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焔音  作者: こはる
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粕谷 美代

 「もっと気合い入れた服で来たらよかった」


 更衣室の鏡と真剣ににらめっこする。まさか、新田さんとデートできるなんて思わなかったから、あたしはいつもの服を着てきてしまっていた。今日の予定は、授業とバイトだけだったので、機動性重視の出で立ちだ。薄いピンクのロンTに白い七分丈のパンツ、ネイビーのジャケット、足元はビタミンカラーのスニーカーだ。せめて春らしいふんわりとしたスカートでも履いてくれば良かった。出がけに、最近買った春用のワンピースをおろそうか迷った事が思い出され、余計に悔しい。

 小さくため息をついて、ブラウンのリュックを背負った。ワンピースを買った日に、思い切って髪型も前下がりのボブに変えたので、ますますボーイッシュだ。従業員用の出入り口から店を出ると、商店街はすっかり夜の顔になっていた。暖色系の明かりが周囲に漂い、居酒屋の呼び込みがちらほら。メニュー片手に声を掛けてくるお兄さんやお姉さんをすいすい交わしながら、ものの五分で魚芳に辿りついた。前に、私と真田さんを無理やり二階に上がらせたおばさんが、デッキブラシ片手に閉店準備に取り掛かっていた。無視するのもおかしいので、もにょもにょと挨拶をして、鉄製の階段を上った。


「美代ちゃんお疲れ様。きょうは美代ちゃんに聞きたい事があって……」


 インターホンを押すとすぐに新田さんが現れた。髪が濡れている。来客があるのにお風呂入ったの?


「美代ちゃん。動かないでね」


 新田さんの顔が段々近付いてくる。え、え、待って今日ってそういう展開なの?ふわりと新田さんの香りがする。心臓の音がうるさい。頬が、内側で火事が起きてるみたいに熱を帯びてくる。あたしのジャケットの肩に、新田さんの前髪からぽたりと水滴が落ちた。思わずぎゅっと目を瞑った。頭が私のイヤリングをかすめて……


「捕まえた」


「新田さん!あたし、お、お、お風呂入ってからじゃないと」


「モンシロチョウ。夜なのに珍しいね。」


 新田さんの手に包まれたモンシロチョウが、あたしの背後から現れた。自分の勘違いに消えてしまいたくなった。新田さんは、石像のようになったあたしの横からドアを細く開けると、モンシロチョウを逃がして戻ってきた。いつものようににこにこ笑うと、更に追い打ちをかけてきた。


「あ、そっか。バイト終わりで汗かいた?良かったらうちで入っていきなよ。さっき、僕とモモちゃんが入ったばっかりだから温かいよ」


 何も話さないうちに、里穂さんが用意したバスタオルと着替えと一緒に脱衣所に押し込まれて、湯船に浸かっていた。大きく息を吸い込んで、息の限界まで潜水し、開き直って本格的に入浴した。新田さんのシャンプー新田さんのボディーソープ、こうなったらとことん使ってやる!

 新田家のお風呂を思う存分満喫して、湯上りの麦茶を飲み干した所で里穂さんが本題を切り出した。っていうか、そもそもお家に里穂さんがいるんだから、家に招待された時点でデートとかありえないじゃんという事に今気付いた。さっきの勘違いを新田さんに気付かれなかっただけ幸せだと思っておこう。


「お惣菜屋さんの向いの和菓子屋さんのベンチに、よく座ってる女の人を知らない?」


「えっと……近所のおばあちゃんとかおばちゃんなら何人か知ってますよ。ここの魚芳のおばちゃんも、時々」


「若い女の人みたいなのよ」


 そこから、猛さんの遺品整理から始まった一連の出来事を詳しく教えてくれた。手紙の差出人に迫れるなんて、すごい探偵みたいで本格的。でも、そういえば若い女の人に覚えがある。里穂さんと新田さんと知り合うきっかけになった日。あたしは、和菓子屋のベンチからゆらりと立ち上がって二人を追うように人ごみに消えていった怪しい女を目撃しているじゃないか。


