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焔音  作者: こはる
12/17

粕谷 美代

 玄関を開けると、間接照明の橙色が見える。どうやら私のルームメイトは、まだ起きているらしい。音を立てて玄関を閉め、ボルドーのパンプスを乱雑に脱ぐ。高いヒールから解放された喜びを、私の足の裏が味わっている。


「ただいま。また部屋真っ暗のままで……目、悪くなるよ」


 ドアの脇にある室内灯のスイッチをぱちっと押すと、白い光が部屋に満ちる。ドアにもたれて、土踏まずやふくらはぎをぎゅっと揉む。寒い中パンプスを履いていたせいで、ふくらはぎもぱんぱんに浮腫んでいる。


「美代ちゃんおかえり。夕方から史料を読み始めたら、暗くなってるのに気付かなくって」


 紫は、窓に面した大きなデスクに勉強道具を広げている。東大寺紫(とうだいじゆかり)は、あたしのルームメイトだ。あたしの通う緑山学院大学には、学生寮が無い。その代わりに、大学にほど近いマンションを何棟か買い上げて、学生たちに安く住まわせてくれるのだ。部屋の造りは2LDKと結構広く、学校側が振り分けたルームメイトと一緒に住むのが決まりだ。

 紫は、英文学科のあたしと違って史学科なので、キャンパスが違う。一駅隣にある新キャンパス組だ。なので、朝晩しか顔を合わせる事は無い。国立国会図書館で働きたいという、勉強熱心な女の子だ。四人姉妹の長女だからか、非常に面倒見が良く、いまもあたしにコーヒーを淹れてくれている。


「っはぁぁぁぁ疲れたぁぁぁ」


「ごはんは?私、これからなんだけど」


「大丈夫。食べて来たから」


 ソファーにうつぶせになって、足をぶらぶらさせる。そのだらしない姿勢のまま、ローテーブルからマグカップを引き寄せて、喉を鳴らして飲み干す。

 紫は、お茶漬けと漬物で簡単に済ませるようだ。紫の白くてほっそりとした手元を見ながら、もっとがっつり食べないと痩せちゃうよと声を掛ける。紫は、困ったように笑いながらゆっくりと食事を進める。セミロングの黒髪は、つやつやと光を反射している。ざっくりとした肌触りの良さそうな薄緑色をしたセーターに、ミディ丈のネイビーのスカート。紫は、いつも通り清潔感のある落ち着いた出で立ちだ。

 美代は、マグカップを持ったまま窓際に移動し、先ほどまで紫が向かっていた机の隣のパソコンを立ち上げる。あたしの机にも少々資料の山がはみ出しているので、崩さないように注意する。あたしの机は、テスト期間以外はほとんと使わない。


「動物が殺されてる事件、知ってる?」


 立ちあがったパソコンの検索エンジンを駆使して、動物殺害事件について調べてみる。入学祝いに、祖母に買って貰ったパソコンは、一瞬で検索結果を表示する。事件の概略を大学ノートに書き留めていく。全然関係ないけど、大学ノートって何で大学ノートって言うんだろう。高校生も使ってるのに。


「うん。知ってる。警察官が犯人じゃないかって噂があるって、うちのゼミの子たちは話してた」


 確かに、そういう噂もヒットしてくる。どうやら、事件の起こっている日が三日おきである事が理由として挙げられているようだ。事件も、真田さんが教えてくれた物よりもずっと多く、ここ一ヶ月は三日おきに事件が起きているようだ。


「しかもね、こことここと……ここ。この通報者って、同じ人なんだって」


 いつのまにか、紫が美代の椅子の背に手をかけて、パソコンの画面を覗き込んでいる。紫の華奢な指が示しているのは、最初に起きた児童公園に猫の死骸が遺棄されていた事件と、児童公園で蜥蜴が大量死していた事件、そして、児童公園で三匹の犬が変死していた事件の三件だ。


「へぇ。全部児童公園なんだ、発見場所。で?通報者はどこの誰なの?」


「さあ。そこまでは」


「……だよね」


 再びソファーに舞い戻って、お気に入りのクッションに顔を埋めるあたしの横に、紫がすとんと腰を下ろす。


「どうしたの?急に、探偵さんみたいよ美代ったら」


「ん……ちょっとやっかいな事に首を突っ込む事になっちゃってねぇ。なるべく多く、その事件の情報を知りたいわけなんだよ」


「ゼミにもね、その事件を熱心に調べてる子がいるのよ。最初の事件で殺された猫、その子が可愛がってた猫だったんですって。事件は自分で解決するんだって息巻いてたわ。話聞きたかったら、紹介しようか?」


「お願い」


 翌日、紫に指定された場所に行くと、ひょろりと背の高い男の子が携帯電話に目を向けていた。紫の通うキャンパスを入ってすぐ脇の、学生会館のロビーで待ち合わせるあたり、紫らしい。あたしなんて、休講情報を確認する以外で、学生会館なんて堅苦しい所は訪れない。


「向井信吾くんですか?」


 向井くんは、ついと顔を上げると、人懐っこい笑みを浮かべた。少しお洒落な男子大学生がこぞって着ているブランドで、全身をコーディネイトしている。正に大学デビューって感じで、何だか微笑ましい。


