第8話 百万円の使い道
百万円。
正確には、百万円を少し超えたところだった。
あのアンプを八十八万円で売ったあとも、俺は小さな短期売買を何度か繰り返した。
一万円。
二万円。
三万円。
腕時計やアンプほどの大当たりはなかった。
それでも、未来価格を見ながら慎重に売買すれば、少しずつ利益は積み上がった。
たった数週間前。
俺の小遣い口座には、十二万八千円しかなかった。
それが今。
俺が自由に動かせる金は、百万円を超えている。
「百万円かぁ……」
俺はスマホの画面を見つめた。
人生で初めて見る数字ではない。
貯金なら、もちろんもっとある。
家族の口座。
住宅ローン用。
結衣のために貯めている金。
でも。
これは違う。
俺が能力を使って作った金だ。
五百円の腕時計を見つけ。
一万二千円のレンズで二万六千円を稼ぎ。
九万八千円のアンプを八十八万円で売った。
そして、小さな利益を積み重ねた。
その結果が。
この百万円。
「…………」
ちょっとだけ。
いや。
かなり。
気が大きくなる。
百万円あれば、何ができる?
頭に浮かんだのは。
当然。
あの会社だった。
ネクサリンク・バイオ。
現在二十九円。
もし百万円全部突っ込めば。
三万株以上。
十年後。
一株一万八千七百四十円。
「…………六億?」
電卓を二度見る。
ざっくり計算しても。
六億円を超える。
「六億……」
百万円。
↓
六億円。
意味が分からない。
買う?
今?
全部?
「…………」
俺の指が証券アプリへ伸びる。
そのとき。
「パパー!」
「うおっ!」
ドアが開いた。
結衣。
「なにしてるの?」
「何もしてません」
「おかね?」
「…………」
スマホを伏せる。
「パパ最近、お金ばっかり見てるね」
「え?」
思わず結衣を見る。
四歳。
何気なく言っただけだろう。
でも。
刺さった。
「そうか?」
「うん」
結衣はそれ以上気にする様子もなく、俺の膝へ乗ってきた。
「これよんで」
絵本。
「今?」
「うん」
「パパ、ちょっと考え事してるんだけど」
「これよんで」
「はい」
強い。
俺はスマホを置いた。
◇
絵本を読み終わる。
結衣は満足してリビングへ戻っていった。
俺はもう一度スマホを見る。
ネクサリンク・バイオ。
二十九円。
【現在価格:29円】
【10年後の価格:18,740円】
「…………」
買えばいい。
能力を信じるなら。
百万円全部。
十年後。
六億円。
それだけ見れば、迷う理由なんてない。
でも。
『パパ最近、お金ばっかり見てるね』
「……違うな」
俺はスマホを閉じた。
金持ちになるのが目的じゃない。
結衣を救う。
そのために金を増やしている。
なのに。
いつの間にか。
数字が増えること自体が楽しくなっていた。
「危ねぇ」
俺は未来価格ノートを開いた。
新しいページ。
大きく書く。
『目的:結衣の未来を変える』
その下。
『金を増やすことは手段。目的ではない』
「よし」
これだけは忘れない。
◇
夕飯。
「百万円?」
美咲の箸が止まった。
「あ」
言ってしまった。
「何が?」
「いや」
「今、百万円って言ったよね?」
「言ったかな」
「言った」
「気のせいじゃない?」
「慎吾」
「はい」
逃げられない。
「この前の八十八万円?」
「それも含めて」
「今、いくらあるん?」
「だいたい百万円」
美咲が俺を見る。
「……増えたね」
「まあ」
「数週間前まで株で騒いでたのに」
「今も騒いでます」
「まだ下がってる?」
「聞かないで」
「いくら?」
「二十九円」
「買ったときは?」
「百二十六円」
美咲が吹き出した。
「笑うなよ!」
「だって」
「十年後には!」
止まる。
また言いそうになった。
「十年後には?」
「……きっと上がる」
「根拠は?」
「勘」
「また勘」
美咲は呆れながら味噌汁を飲む。
「で、その百万円どうするん?」
「考え中」
「また全部なんか買うんじゃないやろね?」
「…………」
「慎吾」
「買いません」
「今、考えてたやろ」
「ちょっとだけ」
「やめとき」
美咲があっさり言う。
「百万円全部使って失敗したら、またゼロからやろ?」
「まあ」
「分ければいいやん」
「分ける?」
「全部使わんで、一部だけ使えば?」
「…………」
俺は美咲を見る。
「何?」
「天才?」
「普通やろ」
普通らしい。
未来が見えるようになってから。
俺は普通の考え方を忘れ始めていたらしい。
◇
その夜。
未来価格ノート。
新しいページ。
俺は百万円を三つに分けた。
短期売買――五十万円。
中古品。
現在価格との差を利用して、軍資金を増やす。
長期投資――三十万円。
未来価格が大きく上昇する株や資産。
十年後を狙う。
現金――二十万円。
何か見つけたとき。
すぐ動けるように残す。
「五十、三十、二十」
悪くない。
少なくとも。
百万円全部を二十九円の株に突っ込むよりは。
「さて」
長期投資。
三十万円。
全部ネクサリンクにする?
