再会
違和感を覚え、目を開ける。途端に靄がかかったように視界が歪む。
――そうだ、川に飲まれている途中に意識を失ったのだった。
そのことを事実として飲み込むや否や呼吸が苦しくなる。手足を必死で動かして水を掻き、やっとの思いで水面から顔を出す。しかしこれで終わりじゃない。
リーコンは辺りを見回し、チャロストの姿を探す。彼は少し離れたところで水面に俯せで浮いていた。呼吸はないかもしれないが、その腕をつかみ、岸まで泳ぐ。
「くっ……剣はどこかで落としたか……」
やっとの思いで陸に上がり、激しく喘ぐ。チャロストも様子を見る限り大丈夫そうだ。僅かに肩が上下している。
「今ある武器はリリィから受け取った剣だけか。心許ないがないよりましか」
剣に纏わりつく水滴を振り払い、もう一度鞘に戻す。そして、チャロストを連れて行こうと彼の腕を取った。その瞬間、
「離せっ!」
チャロストが起き上がり、リーコンの手を振り払う。
「執念深い奴め、もう追ってくるな。死にたくなければな」
「クソ!」
体勢を立て直して前を見るが、もうそこにチャロストの姿はなかった。しかし焦って逃げたためか、彼の足跡がはっきりとわかった。
「今度は逃がさない」
リーコンは改めて決意を固め、彼の足跡を追った――
しばらく後。リーコンはチャロストの足跡を追い、森を彷徨っていた。
そういえば、リマを置いてきてしまった。彼女は果たして無事だろうか。
「その辺の怪物相手に後れを取るようなタマではないと思うが……」
彼女の身について案じる最中、背後に殺気を感じ、前に転がる。チャロストだ。
「そこまで死にたいのなら殺してやる」
チャロストが瓶を投げつけてくる。それを鞘から抜くと同時に剣で斬り飛ばす。瓶は真っ二つになって、中から液体が飛び出してくる。それは強酸性の毒で、リーコンの肩当ての紐を跡形もなく溶かした。
「外したか。変えはない、運が良かったな」
そう言ってチャロストは逃げだした。その後を追ってリーコンも走る。
しばらくその状態が続いたが、突然チャロストが立ち止まり、横に飛んだ。何かを避けたのだ。その何かはまっすぐこちらに向かってきて目の前で止まった。
「リマ!」
「待たせたね。見つけるのに苦労したよ」
にっこりとした笑みを湛えたリマを見て、思わずリーコンも笑顔を返すが、すぐにチャロストの方を睨む。
「一時停戦だな」
チャロストの言ったことの意味が分からず、リーコンは首をかしげて考える。しかし逃げようとするチャロストをリマが追うのを見て、物思いにふけっている場合じゃないと、再び走り出した。
木々に間を抜け、視界が開けると、ようやくチャロストが言った言葉の意味が分かった。
「村だね。どうしてこんな森の中に……」
「さあな。だが見ろ」
リーコンが指す方には家があり、今まさにチャロストがそこに入るところが見えた。どうやらこの村には頼れる人がいるらしい。
「どうするんだい?」
リマが訊いてくる。答えは決まっている。
「村に乗り込もう。絶対逃がさん」
リーコンは斜面を滑り降り、村へと入り込んだ。たまたま近くを歩いていた女性は驚いて腰を抜かし、地面に荷物をばらまいてしまう。
「おっと。すまないお嬢さん。だが手伝ってる暇はないんだ」
そう言ってリーコンは去ってしまう。女性は息を吐き、立ち上がろうとする。そんな彼女の目の前に、リマがふわりと降り立った。そのせいで、今度は悲鳴を上げて地面にへたり込んでしまう。
「モンスターはいないし、君を狙う野盗がいるわけでもない。それなのに、一体全体何に怯えているんだい?」
それだけを述べ、リマは行ってしまう。
その後ろ姿に向けて、女性は叫んだ。
「あんたたちにびっくりしたのよバーカ!」
どこからか聞こえる怒声を聞き流し、リーコンは、チャロストが入っていった家の扉を開く。中では驚いた様子の老夫婦が昼食を摂っているところだった。
「何だい何だい。懐かしい顔が戻ってきたと思えば、次は余所者かい? 戦争のせいか、人間も物騒になったもんだね」
昼食を邪魔され不機嫌な老婆がそうまくし立てる。それを制するように、夫のほうが手を振った。
