第55話 起動条件
【起動条件:――――】
「…………」
表示は、それ以上変わらなかった。
結衣の腕の中では、ゼロがいつものように足を動かしている。
「ゼロ、うごいてるよ?」
「うん。動いてるね」
「こわれてないよ?」
「壊れてない」
「じゃあだいじょうぶ!」
「結衣の中ではね」
さっきと同じ結論に、結衣は満足そうに頷いた。
高城はゼロを見たまま考えている。
「高城さん」
「はい」
「これ、何が起動するんです?」
「分かりません」
「ですよね」
「慎吾」
横から美咲の声。
「聞く前から分かっとったやろ」
「もしかしたら何か出てくるかなって」
「出ませんでしたね」
「高城さんまで」
「ないものは出せません」
「研究者って、もっとこう……難しいこと言って、分かった気にさせてくれる人かと思ってました」
「それは研究者ではありません」
「じゃあ誰?」
「知りません」
「パパ!」
「はい」
「ゼロおく?」
結衣が聞いてきた。
「もういいよ。ありがとう」
「はーい!」
結衣がゼロを机の上へ置く。
ゼロは一度止まったあと、いつものように歩き始めた。
ウィーン。
そのまま机の端へ向かう。
「あ」
高城が手を伸ばし、落ちる寸前で止めた。
「危ないですね」
「研究対象、自分で落ちようとしてますけど」
「ゼロ、おちる?」
「落ちるところだったね」
「だめ!」
「そうだね」
結衣がゼロの向きを変える。
今度は机の中央へ向かって歩き始めた。
「これでいい!」
「ありがとう」
俺はその様子を見ながら、もう一度さっきの表示を思い出す。
【起動条件:――――】
ゼロは動いている。
電源も入っているし、歩くし、方向も変える。放っておけば机から落ちそうにもなる。
だったら。
「高城さん」
「はい」
「普通に動き始めることを『起動』って言ってるわけじゃなさそうですよね」
「その可能性は高いと思います」
「じゃあ、別の何かが起動する」
「可能性はあります」
「個人警告端末?」
「候補の一つです」
「HOSHIMI?」
「それも候補にはできます」
「ゼロの中に、まだ俺たちが知らない機能があるとか」
「それも否定できません」
「全部あるやん」
「今はそうなります」
「何でもありになってきたな」
高城がノートを開く。
「だから、今分かっていることだけ整理します」
「お願いします」
「まず、ゼロは通常動作している」
「はい」
「その状態でも【起動条件】という項目が表示された」
「はい」
「したがって、『起動』がゼロの通常動作を指しているとは考えにくい」
「はい」
「ただし、何が起動するのかは不明」
「はい」
「起動するための条件も不明」
「…………」
「何です?」
「最後二つで全部分からなくなった」
「分かっていないものを、分かっていることにはできません」
「正しいけど寂しい」
高城がノートへ書き込む。
起動対象――不明。
起動条件――不明。
「綺麗に不明が並びましたね」
「重要な記録です」
「そうなんでしょうけど」
美咲が俺を見る。
「慎吾」
「ん?」
「もう見んよね?」
「…………」
「何、その間」
「いや、もう少し見たら出るかなって」
「昨日もそれ言いよったやん」
「昨日は見ませんでした」
「今日はもう見たやろ?」
「はい」
「なら、一回やめたら?」
高城も頷く。
「僕もそう思います」
「二対一」
「パパ、だめ!」
「三対一になった」
「結衣はたぶん意味分かってないけどね」
「わかる!」
「何が?」
「パパ、だめ!」
「そこだけ理解した?」
美咲が笑った。
「今日はもう十分やろ」
「まあね」
体調は悪くない。
頭痛もないし、まだ見ようと思えば見られる気はする。
でも、今すぐ答えを出す必要はない。
「分かりました。今日はここまで」
「能力を使った確認は、ですね」
「高城さん?」
「過去の記録は確認したいです」
「まだやる気やん」
「見るだけです」
美咲がため息をつく。
「結衣、どうする?」
「ゼロとあそぶ!」
「じゃあ、もうちょっとだけ待てる?」
「いいよ!」
「助かります」
「じっけんする!」
「実験はもう終わりです」
