第四話 偽りの巻き戻し
病院で処方された薬を飲んだことにより夜の寝付けなかった感じも、被害妄想なども軽減され、確実にいつもの澪に戻っていた。
蓮のことを除けば。
考えてないと言ったら嘘になる。
一昨日までの立ち振る舞いでいいんだよね。
そしたらまた元に戻るはず。
「澪ちゃん、今日は仕事行けそうかい?」
「うん、大丈夫! 安全に今日もバリバリ働いてくるよ!」
「あっそうだ、多分澪ちゃんは帰ってきてると思うけど、今日五時から打ち合わせでさ。ご飯は用意しておくから先食べててもらっても良いかな?」
「分かった! 行ってきまーす!」
何の変わりのないいつもの澪。
朝の支度を終え、元気に仕事へ向かう。
会社に着き大きな声で私は言った。
「皆さんおはようございます! 昨日はすみませんでした! 今日からまた頑張ります!」
何の曇りのない。
そこにいたのはいつもの水城澪だった。
皆笑いながら「澪はそうでなくちゃな! 元気になって良かった良かった」
そう言った。
無理をしていることもなくいつものように振る舞う。
とても大きい澪のあいさつは、ほかの部署にまで聞こえていた。
「水城さん、調子戻ったみたいですね」
「そうだな、また安心して仕事任せられるな」
事務所の絢さんと斎藤係長はそう言葉を交わす。
「澪ちゃんは元気だねぇ、俺らの部署にもあんな女の子がいたら…」
「土木には来ないだろ。まあいてくれたら元気にはなるよな」
土木部の佐伯さんと朴さんは言う。
そして足場班のところでは
「澪さん元気になったみたいですね! ね! 蓮さん! …?蓮さん?」
蓮は見ていた。
みんなの視線がなくなった後に見せる少し曇ったような顔を。
「あ?あぁ。まぁ俺には関係ねぇし」
「…?でも、蓮さんが初めに気が付いたんでしょ?良かったじゃないですか!」
蓮はなぜか気持ちを隠そうとした。
本当は安心していて、良かったと思っているのに。
「澪~、袋と今日の朝一の現場の鍵と車の鍵持ってきてくれ」
「あいよっ!」
澪はすっかり今までの澪に戻っていた。
昨日までのことが何もなかったかのように。
車に乗り込み今日の日程を確認する。
今日は比較的体に負荷のない現場だ。
今日は家ではご飯を食べず、恒一にちょっとしたお弁当を作ってもらった。
美味しいお弁当を食べゆっくり現場待機をしていた。
「澪! それハンバーグか?朝から旨そうなもん食って~」
「ふふん♪夫の得意料理なんだ! しかもこれは自家製のソースなんだよ」
恒一の料理自慢をして満足げな澪。
気分の良い朝だ。
澪は昨日の事も忘れ楽しそうにしている。
蓮と会うまでは——
十時丁度。
蓮は別の班の手伝いで雨漏り補修をしていた。
仕事中、澪のことを考えないようにと作業に集中するがうまくいかない。
今日は市外の現場だから仕事中澪と会うこともない。
それがどこか寂しいとさえ思った。
一緒に現場に入った祐樹がこう言ってきた。
「蓮さんなんか今日体調悪いですか?——澪さんの次は蓮さん?」
「んな…! 違うわ! 体調悪くねぇし」
でも…
水城ちゃんとやれてんのかな。
また発作とか起こさねぇかな、大丈夫かな。
気が付けば蓮の頭の中は澪ばかりになっていた。
自分でもわからない感情で蓮は少し動揺する。
「やめとけ、そんな考えても相手は人妻だぞ」
大輔の何気ない一言。
それは胸の奥深くに刺さった。
「佐々木さんは何でもお見通しっすね…」
——って俺今なんて言った?
お見通し…?
