人を信じるということ
「ほ、本当に先輩ですよね!? 夢なんかじゃないですよね!?」
リリィに迫られ、リーコンは戸惑いがちに頷く。すると、
「良かった! 良かったぁ……」
そう言ってリリィはもう一度、リーコンを強く抱きしめる。
「戦争が始まってすぐに先輩が捕まったって聞いて……私、もう心配で心配で……」
そう言った後、リーコンの胸に顔をうずめたままリリィは泣き出してしまう。彼女と最後に会ったのは、確か三日前ほどだ。リーコンにとっては短い時間でも、彼女にとっては途方もなく長く感じられる三日間だったのだろう。彼女の泣きっぷりがそれを表している。
「……リーコン」
背後からリマに呼び掛けられる。感動の再会はお預けだ。
「わかってる。なあリリィ、部屋に戻っていてくれないか? そこの人と話があるんだ」
リーコンが顔を向けたほうにリリィも目をやる。そこに立っていたチャロストを見て、リリィは目を見開いた。
「おじさん……?」
「……」
リリィの言葉に、リーコンとリマの視線が揃ってチャロストの方へ向く。チャロストは顔を下げ、居心地悪そうにしている。
「おじさん……ですよね?」
リリィはチャロストに近づくが、チャロストは何も言わずに、リリィから逃れるように後ろを向く。
「俺は君の『おじさん』じゃない」
「ウソ……間違えるわけないです。今も写真、持ってるんですよ?」
リリィは机の上にある写真立てを回し、チャロストの方へと向ける。そこに写っている写真はリーコンの側からでも見えた。チャロストとリリィと、さっきの老夫婦が、穏やかな笑顔を浮かべて並んでいる写真だ。この頃のチャロストはまだ身綺麗で、顔にも傷や痣は一つとして見当たらない。正直今の彼と見比べると、その落差がよく分かる。
「その恰好……どうしたんですか?」
「……君には関係ない」
「関係ないって……どうしてそんなことを言うんですか? 何があったんですか? ちゃんとこっちを見て、教えてください、おじさ――」
「関係ないと言っているだろう!!!」
チャロストが怒鳴る。それに驚いたリリィは肩をびくつかせる。上にまで声は伝わったらしく、老夫婦が階段を下りてくる音が耳に入る。
「何事だい? 大声なんか出して」
そう言って眉に皺を寄せた老婆が扉を開ける。。彼女の顔には、怒りと疲労の色が浮かんでいた。彼女にとって、自分の家を他人の話し合いの場にされるのはたまったものではないのだろう。
「おじいちゃん、この人……チャロストおじさんだよね?」
リリィは震える声で老人に尋ねる。老人は小さく頷く。
「ああ。さっき戻ってきたばかりだよ」
「爺さんあんた……」
チャロストが老人の胸ぐらを掴む。老人はすっかり怯え切っていて、リーコンが止める羽目になった。
リリィの前でここまで必死になるなんて、何か隠し事があるに違いないと思ったリーコンは、チャロストをこちらに向かせる。
「そこまで必死になることもないだろう。いい加減話したらどうだ?」
「黙れ! 俺は……」
「おじさん、もしかして……物乞いに?」
場の空気が一瞬固まる。予感は的中したと見て、リリィの目に涙が溢れる。
二人がどういった関係かはリーコンにはわからない。だがとても大きな絆で結ばれていることは疑いようのない事実だろう。でもなければ、リリィの同様に説明がつかない。
「チャロスト……」
チャロストに向けて、老婆が心配そうな顔で声をかける。チャロストは黙ったままだ。
「行こう、リーコン」
リマが玄関を開き、外に出る。それにリーコンは大人しく従った。何よりも、この場の雰囲気に耐えられそうになかった。
――
「ボクには人間の感情なんて分からない。だから教えてほしいんだ。彼らの間には何があったんだい?」
リマが小首をかしげ、訊いてくる。
「チャロストとリリィはどういうわけか昔馴染みで、しばらくの間会っていなかったようだ。人はだれしも変わるものだが、チャロストがああなって帰ってくるとは思いもしなかったんだろう」
「ああなってって……物乞いになったことかい?」
「そうだ。お前には分からんだろうが、自分と親しくて、尊敬できるような人がとことん落ちぶれた姿を見せられるのは、人間には苦しいものなんだ。まだ子供のリリィには尚更だろう」
