第3話 十年後なら勝っている
翌朝。
目が覚めて最初にしたことは、娘の生存確認でも歯磨きでもなかった。
株価の確認だった。
「…………六十八円」
ネクサリンク・バイオ。
昨日の終値、七十三円。
現在、六十八円。
俺が買ったときは百二十六円。
「まだ下がるんかい」
朝からテンションが下がる。
というか、市場が開く前なのに気配値の時点でもう嫌な感じがする。
俺はスマホを睨んだ。
【現在価格:68円】
【10年後の価格:18,740円】
「お前、ほんとに一万八千円になるんだろうな?」
もちろん返事はない。
「慎吾」
「はい」
背後から声。
振り返る。
美咲が立っていた。
「朝から何してるん?」
「……株」
「株?」
「うん」
「いつから株なんか始めたん?」
「昨日」
「昨日!?」
しまった。
正直に答えすぎた。
美咲が俺のスマホを覗こうとする。
反射的に隠した。
「なんで隠すん」
「いや」
「いくら買った?」
「…………」
「慎吾?」
「十万」
「十万円!?」
「俺の小遣いだから!」
反射的に言い訳する。
「小遣いなら何してもいいって話じゃないやろ」
「いや、でも十年後には――」
危ない。
口を閉じる。
「十年後?」
「……なんでもない」
美咲の目が細くなる。
「怪しい」
「怪しくない」
「めっちゃ怪しい」
そこへ。
「ママー」
救世主が現れた。
寝起きの結衣だ。
髪が爆発している。
「おなかすいた」
「はいはい。パン食べよっか」
美咲がキッチンへ向かう。
助かった。
結衣。
お前は父親の救世主だ。
「パパ」
「ん?」
「ママにおこられた?」
「怒られてない」
「おこられてたよ」
「四歳児って意外と客観視できるんだな」
◇
その日の昼休み。
俺は会社の休憩室ではなく、車の中にいた。
助手席には昨日買ったノート。
表紙には油性ペンで、
『未来価格ノート』
と書いてある。
我ながらダサい。
でも分かりやすい。
「さて」
今日は能力を徹底的に調べる。
まずは昨日のネクサリンク・バイオ。
株価。
六十二円。
「…………」
見なかったことにする。
いや、記録しないと意味がない。
俺はノートへ書く。
ネクサリンク・バイオ。
購入時:126円。
昨日:73円。
現在:62円。
10年後:18,740円。
含み損――。
「計算したくねえな」
やめよう。
精神衛生上よろしくない。
代わりに他の会社を見る。
まずは誰でも知っている大企業。
【現在価格:4,820円】
【10年後の価格:6,110円】
約二十七パーセント上昇。
「十年でこれか」
悪くはない。
でも俺の能力を使うなら物足りない。
次。
【現在価格:7,240円】
【10年後の価格:5,880円】
「下がるんだ」
有名企業だから上がるとは限らない。
次。
【現在価格:1,840円】
【10年後の価格:0円】
「……え?」
指が止まった。
ゼロ。
上場企業の株が、十年後にゼロ円。
「倒産……?」
いや。
上場廃止かもしれない。
買収されて会社そのものがなくなる可能性もある。
理由は分からない。
分かるのは、
十年後には、この株に値段がついていない。
ということだけ。
「怖っ」
俺は会社名をノートに書いた。
未来価格――0円。
備考。
『要観察。絶対買わない。』
次。
現在三百四十円。
十年後、二千百円。
約六倍。
「おお」
これなら普通なら飛びつくだろう。
でも。
ネクサリンク・バイオ。
現在六十二円。
十年後、一万八千七百四十円。
「……感覚壊れるな」
六倍を見てもショボく感じる。
昨日までの俺なら、十年で六倍なんて聞いたら腰を抜かしている。
なのに今は、
「六倍かぁ」
である。
人間の慣れって怖い。
そこから三十社ほど調べた。
結果。
分かったことがいくつかある。
一つ。
未来価格は必ずしも現在より高いわけではない。
二つ。
0円になる物もある。
三つ。
会社の知名度と未来価格は関係ない。
そして四つ。
「百倍なんて全然ねぇ……」
ネクサリンク・バイオがおかしい。
四十社。
五十社。
六十社。
見ても、せいぜい十倍程度。
百四十八倍なんて一社もない。
つまり。
「やっぱり、あいつ何かあるな」
