第4話 500円のガラクタ
買ってしまった。
五百円。
古びた腕時計。
俺はそれを手のひらに乗せたまま、しばらく動けなかった。
【現在価格:68,000円】
【10年後の価格:1,800,000円】
何度見ても変わらない。
六万八千円。
そして十年後には百八十万円。
それを俺は――五百円で買った。
「……百三十六倍」
現在価格だけでも、だ。
五百円が六万八千円。
昨日まで百四十八倍の株を握って喜んでいた俺だが、あっちは十年後の話。
しかも現在絶賛暴落中。
こっちは違う。
今、六万八千円の価値がある。
「パパ?」
「ん?」
結衣が俺を見上げていた。
「それ、かっこいい?」
「え?」
「とけい」
「ああ」
改めて見る。
正直。
「……汚いな」
「きたないね」
「お前、容赦ないな」
革のベルトは傷だらけ。
金属部分もくすんでいる。
文字盤も、今どきの腕時計と比べれば地味だ。
少なくとも、六万八千円には見えない。
ましてや百八十万円なんて。
「慎吾ー」
少し離れたところから美咲が呼ぶ。
「結衣、こっちに服あるよ」
「いくー!」
結衣が走っていく。
俺も時計をポケットへ入れ、美咲たちの後を追った。
◇
それから一時間。
俺はフリーマーケットを舐めるように見て回った。
いや。
表現が悪いな。
普通に見て回った。
ただし、目だけは本気だった。
値札。
千円。
【現在価格:800円】
「高い」
次。
値札は三千円。
【現在価格:1,200円】
「高い」
次。
値札は五百円。
【現在価格:40円】
「強気すぎるだろ」
売っている本人には絶対言えない。
しかし面白い。
値札と、本当の現在価値。
それが俺には同時に見える。
普通の人なら、
「これ安いのかな?」
「掘り出し物かな?」
と悩むところを、俺には答えが見えている。
ただ。
そんなに簡単ではなかった。
百点。
二百点。
と見ていっても、ほとんどの商品は値札と現在価格に大きな差がない。
むしろ、販売価格のほうが高い物も多い。
「そりゃそうか」
掘り出し物がそこら中に転がっていたら、みんな金持ちになっている。
腕時計がおかしかったのだ。
販売価格八百円。
現在価格六万八千円。
しかも五百円に値引き。
「……やっぱすげぇな」
思わずポケットの時計を触る。
そこで。
「パパー!」
「はいはい」
結衣がまた呼んでいる。
今度は玩具の店。
「これほしい!」
結衣が持っているのは、小さなぬいぐるみだった。
値札。
三百円。
見る。
【現在価格:180円】
【10年後の価格:0円】
「…………」
「パパ?」
「……買おう」
「やったー!」
百二十円損している。
しかも十年後にはゼロ円。
だが。
そんなことはどうでもいい。
三百円払う。
結衣はぬいぐるみを抱いて大喜び。
「かわいい!」
「よかったな」
現在価格百八十円。
娘の笑顔。
値段なし。
「……なるほどな」
能力を手に入れてから、物を見るたび値段ばかり気にしていた。
でも。
安いから買う。
高くなるから買う。
それだけじゃない。
欲しいから買う。
喜ぶから買う。
そういう金の使い方もある。
「何ニヤニヤしてんの?」
美咲が横から聞いてくる。
「いや、別に」
「怪しい」
「最近そればっかり言うな」
「最近あんたが怪しいから」
否定できない。
◇
帰宅。
俺は早速、買った時計をテーブルに置いた。
美咲が覗き込む。
「それ買ったん?」
「ああ」
「いくら?」
「五百円」
「へえ」
反応が薄い。
「もうちょっと興味持ってよ」
「だって五百円やろ?」
「そうだけど」
「好きなん? そういう時計」
「いや、全然」
「じゃあなんで買ったん」
「…………」
確かに。
俺は時計に詳しくない。
機械式時計とクオーツ時計の違いだって、なんとなくしか分からない。
「なんか……いいなと思って」
「ふーん」
美咲は完全に興味を失い、洗濯物を片付け始めた。
俺は時計を持って自分の部屋へ移動した。
机に置く。
【現在価格:68,000円】
【10年後の価格:1,800,000円】
「さて」
まず。
これが何なのか調べよう。
文字盤を見る。
小さなロゴ。
英字。
裏蓋には数字。
メーカー名らしき文字をスマホへ入力。
検索。
「……海外メーカーか」
聞いたことがない。
いや。
俺が時計に興味ないから知らないだけかもしれない。
さらに調べる。
画像検索。
似たモデルが出てくる。
「これか?」
見た目はかなり近い。
古い機械式時計。
製造年代は数十年前。
アンティーク。
「へえ……」
価格を見る。
五万円。
七万円。
十万円。
「おお」
本当に六万八千円くらいする。
能力の表示と合っている。
テンションが上がる。
「マジじゃん」
五百円が六万八千円。
もし売れば。
六万七千五百円の差。
もちろん手数料やら何やらあるだろうが、それでも十分だ。
「これを繰り返せば……」
五百円。
六万円。
その六万円で次の商品。
十万円。
二十万円。
百万円。
俺の頭の中で、金が勝手に増殖し始める。
「いける」
株みたいに十年待つ必要はない。
今、安く売られている物を探せばいい。
俺の能力なら、それが分かる。
「いけるぞ、これ」
俺は笑った。
そして。
ふと、検索結果の一文が目に入った。
『アンティーク市場では精巧な偽物も多数流通しています』
「…………」
笑顔が消えた。
もう一度読む。
偽物。
コピー品。
文字盤だけ交換された物。
部品を組み合わせた物。
素人には判別が難しい。
「…………待てよ」
俺は手元の時計を見る。
古い。
汚い。
出所不明。
フリーマーケットで八百円。
しかも店主は五百円でいいと言った。
「これ……」
めちゃくちゃ怪しくない?
