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『俺だけ「10年後の値段」が見える。~未来価格で億万長者になるはずが、娘の絵に3億円の値札がついていた~』  作者: かばっち


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第61話 二十八円


 水曜日の朝。



「ゼロは、こっち!」



 朝食を食べながら横を見ると、結衣がゼロをリビングの真ん中へ置いていた。


 その隣には、桃色の小さな置物。


 モモ。



「何しよるん?」



「おるすばん!」



「今から?」



「れんしゅう!」



「留守番に練習いる?」



「いる!」



 昨日、アイスを食べるにも準備がいると言っていた。


 結衣の中では、たぶん何にでも準備が必要なのだ。



「ゼロがおうちまもる!」



「おお。頼もしいね」



「モモはねる!」



「役割の差がすごいな」



「モモ、あかちゃんやもん」



「そうやったん?」



「そう!」



 初耳である。


 ゼロは家を守り、モモは寝る。


 俺は仕事へ行く。


 役割分担としては、俺だけ普通だった。



「慎吾」



「はい」



「手、止まっとるよ」



 美咲に言われ、箸を見る。


 確かに止まっていた。



「考えごと?」



「ちょっとだけ」



「179日?」



「いや」



 テーブルの端に置いたノートへ目を向ける。


 昨夜、最後に書いたページ。



『この179日でできること』



 一。


『観測記録を続ける』


 二。


『ゼロの解析を進める』


 三。


『資金を増やす』


 四。


『結衣を実験材料にしない』


 五。


『普通に暮らす』



「どれから始めようかなって」



「仕事」



「はい?」



「まず仕事行く」



「準備の話なんですけど」



「遅刻したら普通に暮らせんやろ」



「ごもっともです」



「パパ!」



「はい」



「おしごと!」



「結衣まで」



「はやく!」



「まだ時間あります」



「いってらっしゃい!」



「追い出すの早くない?」



「ゼロがおるすばんするから!」



「パパいらんみたいやん」



 美咲が笑う。


 俺も笑って、止まっていた朝食を再開した。


 観測記録とゼロの解析は、高城さんと進める。


 結衣を実験材料にしない。普通に暮らす。


 この二つは、何かを始めるんじゃない。今日も守ることだ。


 なら、今すぐ俺一人で始められるものが残っている。



『資金を増やす』



 まずは、そこからだった。



     ◇



 昼休み。


 会社の休憩室で、スマホを開く。


 画面に表示されているのは、保有している株の一覧。



「…………」



 ネクサリンク・バイオ。


 俺が最初に買った株だ。


 最初に見たときは一株百二十六円だった。それから百十九円、六十八円、四十一円、二十九円と下がり続けている。



「まだ二十八円なん?」



 画面へ意識を向ける。



【現在価格:28円】


【10年後の価格:18,740円】



「…………」



 十年後の価格も変わっていない。


 一万八千七百四十円。


 二十八円で買った一株が、十年後にはそこまで上がる。


 数字だけを見れば、買わない理由がない。


 十万円なら、三千株以上。


 百万円なら――。



「いや」



 計算しかけて止める。


 でも、何でそこまで上がる?


 その途中で何が起きる?


 十年後まで、普通に持ち続けられるのか?


