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第五十八話 Canon

「"須臾の空白(アンレコード)"」


 カノンの声が聞こえた瞬間、目に映るあらゆる物体の運動、すべての現象の進行が停止した。

 意識はある。だが、体は全く動かない。




 一秒間の静止の後、何もなかったかのように世界が動き出す。


 ただ一つ、一秒前と違うのは。


 目の前にカノンがいることだ。


 停止した世界の中でカノンだけが動いていた。近づいてくる様子は見えていたが、俺はまったく動くことができなかった。


「終わり、かな」


 振るわれる氷の剣。

 体を捻って回避しようとするが間に合うはずもなかった。


 左肩から右脇腹にかけての袈裟斬り。噴き出しながら凍る血液。

 冷たく、熱を持つ傷口。


「いいや、まだ、こっからだろ」


 致命傷ではない。負った傷全体を自分の炎で焼いて止血し、レディンを構え直す。


「まあそうだよね。このくらいじゃ、倒れないよね」


 カノンもすぐに反応し、俺の体を氷で固めて物理的に行動を抑えてくる。氷ごと叩き割ろうとカノンが接近するより早く内側から炎を放つ。俺自身の体を巻き込みながら氷を溶かし、舞い上がる炎。

 火に触れる寸前でカノンが後退する。穴が空いた氷の中から飛び出して右手に握ったレディンを振り抜くが、ギリギリで避けられる。地面に食い込んだ剣を引き抜きながらカノンに火を放つ。燃え盛る炎を透明な氷が消していき、白い水蒸気が上がる。視界からカノンが消えた。おそらくカノンも俺のことが見えていない。

 レディンを大きく振りかぶり、紅蓮の炎で覆う。傷が開かないように胴体の筋肉を絞り、一閃する。


「"陽光炎天(ようこうえんてん)"」


 眩い光を放ち、水蒸気の煙を晴らしながら炎の斬撃が飛ぶ。大気を灼きながら進む炎。その先にいたカノンは、地面から氷を伸ばして壁を作り出す。衝突し、白く爆発する炎と氷。

 俺はレディンを空中に放り投げた後、爆発に合わせて炎を上げながら地面を蹴って煙に身を隠しながら一瞬でカノンに接近する。俺に気づいたカノンが氷の盾を展開する。素早く腰を捻って放つ、炎を纏った拳。盾を溶かし割り、カノンの胴体に食い込んだ。


「うっ! つぅっ!」


 カノンが吹き飛び、壊れた氷の城に直撃する。そこへ、投げておいたレディンが落ちていく。炎を纏う超重量の剣。着地と同時に地面が割れ、辺りが爆炎に包まれた。


 しかし、再び俺を襲う違和感。


「また、あの一秒間か……!」


 静止する世界。だが今度はカノンの姿は見えない。回避で精一杯なのだろうか。

 動き出す物体と現象。

 氷の城は跡形も無く消し飛び、代わりにレディンが突き刺さっている。その近くには頭から血を流したカノンが立っていた。


「意外と効いたわ、貴方の攻撃。本当は無傷で済ませられると思ったのに」


 俺も少し無理をし過ぎた。焼いた傷口から血が伝っていく。



「お互い、余裕がなくなってきたな。終わりにしようぜ、カノン」


「……そうだね。貴方に、私の全てをぶつける」



 辺りに俺とカノンの波導が満ちていく。


 冷たい風が頬を撫でる。

 それでも、体の内側には熱が籠っている。

 これまでの、遠い過去の日々。振り返ることなど何もない。

 ただ、目の前にいる白銀の髪の女性を見つめる。

 俺の人生の転換点には、カノンがいた。あの日々は帰ってこない。過去には戻れない。それでも俺は、ただもう一度。

 全力を出しきる。そうしなければ勝てやしない。

 右腕を上げ、手のひらを正面に向ける。今使える波導の全てを集中させる。


「燃えろ、煌めけ、時の狭間に消えるとしても。虹に輝く小さな星で、白く熱く火を灯そう!


 "白日光彩(サンライト)・陽炎烈火(バースイグニス)"」





 温かい風が肌を撫でる。

 なのに、体の内側には冷えたままだった。

 これまでの、私の人生。振り返ることなど何もない。ただ、目の前にいる白髪の青年を見つめる。

 私の初めと終わりには、貴方がいてくれる。

 貴方はきっと、私を超えている。全力でやらないといけないけど、倒れないでくれるよね。

 右腕を上げ、手のひらを空に向ける。残った波導の全てを一撃に注ぎ込む。


「止まれ、凍てつけ、氷の世界を永遠に。暗く広がる宇宙の端で、白く冷たく咲かせましょう。


 "万象凍結(アイスバーン)・大輪雪花(スノードロップ)"」




 溶けない氷が大地を覆う。吹き荒れる吹雪と凍りつく空気が目に映るもの全てを白く染め上げる。これまでに砕けた氷を巻き上げながら氷の華が完成する。

 一方、私の正面では火炎が暴れていた。赤い炎は次第に白色へと変わり、何人たりとも近づけない熱を放っている。


 打ち出される白い炎。

 受け止める大輪の花。

 拮抗する私とバーンの渾身の一撃。


 激突している間も波導を流し込み、威力を上げ続ける。

 炎を氷で覆って消す。火力が上がり、氷が溶かされる。溶けた氷を再び固める――




 一体どれだけの時間が経ったのか。私の全力とバーンの全力の間に、差なんてなかった。


 だから、きっと大丈夫。


 バーンなら、大丈夫。



 流(・)し(・)て(・)い(・)た(・)波(・)導(・)を(・)途(・)切(・)れ(・)さ(・)せ(・)る(・)。



 溶けて砕け散る氷の華。白く光る炎が氷と私を包んでいく。


「あったかいな……」


 何十年ぶりかに感じた熱。冷えきっていたはずの体が芯から暖められていく。


「あの時以来、かな」




 まだ私とバーンが実験施設にいたある日。その夜はそれまでにないほど寒かった。寒すぎてボーッとしてきて、つい変なことを口走ってしまった。


「ねえバーン。寒いからさ、一緒に寝ない? こっち、来ない?」


 ぎょっとした顔のバーン。人並みの感性はあったみたいだった。

 私も言ってしまった以上、引き下がれなくなった。心臓が口から出そうになるほど大きな鼓動を隠しながら、


「じゃあ、私が貴方の布団に入る。逃げないでよ?」


 自分の布団から出た。体は冷えていくのに顔からは火が出そうで仕方なかった。

 覚悟を決めて無理繰りバーンの布団に入って、高鳴る胸をずっと抑えていた。


 温かいかどうかなんてまるで分からなかったけれど、バーンは、


「まあ、カノンが満足するなら……入ってていい」


 と言ってくれて、そのまま一緒に寝た。次の日はろくにバーンの顔を見れなかった。




「そんなことも、あったな」


 戻れない二人の日々。巻き戻らない私たちの時間。永遠なんてものはどこにもない。どうあれ未来はやってくる。だから、せめて貴方だけは。





 私を包む炎が消えていく。ふと視界に入ったバーンは驚いたような、泣き出しそうな顔をしていた。


 多分ボロボロの私を見てのことだろう。私が最後に波導を止めたの、バレちゃったかな。

 分かってしまう、本気で私のことを心配してくれてるのが。

 だからこそ、申し訳なくなる。これまでのことが。そして、この後のことが。


「カノン!!」


 私の名前を呼ぶ声。近づいてくるバーンに私は、


「バーン。私の全部、貴方にあげる」


 貴方が、私の『逆境の中の希望(スノードロップ)』。

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