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『俺だけ「10年後の値段」が見える。~未来価格で億万長者になるはずが、娘の絵に3億円の値札がついていた~』  作者: かばっち


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第52話 三日待つ


 火曜日の朝。


「パパ」


「はい」


「みていいよ」


「何を?」


「ゼロ」


「……何で許可制なん?」


 朝食を食べている俺の横で、結衣がゼロを両手で持ち上げていた。


 動物園で貼った象のシールは、まだ側面に残っている。


「ぞうさん!」


「昨日も見ました」


「きょうも!」


「毎日確認するん?」


「うん!」


「何のために?」


「とれてないか!」


「なるほど」


 意外とちゃんとした理由だった。


 結衣は象のシールを指で押さえる。


「とれてない!」


「よかったね」


「パオーン!」


「それは結衣やろ」


「ゼロ!」


「はいはい」


 結衣が床へ置くと、ゼロはいつものように歩き始めた。


 ウィーン。


 ウィーン。


「今日はまっすぐ行きよるね」


 美咲がキッチンから言う。


「成長した?」


「電池替えたからじゃない?」


「関係ある?」


「知らん」


 ウィーン。


 ゴン。


「ゼロー!」


「成長してなかった」


 結衣が走っていく。


 俺はコーヒーを一口飲んで、壁のカレンダーへ目を向けた。


 そこにはもう、百八十六という数字は書いていない。


 消したからだ。


 でも、頭の中には別の数字が残っている。


 百七十九。


 昨日、高城と確認した接触までの日数。



【接触まで:179日】



 最初に百八十六日と表示されてから、実際に経過していたのは五日だった。


 単純に一日ずつ減るなら、百八十一日になるはずだった。


 でも、表示は百七十九日。


 二日のズレがある。


 高城とは、三日後にもう一度確認すると決めた。


 だから今日は見ない。


「慎吾」


「ん?」


「今、見ようとした?」


「何を?」


「数字」


「…………」


 美咲を見る。


「何で分かった?」


「顔」


「俺の顔、セキュリティ弱すぎん?」


「昨日も言いよったやん」


「見てないよ」


「ほんと?」


「ほんと」


 少し気にはなった。


 今見たら何日なのか。


 昨日から一日経ったから百七十八なのか。それとも、また二日、三日と余計に減っているのか。


 でも、確認しない。


「三日後って決めたから」


「うん」


「ちゃんと待ちます」


「えらい」


「四十一歳です」


「成長したね」


「四十一歳です」


 美咲が笑う。


 その横から結衣が戻ってきた。


「パパ!」


「はい」


「えらい?」


「らしいです」


「なにしたん?」


「何もしないことを頑張ってます」


「…………」


 結衣が首を傾げた。


「なんにもしてないやん」


「そうなんですよ」


「じゃあ、えらくない!」


「評価が厳しい!」


 美咲が笑う。


 ゼロがまた歩き出した。


 ウィーン。


 今度は壁じゃなく、椅子の脚へ向かっていく。


「ゼロ!」


 結衣が追いかける。


 俺は時計を見て立ち上がった。


 三日。


 たった三日だ。


 何もしないわけじゃない。


 今は見ない。


 それも、俺たちが決めたことだった。



     ◇



 昼休み。


 スマホに高城からメッセージが入った。



『接触までの日数は見ていませんね?』



「…………」


 監視されてる気分なんだけど。



『見てません』



 すぐ既読になった。



『本当に?』



『本当です』



『一人でも?』



『見てません』



 少しして。



『分かりました』



「信用ないなあ……」


 スマホを置こうとして、もう一通届いた。



『代わりに、別の確認をしたいと思います』



「代わりに?」


 嫌な予感がする。



『何をですか』



『HOSHIMIです』



 そこで少し考えた。


 昨日、既存データを整理したばかりだ。



【HOSHIMI安全性:68.4%】


【重大事故発生率:10.7%】


【分岐候補数:1,196】


【生存結果を含む分岐:34】



 いずれも、過去の観測で確認した数字。


 高城は昨日、まず既存データを整理すると言っていた。


 その続きだろう。



『接触までの日数は見ませんよね?』



『見ません』



『深追いもしませんよね?』



 少し間が空いた。



『それは慎吾さん次第です』



「そこ俺に委ねるん?」


 思わず声が出た。


