真田 伸一
勤務を終えて南町消防署を出ると、粕谷美代の姿が見えた。冬の午後三時は、もう既に夕方の気配が忍び寄っていてかなり冷える。美代は、小刻みに足踏みしながら、俯き加減で手に息を吐きかけている。
「児童公園で待ってろって言わなかったか?」
真田の声に一瞬びくりとして、美代は顔を上げた。ノーカラーの白いコートに、暖かそうなマフラーをくるくると巻きつけている。グレーのタイツに踵の高いベロア生地のボルドーのパンプスが目を引く。耳元には、ちらりとゴールドのピアスが覗いている。
「だって物々しいんですもん児童公園。なんか、うさぎの死骸が見つかったんですって」
横断歩道が点滅しだしたので、美代を促して小走りで渡った。女連れの所を署員に見られると面倒なので、昨日の喫茶店を足早に目指す。通り際に児童公園を見やると、美代の言った通り警察官が二人、主婦たちに事情聴取をしているようだ。
喫茶フルールは、今日も空いていた。カウベルの音を聞いて飛んできたウェイトレスに、児童公園の見渡せる窓際の席に案内され、俺はソファーにどっかりと腰かける。遊歩道には、またあのホームレス風のじいさんが空き缶を拾っているのが見える。全く一本いくらになるんだか。寒いのにご苦労な事だ。
美代は、くるくると長いマフラーをほどき、静電気でボリュームを増した髪を後ろに流しながら俺の隣に腰を下ろした。
「ここ、クラブハウスサンドが絶品なんだ」
「女の子がこんな半端な時間にそんながっつりした物食べるわけないじゃないですか。すいませーん!ホットココアとスコーンください」
「あ、俺はホットコーヒーとピザトースト」
美代は、熱でとろとろになったマシュマロが乗ったココアに目を輝かせ、スコーンを一口齧るや、また歓声を上げた。甘いものを食べる事だけでも信じられないのに、それに甘い飲み物を合わせるなんて真田にはとても信じられない。
「ん~!スコーンも温かくて美味しい!さくふわしっとり!超美味しいすごいこんなお店あったんだぁ」
「なあ、そろそろ本題に入ってもいいか?」
美代の食リポに遠慮なく水を差し、真田は本題に入った。そもそも、今日美代を呼び出したのは、真田の懸案事項解決に一役買ってもらおうと思ったのだ。消防署勤務を続けながら、新田の事を調べるのはあまりにも時間がかかりそうだ。何より、真田と新田六花が一緒に休むシフト自体が存在しない。大学生で、時間の都合のつきやすい美代の協力を仰ぐ事で、捜査の効率をぐんと上げようという結論に落ち着いたのだ。真田は、夏の日に見た猫の死骸、新田の腕に謎の赤い液体が付着していた事、動物の死骸が発見される日に、新田が必ず非番である事を伝えた。美代は、ホットココアのカップを両手で持ったまま、真田の話を聞いていた。真田が話し終わる頃には、真田の注文したピザトーストはすっかり冷めてしまっていた。到着した時には、赤いトマトソースの上でとろとろになっていたチーズも、黄色い膜のようになってしまっている。ピーマンやベーコンも心なしか乾いているように見える。
「真田さんは、新田さんが犯人だと思ってるって事ですか?」
ぎゃあぎゃあ反論されると思いきや、美代は意外に冷静なトーンで応じた。
「いや、俺も証拠不十分だってことはよく分かってる。ただ、村瀬さんの依頼を受けるとなると、新田と過ごす機会も今よりずっと多くなる」
「分かります。動物を虐殺して周るような危険な人と関わりたくないですもんね」
俺は、肯定する代わりにコーヒーを口に含む。美代は、とうに空になった皿の上のスコーンのカスをフォークでつつき回しながら、何かを考えているようだ。どうやら児童公園で行われていた事情聴取は終わったらしく、公園にはもう誰もいない。
「私、新田さんが犯人じゃない証拠を見つけます。実は、私の取ってる講義、きょうで年内はおしまいなんです。時間は沢山あります」
