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『俺だけ「10年後の値段」が見える。~未来価格で億万長者になるはずが、娘の絵に3億円の値札がついていた~』  作者: かばっち


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第48話 ゼロ円の意味


 翌朝。


「ゼロ円……」


 朝飯を食べながら、また口に出していた。


 向かいに座っていた美咲が俺を見る。


「何回目?」


「何が?」


「ゼロ円って言うの」


「言ってた?」


「朝起きてから三回目」


「そんな言った?」


「言った」


 隣では結衣が卵焼きを食べている。


「パパ、ゼロ?」


「パパはゼロじゃありません」


「ゼロは?」


「そこ」


 床を指す。


 ゼロはテーブルの近くを歩いていた。


 ウィーン。


 少し進んで。


 ゴン。


「…………」


「ぶつかった!」


「朝から元気ですね」


「ゼロえん?」


「そのゼロじゃない」


「ゼロ、ぜろえん?」


「話がややこしくなるからやめようか」


 結衣はよく分かっていないまま笑っている。


 俺も笑った。


 でも、頭の中には昨日見た表示が残っている。



【10年後の価格:0円】


【価格上昇理由:該当なし】



 ずっと目指していた数字。


 三億円をゼロ円にする。


 それが本当に達成された。


 だから嬉しい。


 めちゃくちゃ嬉しい。


 それなのに、もう一つの表示がどうしても引っかかっていた。



【死亡予定日まで:3,9██日】


【死亡予定日:変動中】



「…………」


「慎吾」


「ん?」


「また考えよる」


「顔?」


「顔」


「便利やね、その機能」


「慎吾よりはね」


「俺も便利な能力持ってるんですけど」


「使い方が危なっかしいやん」


「否定できない」


 美咲が味噌汁を一口飲む。


「昨日のこと?」


「うん」


「ゼロ円?」


「それも」


「死亡予定日?」


「…………」


 やっぱり分かるらしい。


「三千九百何日って」


「うん」


「十年より長いよね」


「そうなんよ」


 十年なら、単純に考えて三千六百五十日前後。


 閏年もあるから正確には少し違うけど、三千九百日台なら確実に十年より先だ。


「美咲」


「何?」


「昨日のゼロ円ってさ」


「うん」


「結衣が助かったからじゃなくて」


 言いながら、嫌な考えが少しずつ形になっていく。


「十年後には、まだ生きてるから……とか?」


 美咲の箸が止まった。


「…………」


「慎吾」


「うん」


「それ、高城さんには?」


「まだ」


「聞こう」


「うん」


 俺も、そう思った。



     ◇



 昼休み。


 高城へメッセージを送った。



『昨日の0円について、気になることがあります』



 既読。


 早い。


 返信。



『死亡予定日の数字ですね』



「…………」


 先に言われた。


『そうです』


『電話できますか』


 昨日と同じ。


 文章では済ませたくないらしい。


 人の少ない場所へ移動して、高城へ電話する。


『高城です』


「お疲れさまです」


『お疲れさまです』


「もう分かってるんですね」


『何がです?』


「俺が何聞きたいか」


『ある程度は』


「未来見えてません?」


『見えていません』


「実績?」


『今回は算数です』


「…………」


 何か悔しい。


「三千九百日台」


『はい』


「十年より先ですよね」


『そうですね』


「じゃあ」


 一度、息を吸う。


「結衣の絵がゼロ円になったのって」


『はい』


「十年後の時点では、結衣がまだ生きてるから?」


 電話の向こうが静かになる。


 数秒。


『可能性はあります』


「やっぱり」


『ただし、それだけが理由とは断定できません』


「分かってます」


『本当に?』


「最近そこ疑われすぎじゃない?」


『実績です』


「便利だな、その言葉」


 冗談を言っていても、胸の奥は少し重い。


「高城さん」


『はい』


「もしそうなら」


 一度、言葉を選ぶ。


「俺たちって、未来を消したんじゃなくて、後ろにずらしただけ?」


『その可能性もあります』


「…………」


 思っていたより、その言葉は重かった。


「十一年後に死ぬなら」


『慎吾さん』


「はい」


『まだ十一年後とも決まっていません』


「三千九百日台でしょ?」


『昨日表示されたのは、途中までです』


「…………」


『しかも、死亡予定日そのものが変動中と表示された』


「そうでした」


『ですから今の段階で、何年後に何が起きる、と固定しないほうがいい』


「はい」


 分かっている。


 それでも、少しだけ落ち込む。


「ちょっとショックですね」


『…………』


「昨日、本当にやったと思ったんですよ」