 すぐに追加で届く。



『冗談です』


『既存項目の確認だけです』



「高城さん、冗談言うようになったな……」


 少し怖い。


 でも、悪くない変化かもしれない。



     ◇



 午後七時四十二分。


 高城の研究室。


「遅いです」


「十二分です」


「遅刻です」


「すみません」


「昨日は四分前でした」


「昨日の俺と比べないでください」


「同一人物でしょう」


「会社で捕まったんですよ」


「誰に?」


「上司」


「では仕方ありません」


「理解が早い」


 椅子へ座る。


 机の上には、昨日と同じ資料が置かれていた。


「で、HOSHIMIですよね」


「はい」


「何を見るんです?」


「昨日整理した四項目です」


 高城が紙をこちらへ向ける。



【HOSHIMI安全性:68.4%】


【重大事故発生率:10.7%】


【分岐候補数:1,196】


【生存結果を含む分岐:34】



「これが最後に確認した数字です」


「はい」


「今日は同じ条件で再確認します」


「変わってると思います?」


「分かりません」


「高城さんらしい」


「変化していないなら、それも情報です」


「なるほど」


「ただし」


「深追いしない」


「はい」


「新しい表示が出ても、すぐ意味を決めない」


「はい」


「頭痛があれば中止」


「はい」


「接触までの日数は見ない」


「はい」


「一人で重要な観測をしない」


「はい」


「よろしい」


「最近、研究室に来るたび確認されてません?」


「必要なので」


「俺、そんな危険人物?」


「能力に関しては」


「即答しないで」


 高城は気にせずノートを開いた。


「まず安全性からお願いします」


「はい」


 俺は机の上に置かれたHOSHIMIの資料を見る。


 意識を向ける。


 知りたいのは、今の安全性。


 以前と同じ項目だけ。


 しばらくすると、文字が浮かんだ。



【HOSHIMI安全性:69.1%】



「…………」


「出ました?」


「はい」


「数字は?」


「六十九・一」


 高城のペンが止まる。


「上がっていますね」


「〇・七?」


「はい」


「良くなった?」


「まだです」


「言うと思った」


「安全性という表示が、何を基準に算出されているのか完全には分かっていません」


「はい」


「ただ」


 高城が以前の数字の横に書き込む。


「少なくとも、同じ項目の数値は上がった」


「そこまでですね」


「そうです」


「次は?」


「重大事故発生率」


 俺はもう一度意識を向ける。



【重大事故発生率:10.1%】



「十・一」


「こちらは下がりましたね」


「〇・六」


「はい」


「これはさすがに良くない?」


「慎吾さん」


「分かってます」


「なら言わないでください」


「ちょっとくらい喜ばせてよ」


「確認が終わってからです」


「厳しい」


 安全性は上がり、重大事故発生率は下がった。


 以前も同じ方向に変化している。


 少なくとも数字だけを見れば、悪くない。


「次」


「分岐候補数です」


 ここだ。


 以前、安全性が六十一・八%から六十八・四%へ上がり、重大事故発生率が十四・二%から十・七%へ下がった一方で。



【分岐候補数:1,284 → 1,196】


【生存結果を含む分岐:37 → 34】



 分岐は減った。


 それが良いのか悪いのか、今も分からない。


 俺は意識を向ける。



【分岐候補数:1,171】



「千百七十一」


「…………」


 高城が記録する。


「また減った」


「そうですね」


「二十五」


「はい」


 残るのは一つ。


「生存結果を含む分岐」


「お願いします」


 少しだけ緊張した。


 この数字だけは、どうしても気になる。


 高城から何度言われても、「生存」という言葉が入っている以上、結衣と結びつけてしまう。


 俺は表示を見る。



【生存結果を含む分岐:31】



「…………」


「慎吾さん?」


「三十一」


 高城の表情が変わった。


「31?」


「はい」


 以前は三十七。


 その次が三十四。


 そして今は三十一。


「また減った」


「そうですね」


「三つ」


「はい」


 安全性は上がり、重大事故発生率は下がった。


 それなのに、生存結果を含む分岐も減っている。


「これ……」


「まだです」


「分かってます」


 高城を見る。


「でも、変じゃないですか?」


「何がです?」


「安全性が上がって、重大事故発生率が下がった」


「はい」


「なのに、生存結果を含む分岐は減った」


「その事実だけなら、その通りです」


