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『俺だけ「10年後の値段」が見える。~未来価格で億万長者になるはずが、娘の絵に3億円の値札がついていた~』  作者: かばっち


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第64話 変わらない


 月曜日の朝。


「ゼロ、きょうもパパね」


「まだ続いとったん、それ」


 朝食を食べ終えた結衣が、床を歩くゼロを指差した。


 金曜日の夜に突然始まった、パパ係とママ係。どうやら土日を越えても継続中らしい。


「ゼロはパパ。モモはママ」


「担当制なんや」


「うん!」


「俺、自分で会社行けるよ?」


「だめ」


「何が?」


「ゼロといっしょ」


「会社まで連れていくん?」


 俺が聞くと、結衣が止まった。そこまでは考えていなかったらしい。


「……ゼロ、おるすばん」


「パパ係、開始三十秒で終了したぞ」


「おうちでまってるの!」


「ああ、なるほど。帰ってくるまでがパパ係ね」


「そう!」


 絶対いま決めた。


 美咲が食器を重ねながら笑う。


「ちゃんと帰ってきなさいよ。ゼロが待ってるから」


「そこは妻と娘が待ってるからじゃないん?」


「私たちはついで」


「扱い悪くない?」


「パパ、ついで!」


「結衣まで乗っからんでいいの」


 朝から父親の順位がどんどん下がっていく。


 ゼロはそんな我が家の事情など知らないまま、テーブルの脚を避けて向きを変えた。俺はその姿を目で追い、ほんの一瞬だけ、以前ゼロを見たときの表示を思い出す。


 でも、見ない。


 今日はゼロを見る日じゃない。


「パパ?」


「ん?」


「ゼロみてた」


「見てたね」


「かわいい?」


「まあ、かわいいんじゃない?」


「かわいいよ!」


「じゃあ、かわいいです」


 結衣が満足そうに笑った。それで終わりだ。


 今日確かめるのは一つだけだ。


 研究側で検討が進んだあと、未来側の数字に変化があったのか。


「慎吾、コーヒーいる?」


「いる」


「もう時間ないよ」


「じゃあ何で聞いたん?」


「飲むなら急いで入れる」


「お願いします」


 美咲が呆れたように笑い、カップへコーヒーを注ぐ。


 俺はその間に鞄の中を確認した。財布、スマホ、会社のもの。それから、観測記録を書いているノート。


 ノートは入っている。


 それだけ確認して、鞄を閉じた。


「今日は高城さんと?」


「仕事終わってから」


「見るんやね」


「うん。でも、変わったかどうかだけ」


「何も変わってなかったら?」


「それで終わり」


 美咲が俺の顔を見る。


「ほんとに?」


「信用ないなあ」


「前よりはあるよ」


「その言い方、金曜日も聞いた気がする」


「じゃあ信用は増えてないね」


「減ってもないならよしとしよう」


 コーヒーを飲み切る。


 何も変わっていなければ、それも結果だ。


 金曜日にはそう言った。今日は、それを実際に守れるかどうかでもある。


「慎吾、そろそろ時間じゃない?」


「おっと」


 時計を見る。今度こそのんびりしている場合じゃなかった。


「行ってきます」


「いってらっしゃーい!」


「いってらっしゃい」


 鞄を持って玄関へ向かうと、小さな足音が追いかけてきた。


「パパ!」


「はい?」


「ゼロ、まってるからね!」


「結衣は?」


「ゆいも!」


「よかった。ついでじゃなかった」


「ついで!」


「どっちなん」


 笑いながら靴を履く。


 今日は答えを探しに行くわけじゃない。


 変わったのか、変わっていないのか。


 それを確かめる。


     ◇


 昼休みになっても、特に何かが起きるわけではなかった。


 会社の休憩室で昼飯を食べ、午後の予定を確認する。スマホには高城から短いメッセージが一件だけ届いていた。


『予定どおりで大丈夫です』


 俺も『大丈夫です』と返す。


 それだけ。


 未来の話をしていると、何でもない一日が妙に貴重に感じることがある。


