表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅葉-くれは-  作者: 菊池まりな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

148/154

第147話 名を失う森


紙から最後の墨が消えた瞬間、

部屋全体が──沈黙した。


さきほどまで脈打っていた床の震えも、

壁を這っていた影も、

嘘のように止まっている。


「……止まった?」


美奈が恐る恐る息を吐く。


だが、安堵は一瞬だった。


みし……みし……


家全体が、ゆっくりと軋み始める。


まるで古い梁が限界を迎えたような、深く鈍い音。


祐真が周囲を見回し、歯を食いしばった。


「違う……終わってない。  これは──森が、怒ってる」


少女が、床に座り込んだまま呟く。


「……うん。  名前がなくなったから。  ここ、もう“つなぎ止められない”」


春香は少女の前に膝をつき、視線を合わせた。


「あなたは……誰なの?  美桜でも、紅葉でもない。  でも……ここに、ずっといた」

少女は小さく首を振る。


「わたしは……“呼ばれなかった子”。  森にさらわれたけど、  だれの名前にもならなかった」


美奈の喉が鳴る。


「……そんな……」


少女は続ける。


「名前がないと、帰れない。  でも、名前がないと……  差し出すことも、できない」


その言葉に、春香ははっとする。


「だから……均衡の“余り”として、  ずっと、ここに?」


少女は、かすかに笑った。


「うん。  だから、あなたの声……あったかかった。  ちゃんと“誰かを呼ぶ声”だったから」


その瞬間──


ドン……ッ!!


壁の向こうから、凄まじい衝撃が走る。


部屋の一角が大きく歪み、木目が裂けた。


外に広がるのは、闇。


森だ。


家の外側から、無理やり“中”に侵入しようとしている。


祐真が叫ぶ。


「来るぞ! 森そのものが!」


影ではない。


形でもない。


“場所”が、意思を持って押し寄せてくる。


床から黒い蔦のようなものが這い出し、

壁から枝が突き破る。


美奈が震える声で言う。


「均衡が壊れたから……  森が、取り戻そうとしてる……!」


少女が春香の袖を掴んだ。


「もうすぐ、この家は消える。  名前でつないでた場所だから」


「じゃあ、あなたは……!」


春香が声を上げかけた瞬間、


少女は首を振った。


「だいじょうぶ。  わたしは……もう“いらない”」


春香は、強く少女を抱きしめた。


「違う。  あなたも――帰るの」

少女の目が、初めて大きく揺れた。


「……わたし、帰っていいの?」


「いい。  名前がなくても。  誰かの“代わり”じゃなくても」


そのとき──


奥の闇から、微かな声が重なった。


──……まま……


春香の心臓が跳ねる。


「……今の……!」


──……まま……ここ……


美桜だ。


確かに、三歳の頃の声。


さらに、少し低く、掠れた声。


──……おかあ、さん……


紅葉。


二つの声が、同じ方向から聞こえている。


美奈が叫ぶ。


「分かれ道が……開き始めてる!  均衡が壊れたせいで、  “本来いるべき場所”が露出してる!」


祐真が春香を見る。


「今だ。  森が完全に閉じる前に──迎えに行け」


春香は立ち上がり、少女の手を取った。


「一緒に行く。  あなたも」


少女は、初めてはっきりと笑った。


「……うん」


家が、崩れ始める。


名前のない場所が、役目を終えて消えていく。


だが──

その奥に、確かに“帰り道”が開いていた。


母の声を待つ、

二つの存在へと続く道が。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