第54話 再現実験
土曜日。
「ゼロ、いくよ!」
朝から結衣が張り切っている。
玄関で靴を履きながら、片腕にはしっかりゼロ。動物園で貼った象のシールも健在だ。
「結衣」
「なに?」
「靴履くときくらいゼロ置いたら?」
「だめ!」
「なんで?」
「いっしょにいくから!」
「置いても一緒に行けます」
「だめ!」
「はいはい」
昨日、高城からゼロをもう一度確認したいと連絡があった。
その夜、俺の能力にも新しい表示が出た。
【関連対象:結衣】
偶然なのか。
何かが変わったのか。
それとも、今まで見えていなかっただけなのか。
分からない。
だから今日は、それを確認する。
「慎吾、準備できた?」
「できた」
「ゼロは?」
「結衣が持ってます」
「見れば分かる」
「じゃあ何で聞いたん?」
「忘れてないか確認」
「娘ごと忘れない限り大丈夫です」
「パパ、わすれる?」
「忘れません」
「ゼロも?」
「忘れません」
「ママは?」
「もちろん」
美咲が俺を見る。
「今、一瞬考えた?」
「考えてません」
「怪しい」
「出発しましょう」
逃げた。
◇
大学へ着くと、高城は研究室にいた。
「おじちゃん!」
「こんにちは、結衣さん」
「ゼロも!」
結衣が両手でゼロを持ち上げる。
「こんにちは、ゼロ」
「…………」
俺は高城を見る。
「ゼロにも挨拶するんですね」
「結衣さんが紹介したので」
「そこ律儀なんですね」
「ぞうさん!」
「象?」
高城がゼロを見る。
「ああ」
「どうぶつえん!」
「行ったんですか?」
「うん!」
「ゼロも?」
「うん!」
「そうですか」
高城が象のシールを少し眺める。
「剥がさないんですか?」
「だめ!」
「分かりました」
「即答ですね」
「所有者の許可が得られませんでした」
「研究者っぽく言わんでいいです」
結衣は満足そうにゼロを抱え、美咲が横で笑っている。
いつもの高城だ。
それだけで、少し肩の力が抜けた。
「では」
高城が机の上を片づける。
「昨日のことを、順番に教えてください」
「はい」
俺は昨夜のことを説明した。
ゼロを持ち上げたこと。
いつもの表示が出たあと、見たことのない項目が追加されたこと。
【関連情報を検知】
【関連対象:――――】
そこで美咲に止めてもらったこと。
そして寝室で、結衣がゼロを抱いた状態でもう一度見たこと。
【関連対象:結衣】
高城は途中で口を挟まず、最後まで聞いた。
「なるほど」
「どう思います?」
「まだ何とも言えません」
「ですよね」
「ただ、一つ気になります」
「どこです?」
高城がノートに文字を書く。
関連対象。
「ここです」
「結衣?」
「いいえ。『関連対象』という項目そのものです」
「項目?」
「何に対する関連対象なのかが表示されていません」
「…………」
言われてみればそうだ。
関連対象。
結衣。
それだけ見れば、ゼロと結衣が関連しているように思える。
でも。
「ゼロの関連対象……じゃないんですか?」
「そうかもしれません」
「違うかもしれない?」
「はい」
「面倒くさいな」
「未来ですから」
「便利な言葉になってません?」
「慎吾さんの能力に言ってください」
「俺?」
「パパ!」
「はい」
「ゼロおく?」
結衣が机を指さしている。
「まだ持ってていいよ」
「はーい」
高城が結衣を見る。
「まず、昨日と同じ表示が出るか確認しましょう」
「再現実験?」
「そうです」
久しぶりだ。
この感じ。
分からないものを、一つずつ条件を変えて確認していく。
最初の頃は、何をやっているのか半分も分かっていなかった。今だって全部分かっているわけじゃない。
それでも、いきなり答えを決めないことくらいは覚えた。
「何からやります?」
「ゼロ単体です」
高城が結衣の前にしゃがむ。
「結衣さん。少しだけゼロを借りてもいいですか?」
「やだ」
「…………」
「…………」
高城が俺を見る。
「研究終了ですか?」
「早すぎます」
「ゆい」
美咲が呼ぶ。
「ゼロ、ちょっとだけおじちゃんに貸してあげたら?」
「かえす?」
「返します」
「ぜったい?」
「絶対です」
「ぞうさんとらない?」
「取りません」
「じゃあいいよ!」
「ありがとうございます」
交渉成立。
高城がゼロを机の上へ置き、結衣は美咲と一緒に少し離れた椅子へ座った。
「距離はこれくらいでいいですか?」
「まずは十分です」
