表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅葉-くれは-  作者: 菊池まりな


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

139/154

第138話 選ばれた名

 老人の視線が、春香で止まった。


 その瞬間、祐真が一歩前に出て遮る。


「理由を聞かせろ。

 なぜ春香さんなんだ。根拠もなく“選ばれた”なんて言わせない」


 老人は強く首を振る。


「根拠はある……。

 森が名を呼んだからだ」


「名……?」


 美奈がつぶやいた瞬間、床下から弱々しい声が漏れた。


 ──……はる……か……


 春香の名だった。


 確かにそう呼んだ。耳の奥に直接触れるような冷たい声で。


「聞こえた……? 今、呼ばれたわよね……?」


 春香の肩が震える。


 呼ばれた喜びではなく、恐怖で。


 子を求める母としての本能が揺らぐような感覚が、胸を締めつける。


 老人が震える手で壁の古い棚を探り、紙束を取り出した。


 黄ばんだ半紙には墨で何かが記されている。


「この村では、森に名を呼ばれた者は“境界の候補”になる。

 誰かが連れ去られる時、次に行く者として印が付くんだ……」


 祐真が紙を奪い取るようにして目を通した。


 そこには名前が並んでいた。


 失踪した子どもたち。


 二十年前の美桜。


 そして──


 橘 紅葉


 さらに、その下に新しい墨で書かれた名前。


 橘 春香


 春香が息を呑む。


「……これ、いつ書かれたの……?」


「昨夜だ。あの森が、また“腹を空かせた”夜だ」


 老人は震える声で続ける。


「名前が書かれた者は、森の前に“差し出される”運命になる。

 そうせねば、失われた者は帰らない。

 森は均衡を求める。奪ったら返す。返す代わりに奪う。」


「そんなもの……従えるわけないだろう!」


 祐真が怒鳴る。


 だが老人は静かに、諦めきった声で言う。


「従わねば、森は取りに来る。

 家でも、道でも、夜でも……場所を選ばず。

 呼び声に応じない者を、足跡のない形で連れていく……」


 その言葉を遮るように、


 床下からぎし……ぎし……と木が軋む音がした。


 祐真はバールを構え、春香の前に立つ。


「来るなら来い。連れていかせたりしない」

 だが、美奈は気付いてしまっていた。


 森が“選んだ”理由を。


 春香は、二度求めた。


 美桜を取り戻すことを。


 紅葉を見つけ出すことを。


 彼女の願いだけが強すぎた。


 森はそれを“応えねばならぬ声”として聞いたのかもしれない。


「春香さん……」


 美奈の声は震えていた。


「森は……誰かが“迎えに来る”のを待ってる。

 帰れなくなった子がいるから……

 その手を掴む者を、待ってる……」


 春香の目に涙が溜まる。


「……じゃあ、行かなきゃいけないの……?

 このまま、呼ばれ続けながら……待ってろって言うの……?」


 床下──


 闇の向こうから、再び声がした。


 ──……はるか……かえってきて……


 それは幼い声だった。


 幼い、三歳の少女の声。


「美桜……?」


 春香が近づきかけた時、祐真が腕を掴む。


「行かせるわけないだろ。

 春香さんが犠牲になるくらいなら、俺が──」


「ダメ。祐真くん、あなたは残って。

 誰かが止めなきゃ、この村はずっと……」


 美奈が叫ぶ。


「違う! 代わりなんて、出しちゃいけない!

 誰も行かせちゃいけない!」


 その直後──


 床下の暗闇がぶわりと膨らみ、空気が逆流した。


 まるで外側に広がっていた森が、家の中に侵入してくるように。


 土の匂い。湿った落ち葉の気配。枝が壁を叩くような音。


 闇が囁く。


 ──……ひとりだけでいい……

 ──……ひとりよこせば……

 ──……ふたり、かえす……


 三人とも硬直した。


「ふたり……?」


 美奈の唇が震える。


「美桜と……紅葉……」


 春香の喉から、言葉にならない息が漏れた。


 老人は顔を覆い、嗚咽するように呟いた。


「そうやって、何十年も……村は持ちこたえてきた……

 望まない均衡で、命を繋いできたんだ……」

 祐真は歯を食いしばる。


「もう終わりにする。

 この仕組みも、森の均衡も。

 春香さんを選ばせたりしない……!」


 だが、森は聞き分けない。


 床下の闇が、ゆっくりと“形”を取って上がってくる。


 人の形を模した、影。

 

右足と左足の重さが違う、あの歩き方で。

 

──ゆっ……くり……ゆっくりと。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