ネクサリンク・バイオ。
今は誰からも見放されている会社。
でも十年後。
何かが起きる。
俺はノートの会社名を丸で囲んだ。
◇
次に試したのは、株以外だった。
仕事をしながら。
いや。
ちゃんと仕事はしている。
しているが。
目に入った物を見るくらいは許してほしい。
会社のパソコン。
【現在価格:84,000円】
【10年後の価格:0円】
「まあそうだよな」
十年後まで使ってたら逆に怖い。
デスク。
【現在価格:18,000円】
【10年後の価格:3,200円】
椅子。
【現在価格:24,000円】
【10年後の価格:6,800円】
工具箱。
【現在価格:31,000円】
【10年後の価格:42,000円】
「上がるんだ」
意外だ。
試しにメーカー名を確認。
スマホで調べる。
限定モデルらしい。
「なるほど……」
次。
先輩が机に置いている古い腕時計。
【現在価格:220,000円】
【10年後の価格:380,000円】
「先輩」
「ん?」
「その時計、いくらでした?」
「これ? 昔十五万くらいだったかな」
「へえ」
「欲しい?」
「いや、別に」
「じゃあ何で聞いたん」
「なんとなくです」
「お前、今日変だぞ」
昨日からです。
とは言えない。
さらに。
自動販売機。
車。
工具。
靴。
カバン。
とにかく見る。
すると、一つ面白いことに気づいた。
同じ種類の商品でも、未来価格が全然違う。
普通の腕時計。
十年後、ほぼ値下がり。
でも一部だけ上がる。
普通のカメラ。
値下がり。
でも古い人気モデルは上がる。
つまり。
「……株じゃなくてもいいんだ」
俺は小さく呟いた。
未来に値上がりする物。
それを今買う。
ただし。
ここで昨日の問題がある。
十年待つ必要がある。
「それじゃ遅いんだよなぁ」
俺に残されている時間は約十年。
十年後に金持ちになっても意味がない。
その前に。
結衣の未来を変えるために金を使える状態にしなければならない。
「何かないか……」
未来価格ではなく。
今すぐ金になる方法。
◇
帰宅後。
夕飯を食べていると、美咲が聞いてきた。
「株どうなった?」
「え?」
「朝見てたやつ」
「…………」
忘れてなかったか。
「順調です」
嘘である。
「ほんと?」
「長期的には」
これは嘘ではない。
たぶん。
「今はいくら?」
「…………」
「慎吾」
「六十二円」
「何が?」
「株価」
「買ったときは?」
「百二十六円」
美咲が箸を止めた。
「半分になってない?」
「まだ半分じゃない」
「ほぼ半分やん」
「十年後を見てほしい」
また言ってしまった。
「なんで十年後なん?」
「長期投資だから」
「昨日始めた人が?」
「…………」
強い。
妻が強い。
結衣がニンジンを箸で転がしながら俺たちを見る。
「パパ、おかねなくなった?」
「なくなってない」
「びんぼう?」
「その単語どこで覚えたの?」
「ほいくえん」
「保育園すげぇな」
美咲が笑う。
「パパ、株で失敗したらしいよ」
「失敗してません!」
「おかねなくなった?」
「なくなってないって!」
「じゃあアイスかえる?」
「買えるよ!」
「じゃあだいじょうぶ」
「四歳児の経済指標、アイスなんだ」
でも。
なんとなく気持ちが軽くなった。
株価が半分になった。
それでも夕飯は普通に食べられる。
娘はアイスの心配をしている。
美咲は呆れながら笑っている。
今はまだ、それでいい。
◇
その夜。
結衣が眠ったあと。
俺は例の絵を確認した。
【現在価格:0円】
【10年後の価格:300,000,000円】
【価格上昇理由:作者死亡】
【死亡予定日まで:3,650日】
「また一日減ったか」
変わっていない。
いや。
日数は変わっている。
でも三億円はそのまま。
「株買ったくらいじゃ、未来は変わらないか」
当たり前か。
まだ何もしていないのと同じだ。
俺は未来価格ノートを開いた。
今日調べた株。
時計。
工具。
カメラ。
いろんな数字が並んでいる。
「十年後……十年後……」
俺が知りたいのは、十年後じゃない。
今、金になる物。
そこで、ふと思った。
「待てよ」
未来価格が見える。
でも。
表示されているのは、本当にそれだけか?