「まあまあ婆さんや。孫がふさぎ込んで相手をしてくれない今日この頃、客人は大事にもてなさんと……」
「また爺さんはそんなこと言って。そもそも可愛いあの子がああなったのも、爺さんが進めたから――」
「この家に男が入ってこなかったか? みすぼらしい風貌で、下水に身を浸からせたネズミのような臭いがする」
「ちなみに目つきが悪くて、性格もそれ以上に悪いよ。ボクは嫌いなタイプだな」
リーコンが述べたチャロストの特徴に、背後からリマが付け加える。恨み辛みを交えた彼女に向けて、老夫婦は苦笑いを返す他ないようだ。
「知らないね。さっき懐かしい顔と言ったけど、あんたの言うような男のことじゃないね」
老婆が冷たく言い捨てる。それっきり二人は口をつぐんでしまった。
埒が明かないと思ったリマはリーコンに耳打ちする。
「リーコン……」
「ああ。奴はここにいる」
リーコンは家の奥に向かって歩く。目的は酒樽の中だ。きついアルコールの臭いに混じって異臭がするのだ。
「かくれんぼは終わりだ」
そう言い樽の蓋を開ける。やはりというべきか、中にはチャロストが、ダンゴムシみたいに縮こまって身を隠していた。
チャロストは舌打ちし、樽の中から外に出てくる。
「流石にもう逃げられないな。その執念には正直感心するよ」
「チャロスト、あんた……」
「あんたらは上で待っててくれ。こいつらと話がある」
そう言い、夫婦を上の階へと押し込む。
「さて……」
チャロストは戻ってきて、手近な椅子に腰かけた。
「あの夫婦は昔からの知り合いでな。こうなっちまう前は、二人のお孫さんの面倒をよく見てたもんだ」
「随分と落ちぶれたようだね」
「言ってろ。それで? 何故ずっと俺に着いてくるのか、そろそろ聞かせてもらおうか」
「あんたは俺を助けてくれた。だから信用に足る人物だと思ったんだ」
リーコンは真実を話した。今まで内に秘めてきた思いとしては、マーディの里を救う旅にリマとたった二人では少々厳しいものがある。だからチャロストを仲間に引き入れようと考えていたのだが、その気持ちの裏側には、自身を助けてくれた恩を返したいという思いがあったのかもしれない。それを原動力にして、彼をここまで追ってきたのだ。
そのことをチャロストに告げると、彼は驚くような素振りを見せた。
「ほう。一人の男を追うにしてはしょうのない理由だ。お前が俺を信用していることは分かったが、俺は着いて行く気はない」
「これから戦争で騒がしくなる。そんな中フロンティアを歩き回って死ぬぐらいなら、物乞いをやってた方がましだ」
チャロストは眉一つ動かさずに言う。頑固な老人の説得には骨が折れそうだ、とリーコンは思った。
チャロストをその気にさせるために次の言葉を選んでいると突然、
「君は馬鹿なのかい? マーディの遣いのボクがいるからどこに向かえばいいかは考える必要もないし、何が必要かもボクが知ってる。それにその場凌ぎの物乞いなんかしてるよりも世界を救った英雄として死んだほうがよっぽど格好良いよ。これから先の人生に絶望してないで、行動を起こすことから始めたらどうなんだい?」
リマにしては珍しく、怒りの感情を露わにしてチャロストにぶつける。リマにとって、一族の存亡は命よりも大事なのだ。
「現にリーコンがそうだよ。疑われても君を信じてここまで来た。それなのに君は逃げ続けて、自分から辛い道を選んでる。理解できないよ」
「……成り行きでこうなっただけだ」
「チャロスト、あんた何か隠してるだろう」
リーコンの指摘を受け、目に見えて動揺するチャロスト。そんな彼を問い詰めようと数歩前に歩き出したところで、上から誰かが下りてくる気配を感じた。その人物は少しばかり開いた扉の隙間から顔を覗かせる。その顔に、リーコンは見覚えがあった。
「せん……ぱい……?」
「お前は……」
しばし見つめ合った後、その少女は扉を全開にし、こちらへと走ってくる。
「せぇんぱああああいい!!!」
メロン色の長髪の上にちょこんと乗せたベレー帽がトレードマークの少女は、リーコンの胸に飛び込んでくる。その少女こそ、リーコンのかつての後輩であるリリィであった。