 朝、結衣にパパ係を任命されたゼロは、たぶん今ごろ家のどこかを歩いている。美咲はいつもどおり過ごしていて、俺は会社で昼飯を食っている。


 未来がどうなっているかは分からない。


 でも、現在は普通に月曜日だった。


「神崎さん、午後の資料これでいいですか?」


「あ、はい。見ます」


 声をかけられて、意識を仕事へ戻す。


 今日は夜に観測する。


 だからといって、一日中そのことだけ考えている必要はない。


 俺は会社員だ。


 まずは午後の仕事を終わらせる。


     ◇


「じゃあ、始める前に確認しておきましょう」


 仕事を終えたあと、高城と合流した。


 高城の前にはノートとタブレット、俺の前には水が置かれている。最近、この配置にも慣れてきた。


「今日の目的は?」


「前回から、未来側の表示が変わったかどうか」


「はい」


 高城がノートへ目を落とす。


「表示の続きを求めない。変化がなくても追加で観測しない。頭痛や視界の異常があれば中止します」


「了解です」


「条件を変えて、もう一回もなしです」


「まだ何も言ってないですよ」


「先に言っておきました」


「信用ないなあ」


「実績です」


「もっと嫌な言い方になった」


 高城が笑う。


「体調は?」


「問題なしです」


「睡眠は?」


「普通です。昨日は結衣の絵本を二冊読まされて、そのまま一緒に寝そうになりましたけど」


「睡眠不足では?」


「ないです」


「なら大丈夫ですね」


「四歳児の寝かしつけ性能については聞かないんです?」


「観測と関係あります?」


「ないですね」


「では始めましょう」


「切り替え早いな」


 高城が時刻を記録する。


 俺は水を一口飲み、椅子へ深く座り直した。


 机の上には、前回までの記録も置かれている。数字を確認するためのものだ。


 以前なら、それを見ただけで少し身構えていたかもしれない。何か変わっていてほしい。何か分かってほしい。そんな期待が、いつもどこかにあった。


 今日は少し違う。


 変わっていても、変わっていなくてもいい。


 見えたものを、そのまま記録する。


「緊張してます?」


 高城が聞いた。


「ちょっとは」


「珍しく正直ですね」


「俺、いつも正直ですよ」


「そういうことにしておきます」


「信用がない」


「さっきもその話しました」


「しましたね」


 少し笑う。


 それで肩の力が抜けた。


 目的は決まっている。


「いけますか?」


「はい」


「では、始めましょう」


     ◇


 意識を向ける。


 最初に現れたのは、見覚えのある数字だった。


【安全性:69.1%】


「六十九・一」


 俺が読み上げると、高城のペンが動いた。


「前回と同じです」


 続いて、次の表示が浮かぶ。


【重大事故発生率:10.1%】


「十・一」


「同じですね」


 まだ何も判断しない。今は、表示されたものだけを見る。


【分岐候補:1,171】


「千百七十一」


「変化なし」


 三つ目も同じだった。


【生存結果を含む分岐:31】


「三十一」


「こちらも同じです」


「……ですね」


 四つとも同じだった。


 研究側では、あれから話が進んでいる。それでも、未来側の数字は何も変わっていない。


 そして。


【重大事故発生要因:複数対象――】


「……出ました」


 高城のペンが止まる。


「前回と?」


「同じです」


 文字も、途切れている場所も。


 何も変わらない。


 俺は表示を見つめた。


 この先に何があるのか。


 知りたい。


 もう少しだけ意識を向ければ、何か見えるんじゃないか。


 そんな考えが浮かぶ。


 でも、表示されたのはそこまでだ。


 俺は息を吐き、視線を外した。


「終わりです」


 一瞬だけ間があった。


「はい」


 高城が答える。


 俺は水を一口飲んだ。


「体調は?」


「大丈夫です」


「頭痛は?」


「なし」


「視界は?」


「普通です」


 高城がそれも記録する。