『分かります』


「三億をゼロにした」


『はい』


「結衣の未来を変えた」


『それは間違っていません』


「え?」


 思わず聞き返した。


『慎吾さん』


「はい」


『0円になった意味を、必要以上に小さく考えないでください』


「でも」


『以前は、十年後の結衣ちゃんの絵に約三億円の価値がついていた』


「はい」


『理由は作者死亡』


「はい」


『現在は0円』


「はい」


『理由は該当なし』


「…………」


『その変化そのものは事実です』


「…………」


『少なくとも、慎吾さんたちが最初に見ていた未来から大きく動いている』


 そうだ。


 助かったとは言えない。


 でも、何も変わっていないわけでもない。


「後ろにずれただけでも?」


『それが本当に「だけ」なのかは分かりません』


「…………」


『未来価格。死亡予定日。星見事故の時期。未来改変率。生存分岐』


「はい」


『いろいろな情報が動いています』


「そうですね」


『ですから、昨日の0円はゴールではない』


「…………」


『でも、通過点としてはかなり大きいと思います』


「通過点」


『はい』


 少しだけ、楽になった。


「高城さん」


『何です?』


「こういう励ましもできるんですね」


『失礼ですね』


「研究者だから」


『研究者も人間です』


「最近よく聞くな、それ」


『では、もう一つ』


「何?」


『黒瀬さんにも、昨日の結果は共有しました』


「反応は?」


『会って話したいそうです』


「黒瀬さんが?」


『はい』


「何で?」


『私にも詳しくは』


「珍しい」


『何がです?』


「高城さんが知らない」


『私は何でも知っているわけではありません』


「分かってます」


『本当に?』


「今日は俺が先に言った」


『成長しましたね』


「よし」


『そこを喜ぶんですね』


「最近ちょっと嬉しいんです」


 電話の向こうで、高城が少し笑った気がした。



     ◇



 その日の夜。


 黒瀬と会った。


 場所は以前と同じ、黒瀬の事務所。


「こんばんは」


「どうぞ」


「高城さんから聞きました」


「ええ」


「何か分かったんです?」


「分かった、というほどではありません」


「…………」


「高城さんみたいになってますよ」


「以前からです」


「そうでした」


 応接スペースへ座る。


 テーブルにはコーヒー。


 今日は黒瀬と俺の二人だけだ。


「昨日」


 黒瀬が先に口を開く。


「結衣さんの絵が0円になったそうですね」


「はい」


「おめでとうございます」


「…………」


 予想していなかった。


「黒瀬さん」


「何です?」


「普通におめでとうって言うんですね」


「言いますよ」


「もっと」


「何です?」


「まだ安心するな、とか」


「それは高城さんが言ったでしょう」


「言いました」


「なら私は言いません」


「役割分担?」


「そういうことにしておきましょう」


 少しだけ笑う。


 でも、黒瀬の視線はいつものように静かだった。


「慎吾さん」


「はい」


「昨日、何日と出たんです?」


「正確には分かりません」


「見えなかった?」


「三千九百何日」


「…………」


「下二桁が読めなくて」


「そうですか」


「高城さんとは、十年後にはまだ生きてるから絵が0円なんじゃないかって話しました」


「可能性はありますね」


「黒瀬さんも?」


「ええ」


「じゃあ」


 俺は黒瀬を見る。


「やっぱり俺たちは、死ぬ日を後ろにずらしただけかもしれない?」


 黒瀬は、すぐには答えなかった。


「慎吾さん」


「はい」


「紗奈の話を覚えていますか?」


「もちろん」


「交通事故」


「はい」


「転落事故」


「はい」


「火災」


「はい」


「私は、それを一つずつ消しました」


「…………」


「そして私はずっと、死ぬ日を後ろへずらしていただけなのではないか、と考えた時期があります」


「…………」


 胸が重くなる。


「今は?」


「分かりません」


「…………」


「ただ、慎吾さんと私には一つ大きな違いがあります」


「何です?」


「あなたには、私がいます」


「…………」


「高城さんがいる」


「はい」


「美咲さんもいる」


「…………」


「私は一人でした」


「…………」


「未来が変わったとき、それが良い変化なのか、悪い変化なのか。私は全部、自分で決めていました」


 紗奈。


 事故。


 逃げ続けた未来。


「だから、慎吾さん」


「はい」


「0円を、失敗だったことにしないでください」


「…………」


「失敗?」


「今、少しそう考えたでしょう」


「…………」


 否定できなかった。


「助かったと思ったのに」


「はい」


「実は延びただけかもしれない」


「…………」


「だから」


 俺は自分の手を見る。