「普通に考えたら逆じゃない?」


「普通とは?」


「安全になれば、生き残る未来が増える」


「それは一つの考え方です」


「ですよね」


「ただし、分岐候補数そのものも減っています」


「…………」


 高城が数字を書く。



『1,284 37』


『1,196 34』


『1,171 31』



「例えば」


 高城が言う。


「分岐候補そのものが整理されているだけかもしれない」


「整理?」


「似た結果が統合されている。成立しなくなった未来が除外されている。あるいは、観測できる範囲が変化している」


「なるほど」


「もちろん、全部仮説です」


「はい」


「そしてもう一つ」


「何です?」


「数だけでは分かりません」


「…………」


「三十七の生存分岐があったとき、それぞれがどの程度成立し得たのか」


「分からない」


「はい。三十一になった現在も同じです」


「じゃあ」


 俺は数字を見る。


「三十一になったから悪化したとは言えない」


「言えません」


「良くなったとも?」


「言えません」


「便利な言葉だなあ」


「分からないものを、分からないと言っているだけです」


「研究者って大変ですね」


「慎吾さんほどではありません」


「俺?」


「あなたは数字を見るたびに一喜一憂するので」


「最近我慢してますよ」


「今日も『良くなった?』と聞きました」


「一回だけやん」


「重大事故発生率でも聞きかけました」


「顔?」


「顔です」


「ほんと嫌だ、この顔」


 高城が少し笑った。


 俺も椅子の背にもたれる。


 でも、一つ気になった。


「高城さん」


「はい」


「何で今、数字が変わったんでしょうね」


「分かりません」


「HOSHIMI、何か変えた?」


「細かな修正は続けています」


「どんな?」


「危険判定の重複処理、警告の優先順位、複数の安全機構が競合した場合の処理などです」


「…………」


「分かりません?」


「半分くらい」


「十分です」


「褒められた」


「ただ」


 高城が画面を見る。


「以前、美咲さんの発言をきっかけに設計思想そのものを見直したときほど、大きな変更はしていません」


「それでも数字は変わった」


「はい」


「じゃあ……」


 そこで止まる。


 高城が俺を見る。


「何です?」


「いや」


「言ってください」


「俺たちが変わったから?」


「…………」


「HOSHIMIだけじゃなくて」


 昨日は百七十九日を見た。


 でも深追いしなかった。


 三日待つと決めた。


 その前には結衣の絵が〇円になり、死亡予定日は変動中になった。


 百八十六日の使い方を考え、家族で動物園へ行った。


 未来ばかり見ないとも決めた。


「俺たちの行動も、計算に入ってる可能性ってあります?」


 高城は、すぐには答えなかった。


「あります」


「お」


「ただし」


「分かってます」


「可能性です」


「はい」


「HOSHIMI安全性という表示が、純粋にシステムだけを評価しているとは限りません」


「…………」


「運用する人間。導入される地域。事故が起きる状況。慎吾さんたちの行動」


「そういうのも?」


「含まれている可能性はあります」


「でも分からない」


「はい」


「結局そこ」


「そこが研究です」


「深いな」


「普通です」


 高城は記録を閉じた。


「今日はここまでにしましょう」


「え?」


「何です?」


「もう終わり?」


「既存項目を確認すると言ったでしょう」


「もうちょっと」


「見ません」


「まだ何も言ってない」


「接触までの日数でしょう」


「…………」


「顔です」


「この顔、マスクしたほうがいい?」


「目で分かると思います」


「詰んだ」


 時計を見る。


 まだ八時半前。


「あと二日ですよね」


「はい」


「明日も見ない」


「はい」


「明後日」


「三日目ですね」


「その日に見る」


「私と一緒に」


「はい」


「美咲さんにも共有してください」


「もちろん」


「黒瀬さんは?」


「どうします?」


「今回は接触までの日数だけです。黒瀬さん自身も影響を警戒していますし、同席は求めないほうがいいでしょう」


「分かりました」


 立ち上がる。


 帰ろうとして、もう一度紙を見る。



【HOSHIMI安全性:69.1%】


【重大事故発生率:10.1%】


【分岐候補数:1,171】


【生存結果を含む分岐:31】



 良くなったように見える数字と、悪くなったように見える数字。


 でも今の俺たちには、まだその意味を正確に判断できない。


「高城さん」


「何です?」


