第五話 断れない突然の誘い
車に乗ってけと言われ十分が経った。
即答できずにいる澪を見て蓮は笑う。
「何悩んでんだよ、早くしろって笑」
「わかった、わかったから!」
濡れるよりはましだと思い、乗せてもらうことに。
恒一からはまだ連絡はないため早く帰ってしまえばどうにかなるだろうと思っていた。
あれ、私また——
隠そうとしてない?
でもどこか安心する車内。
澪の気持ちは完全に揺れ動いていた。
この安心感、恒一の車でしか味わってこなかったから。
その気持ちにはまだ気づいていない澪。
でもこの一言で自分の思いに気がついてしまう。
「お前のその安心した顔、初めて見たわ」
安心…した顔…?
私安心してるの?
大嫌いだった奴の車に乗って…
でも自分に嘘はつけなかった。
確かに感じる安心感。
ようやく澪の心の中にある蓮への気持ちが露わになってきた。
その気持ちを加速させるように蓮はこう続ける。
「時間あるんだったら少しドライブでも行くか?そんな長い時間ってわけじゃないけど」
「え…でも…」
「泣かせたお詫び」
そう言われてしまった澪は断るに断れないでいた。
確かにご飯が家にあるとか、恒一が待ってるとか言えばよかったのに、その言葉たちは逃げ回っていた。
そもそも、送ってくって言われた段階で恒一の名前を出せばよかったのだ。
それが出てこないということは、澪の中の気持ちがそうさせているということになる。
澪は自分の気持ちがなぜこうなってしまっているのかわからず、若干パニックになっていた。
好きなの…?
嫌いなの…?
どういうこと…?
ただ助けられただけなのに…?
そんなんで好きになる…?
わけわかんない…
そもそもなんで好きって前提で考えちゃうの…
考えること十分。
先に言葉を発したのは蓮だった。
「無理にとは言わないけど、ただ俺が行きたかっただけだし」
「……じゃあ行こうよ、行きたいんでしょ?」
断れたのに断らなかった。
心がズキズキ痛む。
それと同時に少しドキドキもしていた。
恒一への思いと並行して蓮への気持ちも少しずつ成長している。
さすがにわからないなんて通用しない気持ちだった。
「ふふっ、なんか落ち着くね、車」
澪から出た本音。
それに蓮は少し驚く。
何より笑いながら出たその言葉は、本物だと思った。
さっきまでの涙が嘘かのように。
澪は自分の気持ちに少し素直になって見ようと思った。
どの選択も自分を滅ぼすことになるとは知らずに——
「今日何時までに帰ればいいんだ?」
「そんな遅くなきゃ大丈夫だよ」
蓮は車を行く当てもなくただ走らせていた。
澪にはそのいつもの景色が少し輝いて見えている。
BGMのせいか車内は賑やかだった。
それと同じくらい二人は話していた。
「お前さ、泣いたり笑ったり忙しい奴だよな」
「なによ! うるさいわね! 忙しくてすみませんねー!」
そんな会話しかしてないけど、とても楽しい。
いつの間にか、澪の心から罪悪感が消えていた。
心地の良い車内。
落ち着く芳香剤の匂い。
そしてタバコ。
丁度いつも吸ってるタバコを切らし困ってるときに
「俺のでもいいなら吸う?」
と言ってきたので、私には強すぎるけど背伸びをして蓮と同じタバコを吸っていた。
そして澪は呟く。
「……同じじゃんね、カップルみたい」
「ん?なんか言ったか?」
「え?あ、いやなんでもない」
さすがに…ね。
そんなことを思っている心の中は、蓮のことでいっぱいだった。
夫がいながら、彼氏がいる。
そんなの不倫の何物でもない。
だが、そんなことも考えられない程に蓮への思いは加速する。
「…あのさ、彼女とかっているの…?」
「俺?いないけど…なんかあった?」
いないと聞いて安心している自分がいた。
こんなの良くない。
誰よりも分かってる。
なのに…なのに…
「…私のことどう思ってるの」
「え?いや、普通に仕事頑張ってんなって。それくらいだよ」
蓮は自分の気持ちを抑え、嘘をついた。
だが、澪の質問は止まらなかった。
「…ほら、あの…恋愛としてとかさ…いやごめんなんもない」
「…お前旦那いんだろ」
「…聞くくらいタダじゃん」
私何聞いてんだろ…
でも、気になる。
蓮が私のことどう思ってて、それが恋愛に繋がってるか。
おかしい話なのは分かる。
どこかで蓮を手に入れたいと思っている私がいた。
「お前はどうなんだよ、俺のことどう思ってんだよ」
「…普通に、仕事頑張ってんなぁって」
「ふっ、俺と同じ回答じゃん」
そんな話をしているうちに、夜景の綺麗な場所に着いた。
いつの間にか雨はやみ、夜景が綺麗に見えていた。
山の上だからか少し肌寒い。
寒さを耐え携帯で写真を撮ろうとするも、手が震えて撮れない。
「寒いんだろ、写真代わりに撮るからこれ着て温まってろ」
そう言って自分の作業着の上をかけてくれた。
何気ない優しさが今の澪にとっては、蓮への気持ちを加速させる材料にしかならなかった。
「…蓮だって寒いでしょ。聞いてるよ、寒いのと熱いの苦手だって」
「いいから着てろって。風邪ひいたら仕事できねぇし俺が送ってく意味もなくなる」
ごもっともなことを言われ仕方なく上着を着る。
タバコの匂い、芳香剤の匂い、若干の汗の匂い。
嫌いじゃなかった。
むしろ、いい匂いだと思った。
「……いい匂いだね、これ」
澪は見てしまった、若干口角の上がる口元、赤く色づく頬を。
何で照れてるの…?
どうでも良かったらこんな反応しないじゃん…
でもそんな蓮が少し可愛く見えた。
いつもは怖い顔ばかりしている蓮。
こんな一面もあるんだ。
なんか今日車に乗ってって正解だったかも。
「…今日ありがとうね、送ってってくれて…ってかドライブ連れてきてくれて」
「ん?あぁ、いいよ、俺ここ好きなんだよ。…特別な事がないとこねぇけど」
「特別…な事…?」
特別な事ってなんだろ。
澪は気になって少し深堀してみる。
「特別な事って…何?ただ私と来てるだけじゃん」
そう言って澪は気が付いてしまう。
特別な事って私と来てることがってこと…?
「それ以上言わすな…バカ」
そう言って頭を小突かれる。
何これ…
蓮がどう思ってるかわかるようでわからなかった。
だけど、私のことを嫌ってはいない。
それだけはわかる。
なんだか嬉しかった。
寒いはずの外が少し暖かく感じている。
暑いくらいだった。
二人の距離は少し近づいていた。
心も、そして身体も。
蓮は澪の顔を見れてなかった。
少し恥ずかしいような、そんな感覚だった。
いつもはそんなことないのに。
なんでだろう。
自分から送ってくって言って、ドライブに誘っただけなのに。
俺って水城の事…
いや、それだけはだめだ。
そんな蓮の意に反して心は確実に澪に向いていた。
互いに意識していた。
でも隠そうとする。
澪は蓮にこんな想いになってると気づかれたくなかったから。
蓮は、夫がいる澪にこんな気持ちを抱いていいのか分からなかったから。
だけどもう後戻りできないところまで二人の気持ちは近づいていた。
破滅の道までもう少し。
破滅までの甘い時間をもう少しだけ楽しんでから。
彼らは自分の過ちに気が付く――




