第47話 接触までの時間
翌朝。
目が覚めて最初に思い出したのは、昨日の夜に出た表示だった。
【接触予測:算出可能】
時計を見ると、午前六時十二分。
隣では美咲がまだ寝ている。
昨日、俺は残り時間を見なかった。
正確には、見られたのに見ないことを選んだ。
【接触までの残り時間を表示しますか?】
【はい】
【いいえ】
あのとき選んだのは「いいえ」。
高城にも止められたし、美咲にも一緒に見ると約束した。
だから今ここで、勝手に確認するつもりはない。
ないんだけど。
「気になるよな……」
「何が?」
「うわっ!」
隣を見ると、美咲が目を開けていた。
「起きてたん?」
「今起きた」
「びっくりした」
「何が気になるん?」
「…………」
「接触?」
「何で分かるん」
「昨日からそればっかり考えとるやん」
「顔?」
「寝起きでも分かる」
「俺の顔、セキュリティ甘すぎん?」
美咲が小さく笑う。
「見た?」
「見てない」
「ほんと?」
「ほんとです」
「偉いやん」
「四十一歳への褒め方じゃないって」
「でも見てないんやろ?」
「うん」
「なら偉い」
「…………」
最近、高城と美咲に褒められる基準がどんどん下がっている気がする。
「今日、高城さんと話すんやろ?」
「たぶん。黒瀬さんにも共有するって言ってたから」
「見ることになったら?」
「接触までの時間?」
「うん」
少し考えてから答える。
「見るなら、美咲も一緒に」
「うん」
「高城さんにも連絡してから」
「うん」
「勝手に先に見ない」
「完璧やん」
「学習しました」
「四十一年かかったね」
「能力手に入れたの最近ですけど?」
美咲が笑う。
俺も笑った。
そのとき、廊下から小さな足音が近づいてきた。
バタバタバタ。
「パパー!」
「はい」
寝室のドアが開く。
結衣。
髪はぐちゃぐちゃで、片手にはゼロ。
「おはよ!」
「おはよう」
「ゼロも!」
「おはようございます」
「ゼロね!」
「うん」
「いっしょにねた!」
「知ってます」
「なんで?」
「昨日、ママが教えてくれたから」
「ほんと?」
「ほんと」
結衣がゼロを持ち上げる。
「ゼロかわいい?」
「かわいい」
「ゆいは?」
「もっとかわいい」
「やったー!」
そのまま俺の布団へ飛び込んでくる。
「重っ」
「おもくない!」
「ゼロが」
「ゼロ?」
「たぶん」
「ゆいじゃない?」
「結衣じゃない」
「ほんと?」
「ほんと」
結衣が満足そうに笑う。
その顔を見ながら、ふと思った。
接触予測も、四人目も、第二の保護対象も、全部気になる。
もちろん気になる。
でも、俺が未来を見始めた理由はそれじゃない。
結衣だ。
この子が十年後も、その先も笑っている未来を作りたい。
最初から、俺が欲しかったのはそれだけだった。
◇
昼休み。
スマホが震えた。
高城。
『黒瀬さんにも共有しました』
昨日の接触予測だ。
『反応は?』
送る。
すぐに既読。
返信。
『電話できますか』
「…………」
文章で済まないやつか。
人の少ない場所へ移動して、高城へ電話する。
『はい』
「お疲れさまです」
『お疲れさまです』
「黒瀬さん、何て?」
『接触という表示そのものには、心当たりはないそうです』
「ない?」
『はい』
「でも未来の研究室で四人目を見てる」
『慎吾さん』
「分かってます」
『まだ何も言っていません』
「四人目と接触予測が、同じものとは限らない」
『…………』
「でしょ?」
『成長しましたね』
「最近それ言われるの、ちょっと嬉しくなってきた」
『良いことです』
「で?」
高城の声が少し変わる。
『一つ、確認したいことがあります』
「何です?」
『昨日の表示です』
「接触予測?」
『その前です』
思い出す。
