるわけではない。だから今回のように、近接戦闘が得意なリーコンに化けたとしても、魔法で遠くから攻撃できるリマにあっさりとやられてしまったわけだ。
「あんな魔法も避けることができないなんて、随分弱っちいシャドウだったんだね」
「所詮は偽物だ。俺なら撃たれる前に気づく」
脅威が去った今、リリィとピュアの捜索を続けなければ。リーコンは感覚を研ぎ澄ましてみるが、奇妙なことに何も分からなかった。この異常な霧が何らかの影響を与えているようだ。
「近くを探してみるしかないか。行くぞ、リマ」
「行くぞ……って、どこに行けばいいのかわかるの?」
馬車はスロールの山を下りてからずっと西に進んでいた。つまり、ピュアが言っていた洞窟は西にあるのだ。たとえ離れ離れになったとしても、再び合流する手段も何もわからない状況では、彼女たちはそこに向かうのではないかというのが、リーコンの考えだった。
「キミがそう言うのなら、ボクは従うまでだよ」
「なら決まりだな」
出発する前に、リーコンは何か使えそうなものはなかったかと、馬車の中を覗いてみた。
袋詰めの食料と水、そして自分が昔から持っていたもう一本の剣。それら全部を持って、リーコンとリマは先に進んだ。