「粕谷美代ちゃんですか?はぁぁぁ良かったぁぁ。紫ちゃんの友達っつーから、すっごいお嬢様みたいなの想像しちゃってたよぉぉ。いい感じに庶民的でまじ助かる」


 何だか貶されているように感じるが、悪意は無さそうだ。眉間に皺が寄りそうになるのを堪える。思ってたより軽そうな人だ。本当に熱心に捜査しているのだろうか。


「あたし、向井くんが話していたっていう、複数の事件で同じ通報者が存在したっていうお話を詳しく聞きたくて来たんだけど」


「分かってる分かってる!ね、とりあえず、落ち着いて話せる所行こうよ」


 向井くんは、あたしの返事も待たないで歩きだし、キャンパスの斜向かいにあるカフェに入る。またホットココアを注文したが、失敗した。真田さんに連れてってもらった喫茶店のホットココアが美味しすぎて、ここのは何だか水っぽく感じる。もちろんマシュマロも乗っていないし、がっかりだ。その薄いココアをすすりながら、事件についての話を聞く。向井くんは、ホットミルクにスティックシュガーを三本入れて、ぐびりと飲む。


「美代ちゃん彼氏いる?」


 聞こえなかったふりをしていると、向井くんは再び同じことを聞く。


「あの!あたし事件の事教えてくれないんなら帰ります!…自分の猫が殺されたから犯人見つけるんじゃなかったんですか?」


 席を立とうとするあたしの腕を向井くんはするりと捕まえる。ぞぞっと鳥肌が立った。何この人。気持ち悪い。


「待ってよ。冗談も通じないなんて、きっついなぁ」


 かなり頭にきたが、新田さんの無罪を証明するためと念じて耐える。


「児童公園の向かいに消防署があるでしょ?そこで働いてる人だって警察は言ってたよ。更に取っておき。俺気付いちゃったんだけど、消防士もさ、警察と同じようなシフトで動いてるんだってな。案外、その消防士が犯人だったりしてな」


「証拠も無いのに適当な事言わないで!」


 ぴしゃりと言い置くと、あたしはレジで会計を済ませて外へ出た。店先でコートを着ていると、へらへらしながら向井くんが出て来た。


「そんな怒らなくてもいいだろ。ちゃんと教えてあげたんだから、ご飯くらい付きあってよ。今度は、俺が奢るからさ」


 無視して歩き出すと、並走して話しかけ続けてくる。


「ねぇ、これから消防署に行くんだろ?俺も一緒に行くよ」


「結構です」


 何だって紫は、このうっとおしい男を紹介してきたんだろう。しかも、しつこい。歩く速度を上げても上げても、向井くんは諦めない。もうすぐ消防署についてしまう。こんな邪魔者がいたんでは、まともに捜査できやしない。


「ほんとは彼氏いないんでしょ?俺、美代ちゃんに一目惚れしちゃったんだよ」


「い、いますよ彼氏くらい!」


「意地張っちゃう所も可愛いよね」


 向井くんは、依然としてにやにや笑いを引っ込めない。しかも、今度はあたしの髪を撫で始めている。本格的に身の危険を感じ、身を翻した瞬間、壁のような物にぶつかった。鼻を押さえながら振り向くと、真田さんが苦笑いを浮かべていた。いつもの私服ではなく、南町消防署と印刷された、オレンジ色のジャケットを羽織っている。かなり目立つ。


「悪いな取り込み中に。……新しい男か?」


「どうしたらそう見えるんですか!真田さんは何で?」


 真田さんの登場で、一気に負けん気が復活する。どうやら、ずんずん歩いている内に、消防署の前に来てしまっていたようだ。


「いや、これから夜勤だ。ちょっと抜け出して夜食でも……と思ってな」


「あぁ!さぼりださぼりだいけないんだ~」


「ばっ!おまえこんな所で大声出すな」


「じゃあ、あたしにも何か奢ってくださいよぉ」


 物欲しそうに口を尖らせると、頭を掻きながら渋々頷く。共にコンビニに向かって歩き出そうとすると、向井くんの声が追いかけてくる。


「何だよまじで彼氏いんのかよ。案外そいつが動物殺してんじゃないのかぁ?」


 無視して歩き続けていると、真田さんが不思議そうな顔をしている。


「何なんだあいつ。俺が犯人だってのか?」


 コンビニの自動ドアが開くと、ぷんとおでんの匂いが暖かい空気と共に鼻先を包み込む。真田さんが持つ籠の中に、ぽいぽいとお菓子を投げ込む。エクレアとシュークリームで数秒迷い、両方を籠に放り込む。


「容赦ねぇな」


 真田さんが、おでんと肉まんを注文した所で新人らしい高校生くらいの男の子がレジを打ち始める。しばらくかかりそうなので、あたしはきょう分かった事を手短に報告した。


「うちの消防署に通報者がいるってのか!?……そんな噂は聞いたことねぇな。戻ったら、それとなく確認して連絡する」


「はい。お願いします」


 お菓子がぎっしり詰まったレジ袋を戦利品に、家に向かう。紫は、美代の惣菜屋の向いの和菓子屋でアルバイトをしている。きょうは、確かバイトの日ではないはずなので、紫は家で待っているだろう。帰ったら、文句を言わないと。

 それにしても、真田さんがいたおかげで助かった……とほっと胸を撫で下ろす。向井くんに握られた腕に鳥肌が立った事を思い出し、再びぶるっとする。本当に今日は厄日だ。

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