「ああ、頼む。ところで、この後時間あるか?」
美代は、目を皿のように大きくして俺を見る。そうか、これだとまるで夕飯を一緒にどうだと続きそうで、俺がこいつを誘ってるみたいじゃないか。
「勘違いするな。これから新田と飲みに行く約束をしたんだ。昨日の事情を話すって言ったろ。暇ならお前も付き合え」
「か、勘違いなんてしてませんよ!ちょっと吃驚しただけです。っていうか真田さんずっるい!話は俺が通しとくって言ってたのに、あたしの事山車に使おうとしてるでしょ!?ややこしい事情をあたしに説明させるつもりですかぁ?」
「じゃあ、行かないのか?憧れの新田六花と居酒屋とは言え食事できるんだぞ?惣菜屋でぼーっと待ってただけじゃ、この展開まで何年かかったことか……」
美代をちらちら見ながら、わざとらしく指折り数えるふりをする。美代は、耳まで真っ赤にして、必死に頭を巡らせている。こいつ、根が素直なんだろう。非常に扱いやすい。
「……い、行きますけど」
「ん?何だって?」
「行きますお供します連れてってくださいぃ!!」
「よかろう」
約束の午後六時を10分まわった頃、新田は店員に伴われてこちらに歩いてきた。商店街に古くからある居酒屋で、俺の知り合いの親父がやっている。奥に、襖で仕切られた座敷があって、人とじっくり話したい時、俺はいつもここに決めている。店内は程よく混み合っていて、そこここでジョッキが打ち合わされている。仕事に疲れたサラリーマンの憩いの場で、野太い乾杯の声と上品とは言えない笑い声が響いてくる。皆、食事と酒と会話に夢中で、かなり大きな声で話しても、襖の向こうまでは会話の内容が聞こえる心配は無い。
「遅れてすみません。仕事が長引いてしまって…。珍しいですね、真田さんが僕の事を誘ってくれるなんて。何かあったんですか?」
美代は、手洗いに立っていて不在だ。新田は、鮮やかなブルーのコートを脱ぎ、備え付けのハンガーにかけた。紺色のVネックの細身のセーターの下からは、赤と青のチェックのシャツの襟が覗いている。手首からもシャツを覗かせているスタイルは、雑誌のモデルのようだ。くすんだ色味のジーンズも、よく似合っている。
ふいに襖ががらりと開いて、瞬間的に真っ赤に沸騰した美代が、ぎくしゃくと個室に入ってきて、俺の隣に腰を下ろす。新田の隣じゃなくて良いのか?というジェスチャーには、目をぎゅっと瞑って懸命に首を振る。美代の登場を不思議そうな目で見つめる新田に、手短に事情を説明した。
「……というわけでな。村瀬さんからお前の手伝いを頼まれたわけなんだが。何か俺たちに手伝える事はないか?」
話の途中で店員が運んできたお通しの揚げ出し豆腐を摘まみながら、俺は新田を見やる。俺の説明が、意外と巧く運んでいるのを見て安心したのか、美代は隣で熱心にメニューの頁を捲っている。
「お話は分かりました。僕は猛さんの代行、真田さんたちは里穂さんの代行って事ですね。とりあえず、何か頼みませんか?美代ちゃんも、お腹空いてるみたいだし」
「ここは俺が払うから、何か適当に好きなもん頼め」
美代は、ばっと顔を上げるとにっこりと笑った。
「んっと……親父のポテトサラダと、豚つくねのアスパラ巻きと、地鶏の串焼き三人前…とトマトの肉じゃが風と石窯マルゲリータピザ!!あと、ジャスミンティーお代わりください」
「真田さん、また生ビールでいいですか?あ、生ビールと僕、ジントニック」
三人で改めて乾杯すると、喉を潤す。新田の返事は気になるが、向こうが切り出すまで待とうと決め、真田は箸を持つ。テーブルには美代のオーダーした料理が出揃った。選ぶ人が違うと、かなり酒席のメニューは変わるのだと驚いた。
「実はまだ…何も分かってないんですよね」
新田は、申し訳なさそうに俯く。新田の元に、村瀬猛から手紙が届いたのは数日前なので、別に恥じ入る事ではないが。新田は、少し皺の寄った黄色い封筒を滑らせてきた。件の、村瀬猛からの手紙だ。美代と頭を寄せ合って読む。時折、美代がふむとかほおとか相の手を入れてくるが、総じてスルーする。