まるで自分が澪のことが好きだと言ったような発言だと言った後に知る。
俺って…水城の事…
いやそんなわけがない。
今までのがあるじゃないか。
ただ昨日は見過ごすわけにはいかなくて体が動いただけで…
自分の中で言い訳を重ねた。
だがそれは無駄な行動に過ぎなかった。
考えれば考えるほど澪への思いは膨らんでいく。
それと同時に、本人に言わなければ大丈夫と思っている自分もいた。
「蓮、後で少し時間あるか」
「…?佐々木さんどうしたんすか」
「澪のことだ」
きっと仕事に身が入ってなかったのだろう。
佐々木さんに話聞いてもらえば少しは落ち着くかな。
なんて思っていた。
「蓮、澪のことだが。」
「何かありました?」
「元気に仕事してるそうだぞ。加賀美さんから連絡来た。蓮に伝えてほしいって」
「あ、そうなんすね。良かったっす」
すんなり出てきた良かったという言葉。
自分自身びっくりしている。
でも本当に良かった。
今日は帰りも遅くなるしあいつとは顔は合わせないか。
っま、会っても用ないしな。
蓮は自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。
午後五時十五分。
今日は珍しく塵芥のほうも遅くなっていた。
「本当いきなり処理場変えてくれなんて勘弁だよね! 現場近かったから早く終わると思ったのに三回投げってやってらんないって…」
「変に疲れるよな~、でも澪は良いじゃないか、旦那さんが飯作ってくれてんだろ?」
遅くなった愚痴を仕事仲間と喫煙所で話す時間は何気に好きだ。
コーヒー片手にタバコを吸う。
至福の時である。
ここの喫煙所は全部の部署や班の人たちが使うためこの時間に塵芥部の人間がいることは珍しい。
今日は疲れたしもう一本吸って帰ろうかな。
そう思ってた時だった。
「お疲れ様でーす」
「お疲れ様で…あっ…」
言葉が詰まる澪。
澪に気づいた蓮。
何で…今日はこれで終わりだと思ってたのに…
「んじゃ俺ら先上がるな、おつした~、あ、澪、明日早出だからな~」
「あ、うん、お疲れ~!」
そして喫煙所は澪と蓮だけになった。
お互い何も話さない。
その沈黙を先に破ったのは蓮だった。
「今日調子よかったんだってな」
「まぁ…ね」
なかなか言葉が出てこない澪。
普通に話しかけてくるそんな蓮が不思議でならなかった。
「何で…なんで普通に話しかけてくんの」
「何でって…なんでだろうな」
どうしてもわからない二人。
交わってもいない。
だからと言って平行線でもない。
不思議な関係。
友人でもなければ、もちろん恋人でもない。
ただの知り合い、ただの同僚なだけなのに他の人とは違う何かがあった。
そんな中、蓮はこんなことを言ってきた。
「今日佐々木さんに加賀美さんから連絡あってさ、お前、ちゃんとやれてるって俺に伝えてほしいって。安心したんだ。変な話だよな、今まで仲悪かったのに、こんなの思うって…変だよな」
蓮はふっ、と笑いながらそう言った。
澪は言葉が出なかった。
安心した…?
何で私相手に…
しかもなんで笑ってるの…
ずるいじゃんそんなの…
私はその場で泣いてしまった。
最後の最後で感情が制御できなかった。
そんな澪を見て蓮はハッとする。
自分のこの発言が澪を苦しめていると。
だがもう止められなかった。
好きではない。
だが嫌いでもない。
放っておけない存在だった。
「泣くなって、水城らしくねぇぞ」
「私だって…泣きたくて泣いてるわけじゃないし…」
二人の間に生まれる再びの沈黙。
外はさっきまで晴れていたのに雨が降っていた。
まるで澪の心の中のように。
帰りどうしよう。
こんなんじゃ風邪ひいちゃうな。
恒ちゃん今の時間出てるって言ってたしな…
「車、乗ってくか、雨じゃ自転車乗れねぇだろ」
「いや…いいよ、なんとか自分で——」
「風邪ひくぞ、黙って乗ってけ、ばか」
と言って頭を小突かれる。
まるで恋人かのような、そんな錯覚に陥る。
澪の心はズキッと痛む。
恒一への思い。
——そして蓮に対する気持ちの変化。
二人の心は揺れ動く。
入ってはいけないドアに入ろうとしていた。
それはまだ誰も知らない。
未来の自分ですら想像できないことが待ち受けていようとは。




