第5話 五百円が六万円
「当店でしたら――五万八千円ですね」
「…………」
俺は黙った。
聞き間違いかと思った。
「五万……八千円?」
「はい」
店員――いや、さっき奥から出てきた年配の男性が頷いた。
目の前には、昨日フリーマーケットで買った古びた腕時計。
購入価格。
五百円。
買取価格。
五万八千円。
「…………」
百十六倍。
頭がおかしい。
「もちろん、もう少し状態が良ければ上乗せできます。ただ、こちらはベルトの劣化もありますし、内部のオーバーホールも必要ですので」
「あ、はい」
「ただ、この年代の個体としては悪くありません。五万八千円でしたら、すぐにお支払いできます」
「…………」
俺は時計を見る。
【現在価格:68,000円】
【10年後の価格:1,800,000円】
六万八千円。
店の買取価格は五万八千円。
差額一万円。
店だって商売だ。
買い取ったあとに整備して、利益を乗せて売る。
そう考えれば自然だ。
むしろ。
能力が示している現在価格が、かなり正確だという証拠でもある。
「どうされますか?」
「…………」
俺は迷った。
五百円。
それが今なら五万八千円になる。
普通なら即売る。
だが俺には見えている。
【10年後の価格:1,800,000円】
百八十万円。
十年持っていれば。
五万八千円どころじゃない。
「……ちょっと考えていいですか?」
「もちろんです」
男性は穏やかに笑った。
◇
店内の隅にある椅子へ座る。
時計を手に。
スマホの計算機を開いた。
五百円。
↓
五万八千円。
今売れば。
約五万七千五百円の利益。
一方。
十年後。
百八十万円。
「百八十万かぁ……」
強い。
めちゃくちゃ強い。
五百円で買った物が百八十万円。
夢がある。
でも。
「十年……」
長い。
俺に残されている時間。
結衣の絵に表示された数字。
三千六百五十日。
ほぼ十年。
時計が百八十万円になる頃。
娘は――。
「…………」
考えるな。
いや。
考えろ。
だからこそ。
俺は金を増やそうとしている。
十年後に金持ちになっても意味がない。
十年後までに未来を変えるために、今、金が必要なんだ。
だったら。
五万八千円を取るべき?
「……いや」
それも違う。
俺は時計を見る。
【10年後の価格:1,800,000円】
これは貴重だ。
五百円で手に入れた、将来百八十万円になる資産。
今すぐ手放す必要はない。
じゃあどうする?
「二種類に分けるか」
声に出していた。
近くにいた店員がこちらを見る。
「あ、すみません」
恥ずかしい。
俺はスマホのメモを開く。
①長期保有
未来価格が異常に高い物。
今売るより、持っていたほうが圧倒的に得な物。
②短期売却
販売価格より現在価格が大幅に高い物。
未来価格にこだわらず、すぐ売って現金化する。
「これだ」
全部を十年持つ必要はない。
未来価格が高い物は残す。
現在価格との差が大きい物は売る。
短期売却で軍資金を増やして。
その金で、もっと大きな物を買う。
そして一部を長期資産として残す。
「……俺、投資家みたいじゃない?」
昨日まで株で四万円以上吹き飛ばしていた男の発言とは思えない。
◇
「すみません」
「はい」
俺は年配の男性へ時計を返した。
「今回は、売らずに持って帰ります」
「承知しました」
嫌な顔はされなかった。
「大切になさってください。整備される場合は、当店でも承れますよ」
「ありがとうございます」
俺は時計を受け取る。
五百円で買った時計。
今なら六万八千円。
十年後。
百八十万円。
こいつは。
俺の長期保有第一号だ。
「ちなみに」
「はい?」
「こういう時計って、他にも値段が上がることあるんですか?」
「もちろんありますよ」
男性がショーケースを見る。
「アンティーク時計は面白いですよ。希少性、ブランド、状態、製造数、歴史的背景……さまざまな理由で価格が変わります」
「へえ……」
「ただし、上がるものばかりではありません」
男性は笑う。
「十年後の値段なんて、誰にも分かりませんからね」
「…………」
俺も笑った。
「ですよね」
俺以外は。
◇
せっかくなので。
俺は店内を見て回ることにした。
昨日までは値札を見ただけで逃げ出したくなる店だった。
でも今は違う。
ショーケース。
時計がずらりと並んでいる。
販売価格。
二十八万円。
見る。
【現在価格:260,000円】
【10年後の価格:190,000円】