「する!」
「気に入ったなあ」
結衣はゼロを抱えると、美咲と一緒に少し離れた椅子へ向かった。
美咲がバッグから飲み物を出す。
「ジュース!」
「一本だけね」
「ゼロも!」
「ゼロは飲めません」
「なんで?」
「壊れるから」
「じゃあだめ!」
「さっきからゼロには厳しいな」
結衣の声を聞きながら、俺は高城と机を挟んで座った。
◇
「過去の記録って、どこまで見ます?」
「まずゼロです」
「ですよね」
俺も自分のノートを開く。
最初は、未来価格を忘れないためだけに始めた記録だった。
何を見た。
今いくら。
十年後いくら。
それだけ。
今では表示された言葉や、そのとき誰がいたか、何をしていたかまで書くようになっている。
「俺のノート、だいぶおかしくなりましたね」
「最初は?」
「値段ばっかりです」
「慎吾さんらしいですね」
「能力が値段見る能力だったからね?」
ページをめくる。
ゼロ。
八百円で買った古い小型ロボット。
現在価格、十八万六千円。
十年後価格は、以前はゼロ円。
その後。
【10年後の価格:算出不能】
【未来状態:未確定】
へ変化した。
さらに。
【関連事象:個人警告端末】
そして昨日から今日にかけて。
【関連対象:結衣】
【起動条件:――――】
「増えましたね」
「最初、八百円だったんですけどね」
「購入価格は関係ありません」
「今は十八万六千円です」
「そういう話でもありません」
「一応言ってみた」
高城は記録を見ながら、ノートに三つ書いた。
個人警告端末。
関連対象:結衣。
起動条件。
「この三つが同じ事象に関する表示なのか」
「分からない」
「はい」
「別々かもしれない」
「はい」
「でも、関連してるかもしれない」
「そうです」
「…………」
「慎吾さん?」
「最近、その答えに慣れてきた自分が嫌です」
「いい傾向です」
「いいの?」
高城が過去の記録へ視線を戻し、俺もページをめくる。
ページをめくるたび、別の未来が出てくる。
ゼロ。
HOSHIMI。
家族で描いた絵。
観測範囲外。
百八十六日。
最初は値段を書くだけだったノートなのに、今ではどこから見直せばいいのか迷うくらいだ。
「…………」
指が止まった。
「高城さん」
「はい」
「これ」
「何です?」
「前にも出てる」
「何が?」
俺はページを高城のほうへ向けた。
【観測範囲外対象との接触を予測】
【接触まで:186日】
【関連対象:結衣】
【接触後の未来:未確定】
「…………」
高城が黙った。
「これ」
俺は一行を指差す。
【関連対象:結衣】
「今日と同じですよね」
「表示そのものは同じです」
今日。
結衣がゼロを抱いたとき。
【関連対象:結衣】
百八十六日後。
観測範囲外対象との接触予測。
【関連対象:結衣】
「…………」
同じだ。
「高城さん」
「はい」
「これって――」
言いかけて、止まる。
「…………」
「どうしました?」
「いや」
俺はゼロを見る。
少し離れたところで、結衣がゼロを椅子の上に置いていた。
「ゼロ、こっち!」
呼んでも来ない。
「こっちー!」
当然来ない。
「ゼロ!」
結衣が自分から迎えに行った。
「…………」
百八十六日後。
俺たちは観測範囲外の何かと接触する。
その表示にも、結衣。
ゼロにも、結衣。
だったら。
「慎吾さん」
「分かってます」
「まだ何も言ってません」
「たぶん言うこと分かった」
「では、どうぞ」
「同じ【関連対象:結衣】だからって、同じ意味とは限らない」
「はい」
「ゼロが百八十六日後の接触対象だとも限らない」
「はい」
「ゼロと百八十六日後の接触が関係してるとも、まだ言えない」
「その通りです」
「…………」
高城を見る。
「成長しました?」
「しましたね」
「よし」
「ただし」
「来た」
「無関係だとも言えません」
「…………」
そこなんだよ。
「同じ表示が出ていること自体は事実です」
「はい」
「ゼロでは、結衣さんが保持した状態で【関連対象:結衣】が再現した」
「はい」
「百八十六日の表示では、観測範囲外対象との接触予測に付随して同じ表示が出ている」
