5・揺らぎ
POV:フィシス
「あいつは王宮に着いただろうな⋯⋯」
スタンピードから一日経った夕刻。
ミュトスの家のリビング。
私の隣でいつものように花茶を傾けながらミュトスが呟いた。
「⋯⋯そうだね。どう報告するんだろうね」
二人掛けのソファに身を預け、息をつく。
――私とミュトスの存在は、既に広まっただろう。
「まあ、あいつなら上手く言うだろ。⋯⋯フィー」
「⋯⋯ん、どうしたの、ミュー」
ミュトスの大きい手が、私の頭を優しく滑る。
彼が私を愛称で呼ぶ時は、喪失の不安を埋める時。
私が消えてしまわないか、心配しているのだろう。
確認した訳では無い。けれど、決して短くない時間を隣で過ごして来た。⋯⋯なんとなく、わかってしまう。
なるべく柔らかく、小さく告げる。
「大丈夫だよ。私、ちゃんとここに居るよ」
「⋯⋯ああ。⋯⋯だが、また削れた」
じっと見詰める瞳。痛みを堪えているような表情。
私は、体温を分けるように、ミュトスの頬に手を添えた。
「⋯⋯大丈夫。ね?暖かいでしょう」
「⋯⋯⋯⋯ん」
ミュトスは睫毛を伏せ、私の手に擦り寄る。そして、一つ息を吐き、身体の力を抜いた。
「お前まで失いたくない⋯⋯お前は、使命を持って転生して来たのに。そんな使命、投げ捨てて欲しいと⋯⋯思ってしまう」
「⋯⋯うん」
ミュトスは、あの事件を思い出しているのだろう。
その黄金に、僅かな陰りが落ちている。
――ミュトス以外の精霊が、息絶えた日。
家族も、仲間も、全てを失った幼い精霊。
長い年月を、一人で生きてきた。
「⋯⋯ずっと、俺だけが生き残った理由を探してた。お前が来るとわかった時⋯⋯その為に生き残ったんだと思った」
「ミュトス⋯⋯」
いつもは周囲を圧倒させる存在で、鋭い空気を纏っているのに。たまにこうして、弱さを見せる。
「勝手に理由にして、勝手に依存してる」
言い切ったミュトスに、思わず目を瞠る。
なんだかくすぐったい胸の内側に、頬が綻んだ。
「⋯⋯ふふ、依存してるの?」
彼は一拍おいて、物悲しげに微笑む。
「お前が来るまでの三百年、ずっと一人だったんだぞ?⋯⋯お前まで居なくなったら、さすがに壊れる」
居なくならない――そう言おうとして、寸前で止める。
この先に待つ運命を、私は知っている。
その時、自分がどうなっているのか、わからない。
それでも⋯⋯転生してからずっと支え続けてくれる人。
⋯⋯彼には、笑っていて欲しい。
どうしたら、その不安を軽くしてあげられるだろう。
言葉が、出ない。
ただお互いに見詰め合うだけの、どこか優しく、けれど苦しい、沈黙。
ミュトスの黄金が、揺れる。
「⋯⋯ずっと傍にいてくれ」
低く、ただ静かに、ぽつりと落とされた言葉。
「いるよ。ずっと」
まるで懇願するかのような声音に、思考よりも早く口が動いた。
彼の手に、私の手を重ねる。
不安ごと全て包み込むように。
ミュトスは、嬉しそうに――だが、どこか辛そうに笑った。
「⋯⋯はは。約束だからな」
「うん、約束する」
恋人とも、家族とも違う。
きっと、それよりももっと近い存在。
この関係に言葉を当て嵌めてしまえば、崩れてしまいそうで――それが、酷く怖い。
ふわり、と花茶の香りがした。
「⋯⋯お茶、冷めちゃったね。淹れ直すね」
魔法でお湯を沸かそうと、ポットに手を翳す。
その時、ほんの一瞬発動が遅れた。
「どうした?」
「⋯⋯なんだろ?ただの生活魔法なのに」
目を細め、怪訝な表情をするミュトス。
その視線を受けながら、もう一度発動してみる。
今度はいつも通りだ。
「ん、大丈夫みたい」
「そうか。無理はするなよ」
「ありがとう」
ほっとした顔のミュトスに、微笑み首肯する。
――外から妖精達の歌声が微かに聴こえる。
その声につられて窓を見やると、薄ぼんやりと浮かぶ宵の月。
「そろそろ、明かりを灯そう」
ミュトスは立ち上がり、魔力を放出する。
家中の魔石が明るく灯っていく。
その後ろ姿が――突然ぶれた。
次の瞬間、映ったのは天井。
倒れたのだ――そう気付くと同時に、身体の内側を握り潰されたような激痛が走る。
堪らず嘔吐き、口を手で覆う。
その隙間から、真っ赤な血が滴り落ちる。
「――!!」
ミュトスが息を飲む音が聞こえた。
すぐに駆け寄られ、抱きかかえられる。
「⋯⋯ミュ⋯⋯っ」
喉笛だけが鳴り、言葉が紡げない。
「っ、⋯⋯⋯か《鑑定》《回復》!」
ミュトスの声は震えている。
私に翳す手も、震えているのだろうか――目が霞んで、見えない。
「⋯⋯だい、じ⋯⋯ぶ」
ゆるゆると手を動かすと、ぎゅっと強く握り返される。
「⋯⋯あいつ。今思い出したな⋯⋯」
ミュトスの空気が鋭く変わる。重く、冷たく。
パキ、パキと、家中が軋む音が聞こえる。
「⋯⋯くそ。間の悪い」
鋭い殺気。それでも、回復魔法はかけ続けてくれる。
少しでも安心して欲しくて、精一杯笑みを作る。
「だい、じょぶ⋯⋯だから⋯⋯」
――そんな顔、しないで。
言葉にならずに、唇だけで伝える。
私の意識は、そこで途切れた。