「下がるんだ」
次。
販売価格。
四十五万円。
【現在価格:430,000円】
【10年後の価格:920,000円】
「おお」
倍以上。
次。
販売価格。
百二十万円。
【現在価格:1,150,000円】
【10年後の価格:3,100,000円】
「すげぇ」
でも買えない。
百二十万円なんて持っていない。
次。
販売価格。
七万八千円。
【現在価格:74,000円】
【10年後の価格:24,000円】
「これは買ったらダメなやつ」
面白い。
未来が。
数字になって並んでいる。
普通の人には全部、
「将来上がるかもしれない時計」
だ。
でも俺には。
上がる。
下がる。
ほぼ変わらない。
それが見える。
俺はショーケースの前をゆっくり歩く。
そして。
「…………」
一つの時計で足が止まった。
販売価格。
340,000円。
【現在価格:320,000円】
【10年後の価格:9,200,000円】
「…………」
九百二十万円。
思わず二度見する。
もう一度。
【10年後の価格:9,200,000円】
「マジかよ」
三十四万円が。
十年後。
九百二十万円。
約二十七倍。
「お客様?」
「あ、すみません」
「そちら、気になりますか?」
「いや……」
欲しい。
めちゃくちゃ欲しい。
でも。
買えない。
俺の小遣い口座。
ネクサリンク・バイオを買ったせいで、ほぼ空。
「…………」
目の前に。
未来の九百二十万円がある。
俺にはそれが分かる。
なのに。
今の三十四万円がない。
「くっそ……」
未来が見えても。
金がなければ何も買えない。
当たり前の現実を突きつけられた。
◇
帰宅後。
俺は未来価格ノートを開いた。
新しいページ。
今日決めたルールを書く。
【未来価格運用ルール】
一。
家計には手を出さない。
二。
未来価格だけを信用して全額突っ込まない。
三。
長期保有と短期売却を分ける。
四。
短期売却で軍資金を増やす。
五。
家族に迷惑をかけない。
「……よし」
五番が一番大事だ。
美咲にバレたら殺される。
いや。
殺されはしない。
たぶん。
「パパー!」
結衣が部屋へ入ってきた。
「何してるの?」
「勉強」
「パパもべんきょうするの?」
「パパもするんです」
「なんのおべんきょう?」
「お金」
「おかね?」
「そう」
結衣が未来価格ノートを覗く。
もちろん読めない。
「おかねもちになる?」
「…………」
俺は少し考えた。
「なるよ」
「ほんと?」
「ああ」
絶対に。
「なんで?」
俺は結衣の頭を撫でた。
「結衣とママを守れるくらいにな」
「?」
意味は分かっていない。
「じゃあ」
結衣が両手を広げた。
「おっきいおうちかって!」
「急に要求が具体的だな」
「おにわも!」
「資産形成の難易度上げないでもらえる?」
結衣は笑いながら部屋を出ていった。
俺も笑った。
そのあと。
机の引き出しへ時計をしまう。
【現在価格:68,000円】
【10年後の価格:1,800,000円】
俺の最初の資産。
でも。
これだけじゃ足りない。
百八十万円でも。
九百二十万円でも。
足りない。
娘の未来を変えるために何が必要なのか。
まだ分からないから。
だったら。
できるだけ多く持っておく。
金も。
選択肢も。
時間も。
「まずは軍資金だな」
今度は。
十年後じゃない。
今日買って、明日売れる物を探す。
◇
次の休日。
俺は一人で家を出た。
目的地。
市内のリサイクルショップ。
未来価格ノート。
スマホ。
そして。
残り少ない小遣い。
「さて」
自動ドアが開く。
店内。
家電。
カメラ。
楽器。
時計。
オーディオ。
ゲーム。
何千点という中古品。
その全部に。
俺だけが見える数字が浮かんでいる。
「……宝探し開始だな」
最初の棚。
ハズレ。
二つ目。
ハズレ。
三つ目。
ハズレ。
そして。
カメラコーナー。
古いレンズ。
販売価格。
12,000円。
【現在価格:47,000円】
【10年後の価格:96,000円】
「…………」
俺は笑った。
「いた」
今度は。
十年待つ必要なんてない。
俺はそのレンズを手に取った。
五百円の時計は売らなかった。
だからまだ。
俺はこの能力で一円も稼いでいない。
でも。
それも今日で終わる。
未来価格で稼ぐ、最初の一日が始まった。
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