「はい」
「条件は違います」
「でも、言葉は同じ」
「そうです」
高城がノートに書く。
ゼロ。
【関連対象:結衣】
少し離して。
186日後の接触。
【関連対象:結衣】
俺は黙って見ていた。
高城は二つの間に線を引き、その真ん中に大きく書く。
『関係未確定』
「…………」
「何です?」
「文字でかくない?」
「慎吾さん用です」
「せっかく成長したって褒めたのに」
「念のためです」
「信用が戻らない」
「積み重ねが大事です」
「研究にも信用にも?」
「どちらにも」
正論。
◇
「まだー?」
結衣の声が飛んできた。
「ごめん、終わり!」
「かえる?」
「帰ろうか」
「アイス?」
「大学から帰るとアイスになる仕組みある?」
「ある!」
「初めて聞いた」
美咲が立ち上がる。
「もういいと?」
「うん。今日はここまで」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「珍しい」
「俺への信用どうなってんの?」
「日頃の積み重ね」
「さっきも聞いたな、それ」
高城が静かにノートを閉じた。
「慎吾さん」
「はい」
「今日分かったことは多くありません」
「ですね」
「ただ、重要なことはあります」
「同じ表示?」
「それもです」
「他に?」
「分からないものを、分からないまま持ち帰れるようになった」
「…………」
「慎吾?」
美咲が俺を見る。
「今、褒められた」
「よかったね」
「高城さんに」
「はいはい」
「もっと驚いて」
「パパ、すごい!」
「結衣!」
「なに?」
「ありがとう」
「アイス?」
「そこにつながる?」
結衣はもうゼロを抱えて、出口の前に立っている。
「パパ、はやく!」
「はいはい」
バッグを持つ。
美咲も準備を終え、高城へ頭を下げた。
「今日はありがとうございました」
「いえ。また何か変化があれば連絡してください」
「慎吾が勝手に見そうになったら連絡します」
「お願いします」
「俺の監視体制が強くなってる」
「必要です」
「高城さんまで即答」
「おじちゃん、ばいばい!」
「さようなら、結衣さん」
「ゼロも!」
「さようなら、ゼロ」
「やっぱりゼロにも言うんですね」
「結衣さんが言ったので」
「律儀やなあ」
研究室を出る。
結衣は俺と美咲の少し前を歩いている。両腕にはゼロ。側面には象のシール。
昨日までと何も変わらない光景だ。
でも、俺の頭の中には二つの表示が並んでいる。
ゼロ。
【関連対象:結衣】
百八十六日後。
【関連対象:結衣】
同じ言葉。
意味はまだ分からない。
つながっているとも言えないし、つながっていないとも言えない。
「慎吾」
「ん?」
「考えすぎ」
「顔?」
「顔」
「まだ何も言ってないやん」
「だから分かるんやろ」
「便利やな、その能力」
「慎吾限定やけどね」
「パパ!」
「はい」
前を歩いていた結衣が振り返る。
「アイス!」
「まだ覚えてた?」
「うん!」
「記憶力いいな」
「アイスだからね」
美咲が笑う。
「じゃあ帰りに一個だけね」
「やったー!」
「俺も?」
「自分で買えば?」
「家族間格差」
結衣が笑いながら歩き出す。
その腕の中で、ゼロの足が小さく動いた。
「ゼロもアイス!」
「ゼロは食べられません」
「なんで?」
「壊れるから」
「じゃあだめ!」
「今日二回目」
俺も歩き出した。
今日は、もう見ない。
それでいい。
今日分かったのは、同じ【関連対象:結衣】という表示が、ゼロと百八十六日後の接触、その両方に存在していること。
そして、もう一つ。
【起動条件:――――】
何が起動するのか。
何を満たせば起動するのか。
まだ分からない。
だから、今はそれでいい。
百八十六日を、答えを無理やり引っ張り出すための時間にはしない。
必要なときにちゃんと選べるように、分からないものを一つずつ確かめていく。
俺は少し前を歩く結衣と、その腕の中のゼロを見た。
今日はもう、それ以上見なかった。
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