第56話 普通の日曜日
日曜日。
「パパ!」
「はい」
「ゼロ、おさんぽ!」
「…………」
朝七時四十八分。
まだ朝飯も食べ終わっていない。
「昨日もお出かけしたよね?」
「した!」
「大学まで行ったよね?」
「いった!」
「じゃあ今日は休ませてあげたら?」
「だめ!」
「何で?」
「おさんぽする!」
「ゼロの意見は?」
結衣が床を見る。
ゼロはテーブルの近くを、いつものように歩いている。
「するって!」
「言った?」
「うん!」
「いつ?」
「いま!」
「パパには聞こえなかったなあ」
「ゆいにはきこえた!」
「ゼロ、結衣にだけ喋るん?」
「うん!」
「ずるいな」
キッチンから美咲が笑う。
「慎吾」
「ん?」
「今日どうする?」
「何が?」
「休みやろ」
「…………」
そうだった。
昨日は家族で大学へ行って、ゼロの確認。
その前は三日待つと決めて、それでも頭のどこかではずっと先のことを考えていた。
「パパ?」
「はい」
「おさんぽ!」
「そうですね」
「いく?」
「行きますか」
「やったー!」
結衣が両手を上げる。
「ゼロも!」
「ゼロも連れていくの?」
「うん!」
「昨日も大学まで行ったのに」
「きょうはおさんぽ!」
「ゼロ、俺より休日満喫してない?」
「慎吾も行くんやろ」
「行きます」
「なら一緒やん」
「確かに」
今日は日曜日。
研究の予定はない。
高城に会う予定もない。
「じゃあ、どっか行く?」
「こうえん!」
「決まるの早いな」
「こうえん!」
「はいはい」
今日は、それでいい。
◇
「パパ、はやく!」
「速い速い」
午前十時過ぎ。
近くの公園へ着いた瞬間、結衣が走り出した。
俺の手にはゼロ。
「…………」
何で?
「慎吾」
「ん?」
「ゼロ持っとって」
「もう持ってます」
「結衣、遊具行ったから」
「俺、ゼロのお父さんになってない?」
「昨日からだいぶ気にしとるやん」
「それとこれとは違う」
手の中のゼロを見る。
今は電源を切っている。
昨日見た表示が一瞬だけ頭をよぎった。
「慎吾」
「はい」
「今日は公園」
「分かってます」
「ならよし」
「また顔に出てた?」
「出てた」
「便利やなあ」
「慎吾限定ね」
「昨日も聞いた気がする」
「パパー!」
結衣が遊具の上から手を振っている。
「みてー!」
「見てるよー!」
「すべるよー!」
「どうぞー!」
結衣が滑り台を滑ってくる。
そのまま走って階段へ向かい、また上る。
「元気やなあ」
「四歳やもん」
「俺があれやったら三回で休憩やな」
「一回じゃなくて?」
「俺を何歳だと思ってる?」
「四十一」
「正解です」
美咲が笑う。
俺もベンチに座って、ゼロを横へ置いた。
「パパー!」
「はい!」
「きて!」
「どこ?」
「こっち!」
「はいはい」
立ち上がる。
「美咲」
「ん?」
「ゼロお願いします」
「はい」
「ゼロのお母さん」
「違います」
「じゃあ何?」
「知らん」
「冷たい」
ゼロを美咲に預けて、結衣のところへ向かった。
◇
「パパ!」
「今度は何ですか?」
「みて!」
結衣がしゃがみ込んでいる。
小さな手のひらに乗っていたのは。
「どんぐり?」
「うん!」
「でっかいね」
「おっきい!」
「同じこと言ったね」
「これも!」
もう一個。
さらに一個。
「いっぱいある!」
「ほんとやね」
「パパも!」
「拾うの?」
「うん!」
「四十一歳ですけど」
「ひろう!」
「年齢関係ないか」
俺も一緒にしゃがむ。
探してみると、意外とある。
「あった」
「ちっちゃい!」
「パパのだけ?」
「ゆいの、おっきい!」
「勝負だったん?」
「ゆいのかち!」
「まだ始まってもないのに負けた」
結衣が笑う。
俺ももう一個探す。
「これならどう?」
「ちっちゃい!」
「厳しいな」
「パパ、へた!」
「どんぐり拾いに上手い下手ある?」
「ある!」
「あるんや」
しばらく二人で探した。
結衣の手には五個。
俺は三個。
「ゆいのかち!」
「数でも負けた」
「パパ、よわい!」
「四歳児にどんぐりで煽られるとは思わんかった」
結衣が自分のどんぐりを地面に並べる。
一個ずつ見比べて、その中から一番大きなものを選んだ。
「パパ」
「ん?」
「あげる!」
「これ?」
「うん!」
「一番大きいやつやん」
「パパの!」
「いいの?」
「いいよ!」
手渡された。
丸くて、少し艶のあるどんぐり。
どこにでも落ちているような、普通のどんぐりだ。
「ありがとう」
「なくさないでね!」
「責任重大やな」
手のひらのどんぐりを見る。