【観測範囲情報を更新しました】
【保護対象:2】
【観測範囲外:1】
「保護対象?」
『はい』
「二のままでした」
『そこです』
「何が?」
一拍置いて、高城が言った。
『私たちは最近、第二の保護対象ばかりを気にしすぎています』
「…………」
言われて気づいた。
確かにそうだ。
保護対象が二。
観測範囲外が一。
だから俺たちは、見えていないもう一つばかり追っていた。
「一つ目」
『はい』
「結衣」
『それも、まだ確定ではありません』
「分かってます。でも」
『可能性は非常に高いと、私も考えています』
「…………」
高城がそこまで言うのは珍しい。
『だからこそ、新しい対象を追う前に一度確認しておきたい』
「何を?」
『結衣ちゃんの現在の未来です』
胸が少しだけ重くなる。
「絵?」
『はい』
娘の絵。
俺の能力が最初に、結衣の死を示した物。
【10年後の価格:300,000,000円】
【価格上昇理由:作者死亡】
そこから未来は少しずつ動いた。
絵の価格。
未来改変率。
生存分岐。
星見事故の時期。
いろんなものが変わってきたし、事故そのものが以前より先へ動いたこともある。
絵の未来価格だって、最初の三億円から少しずつ下がり、直近では二億九千三百六十万円になっていた。
なのに最近は、新しく出てきた情報ばかりを追っていた。
「死亡予定日」
『はい』
「久しぶりに確認する?」
『私は、その価値があると思います』
『ただし』
「美咲も一緒に」
『はい』
「勝手に深く見ない」
『はい』
「表示された情報だけ確認する」
『その通りです』
「分かりました」
『それと、順番を決めましょう』
「順番?」
『まず、結衣ちゃんの現在の未来を確認する』
「はい」
『そのあと、昨日保留した接触予測をどうするか、三人で決める』
「分かりました」
『今夜九時でいいですか?』
「美咲に聞いてみます」
『お願いします』
「高城さん」
『はい』
「黒瀬さんは?」
『今夜は参加しません』
「何で?」
『自分の未来視が、慎吾さんの観測に影響する可能性を考えているようです』
「観測協力者?」
『それも含めてです』
黒瀬も、少しずつ慎重になっている。
「分かりました」
『では夜に』
「はい」
電話を切る。
スマホを見る。
結衣がゼロを抱えて笑っている写真。
死亡予定日。
久しぶりに、その言葉を考えた。
最近は未来を変える方法ばかり見ていた。
でも、あの日付そのものは今、どうなっている?
◇
午後九時。
結衣は寝た。
俺と美咲は、結衣の部屋にいた。
机の上には一枚の絵。
「久しぶりやね」
「うん」
美咲が絵を見る。
今では、この絵が何を意味しているのか美咲も知っている。
「怖い?」
俺が聞く。
「怖いよ」
「…………」
「慎吾は?」
「怖い」
「なら一緒やね」
「うん」
スマホをスピーカーにする。
『聞こえています』
高城。
「はい」
『体調は?』
「問題なし」
『頭痛』
「なし」
『では、最初に通常の未来価格だけ確認してください』
「分かりました」
絵を見る。
何度も見てきた結衣の絵。
十年後。
そう意識する。
数秒後、表示が浮かんだ。
【10年後の価格:――――】
「…………」
「慎吾?」
美咲が俺を見る。
「待って」
『どうしました?』
「値段が出ない」
『算出不能ですか?』
「違う。まだ横線だけ」
頭痛はない。
そのまま待つ。
数秒。
さらに数秒。
そして。
【10年後の価格:0円】
息が止まった。
「慎吾?」
美咲が俺を見る。
「ゼロ」
「え?」
「十年後の価格」
もう一度、表示を確認する。
「ゼロ円」
「…………」
美咲の目が大きくなる。
『慎吾さん』
高城の声も変わった。
『以前は?』
「二億九千三百六十万円」
『間違いありませんか?』