俺は結衣のウサギのぬいぐるみを見る。
【現在価格:500円】
【10年後の価格:3,000円】
「現在価格……」
今まで当たり前すぎて気にしていなかった。
現在価格。
俺が買った値段ではない。
今、その物にどれくらいの価値があるのか。
例えば。
本当は十万円の価値がある物が。
千円で売られていたら?
「…………」
心臓が少し速くなる。
未来を待つ必要なんてない。
現在価格より安く売られている物を探せばいい。
買って。
本来の価格で売る。
「いけるんじゃないか?」
株よりずっと小さい。
億万長者には程遠い。
でも。
今すぐ金を増やせる。
そして、その金を未来へ投資できる。
俺はノートに新しい一文を書いた。
『販売価格 < 現在価格を探す』
「よし」
まずは休日。
中古ショップでも回ってみるか。
スマホで近所の店を検索する。
リサイクルショップ。
骨董品店。
中古カメラ。
フリーマーケット。
「あ」
今週末。
近くの公園でフリーマーケットが開催されるらしい。
ちょうどいい。
プロが値段をつけている店より、一般人が出品するフリマのほうが価格差はありそうだ。
「ここだな」
◇
土曜日。
「パパ、はやくー!」
「待って待って」
結衣が玄関で飛び跳ねている。
結局。
俺一人で行くつもりだったフリーマーケットは、家族三人で行くことになった。
美咲も、
「天気いいし、行ってみようか」
と乗り気だった。
まあいい。
家族サービスもできる。
能力の実験もできる。
一石二鳥だ。
公園へ到着。
駐車場から会場へ歩く。
そして。
俺は入口で立ち止まった。
「……うわ」
服。
食器。
玩具。
本。
家電。
アクセサリー。
時計。
数百。
いや。
千を超えるかもしれない商品が並んでいる。
その一つ一つに。
【現在価格:120円】
【10年後の価格:0円】
【現在価格:800円】
【10年後の価格:150円】
【現在価格:4,200円】
【10年後の価格:1,100円】
無数の数字が浮かんでいた。
「……すげぇ」
俺にとってここは。
フリーマーケットじゃない。
宝探し会場だ。
「パパ!」
「ん?」
「あれ見たい!」
結衣が俺の手を引っ張る。
「はいはい」
その先にあったのは、古い玩具や雑貨を並べた小さな店だった。
結衣はぬいぐるみを見ている。
俺は何気なく、その横を見る。
古びた腕時計。
革のベルトは傷だらけ。
文字盤も少しくすんでいる。
値札。
八百円。
「…………」
俺の足が止まった。
時計の上には。
【現在価格:68,000円】
そして。
【10年後の価格:1,800,000円】
俺はもう一度、値札を見る。
八百円。
時計を見る。
現在価格。
六万八千円。
「……マジ?」
店主のおじさんが俺を見る。
「ああ、それ?」
俺は時計から目を離せない。
おじさんは笑った。
「古いやつだからね」
そして。
何でもないことのように言った。
「それなら――五百円でいいよ」
俺は財布を取り出した。
「買います」
人生で一番速い即決だった。