 どれも分からない。今見えている未来だって、この先も同じとは限らなかった。結衣の絵も、土地も、HOSHIMIも、条件が動けば数字は変わった。



「でも、二十八円か」



 注文画面を開く。


 数量を入力する欄。


 買おうと思えば、今すぐ買える。


 前の俺なら、たぶんそのまま買っていた。十年後に上がるなら買う。それでよかった。



「…………」



 画面を閉じる。


 大きい金を動かすときは、相談する。


 美咲と約束した。


 十万円を大きいと呼ぶかどうかは微妙だけど、だからといって黙っていい理由にはならない。


 買うとしても、帰ってからだ。


 スマホを伏せる。


 株価は逃げるかもしれない。


 でも。


 約束を破ってまで、二十八円を追いかける必要はなかった。



     ◇



 午後七時二十六分。


 夕食を終えたあと、ダイニングテーブルへノートを広げた。


 リビングでは、結衣がゼロとモモで遊んでいる。



「ゼロ、うごいて!」



 ゼロの上にモモを乗せる。


 一歩。


 二歩。


 ゴト。



「あー!」



「今日も落ちたね」



「もういっかい!」



「頑張ってください」



 昨日と同じ遊び。


 モモは落ちて、結衣は笑う。


 普通に暮らす。


 五つ目は、ちゃんと継続中だった。



「またお金?」



 コーヒーを持ってきた美咲が、俺の向かいに座る。



「はい」



「増やすって言った次の日から?」



「行動が早い男です」



「慎吾の場合、不安になる言い方やね」



「今日はまだ何も買ってません」



「まだ?」



「相談しようと思って」



 美咲が少しだけ眉を上げた。



「ちゃんと覚えとったん?」



「失礼な」



「三十万寄付したあとに言われても」



「反省しています」



「車も」



「はい」



「工場の機械も」



「その節は」



「怒られた人みたいに言わんで」



「怒られてますよね?」



「確認しよるだけ」



「怖い確認だなあ」



 ノートを美咲のほうへ向ける。


 資産の名前と、分かっている範囲の価格。


 この前、全体は説明した。


 今日はそこから一歩進めて、三つに分けていた。



『数年以内に売るか判断する物』


『長く持つ物』


『まだ決めていない物』



「何これ?」



「いつ金にするか」



「売る時期?」



「うん。高くなる物を持ってても、必要なときに金にならんかったら意味ないやろ」



「それはそうやね」



 ノートには、未来価格も書き出している。



『銀色の業務用機械』


『2年後:3,600,000円』


『3年後:9,800,000円』


『5年後:14,600,000円』



『業務用映像変換ユニット』


『購入価格:29,800円』


『2年後:92,000円』


『3年後:168,000円』


『5年後:210,000円』


『10年後:240,000円』



「これは三年後?」



 美咲が映像変換ユニットの欄を指さす。



「三年後に売るって決めたわけじゃないよ」



「違うん?」



「三年で十六万八千円。そこから七年持っても七万二千円しか上がらん」



「しか?」



「買った値段から考えたら十分なんだけど」



「二万九千八百円やったよね」



「うん」



「三年で十六万八千円」



「うん」



「十分やろ」



「そうなんです」



「顔が納得してない」



「もっとすごい数字を見すぎた」



「感覚おかしくなっとるやん」



「今、直してます」



「十年後まで持たんの?」



「三年で売って、その金を別の物に回したほうが増えるかもしれんやろ」



「三年後も、この値段なん?」



「それは、そのとき見んと分からん」



「じゃあ、今決めても意味ないんやない?」



「売る時期を決めたんじゃなくて、考える時期を決めたんです」



「面倒くさいね」



「自分でも思います」



「じゃあ、この株は?」



 美咲がノートの一番上を指さした。


 ネクサリンク・バイオ。



「長く持つほう」



「十年?」



「今のところは」



「機械は三年で、株は十年?」



「そうなるね」



「全部十年後を見る能力なのに?」



「途中も見えるようになったから」



「便利になったね」



「その代わり、見えるものが増えすぎました」



「それは知っとる」



 美咲がコーヒーを飲む。



「で、相談ってその株?」



「うん」



「いくら買うん?」



「話が早い」