「ないです」
何度も、何度も見てきた。
俺が最初に立てた目標。
『3億円 → 0円』
その数字が今、本当に。
【10年後の価格:0円】
になっている。
「美咲」
「うん」
「ゼロになった」
「…………」
「俺、ずっとこれをゼロにするって」
「うん」
嬉しい。
叫びたいくらい嬉しい。
でも。
『慎吾さん』
高城の声で止まる。
「はい」
『まだ喜ぶのは早いです』
「…………」
「高城さん」
『分かっています。気持ちは分かります』
「じゃあ少しくらい」
『ただし』
「はい」
『十年後の価格がゼロになったことと、結衣ちゃんが助かったことは同義ではありません』
そうだ。
分かっている。
「理由」
『はい』
「確認します」
『浅く』
「分かってます」
ほんの少しだけ意識する。
【価格上昇理由:該当なし】
「…………」
「何て?」
美咲が聞く。
「該当なし」
「作者死亡は?」
「出てない」
『それは重要です』
高城が言う。
『少なくとも十年後という時点では、これまで価格を上昇させていた条件が成立していない』
「…………」
十年後。
結衣が死んでいない。
そう言いたくなる。
でも、止める。
「高城さん」
『はい』
「これでも、助かったとは言えない?」
『はい』
「ですよね」
『ただ、以前より良い情報である可能性はかなり高いと思います』
美咲が俺の腕を握る。
「慎吾」
「うん」
「まだやけど」
「うん」
「嬉しいね」
「…………」
「うん」
泣きそうになる。
でも、まだ終わりじゃない。
「死亡予定日」
『確認しましょう』
「はい」
一度、息を整える。
絵を見る。
結衣の死亡予定日。
今はどうなっている?
表示。
【死亡予定日まで:――――】
数字はすぐに出ない。
『頭痛は?』
「ない」
待つ。
やがて、数字が浮かび始める。
【死亡予定日まで:3,9██日】
「三千九……」
「何?」
美咲が俺を見る。
「その先が読めない」
『追わないでください』
「分かってます」
以前なら、無理に見ようとしていた。
今は待つ。
すると、その下へ別の表示が浮かんだ。
【死亡予定日:変動中】
「…………」
「慎吾?」
「死亡予定日」
一度、美咲を見る。
「変動中って出た」
「…………」
『正確な表示を』
「【死亡予定日:変動中】」
『分かりました』
さらに。
【観測確度:41.8%】
「観測確度、四十一・八」
『以前、結衣ちゃんの絵を観測した際にも出た数値ですね』
「同じ?」
『記録上は同じです』
「じゃあ死亡する確率が」
『違います』
「早いって」
『ここは重要です』
「はい」
『観測確度は、出来事の発生確率とは限りません』
「分かってます」
『本当に?』
「今回はちゃんと」
美咲が横から言う。
「今、ちょっと死亡確率って言いかけたやん」
「…………」
『実績ですね』
「二人とも厳しいな」
でも、意味は分かっている。
四十一・八%。
それが死亡確率ではない。
ただ。
【死亡予定日:変動中】
この表示は大きい。
「死ぬ日が、もう決まってない?」
美咲が絵を見る。
『美咲さん』
「はい」
『そこも正確には少し違います』
「…………」
『能力が現在、固定された一つの日付を表示できていない』
「それなら?」
『そう表現するのが安全です』
「研究者めんどくさい」
美咲が言った。
「でしょ?」
『聞こえています』
「すみません」
「でも」
美咲が俺を見る。
「前よりいいんやろ?」
「たぶん」
『慎吾さん』
「可能性は高い」
『はい』
それでも、俺には十分だった。
以前は十年後の結衣の絵に、三億円近い値段がついていた。
理由は作者死亡。
今は。
【10年後の価格:0円】
【価格上昇理由:該当なし】