「……いや」
一社だけは怖い。
未来価格が見えていても。
そこへたどり着くまでに何が起こるかは分からない。
だったら。
他にも探す。
俺は証券アプリを開いた。
◇
一社目。
【現在価格:1,840円】
【10年後の価格:2,600円】
「普通」
二社目。
【現在価格:720円】
【10年後の価格:410円】
「ダメ」
三社目。
【現在価格:4,100円】
【10年後の価格:8,900円】
「倍か」
普通なら十分だ。
十年で倍。
悪いどころか、かなりいい。
でも。
俺には物足りない。
十社。
二十社。
三十社。
「ないなぁ」
ネクサリンクがおかしすぎる。
百倍以上。
あんな会社。
そうそうあるわけ――。
「…………ん?」
指が止まった。
企業名。
アステラ・ロボティクス株式会社。
「ロボット?」
聞いたことがない。
株価。
三百十円。
見る。
【現在価格:310円】
【10年後の価格:42,800円】
「…………」
もう一度。
【現在価格:310円】
【10年後の価格:42,800円】
「いた」
背筋がぞくっとする。
三百十円。
↓
四万二千八百円。
約百三十八倍。
ネクサリンクほどではない。
いや。
十分おかしい。
「二社目……」
俺は会社情報を開く。
小型ロボットメーカー。
工場向け。
物流向け。
従業員数も少ない。
売上も大したことない。
利益。
ほぼゼロ。
「何が起こるんだ?」
十年後。
この会社は。
何を作っている?
俺には価格しか見えない。
理由は見えない。
でも。
数字だけは。
明らかに異常だった。
「アステラ・ロボティクス……」
未来価格ノート。
ネクサリンク・バイオの下。
新しい会社名を書く。
現在――310円。
十年後――42,800円。
倍率――約138倍。
備考。
『第二の異常銘柄』
「…………」
二社。
偶然?
いや。
未来には。
今の俺たちが想像もしていない何かが起きる。
その結果。
今は誰も見向きもしない会社が。
巨大な価値を持つ。
「面白いな」
初めて。
金以外の興味が湧いた。
なぜ?
何が起こる?
この会社は十年後。
何になっている?
俺はアステラについて調べ始めた。
◇
一時間後。
「……分からん」
ネットの記事。
決算資料。
ニュース。
企業ホームページ。
一通り読んだ。
でも。
未来価格が百倍以上になる理由なんて。
どこにもない。
むしろ。
「大丈夫か、この会社」
研究開発費が重い。
利益が出ない。
大企業との競争。
課題だらけ。
ネクサリンクと同じ。
今だけ見れば。
買いたくない。
「未来を知らなかったら絶対買わんな」
そこで気づく。
俺は今。
普通の投資家とは逆のことをしている。
普通は。
会社を調べて。
将来を予測して。
買う。
俺は。
将来の結果を知ってから、理由を探している。
「……これ、面白いぞ」
未来価格は。
答え。
でも。
途中式がない。
だったら。
その途中式を探せばいい。
なぜ上がる?
何を作る?
誰と組む?
何が起こる?
もし、それが分かれば。
この能力を。
もっと深く使えるかもしれない。
そして。
もしかしたら。
娘の未来にも。
近づけるかもしれない。
「よし」
アステラ。
買う。
ただし。
全額ではない。
長期投資枠。
三十万円。
ネクサリンク。
十五万円。
アステラ。
十五万円。
「これなら」
どちらかに何か起きても。
全部ではない。
俺は注文画面を開いた。
そこで。
指が止まった。
「…………待て」
ネクサリンク。
現在二十九円。
アステラ。
三百十円。
どちらも十年後。
百倍以上。
なのに。
未来価格が異常に高い二社には。
一つの共通点がある。
今。
どちらも大して儲かっていない。
「研究開発……」
ネクサリンクはバイオ。
アステラはロボット。
業種は違う。
でも。
どちらも。
今の利益ではなく。
未来のために金を使っている会社。
「…………」
偶然か?
俺はノートに書いた。
『未来価格が異常な会社には理由がある』
その下。
『価格だけじゃなく、理由を探す』
これが。
後になって。
俺にとって一番重要なルールになるとは。
このときは。
まだ知らなかった。
◇
翌朝。
「パパー」
「ん?」
「これ見て」
結衣が画用紙を持ってきた。
「また描いたの?」
「うん!」
そこには。
三人。
俺。
美咲。
結衣。
そして。
「これ何?」
俺たちの横に。
大きな四角い何かが描いてある。
「ロボット!」
「ロボット?」
「うん!」
俺の手が止まった。
昨日。
アステラ・ロボティクスを見つけた。
そして今日。
娘が。
偶然。
ロボットを描いた。
「…………」
いや。
偶然だ。
四歳児がロボットを描くくらい。
普通にある。
「かっこいいやろ?」
「ああ」
俺は笑った。
「かっこいいな」
そして。
何気なく。
絵を見る。
【現在価格:0円】
ここまでは。
同じだった。
その下。
【10年後の価格:420,000,000円】
「…………え?」
笑顔が消えた。
四億二千万円。
前の絵。
三億円。
新しい絵。
四億二千万円。
「なんで……」
そして。
もう一行。
【価格上昇理由:作者死亡】
俺は。
画用紙を持ったまま。
動けなくなった。
前の絵と同じ。
作者死亡。
未来は。
まだ。
何も変わっていない。
俺はもう一度。
画用紙を見る。
三人の家族。
その横に描かれた。
大きなロボット。
昨日見つけた会社。
アステラ・ロボティクス。
「…………」
偶然。
そうだ。
偶然に決まっている。
なのに。
なぜか。
胸の奥に。
小さな棘が刺さったような感覚が残った。
そして。
もう一つ。
娘の死後。
この絵につく値段は。
前の絵より――
一億二千万円も高かった。