「でも、どこの誰かはさっぱりなんです。ごめんなさい」


「そっか。じゃあ、明日和菓子屋にも聞き込みに行きましょう」


「あたし、和菓子屋のバイトに友達がいるんですよ。電話してみますね」


 あたしのルームメイトの東大寺紫は、その和菓子屋でバイトしている事は前にもも述べた。しかも、今日は定休日なのに新商品の試食会があるとかで出勤している。レポートの期限が近いから、史料を読みたいのに困ると、朝ぶつくさ言っていたのを覚えている。電話は、2コールで繋がった。


「もしもし?あたし。美代」


『あら。珍しい。緊急かしら』


「バイトあとどれくらいで終わりそう?」


『そうね…店長が電車の遅延で遅れてしまって、試食会が始まったのがさっきなのよ。だから、もう二時間はかかると思うけど……どうして?』


「ちょっと紫に聞きたい事がある人がいるの。バイトが終わったら商店街の魚芳ってお魚屋さんの二階に来てほしいんだけど、できる?」


『いいわよ。遅くなってしまうこと、お詫びしておいて』


 紫は、必要最低限の会話しかしない。紫から、根掘り葉掘り何かを聞かれたという経験も無い。今だって、あっさりと電話は切れた。


「来てくれるそうです。でも、あと二時間くらいかかるみたいなんですけど、構いませんか?」


「もちろん。その間に、ごはん食べない?」


 新田さんに言われて、あたしのお腹が情けない音を立てた。バイトと入浴まで済ませて、あたしのお腹は完全に夕食モードだった。その音を聞いてくすくすと笑いながら、里穂さんはキッチンから次々と料理を運んできた。


「美代ちゃんがバイトの後に来るって言うから、ごはん張り切って作っちゃった」


「里穂さんのごはん、すごく美味しいんだよ」


 何か新婚さんのお部屋にお邪魔してるみたいで、凄く複雑だけど食べ物に罪は無い。多少なりともむくれながら、用意された料理に箸をつけた。酢飯に刻んだ筍の煮物が混ざった筍ごはんに、うどのおつゆ、菜の花のからし和え、ひじきの煮つけ、ボリュームを補うように、鶏の照り焼きがメインを張っている。暖かいほうじ茶がちゃんと茶卓に乗って登場して、一流の料亭みたいだ。

 こ、これは勝てない。里穂さん以上の力で新田さんの胃袋を掴むのはかなり難しそうだ。味もとんでもなく美味しい。鶏の照り焼きの味が控えめで、筍ごはんの味を邪魔しない配慮もプロっぽい。


「六花くんて、彼女いないの?」


 あたしと新田さんそれぞれの思惑が、一瞬変な沈黙となって場を支配した。バラエティー番組の粗野な笑い声が部屋に大きく響いた。里穂さんざっくり聞きすぎだよ……と思いながら、目は新田さんを捉え続ける。お椀に顔の半分を潜らせながら、どきどきしながら反応を待った。


「いません。募集中です」


 新田さんが苦笑しながら返した。次はこっちに矛先が向いた。


「美代ちゃんは?」


「す、好きな人はいます!す、すごく」


 焦ってほうじ茶を一気飲みして盛大にむせた所で、場が少し和んだ。その隙をつくかのように、里穂さんがキッチンに経ってデザートのリンゴを持ってきた。里穂さんが席に着いた所で、新田さんが口を開いた。


「里穂さんは?」


「え?」


「里穂さんは……もう、一人で生きていくつもりですか」


 あたしは、この時の新田さんの真剣な表情を見て少し分かってしまった。たぶん、新田さんは猛さんに頼まれたから仕方なく里穂さんを守ってるんじゃない。新田さん、里穂さんが猛さんの奥さんだった時から里穂さんの事……


「……あたしには、モモがいるから。しばらくあたしは、モモのお母さんであり、お父さんでいてあげたいの」


「この林檎、とっても美味しいですね」


 急に、新田さんはいつものにっこり笑顔を振りまいた。話題を変えた新田さんに、あたしと里穂さんがぎこちなく合わせた事で、その話題は終わってしまった。でも、この日あたしは確実に失恋した。挑む気も無くすくらい大敗した。

 誰かに、このもやもやを吐き出してぶつけたい。いつものように、紫に聞いてもらおうか。でも、この日あたしの脳裏に浮かんだのは、最近よく会う仏頂面の消防士だった。真田さんと話したいな。あたしが密かに失恋してしまった頃、紫と約束した二時間が迫っていた。

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