7話 中章2 決壊①
引き取られて3日が経った。
家。それはおよそ家族という関係性の人間が帰る場所であり、私には酷く縁遠いものだと思った。都市伝説並みにあり得ないと思われたそれだが、3日も居座ればその感覚は薄れるというものだ。
「美味しいかい?」
葬は1号の口にスプーンを入れながら、優しげに声をかける。
「あい」
私は理解できない。
なぜ、私は赤ん坊のままでいるんだろうか。
異能を安定して発動させるほどの体力は完全に回復しているし、なんなら研究施設に来た時よりも調子がいい。
もうここにいる理由もなければ、むしろここから離れて言葉を殺さなきゃいけないのに。
なぜだ。
「すっかりそこが定位置だね」
寧々の胡座の隙間。
移動をしようとするたびに、危ないからと言いながらママはそこに毎回運ぶ。
動くたびにそれをやられると諦めがつくものだ。
「かわいいな、お前は」
この調子だ。
ママ、その顔は実子であってもちょっとやばいほどの崩壊具合だよ。
「あー」
「もういいってことだね。この子、この歳なのに結構賢いみたいだね」
「天才なんだよ。将来有望じゃないか」
この程度は普通の赤ん坊でもできることだ。
私は一般的な普通の赤ん坊を演じているはずなのに、この二人は何かと理由をつけて褒めながら必要以上に頭を撫でる。
だけど、それを拒絶する理由はない。
「寧々ちゃん、今日は仕事はあるのかい?」
「んにゃ、この子が寝ている時に仕事は終わらせたからね。旦那様は?」
「僕も所詮は個人経営だからね、なしっちゃなしかな」
「そうか、今日はどこかに行くかい?」
「喫茶店はすでに行ったし、どうしようかな」
「だったら、テキトーにぶらぶらしよう。この子も町の事をそんなに知らないだろう」
「そうだね」
寧々は1号を優しく抱きしめながら持ち上げ、頭を撫でる。
「今日は色々見ようかね」
「あい」
「うんうん、いい返事だ」
二人と1号はそのまま家も兼ねている店を出て、そこに今日は都合により休みという張り紙をつける。
「これでよしっと」
「さて、行こう」
今の季節は秋。
確か、紅葉というのが綺麗な赤色に染まるというのが知識としてあるが。
「10時か。朝ごはんはさっき食べたし、昼ご飯を食べるにしても微妙だね」
「いいじゃない、無目的に歩くのも」
「そうだね、街を歩くなんて久しぶりだよ」
「旦那様は毎日車だからなぁ。運動不足になると、生活習慣病というのになるぞ」
「あー、そういうのがあるみたいだよねぇ。最低限の運動でもやるべきか」
「いやいや、旦那様は私ぐらいになるべきだ」
「君ぐらいになるのは、とてつもないハードなトレーニングを数十年単位でしないと無理だよ」
「だとしても、旦那様は細すぎだぞ?」
「君がふと……、ううん。でかいんだよ」
「そんなもんかねぇ」
こんな、なんてことのない会話を繰り広げられるのが、この夫婦の仲の良さを物語っている気がする。
「そういえば、この子の名前は何がいいと思う?」
「名前か………、何がいいかなぁ。僕もネーミングセンスもいい方じゃないし、寧々ちゃんは………」
「ご存知の通り、旦那様よりセンスがない自信があるねぇ」
私の呼称は1号だ。
名前というのは呼び方であるため、私は1号で十分なのだが。
「まぁ時間はたっぷりあるんだから、ゆっくり考えようよ」
「確かに、焦って決めることもないか」
その後もダラダラと歩いていると、近くの公園が目に入る。そこには家族連れがたくさんおり、子供たちがにこやかに走り回っている。
「せっかくだから、少し休憩して行こうか」
「そうだね」
公園へと入っていき、空いていた近くのベンチへと腰を落ち着ける。
「いい天気だ」
「穏やか、って感じだね」
私も思う。
こんな時間がずっと続けばいいのに。
この二人の子供として、ずっと振る舞っていければいいのに。
「ねぇねぇ、ママー。お空から何か降ってきてるぅー」
その時、近くにいた子供が空を指差す。
そこには、大きな影が二十個ほどあった。
「っ!?」
私はその光景に驚くしかなかった。
なぜなら、そこに岳滅鬼が紛れていたからだ。
「……………なきゃ」
そうだ、私は言葉を殺しに行かなきゃ。
私は、あれらの兄弟なんだから。
そもそも、人間じゃないんだ。
「旦那様ッ!」
「あぁ、すぐに逃げないと」
「ああそうだな……」
「どうしたんだ、寧々ちゃんって………」
二人は目の前の光景に驚くしかなかった。
腕の中の赤ん坊がボキボキと鈍い音を立てながら、体の体積を増やそうとしていたからだ。
「…………ごめん」
1号は寧々の腕の中から飛ぶ。
地面へと着地する刹那の時間で、1号は成人女性と言われても遜色がないほどに急成長を遂げる。
「旦那様…………」
「あぁ、僕らの赤ん坊は言葉君と同じ、異能者のようだね」
1号は驚く二人をよそに、裸足で怪物の流星雨に向かって歩いていく。
「待てッ!どこに行く気だい!」
寧々のちぎれるような制止に対して、1号は一瞬足を止める。
「……………ごめんなさい」
その謝罪と共に、1号は走り始める。
体の構成物質を即座に変異させて、足の裏をブースターにしてから飛び立つ。
目の端にはわずかな涙をこぼし、それを振り払うように速度を上げながら。
「寧々ちゃん」
「わかってるよ。あの子はもう私たちの娘だ。追いかけるよッ!」
「もちろんだよ」
そうして二人も、カオス極まる街の中へと走っていくのだった。