「数字って面倒ですね」


「未来価格を見る人が言います?」


「見えるから言ってるんですよ」


 最初は、数字が見えれば未来が分かると思っていた。


 高ければ得で、安ければ損。


 それくらい単純だった。


 でも今は、数字が見えるほど分からないことが増えていく。


 高城が資料を片づけながら言った。


「だから、一つずつです」


「はい」


「今日は四つ確認した」


「明日は見ない」


「明後日は接触までの日数」


「はい」


「それで十分です」


「…………」


「何です?」


「高城さん」


「はい」


「俺より俺の扱い上手くなってません?」


「実績がありますから」


「またそれか」


 研究室を出た。



     ◇



 家に帰ると。


「パパ!」


「ただいま」


「おそい!」


「昨日も言われた気がする」


「きょうも!」


「すみません」


 結衣が俺のところへ走ってくる。


「みて!」


「ゼロ?」


「うん!」


 差し出されたゼロを見る。


 象のシール。


 朝と同じ。


「取れてないね」


「ちがう!」


「何が?」


「ここ!」


 結衣が指差す。


 象のシールの横に、小さな星のシールが増えていた。


「星?」


「うん!」


「何で?」


「ママにもらった!」


 美咲を見る。


「シール帳にあったけん」


「ぞうさんと、おほしさま!」


「豪華になったな」


「ゼロ、かっこいい?」


「かっこいいです」


「やった!」


 結衣が床へ置く。


 ウィーン。


 象と星を貼ったゼロが歩いていく。


 ウィーン。


「…………」


 星。


 ほんの一瞬だけ、HOSHIMIと星見事故という言葉が頭をよぎった。


 でも。


「パパ!」


「ん?」


「みて!」


 ウィーン。


 ゴン。


「ゼロー!」


「…………」


 俺は笑った。


「何で笑うん!」


「いや、ごめん」


「ゼロたおれた!」


「はいはい」


 結衣のところへ行き、ゼロを起こす。


「ほら」


「ありがと!」


 結衣が受け取る。


「慎吾」


 美咲がキッチンから俺を呼んだ。


「何?」


「どうやった?」


「数字、変わってた」


「HOSHIMI?」


「うん」


 結衣に聞こえないよう、少し声を落とす。


「安全性は六十九・一%。重大事故発生率は十・一%」


「良くなった?」


「たぶん」


「たぶん?」


「正確には、良くなったように見える」


「高城さんに教育されとるね」


「でしょう?」


「で?」


「分岐候補数は千百七十一」


「うん」


「生存結果を含む分岐は三十一」


「前いくつやった?」


「三十四」


「減ったん?」


「うん」


 美咲の表情が少し曇る。


「悪いん?」


「分からん」


「…………」


「分岐全体も減ってるし、一個一個の可能性も分からん。だから、数が減っただけで悪くなったとは言えないって」


「高城さんが?」


「うん」


「慎吾は?」


 少し考える。


「気になる」


「うん」


「でも、まだ決めない」


 美咲が俺を見る。


「成長したね」


「四十一歳です」


「知っとる」


「今日二回目なんよ、それ」


 美咲が笑う。


「接触の数字は?」


「見てない」


「ほんと?」


「高城さんにも同じこと聞かれた」


「信用ないね」


「夫としては?」


「それは別」


「よかった」


「パパ!」


 結衣が呼ぶ。


「何?」


「ゼロ!」


「またぶつかった?」


「ちがう!」


「じゃあ何?」


「パオーン!」


「…………」


「パオーン!」


「それ、まだ続くん?」


「パパも!」


「パオーン」


「ちがう!」


「何が正解なん!?」


 結衣が笑う。


 美咲も笑う。


 俺も笑った。


 頭の中には、いくつもの数字がある。


 六十九・一。


 十・一。


 千百七十一。


 三十一。


 そして、百七十九。


 でも、今夜はもう見ない。


 数字が気になるから見るんじゃない。


 必要なときに、必要なものを見る。


 そのために高城がいて、美咲がいて、黒瀬もいる。


 俺一人で決めないと決めたんだから、三日くらい待てる。


 ……たぶん。


「慎吾」


「何?」


「今、たぶんって思ったやろ」


「何で分かるん!?」


「顔」


「もう嫌だこの顔!」


 美咲が笑った。


 結衣も笑う。


 その横を、ゼロが進んでいく。


 ウィーン。


 象と星を貼りつけたまま。


 今度は壁にぶつからず、少しだけ長く進んだ。

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