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紅葉-くれは-  作者: 菊池まりな


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第148話 ふたりの帰り道

家が、音を立てて崩れていく。


梁が折れ、床が裂け、

“名を留めていた場所”が役目を終えてほどけていく。


それでも──

奥へと続く細い道だけは、消えずに残っていた。


まるで森そのものが、

最後に与えられた猶予のように。


春香は、少女の手を握ったまま、前へ進む。


湿った土の匂い。


けれど、今までと違う。


怖さよりも、懐かしさが混じっている。


「……ここ……」


春香の声が、かすれた。


道の先に、二つの影があった。


ひとつは小さく、頼りない輪郭。


もうひとつは、少し成長した体つき。


美奈が息を呑む。


「……分かれてる……」


祐真が静かに言った。


「均衡が壊れたからだ。  本来、同じ場所に閉じ込められるはずじゃなかった」


影のひとつ──


小さな方が、よろよろと一歩前に出る。


「……まま……」


その声に、春香の視界が滲んだ。


「美桜……」


三歳のままの姿。

あの日、森で姿を消した時間で止まった娘。


春香は膝をつき、両手を伸ばした。


「ごめんね……迎えに来るの、遅くなって……」


美桜は、春香の腕の中に飛び込む。


温かい。確かに、生きている重さ。


同時に、もう一つの影が動いた。


少し距離を保ったまま、立ち尽くしている。


「……紅葉」


春香が呼ぶと、その少女は、わずかに肩を揺らした。


十七歳。

春香の記憶の中より、少し大人びた表情。

だが──目だけが、幼い。


「……お母さん……」

声が震える。


「呼んでくれた……?  私の名前……ちゃんと……」


春香は立ち上がり、美桜を抱いたまま、紅葉へ歩み寄った。


「当たり前でしょ。  あなたは、私の娘なんだから」


紅葉の唇が、かすかに歪む。


「……私、森に呼ばれた。  美桜お姉ちゃんの“代わり”だって……」


美奈が、はっきりと首を振った。


「違う。  誰の代わりでもない。  森が勝手に、そう“扱った”だけ」


祐真も続ける。


「奪われたのは、選ばれたからじゃない。  

戻る声が、届かなかっただけだ」


春香は紅葉を抱きしめた。


「もう、離さない。  誰の代わりにもさせない」


紅葉の肩が震え、嗚咽が漏れる。


その様子を、少女が静かに見ていた。


「……よかったね」


春香は振り返る。


「あなたも一緒に帰る」


少女は、ゆっくり首を振った。


「わたしは……ここまで。  でも、もう怖くない」


「どうして?」


少女は、森の奥を見つめた。


「名前がなくても……  “呼ばれた記憶”ができたから」


春香は、胸が締めつけられる。


「名前……つけてもいい?」


少女は驚いたように目を見開く。


「……いいの?」


春香は、優しく微笑んだ。


「ええ。  あなたは、ここにいた。  それだけで、十分」


少女は、しばらく考えてから、頷いた。


「……じゃあ……  “帰り道”って、呼んで」


次の瞬間──

少女の姿が、淡い光に包まれる。


森の闇が、一歩後ずさった。


名ではなく、意味によって結ばれた存在を、

森はもう縛れない。


光が消え、

そこには、静かな空気だけが残った。


美桜と紅葉は、春香の両側にいる。


祐真と美奈が、少し離れた場所で立っている。


そして──

道の先に、夜明けの気配が見えた。


森は、まだそこにある。


けれどもう、名を奪う場所ではない。


春香は、二人の娘の手を握りしめた。


「帰ろう」


森は、答えなかった。


ただ、静かに道を開けた。


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