「じゃあ見ます」
「はい」
俺はゼロへ意識を向ける。
【観測対象を検知】
【現在価格:186,000円】
【10年後の価格:算出不能】
【未来状態:未確定】
そして。
【関連情報を検知】
【関連対象:――――】
「出ました」
「昨日と同じ?」
「はい。空欄です」
高城が記録する。
「では次です。結衣さん、ゼロの近くまで来てもらえますか?」
「いいよ!」
結衣が椅子から降り、机の横へ来る。
「ここ?」
「そこで大丈夫です」
「ゼロもつ?」
「まだ触らないでください」
「なんで?」
「実験です」
「じっけん!」
急に楽しそうになった。
「たぶん意味分かってないよね」
「いいの!」
「いいらしいです」
もう一度ゼロを見る。
【関連対象:――――】
「変わりません」
「結衣さんが近くにいるだけでは変化しない」
高城が結果を書き込む。
「次は?」
「結衣さん」
「はい!」
「ゼロを持ってください」
「いいよ!」
返事が軽い。
結衣が机の上のゼロを両手で抱える。
「もった!」
「慎吾さん」
「はい」
見る。
【関連対象:結衣】
「…………」
出た。
「結衣です」
高城のペンが止まる。
「昨日と同じですね」
「はい」
「もう一度確認します」
「ですよね」
結衣からゼロを預かる。
【関連対象:――――】
「消えました」
「結衣さん」
「また?」
「お願いします」
「いいよ!」
結衣へ渡す。
【関連対象:結衣】
「出ました」
「もう一度」
「またー?」
「あと一回だけお願いします」
「さんかい!」
「数えてたん?」
「うん!」
「ちゃんとしてる」
もう一度離す。
【関連対象:――――】
そして、結衣が抱く。
【関連対象:結衣】
「再現しますね」
高城が記録を見る。
「少なくとも、同じ条件では同じ変化が出ています」
「じゃあ、結衣がゼロを持つと出る?」
「まだです」
「ですよね」
言われる前に分かってしまった。
高城が少しだけ俺を見る。
「何です?」
「いえ」
「今、成長したと思ったでしょ」
「言ってません」
「顔」
美咲が吹き出した。
「高城さんまでそれ使う?」
「慎吾さんが分かりやすいので」
「俺、そんなに?」
「うん」
美咲まで即答した。
「パパわかりやすい!」
「結衣は意味分かってないやろ」
「わかる!」
「何が?」
「パパ!」
「強い」
高城が小さく咳払いする。
「次を確認します」
「お願いします」
「美咲さん、ゼロを持ってもらえますか?」
「私?」
「接触そのものが条件なのか確認したいので」
「分かりました」
結衣から美咲へゼロを渡す。
「ママもじっけん!」
「そうやね」
美咲がゼロを抱える。
俺が見る。
【関連対象:――――】
「出ません」
「次、慎吾さん」
「俺?」
「はい」
ゼロを受け取り、同じように確認する。
【関連対象:――――】
「出ません」
「では僕も」
「高城さんもやるんですか?」
「条件を増やしたほうがいいでしょう」
「ゼロ、おじちゃん!」
「はい」
高城がゼロを持つ。
俺が見る。
【関連対象:――――】
「出ないです」
高城がゼロを机へ戻した。
「現時点では、誰かが触れればいいというわけではなさそうです」
「結衣だけ」
「少なくとも、今試した中では」
断定はできない。
でも、目の前で同じ結果が三回出た。
「もういっかいもつ!」
「まだやるの?」
「じっけん!」
「気に入ったな」
結衣がゼロを抱き上げる。
【関連対象:結衣】
「…………」
やっぱり出る。
「高城さん」
「はい」
「これって」
俺は、以前ゼロに出た言葉を思い出す。
【関連事象:個人警告端末】
「前にゼロを見たとき、個人警告端末って出ましたよね」
「はい」
「それで今回、関連対象が結衣」
高城は答えない。
「じゃあゼロって、結衣の警告端末なんじゃ?」
「そこまでは言えません」
「早い」
「今分かっているのは、ゼロに『個人警告端末』という関連事象が表示されたこと。そして今回、結衣さんがゼロに接触した状態で『関連対象:結衣』が表示されること。それだけです」
「でも、かなり怪しくないです?」
「怪しいです」
「そこは認めるんだ」
「関連を疑う理由は十分あります」
高城はノートに二つの言葉を並べて書く。
個人警告端末。
関連対象:結衣。
ただし、その間に線は引かなかった。
「この二つが直接つながっているとは限りません」