「ちょっとだけ、ぬか喜びだったのかなって」


「違います」


 黒瀬は、はっきり言った。


「死ぬと見えていた未来を、一日でも先へ動かすことがどれだけ大きなことか。私は知っています」


 声は静かだった。


 でも、その言葉だけは強かった。


「一日でも、一か月でも、一年でも、未来を動かせたなら、その時間には意味があります。その間に、新しい選択肢が生まれる」


「はい」


「今はまだ知らない人と、出会うかもしれない」


 その言葉で、頭に浮かんだ。



【接触まで:186日】



「…………」


 黒瀬が俺の顔を見る。


「何です?」


「接触」


「はい」


「百八十六日」


「ええ」


「その間に、何か変えられるかもしれない」


「そうです」


 黒瀬はそれ以上、接触について意味づけしなかった。


 ただ、時間が増えれば、それだけ選べることも増える。


 その事実だけは、俺にも分かった。


「四人目……」


 思わず口にすると、黒瀬がすぐに俺を見る。


「慎吾さん」


「分かってます」


「まだ私は何も」


「四人目と接触対象が同じとは限らない」


「…………」


「でしょ?」


「高城さんに鍛えられましたね」


「最近みんなそれ言う」


「良いことです」


「黒瀬さんまで」


 少し笑った。


 でも、何となく分かってきた。


 ゼロ円になったからといって、結衣が助かった証明にはならない。


 未来との戦いが終わった数字でもない。


 それでも、三億円だった未来を俺たちはここまで動かした。


「黒瀬さん」


「はい」


「俺、目標変えたほうがいいですかね」


「目標?」


「未来価格ノート」


「…………」


「最初のページに」


 思い出す。



『目標 3億円 → 0円』



「それ」


「達成しましたね」


「はい」


「なら」


 黒瀬が少しだけ笑う。


「次を書けばいい」


「次?」


「ええ」


「何て?」


「それは、慎吾さんが決めることです」


「…………」


「こういうとこだけ丸投げしますよね」


「あなたの娘でしょう」


「そうですね」


 考える。


 死亡予定日を消す。


 星見事故をなくす。


 百八十六日後の接触を調べる。


 どれも大事だ。


 でも、それは全部手段だ。


 俺が本当に欲しいのは、もっと単純な未来だった。



     ◇



 家に帰った。


 午後十時四十八分。


「ただいま」


「おかえり」


 美咲がリビングにいた。


「結衣は?」


「寝た」


「ゼロは?」


「一緒」


「また?」


「抱いて寝とる」


「好きやなあ」


 自分の部屋へ行く。


 未来価格ノートを開き、最初のページを見る。



『目標 3億円 → 0円』



「…………」


 達成した。


 初めて、本当に。


 その下へペンを置く。


「何書くん?」


 後ろから美咲の声。


「うわっ」


「何そんな驚いとるん」


「最近後ろから来るの流行ってる?」


「何書くん?」


「次の目標」


「次?」


「うん」


 美咲が隣からノートを見る。


「何にするん?」


「考えた」


「うん」


 書く。



『次の目標』



 少し迷って、その下へ続けた。



『結衣の15歳の誕生日を、家族で祝う』



「…………」


 美咲が黙った。


「どう?」


「ゼロは?」


「そこ?」


「結衣に怒られるよ」


「じゃあ……」


 少し考えて、横に書き足す。



『+ゼロ』



「これでいい?」


「いいんじゃない」


「うん」


 結衣は今、四歳。


 十五歳になるのは、だいたい十一年後だ。


 昨日見えた死亡予定日は三千九百何日。


 正確な数字が分からない以上、十五歳の誕生日まで届くのかどうかも分からない。


 だからこそ、まずはそこまで行きたいと思った。


 三億円をゼロにすることはできた。


 次は数字でも、値段でもない。


 家族で誕生日を祝う。


 ケーキを買って、少し大人になった結衣に、


「パパ、写真撮らんで」


 とか言われながら、俺はたぶん撮る。


 結衣に嫌がられて、美咲が笑って。


 もしゼロがまだ動いているなら、きっとどこかにぶつかっている。


「…………」


 そんな未来がいい。


「慎吾」


「何?」


「十五歳の次は?」


「十六」


「その次」


「十七」


「その次」


「ずっと?」


「うん」


 美咲が頷く。


「じゃあ、十五歳は途中やね」


「…………」


「そうやね」


 俺は笑った。


 ゼロ円も、十五歳も、きっと全部途中だ。


 未来を一回変えたら終わりじゃない。一つ危険を消したら終わりでもない。


 だったら、何度でも選べばいい。


 来年も、再来年も、その先も。


 結衣がいつか、


「もうパパうざい」


 って本気で言うくらい。


 その未来を、ずっと続けていけばいい。

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