「買いたい顔しとるもん」



「そんな顔ある?」



「慎吾にはある」



 また顔でばれている。


 俺はノートへ数字を書く。



『現在価格 28円』


『10年後 18,740円』



 美咲の手が止まる。



「一株?」



「一株」



「二十八円が?」



「一万八千七百四十円」



「何倍?」



「計算したくなるやろ?」



「慎吾、分かるん?」



「今から計算しようと思ってたのに」



「分からんのやん」



「六百倍以上です」



「急に雑」



「大事なのは上がるってこと」



「そこ雑にして大丈夫?」



「大丈夫じゃないから相談しています」



 美咲がノートと俺を交互に見る。



「今まで、いくら入れたん?」



「二十万円」



「それも最初の十万円から増やしたお金?」



「うん。家計には手を出してない」



「借金は?」



「してない」



「近いうちに使うお金?」



「違う」



「追加はいくら?」



「上限十万円」



「上限?」



「全部は使わん」



「いくら使うん?」



「八万四千円」



「細かいね」



「二十八円で三千株」



 スマホの電卓を開く。



 28×3,000。



『84,000』



「一万六千円残す」



「何で?」



「全部使う必要はないから」



「十年後に絶対上がるなら、十万円全部入れたほうがよくない?」



「絶対じゃない」



 これは、はっきり言えた。



「今、見えてる未来では上がる。でも、未来は変わる」



「結衣の絵みたいに?」



「うん。土地も変わったし、HOSHIMIの数字も動いた」



「株も変わるかもしれん?」



「変わらんとは言えん」



「…………」



「それに、途中で何があるか分からん。十年後まで普通に持てるかも分からんし、別に買いたい物が出てくるかもしれん」



「だから一万六千円?」



「一万六千円で何か買うって意味じゃないけど」



「全部入れないため?」



「そう」



 美咲が考えている間、俺は黙って待った。ここで説得したら、相談した意味がない。



「今回買う三千株だけで」



 美咲が電卓を触る。



 18,740×3,000。



『56,220,000』



「…………」



「五千六百二十二万円」



「八万四千円が?」



「今見えてる未来なら」



「気持ち悪い」



「また言った」



「だっておかしいやろ」



「俺もそう思う」



「何で上がるん?」



「分からん」



「そこは分からんの?」



「能力に聞けば何か出るかもしれんけど、今日はそこまで見るつもりない」



「何で?」



「買うかどうか決めるのに、今は必要ないから」



 上がる理由は知りたい。でも今日は、いくら入れるかを決める日だ。


 見るのは、そこまででいい。



「前なら十万円全部入れとった?」



「…………」



「慎吾?」



「たぶん」



「もっと入れとったんやない?」



「利益が出た金、全部いってた可能性はあります」



「成長したね」



「褒め方が子供なんよ」



「ゆいもせいちょうした!」



 リビングから結衣が叫ぶ。



「聞いてたん?」



「せいちょう!」



「意味分かる?」



「わからん!」



「でしょうね」



 美咲が笑う。



「自分で増やしたお金なんやね?」



「うん」



「八万四千円以上は入れん?」



「今回は」



「買ったら教える?」



「もちろん」



「なら、いいんじゃない?」



「許可出た」



「許可制にした覚えはないよ」



「相談しろって」



「相談と許可は違うやろ」



「難しいな」



「四十一歳やろ」



「年齢で解決しないで」



 証券口座を開く。


 もう市場は閉まっている。


 今から出す注文は、明日以降の取引になる。


 銘柄。


 ネクサリンク・バイオ。


 数量。


 三千株。


 注文方法。


 指値。


 二十八円。



『概算購入代金:84,000円』



「これで、明日も二十八円以下なら買う」



「二十九円になったら?」



「買えん」



「十年後に一万八千円になるのに、一円気にするん?」



「言われてみれば」



「大丈夫なん、この投資家」



「ルールを決めるのが大事なんです」



「今考えたやろ」



「はい」



 注文確認画面。


 あとは押すだけ。



「…………」



「何?」



 美咲を見る。



「最終確認」



「自分で決めたんやろ?」