「関連対象って、何の関連か分からないから?」
「それもあります」
「他にも?」
「そもそも、ゼロが『個人警告端末』とどう関係するのか、まだ確定していません」
「…………」
そうだった。
ゼロには【関連事象:個人警告端末】と出ている。
でも、それだけだ。
ゼロ自身が警告端末なのか。
その一部なのか。
それとも、別の形で関わるのか。
そこまでは何も分かっていない。
「ゼロ、おしえるよ!」
結衣が突然言った。
「何を?」
「ぞうさん!」
「それは見れば分かります」
「パオーン!」
「それは結衣が教えてる」
「ゼロ!」
「ゼロ鳴いてないから」
高城がゼロを見る。
「少なくとも、現在は普通に動いていますね」
ゴン。
「…………」
机の上を歩き始めたゼロが、置いてあった箱にぶつかった。
「普通ですね」
「その普通、ちょっと悲しくないです?」
「ゼロかった!」
「何に?」
「はこ!」
「箱、何もしてないから」
昨日も同じことを言った気がする。
◇
一通りの確認を終えると、高城が記録を整理し始めた。
少し離れたところでは、結衣が美咲とゼロで遊んでいる。
正確には、結衣が遊んで、ゼロが壁に向かっている。
「慎吾さん」
「はい」
「昨日は、あの表示が出たところで観測をやめたんですよね」
「はい」
「意識すれば、もう少し見えそうだった?」
「たぶん」
俺は美咲を見る。
「止められました」
「言い方」
すぐ飛んできた。
「いや、止めてくれた」
「ならよし」
高城が少し考える。
「体調は?」
「大丈夫です」
「頭痛や違和感は?」
「ないです」
「昨日の観測後も?」
「何も」
高城が頷いた。
「今日はここまでにしても構いません」
「…………」
「あるいは、昨日止めた先を確認することもできます」
高城は俺に決めろと言っている。
昔なら、たぶん聞かれる前に見ていた。
気になるから。
知りたいから。
見えるから。
でも昨日は見なかった。
家で、夜で、結衣も寝る時間だった。高城もいなかった。
だから止めた。
今日は違う。
大学で、高城がいる。美咲もいる。
体調も問題ない。
何より、ここまで条件を一つずつ確認した。
「慎吾」
美咲が俺を見る。
「無理せんでね」
「うん」
見ることと、見ないこと。
どっちかが正しいわけじゃない。
たぶん、選ぶことが大事なんだ。
「高城さん」
「はい」
「見ます」
「分かりました」
高城が時計を確認する。
「少しでも異常があれば止めてください」
「はい」
「結衣さんにはゼロを持ってもらいますか?」
「そのほうがいいですよね」
「今回確認したいのは、結衣さんが関連対象として表示されている状態の先です」
「分かりました」
美咲が結衣を連れてくる。
「ゆい」
「なに?」
「もう一回だけ、ゼロ持ってくれる?」
「いいよ!」
「ほんと好きやな、実験」
「じっけん!」
結衣がゼロを抱える。
「できた!」
「ありがとう」
俺は一度息を吐いて、ゼロへ意識を向ける。
【観測対象を検知】
【現在価格:186,000円】
【10年後の価格:算出不能】
【未来状態:未確定】
【関連情報を検知】
【関連対象:結衣】
ここまでは昨日と同じ。
意識を、もう少しだけ深くする。
「…………」
頭痛はない。
視界も変わらない。
ただ、表示の奥に何かがある。
そんな感覚がした。
「慎吾さん?」
「大丈夫です」
もう少しだけ。
【対象情報を照合します】
「増えました」
「無理はしないでください」
「はい」
文字が揺れる。
一度消えかけて、また浮かんだ。
【照合完了】
「…………」
その下に、新しい一行が現れた。
【起動条件:――――】
「…………」
「慎吾?」
美咲の声。
「出た」
「何が?」
俺は表示を見たまま答える。
「起動条件」
「起動?」
高城の手が止まった。
「条件は?」
「まだ……空欄です」
【起動条件:――――】
起動。
何が?
ゼロを見る。
結衣の腕の中で、いつものように足を動かしている。
「ゼロ、うごいてるよ?」
結衣が言った。
「うん。動いてるね」
「こわれてないよ?」
「壊れてない」
「じゃあだいじょうぶ!」
「結衣の中ではね」
高城はゼロを見たまま、ゆっくり首を振った。
「おそらく、この『起動』はゼロが動くこととは別の意味です」
「じゃあ」
何が。
何のために。
何を条件に。
【起動条件:――――】
ゼロの中の。
何が起動する?