ほんの一瞬だけ、いつもの癖が出た。
見ようと思えば、今の価格も十年後の価格も見られるのかもしれない。
「パパ?」
「ん?」
「なくした?」
「まだ手に持ってます」
「よかった!」
「なくすの早すぎるやろ」
結衣が笑う。
俺はどんぐりを、そのままポケットへ入れた。
◇
「おなかすいた!」
「でしょうね」
昼前。
公園を出て、そのまま昼飯を食べに行くことになった。
結衣は後部座席。
隣にはゼロ。
「ゼロもおなかすいた?」
「ゼロは食べません」
「なんで?」
「ロボットだから」
「アイスも?」
「昨日も言ったけど食べられません」
「ジュースは?」
「飲めません」
「おにくは?」
「食べません」
「かわいそう」
「本人はたぶん困ってないよ」
「パパ」
「はい」
「ゼロ、ハンバーグ!」
「話聞いてた?」
助手席の美咲が笑う。
「結衣が食べたいだけやろ」
「ハンバーグ!」
「やっぱり」
「分かりやすいなあ」
結局、昼飯はハンバーグになった。
◇
昼飯を食べて、少し買い物をして。
家へ帰ったころには、もう夕方だった。
「ただいまー!」
「ただいま」
「ゼロも!」
「ゼロは何も言ってません」
「ただいまって!」
「はいはい。おかえり、ゼロ」
結衣は満足そうにゼロを抱えてリビングへ向かった。
俺も靴を脱いで中へ入る。
買い物袋を置いて、ポケットの中身を出す。
スマホ。
財布。
車の鍵。
それから。
「…………」
どんぐり。
「あ」
忘れてた。
「何?」
美咲が買い物袋を持ったまま覗き込む。
「今日、結衣にもらったやつ」
「ああ。一番大きいやつ」
「見てたん?」
「見てたよ」
「俺がどんぐり拾いでボロ負けしたのも?」
「それも見てた」
「助けてよ」
「何を?」
「四十一歳の尊厳」
「どんぐり拾いで失う尊厳なら、なくてもいいやろ」
「ひどい」
手のひらのどんぐりを見る。
ちゃんと持って帰ってきた。
「どこ置こうかな」
「慎吾の机でいいやん」
「そうするか」
そう言ったところで。
「パパ!」
「はい」
結衣が走ってきた。
「あ!」
「何?」
「どんぐり!」
「ちゃんと持って帰ってきたよ」
「ゆいの!」
「…………」
「え?」
「ゆいのどんぐり!」
「パパにくれたよね?」
「かしてあげた!」
「聞いてない」
「かえして!」
「もう返すん?」
「うん!」
「…………」
美咲が横で笑っている。
「慎吾」
「何?」
「残念やったね」
「机に飾ろうと思ったのに」
「パパ!」
「はいはい」
結衣へどんぐりを返す。
「はい、どうぞ」
「ありがとう!」
「こっちがもらったはずなんだけどな」
結衣は嬉しそうにどんぐりを握って、ゼロのところへ戻っていった。
俺の手には、何も残らない。
「…………」
まあ、いいか。
◇
夕飯を食べて、風呂に入って。
あとはいつもの夜。
結衣はリビングの床に座って、今日拾ったどんぐりを並べている。
その横にはゼロ。
「いち、に、さん、よん、ご!」
「ちゃんと五個ある?」
「ある!」
「一個パパにくれたから四個じゃない?」
「かえしてもらった!」
「そうでした」
美咲が隣で笑う。
「慎吾」
「ん?」
「普通の日曜日やったね」
「うん」
公園へ行って。
どんぐりを拾って。
ハンバーグを食べて。
買い物をして帰ってきた。
大きなことは、何もなかった。
「パパ!」
「はい」
「ゼロ、これ!」
結衣がどんぐりを一個、ゼロの上に乗せようとしている。
「何してるん?」
「ぼうし!」
「それ帽子なん?」
「うん!」
「落ちるよ」
「おちない!」
手を離す。
コト。
落ちた。
「…………」
「…………」
「落ちたね」
「ゼロがうごいた!」
「ゼロのせいになった」
「ゼロ!」
「はいはい」
結衣がまたどんぐりを乗せようとする。
その横でゼロは何も知らずに足を動かしている。
俺はそれを眺めながら、ソファに背中を預けた。
昨日まで、ずっと先のことばかり考えていた。
でも今日は、公園で遊んで、飯を食って、家族で帰ってきただけだ。
それだけなのに。
「こういう日も、いるな」
「毎週いるやろ」
「それもそうか」
美咲が笑う。
俺も笑った。
十年後のことは、今日もそこにある。
でも。
今日には、今日しかないものもある。
結衣がまたゼロの上にどんぐりを乗せる。
コト。
「あー!」
「だから落ちるって」
「もういっかい!」
「諦めんなあ」
何度目か分からないどんぐりが、また床へ転がった。
普通の日曜日。
たぶん俺が守りたい未来は、こういう日の続きなんだと思う。




