村瀬 里穂
私は、自宅に戻ってきていた。
六花くんの家での生活はまだ続いているが、今日は猛さんの遺品整理をしに久しぶりに帰宅した。モモは、退院した時と比べて見違えるほど大きくなった。昨日、無事に四カ月検診を終えた所だ。目を見れば笑い、首もしっかりと据わり、近頃はごろんと寝返りをうつようになった。六花くんの腕の中で眠るようになり、階下の魚屋の喧騒で目を覚ます事もなくなり、すっかり今の生活に慣れてしまった。赤ちゃんの吸収力は侮れない。そんなモモは、縁側でうつ伏せになって、お気に入りのボールのおもちゃで機嫌良く遊んでいる。
私は、その横で小さな段ボールを開けた。締め切った室内で少し湿気てしまった段ボールは弾力があって、100円ショップの鋏では少々切りにくい。力を入れて一辺切り終えた時には、右手が痺れていた。その段ボールは、猛さんの机の下に押し込まれていた。箱の上に花の図鑑や事典などがうず高く積まれていたので、引っ張り出すのに少々苦労した。
「手紙……」
段ボール箱の中からは、手紙が4通。いずれも同じ真っ白な封筒で、差出人の名前は書いていなかった。悪いとは思ったが、中から手紙を引っ張り出してみる。まず目についたのは、禍々しい字の羅列。「許さない」「忘れさせない」「自分だけ幸せになるつもりなのか」赤いインクで強く書かれた文字からは、強い思いが感じられた。強い強い思念が。
「何これ……」
私が絶句していると、床に置いてある封筒をふっくらとした手が無造作に掴んだ。すっかりおもちゃだと勘違いしたモモが、ご機嫌で封筒を舐めようとしていた。
「こらこらモモ!」
慌てて封筒を引っ張ると、その拍子に綺麗なピンクが落ちた。
「アルメリア?」
全ての封筒にアルメリアの花が同封されていた。そういえば、猛さんとアルメリアの話をした事があった。
「一度、北海道にも行ってみたいな。こっちに咲いてないお花も沢山あるんでしょ?」
「そうだね。ここよりかなり涼しいから、こっちだと高原に行かなきゃ咲いてないような花でも、平気でその辺で咲いてるからね」
「いいなあ。前に、アルメリアが咲いてる野原があるって言ってたよね」
「ああ……アルメリアが好きな奥さんを貰う事になったのも因果だな」
お酒が入って上機嫌だった猛さんは、その話題になると急に暗くなった。その時は、酔いが回ってしまってぼんやりしてしまったのかと、特に気にも留めていなかったが、アルメリアと因果を結んだ先にあったのは、この気持ちの悪い手紙が関係していたのではないだろうか。そして、猛さんが焼死した原因にも。
急に、誰かに見られているような感じがした。私は、床に散らばった手紙を急いでかき集めてママバッグに仕舞った。おむつや着替えも入っているので、ママバッグはいつもぱんぱんだ。折り目がつかないようにサイドポケットに丁寧にしまう。モモを抱っこ紐に押し込める。焦っている時に限って、首の後ろの留め具が中々嵌らない。小走りで門扉を出た。とにかく六花くんが待つ家に帰らなくては。モモを抱き、ママバッグを肩にかけて足を速めると、この季節なのに汗ばむ程の運動になる。魚屋の二階で、六花くんに手紙を見せ終わる頃になってやっと息が整った。
「これが……」
六花くんは、想像より驚かないのは、猛さんから何か聞いていたからだろうか。猛さんの死後、私を強引に保護してくれたのと何か関係がある。そうに違いない。私の想像にかぶせるように、六花くんが状況を整理していく。こういう時、先入観の無い冷静な第三者の分析はありがたい。
「猛さんが、この差出人に対して何かしたんでしょうか?実際の事は分からないけど、差出人は少なくとも何かされたと思ってるんでしょうね」
「あまり考えたくはないけど、そうなんだろうね」
「里穂さんの話だと、どうも北海道に問題の根っこがありそうですね。でも、切手の消印が南町郵便局になってる。北海道から四回も来たんでしょうか。それとも、こっちに協力者がいるのかな。……まぁ望みは薄いですけど、行ってみましょうか。郵便局!」
郵便局に着いたのは、窓口が閉まるぎりぎりの時間だった。そんな時間に業務外の質問をすると、いつも愛想良く接してくれる局員も、さすがに迷惑そうだった。一番新しい消印でも五か月前だったのもあり、窓口の女性も首を横に振った。
「そうですか。……どうも」
二人でがっくりと肩を落として帰ろうとした時、横から封筒を覗き込んだ男性が、声を上げた。
「それ出した人、和菓子屋の前のベンチによく座ってるよ」
男性は、頭をかきかき答えた。いつも漫画の原稿の入った大きな封筒を送りにくる女の子で、その職員とは顔見知りらしい。少し前から、一緒に差出人名の無い真っ白の封筒を持ってくるようになったらしい。一度は、入れ忘れた物があると言って、投函した手紙の中から彼女の封筒を探した事もあったようだ。その時に、アルメリアによく似た花を同封しなおしていたのも覚えていた。投函した手紙を探してほしいと、鬼気迫る表情で頼みこまれたので、運良く記憶に残っていた。
六花くんと深々と頭を下げて、郵便局を後にした。郵便局の自動ドアが背中で閉まった途端に走り出す。まだ夕方の混雑が始まったばかりの南町商店街を走る。途中、あまりの振動にモモが声をあげたので、少し速度を落として和菓子屋に向かった。しかし、残念な事に和菓子屋の前のベンチは空。更に和菓子屋も定休日だった。
その時、和菓子屋の向かいの惣菜屋から、最近よく聞く声が響いた。
「きょうはヒレカツ弁当が安いよぉぉぉ」
反射で声のする方を見ると、粕谷美代が呼び込みをしている。私服を着ると大人びて見えるが、三角巾にエプロン姿の美代は少しあどけない。美代もこちらに気付き、大きく手を振ってきた。
「新田さぁぁぁん」
和菓子屋の柱と人ごみに隠れて、私の事は見えていないようだ。六花くんも額の汗を拭って、にこにこと手を振り返した。そのまま、ヒレカツ弁当を求める客の群れに近付き、美代に何かを耳打ちして帰ってきた。美代は、真っ赤になってしきりにオッケーサインを出している。
「何話してきたの?」
「美代ちゃん、バイト終わったら僕のうちにおいでって言ってきました。もしかして、美代ちゃんが漫画家志望の女の子、目撃してるかもしれない。噂だけでも聞けたらいいなと思って。じゃ、美代ちゃんが帰ってくるまで休憩にしましょう」
六花くんは確信犯だ。猛さんの為に、ごめんね。遠くの美代ちゃんにぺこりと頭を下げて、私は六花くんの家に帰る。そろそろお腹が空いてきたのか、モモがふにゃっとむずかりだした。