 俺は椅子の背にもたれた。


「……きれいなくらい同じでしたね」


「そうですね」


 安全性も、重大事故発生率も、分岐候補も、生存結果を含む分岐も。


 そして、途切れた表示も。


 何も変わらなかった。


     ◇


 高城が前回の記録と今日の記録を並べた。


 俺も横から上から順に目で追ってみるが、違う数字は一つもない。


「間違い探しなら零点ですね」


「違いがないので正解できません」


「そういう問題?」


「慎吾さんが始めたんでしょう」


 それはそう。


「……何も分からなかったな」


「何も、ではないと思います」


「何か分かりました?」


「分かった、とは言えません」


「あ、そこは慎重なんだ」


「そこは、じゃなくて、いつも慎重です」


「そうでしたっけ?」


「慎吾さんよりは」


「比較対象が俺なのはずるいでしょ」


 高城は俺の抗議を無視して、今日の記録を指した。


「今回の検討を挟んでも、観測された表示に変化はなかった。今言えるのは、そこまでです」


「話し合っただけじゃ、未来に影響するほどじゃなかったとか?」


「可能性はあります。ただ、それが理由とは限りません」


「まだ実際に何かしたわけでもないですしね」


「それも一つの考え方です」


 俺は腕を組んだ。


「そもそも今回の研究の話と、あの『複数対象』が関係ない可能性もある」


「あります」


「関係してるけど、今は変わってないだけかもしれない」


「それも否定できません」


「……何でもありじゃないですか」


「だから決めないんです」


 高城が言った。


 分からないものを見ると、空いているところを埋めたくなる。でも、それをやったら表示を見ているんじゃない。自分の想像を見ているだけだ。


「じゃあ」


 俺はノートを開き、今日の日付の下に二行だけ残した。


『変化なし』


『理由は不明』


「こんなもんですかね」


 高城が覗く。


「いいと思います」


「寂しいノートになったなあ」


「勝手に答えを書き足すよりいいでしょう」


「それやったら研究者失格です?」


「慎吾さんは研究者じゃありません」


「そうだった」


「会社員です」


「最近、自分でも忘れそうになるんですよ」


「忘れないでください」


 俺は笑った。


 会社員で、夫で、父親。そこに未来を見る変な能力までくっついたけど、俺が何でも分かる人間になったわけじゃない。


 だったら、分からないものは分からないと書いておけばいい。


 高城が記録をまとめている間、俺はもう一度だけ自分のノートを見た。


『変化なし』


『理由は不明』


 たった二行。


 派手さはないし、未来へ近づいた感じもしない。でも、今までなら「分からない」で終わることが怖かった。


 何か一つでも持って帰りたい。せっかく見たなら意味がほしい。そんな気持ちで、余計なところまで手を伸ばしたこともある。


 今日は違う。


 分からないなら、それでいい。


 少なくとも、今は。


     ◇


「少し休んでから帰ります?」


 記録を片づけた高城が聞いた。


「そうですね。コーヒーでも買います?」


「行きましょうか」


 研究室を出て、自販機の前まで歩く。


 観測のあとにこうして普通に歩けるだけで、今日はかなり楽なほうだ。頭痛もない。視界も普通。足元がふらつくこともない。


 俺は缶コーヒー、高城は水を買った。


「水なんです?」


「さっきも飲みましたけど」


「コーヒーでも買う流れだったでしょう」


「慎吾さんが勝手に言っただけです」


「付き合い悪いなあ」


「夜なので」


「健康的ですね」


「慎吾さんも見習ってください」


「美咲と同じこと言うようになってきた」


「それは慎吾さんに問題があるのでは?」


「二人で俺を管理するのやめてもらえます?」


 プルタブを開け、一口飲む。


 少し苦い。


「でも」


 俺は缶を見ながら言った。


「何も変わらないと、ちょっと拍子抜けしますね」


「変わることを期待していました?」


「期待っていうか……何か動いてるなら、数字にも出るのかなって」


「出なかったですね」