というか。
冷静に考えたら。
六万八千円の時計が五百円で売られているほうがおかしい。
「偽物だったら?」
俺は能力表示を見る。
【現在価格:68,000円】
【10年後の価格:1,800,000円】
「いや、でも六万八千円って出てるし」
だったら本物?
いや。
そもそも俺は、この能力の「現在価格」が何を意味しているのか完全には理解していない。
市場価格?
所有者にとっての価値?
新品価格?
査定額?
もし、
『本物だった場合の価格』
を表示しているだけだったら?
「…………」
急に怖くなる。
五百円だから金銭的なダメージはない。
問題はそこじゃない。
もし偽物だったら。
能力の使い方そのものが間違っている。
それが怖い。
「確かめるしかないか」
スマホで検索する。
アンティーク時計。
鑑定。
買取。
専門店。
少し離れた街に、評判の良さそうな店があった。
「明日……行ってみるか」
◇
翌日。
仕事が終わったあと。
俺は時計を持って専門店へ向かった。
店構えからして緊張する。
フリーマーケットとは世界が違う。
ショーケースには、
三十八万円。
七十二万円。
百二十万円。
「たっか……」
昨日までなら絶対入らない店だ。
ドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた声の男性店員。
「あの」
「はい」
「時計を見てもらいたいんですけど」
「査定でしょうか?」
「いや……とりあえず、これが何なのか知りたくて」
「拝見します」
俺は時計を差し出した。
店員が受け取る。
最初は普通だった。
「かなり古いですね」
「そうみたいです」
「少々お待ちください」
ルーペを取り出す。
文字盤。
裏蓋。
リューズ。
細かく確認していく。
俺は黙って待つ。
一分。
二分。
店員が裏蓋の刻印を見る。
「…………」
手が止まった。
ん?
もう一度見る。
店員の表情が変わった。
「あの」
「はい?」
「こちら、どちらで購入されました?」
来た。
嫌な質問。
「フリーマーケットです」
「フリーマーケット?」
「はい」
「ちなみに、おいくらで?」
言いたくない。
なんか恥ずかしい。
「……五百円です」
「五百円?」
「はい」
店員が時計を見る。
俺を見る。
また時計を見る。
完全に、
こいつ何言ってんだ?
という顔である。
「少々お待ちいただけますか?」
「はい」
店員が時計を持って奥へ消えた。
「…………」
怖い。
何?
警察呼ばれる?
盗品?
まさか。
五百円の時計を買っただけだぞ。
しばらくすると。
店員が戻ってきた。
一人ではない。
年配の男性が一緒だった。
おそらく店長か。
「お待たせしました」
「はい」
年配の男性が俺を見る。
「こちらの時計ですが」
俺は息を飲む。
「はい」
「かなり状態は悪いです」
「……はい」
やっぱり?
「ベルトも交換が必要でしょう。内部も一度オーバーホールしたほうがいい」
「はい」
ダメなのか?
五百円のガラクタだった?
能力。
間違ってた?
俺の頭に、結衣の絵が浮かぶ。
もしこの能力が信用できないなら。
あの三億円も。
死亡予定日も。
全部――。
「ただ」
男性が続ける。
「時計そのものは問題ありません」
「え?」
「本物です」
「…………」
一瞬。
意味を理解するのに時間がかかった。
「本物?」
「はい」
男性は時計をケースの上へ置いた。
「この年代の、このモデルで間違いないでしょう」
俺は時計を見る。
同時に表示を見る。
【現在価格:68,000円】
【10年後の価格:1,800,000円】
「じゃあ……」
喉が乾く。
「これ、価値あるんですか?」
男性は少し考えた。
「そうですね」
そして。
「現状のままでしたら――」
俺は無意識に拳を握る。
「六万八千円前後でしょうか」
「…………」
背中がぞくっとした。
六万八千円。
同じ。
一円単位まで、という意味ではない。
でも。
能力が見せていた数字と。
完全に一致した。
男性が何か説明している。
市場価格。
状態。
希少性。
そんな言葉が聞こえる。
でも俺の頭には入ってこなかった。
俺が見ていたのは。
時計の上に浮かぶ数字だけだった。
【現在価格:68,000円】
間違っていなかった。
俺は未来だけじゃない。
今の本当の価値まで見ることができる。
そして。
男性が何気なく言った。
「もしよろしければ、こちらで買い取ることもできますよ」
「え?」
「もちろん、状態を考慮してのお値段にはなりますが」
「いくらですか?」
男性は時計をもう一度確認する。
そして言った。
「そうですね……」
俺は待った。
「当店でしたら――」
提示された金額を聞いた瞬間。
俺は思った。
五百円。
たった五百円から。
俺の人生が。
本当に動き始めた。