「よく分からないな……君たちの事についてはなるべく勉強したつもりなんだけどね」
その結果がこれか、とリーコンは苦笑する。
「それで、マーディルの方の問題はどうするんだい? 里への道は険しいよ。あと三、四人は仲間が欲しいところだな。そのうちの一人はボクで事足りるとして……」
「少なくともあと三人か。言っておくが、当てはないぞ」
リーコンは腕組みをしてきっぱりと言い切る。するとリマは難しい顔をして、しばし考えた後に先程の老夫婦の家を見やる。
「リリィはどうだい? 君が直々に鍛え上げた後輩なんだろう?」
リマの言葉に、リーコンの目の色が変わる。彼女の言うとおり、リリィはリーコンの指導の下で過酷な訓練を積み、それにふさわしい実力を身に着けた。リリィがリーコンを「先輩」と呼んで尊敬しているのにも、ここに理由がある。
しかし、彼女には未熟な点があった。
「あいつはまだ幼い。特に精神面がな。これから始まる旅は、ここに来るまでに通ってきた森よりも遥かに過酷なものになるだろう。それなのに今のあいつを巻き込むわけにはいかん」
「けど……そうやって甘やかしてたら、いつまでも成長しないんじゃないかな? 大人一人の大声で涙目になるようじゃ、いくら実力を持ってたとしても不相応だと、ボクは思うな」
「何だと?」
元々鋭く獲物を見据えるような眼を更に細め、リマを睨むように見る。長い期間を共に過ごしたリリィは、今やリーコンにとってかけがえのない者のうちの一人だ。そんな大事な彼女と、自分の教え方をどこか小馬鹿にされているような気がしてならなかった。
しかし、リマの言うことも事実である。
リーコン自身が言ったように、リリィは精神的に未熟で、飢えた犬一匹殺せないような小心者だ。逆を返せばそれがリリィの性格であり、生命を労わることのできる優しさを持っているとも言える。が、今回のマーディの里への旅、その途中で避けては通れないであろう残酷な事実こそが、リリィを成長させるかもしれない。
「あの子も覚悟したうえで兵士になったんじゃないかな」
リマの一言に押され、リーコンはリリィを連れていくことに決めた。まだ戸惑いこそある上での決断だった。
しばらく経った後、家の玄関が開かれ、リリィだけが出てきた。彼女の表情は、三人を照らし出す夕日とは反対に暗く沈んだものだった。
「先輩……」
こちらを見つけると、リリィは数時間前に会った時からは考えられない暗い声で呼んでくる。話はついたのかと問うと、彼女は短く、
「一通りは」
とだけ呟いた。相当落ち込んでいるらしく、気の利いたことを言ってやれないものかと思考を巡らすが、何も浮かんでこなかった。
「私、お父さんとお母さんがいなくなってからずっと一緒にいてくれたおじさんが、おばあちゃんやおじいちゃんと同じぐらい大好きでした。いつだってかっこよくて、優しくて、それで……」
リリィの頬を一筋の涙が伝う。
「でもそんなおじさんはもういない。今はただの物乞いなんです。大好きだったあの人があんな事になってしまったのが悲しいんです。でも……」
「何だ?」
「今のおじさんを、心の何処かで軽蔑してしまう自分が憎いんです。そんなことしたくなんかないのに……」
リリィの目から涙が溢れ、それはどれだけ拭っても止まらない。
「先輩……私……」
「リリィ」
彼女の名を呼んで肩に手を置き、こちらを向かせる。泣き腫らして真っ赤になった眼をじっと見つめ返す。
「あいつはな、俺がリシアスの騎馬隊に巻き込まれそうになった時に助けてくれたんだ。トロールの集団に襲われた時も、一緒に戦ってくれた」
「……え?」
「自分で自分を卑下するようなことを言っていたが、あいつは決して悪人なんかじゃない。一緒に戦ったから分かる、あいつの心の奥には正義がある」
そう言ってリーコンはリマの方を見る。リマは笑みを浮かべて頷いてくれた。
「本当……ですか? おじさんを……信じてもいいんですか?」
リリィの問いかけに、リーコンとリマは同時に頷く。すると再び、リリィの目に涙が溢れ出した。