「きれいに」


「だから記録できます」


 高城はいつもの調子で言う。


「変化した記録だけでは、何が変化なのか比較できません。変わらなかった回も必要です」


「地味ですね」


「記録はだいたい地味です」


「夢がない」


「夢を記録しているわけではありませんから」


「未来は見てますけどね」


「それとこれとは別です」


 高城が水を飲む。


 俺も笑った。


 頭痛が来るまで見る必要はないし、何かが出るまで続ける必要もない。分からないなら、分からないまま帰ればいい。


 今日は、それでいい。


「戻りますか」


「はい」


 空になった缶を捨て、研究室へ戻った。


     ◇


「さて、今日はここまでですね」


 高城が記録を鞄へ入れる。


「ですね」


 俺もノートを閉じた。


 一瞬だけ、条件を変えたらどうなるだろうとは思った。もう一度見れば、何か変わるかもしれない。


 でも、閉じたノートを開き直す理由にはならない。


 今日は変化があるかどうかを確かめた。それで結果は出ている。


「……何ですか」


 顔を上げると、高城がこっちを見ていた。


「いえ」


「その顔、何ですか」


「どの顔です?」


「何か言いたそうな顔」


「何も言ってませんよ」


「絶対何か思ったでしょ」


「慎吾さんが普通にノートを閉じたな、と」


「やっぱり思っとるやん」


「事実です」


「俺、どんだけ信用なかったんですか」


「過去の記録を確認します?」


「やめましょう」


 負ける。絶対に負ける。


 高城が小さく笑った。


 俺も笑いながら鞄を持つ。


 帰ったら美咲と結衣がいて、たぶんゼロは本当に何も知らずに俺を待っている。


 それでいい。


     ◇


「慎吾さん」


 帰る準備をしていた高城の声が止まった。


「はい?」


「少し待ってください」


 さっきまでの軽い調子じゃない。


 高城はタブレットへ目を落とし、届いた内容を読み進めている。


「何かありました?」


「教授からです」


「教授?」


 俺も鞄から手を離した。


「正式な照会ですね」


「照会?」


「はい。事故予測研究についてです」


 その言葉で、俺の意識が切り替わる。


「何て?」


「実証に向けた検討の一環として――」


 高城がもう一度画面を確認する。


「実証地域候補の条件整理に協力してほしい、と」


「……実証地域?」


「候補です。まだ何かが決まったという話ではありません」


「地域ってことは……」


 そこまで言って、口を閉じた。


 まだ早い。


 候補地が決まったわけじゃない。その条件を整理する段階だ。


「いつ来たんです?」


「今です」


「今?」


「はい」


 思わず時計を見る。


 もちろん、時計を見たところで何か分かるわけじゃない。


 今日の観測では、数字は一つも変わらなかった。


 あの表示も。


【重大事故発生要因:複数対象――】


 何も変わらないまま。


 なのに、その観測を終えた直後に新しい話が届いた。


「……高城さん」


「はい」


「これ、今日来る予定だったんですか?」


「少なくとも私は聞いていませんでした」


「教授が前から考えてた可能性は?」


「当然あります。照会が今日届いたというだけで、今日決まったとは限りません」


「ですよね」


 危ない。


 観測した日に連絡が来た。それだけで、二つに関係があるとは言えない。


 俺は小さく息を吐いた。


「詳しい話は?」


「まだ照会の内容を確認しただけです。条件整理が具体的に何を指すのかも含めて、確認が必要ですね」


「じゃあ、それは次ですね」


「はい」


 高城が頷く。


 俺も鞄を持った。


 今日、未来は変わらなかった。


 少なくとも、俺に見えたものは何一つ。


 それでも、帰ろうとした俺たちの前に、今までなかった話が一つ届いた。


 未来は、変わらない。


 でも。


 現実のほうは。


 どうやら、そうでもないらしい。

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