「この、アルメリアってどんなお花なんでしょうね」
「ピンク色の可愛らしい花だよ。里穂さんの勤めてた花屋さんでも扱ってるよ。里穂さんも大好きな花なんだ」
「そうですか。この町って、結構お花屋さん多いけど、どこでも扱ってるお花なんですかねぇ。アルメリアを添えて投函されてる手紙って、どこかでお花を買ってるんですよねきっと」
美代は、急に生き生きと検証し始める。案外、美代は頭脳労働が得意みたいだ。大学で何を専攻しているのかは知らないが、現役大学生面目躍如だ。
「僕は、手紙の差出人を追ってみようと思ってね。ちょっと猛さんの手紙だけじゃ、その手紙が配達されてきた物なのか、直接手で投函した物なのか分からない。だから、近々里穂さんに頼んで、猛さんの遺品を見せてもらおうと思ってるんだ。もし、手紙が配達されてきた物なら消印とか、郵便局の人の証言を取るのもヒントになるだろうし、直接投函されたんだとしたら、近所の人が目撃している可能性がある」
村瀬猛からの手紙を熱い眼差しで見つめる新田六花が、悪い人間にはとても思えない。しかし、喉に引っかかった魚の小骨のように、猫の死骸がちらついて離れない。美代と新田は、すっかり打ち解けて今後の方針について話し合っている。
「遺品を改める時は、呼んでくれ。人手があった方がいいだろ」
「はい。よろしくお願いします」
新田の言葉を聞くと、俺は席を立って会計を済ませた。ボーナスも入った所で、財布も暖かい。クレジットカードを切ると、美代が大人だ大人だとはしゃいだ。散々恐縮する新田に財布を仕舞わせて、三人で外に出た。酒で温まった体も一瞬で凍りつく程に寒かった。吐く息も白く、美代はさっそくくしゃみをしている。
「うぅぅぅ…さ、さぁむぅいぃ」
「人を風よけにするな」
「だぁってぇ!じゃあ何の為にそんなに背中広いんですかぁ。女の子の風よけになる為ですよきっと」
手をすり合わせながら文句を垂れる美代の鼻の頭は既に赤くなってきている。新田は、寒がる美代に自分の手袋を差し出した。
「手が温まると、結構違うと思うよ。体の先から冷えるもんね」
にっこりと微笑む新田と、でれでれと目尻を下げる美代と連絡先を交換し、帰路についた。奇しくも、新田の住む魚芳は右、美代と真田の家は左だ。新田の連絡先が入った携帯をぽわんとした目で見つめる美代に、一応釘を差しておく。
「美代。俺からの依頼も忘れんなよ」
「わ、分かってますよ。帰ったら、ネットで事件をもっと詳しく調べてきます。で、話を聞いてみたい人も何人かいるので、ちょっと会って来ようと思います」
「頼む。何か分かったら教えてくれ。俺も、いくつか伝手があるから調べとく」
分かれ道まで来たのに、中々美代は背を向けない。痺れを切らして、こちらが先に背を向けると、美代が真田を控えめに呼びとめた。
「あ、あの……新田さんの敵になるみたいで凄く不本意なんですけど……新田さんのネイビーのセーターに、動物の毛が付いてました。結構沢山。でも、こないだ新田さんの家に行った時に、動物を飼ってる様子なんて無かったですよね」
「道で野良猫にでも触ったんじゃないのか」
「野良猫の頭を撫でたくらいじゃ、袖口にしか毛は付きませんよ。しかも、この季節、コートを着てるんだから、中の服に沢山毛が付くのはおかしいと思いませんか?動物と室内で一緒に生活してないと、あんな付き方はしませんよ」
「また怪しい材料を見つけたってことか」
美代は、少し悲しげな顔をして、今度こそ背を向けて歩きだした。その時、ちらりと雪片が舞い降りてきた。考える事が多すぎて頭痛がする。幸い明日は非番だ。熱い風呂にゆっくり浸かって、早く床に就くことにしよう。凍りつくような夜空の下、真田は、襟を立てて歩きだした。