「そうなんだけど」



「慎吾のお金。決めた範囲。家計には手を出さん」



「はい」



「なら、自分で押し」



「はい」



 確認ボタンを押す。


 注文を受け付けました。


 画面に表示された文字を見て、息を吐く。



「買った?」



「まだ。注文しただけ」



「面倒くさいね」



「株なので」



「パパ!」



「はい」



「モモ、のった!」



 見ると、ゼロの上にモモが乗っている。



「何秒?」



「いっぱい!」



「便利な数字やな」



「ちゃんとみて!」



「はいはい」



 スマホを伏せる。


 注文は出した。あとは明日だ。


 今は、ゼロの上で揺れているモモと、それを見て笑う結衣をちゃんと見る。



     ◇



 木曜日の午前九時十二分。



 会社のデスクでパソコンへ向かっていると、伏せていたスマホが短く震えた。



 画面を確認する。


 証券会社からの通知。



『約定しました』



「…………」



 ネクサリンク・バイオ。


 三千株。


 約定単価、二十八円。


 購入代金、八万四千円。



「買えた」



 小声でつぶやき、美咲へメッセージを送る。



『昨日の株、買えました。三千株、二十八円』



 少しして、返信が届く。



『ちゃんと報告したね』



『褒め方が子供なんよ』



『結衣にも褒めてもらい』



 思わず笑いそうになり、口元を押さえる。



 それから株価画面を開いた。


 ネクサリンク・バイオ。



【現在価格:28円】


【10年後の価格:18,740円】



 表示は変わらない。


 俺が三千株買ったからといって、未来価格が動いたわけでもない。


 少なくとも。


 今は。



「…………」



 理由を見ようとはしなかった。


 十年後までの途中を、無理に確かめようともしない。


 今日決めた目的は、買うかどうか。それはもう終わった。


 スマホを閉じ、仕事へ戻った。



     ◇



 その日の夜。



 夕食を終え、ダイニングテーブルでノートを開く。



「パパ、えらい?」



 美咲から聞いたらしい結衣が、隣から顔をのぞき込んでくる。



「何が?」



「かぶ!」



「株を買っただけでは偉くないかな」



「じゃあ、えらくない?」



「報告したのは偉いんやって」



 美咲が向かいから口を挟む。



「パパ、ほうこくえらい!」



「ありがとうございます」



「どういたしまして!」



「何で結衣が返すん?」



 結衣が笑う。



 俺も笑いながら、今日の取引を記録する。



『ネクサリンク・バイオ』


『累計投資額:284,000円』


『追加購入:3,000株/28円』



 ページを戻す。



『この179日でできること』



 三。


『資金を増やす』



 その横に、丸をつけようとして止まる。



「…………」



「何?」



「いや」



 美咲が俺を見る。



「増えてないなって」



「何が?」



「資金」



「株買ったんやろ?」



「八万四千円減った」



「…………」



「資金を増やすために、資金が減りました」



「大丈夫なん、それ」



「十年後は」



「今の話して」



「ですよね」



 丸をやめる。


 代わりに、その横へ小さく書いた。



『開始』



 二十八円が本当に一万八千七百四十円になる保証もない。途中で未来が変われば、売ることもある。


 それでも、179日後をただ待つのではなく、今日できることを一つ始めた。



「ゆいもじゅんびする!」



「何の?」



「ハンカチ!」



 結衣が椅子を降り、自分の鞄へ走っていく。



「走らない!」



「はーい!」



 返事だけはいい。


 少しして、結衣がハンカチを持って戻ってきた。



「はいった!」



「おお。準備完了やね」



「かんりょう!」



「パパより早いな」



「パパおそい!」



「十年かかるからね」



「じゅうねん?」



「長いです」



「あした?」



「もっと長い」



「じゃあ、いっぱい!」



「そう。いっぱい」



 結衣には、まだ十年の長さは分からない。俺にも、本当の意味では分かっていないのかもしれない。


 でも、その十年後へ向かう今日を、ただ待つだけにはしない。


 二十八円。


 十年後、一万八千七百四十円。


 遠い。それでも、昨日よりは一歩進んだ。

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