少なくとも十年後、あの絵は遺作として高値がつく未来ではなくなっている。
「…………」
未来価格ノート。
最初のページ。
今すぐ見たい。
そこには。
『目標 3億円 → 0円』
そう書いてある。
「慎吾?」
「何?」
「ニヤけとるよ」
「ちょっとくらいいいやろ」
「いいよ」
美咲が笑う。
俺も笑った。
『お二人とも』
高城。
「はい」
『まだ接触予測が残っています』
「…………」
「現実に戻された」
「研究者やね」
『一度、結衣ちゃんの観測を終了してください』
「はい」
絵から目を外す。
数秒後、表示が消えた。
『頭痛は?』
「なし」
『美咲さんは?』
「大丈夫です」
『では五分ほど休みましょう』
「五分?」
『はい』
「今すぐじゃ駄目?」
『慎吾さん』
「分かりました」
「成長したね」
「美咲まで」
水を飲む。
時計を見る。
たった五分なのに、めちゃくちゃ長く感じた。
それでも、ちゃんと待った。
◇
五分後。
『では、接触予測についてです』
「はい」
『美咲さんは?』
「見てもいいと思います」
『理由を聞いても?』
「結衣の未来が、ちゃんと動いとるって分かったから」
「…………」
「なら」
美咲が俺を見る。
「次に何が起きるのかも、一緒に知りたい」
『慎吾さんは?』
「見たいです」
『分かりました』
高城の声が少しだけ真剣になる。
『ただし、残り時間だけです』
「はい」
『対象が何なのかは追わない』
「はい」
『四人目との関連も調べない』
「はい」
『保護対象との関連も』
「今日は見ない」
『そうです』
「了解」
美咲を見る。
「いい?」
「うん」
一度、目を閉じる。
昨日保留した表示を思い出す。
【接触予測:算出可能】
意識すると、すぐに表示が戻ってきた。
【接触までの残り時間を表示しますか?】
【はい】
【いいえ】
「出た」
『選択肢は同じですか?』
「同じ」
美咲が俺の腕に触れる。
「慎吾」
「うん」
「一緒に」
「分かった」
意識を少しだけ向ける。
【はい】
選ぶ。
表示が消える。
五秒。
十秒。
何もない。
『慎吾さん?』
「まだ」
そして。
【接触予測を算出します】
「来た」
『そのまま』
「はい」
【観測範囲外対象との接触を予測】
「…………」
美咲が俺を見る。
「何?」
「観測範囲外対象との接触」
『正確には?』
「【観測範囲外対象との接触を予測】」
『分かりました』
やっぱり、接触するのは今の俺が観測対象として認識できていない何か。
ただし、それが四人目なのか、第二の保護対象なのかはまだ分からない。
表示が続く。
【接触まで:――――】
数字を待つ。
美咲の手は、俺の腕を握ったまま。
高城も何も言わない。
やがて横線が消れた。
【接触まで:186日】
「…………」
「慎吾?」
美咲が呼ぶ。
「百八十六日」
「…………」
『日ですか?』
「はい」
美咲が小さく呟く。
「半年くらい?」
「うん」
約六か月。
十年後でも、数年後でもない。
半年後には、俺は今はまだ観測できない何かと接触する。
「続きます」
『何が?』
次の表示。
【関連対象:結衣】
心臓が強く鳴った。
「慎吾?」
「関連対象」
「誰?」
一度、息を吸う。
「結衣」
「…………」
『それ以上、関係性を追わないでください』
「分かってます」
でも、こちらが何もしなくても、もう一つだけ表示された。
【接触後の未来:未確定】
「…………」
未確定。
以前なら、その言葉だけで怖かった。
未来が見えない。
何が起きるか分からない。
そう思っていた。
でも今は、少し違う。
ついさっき見た。
【10年後の価格:0円】
【死亡予定日:変動中】
そして。
【接触後の未来:未確定】
まだ決まっていない。
だったら、まだ選べる。
「慎吾」
美咲が俺を見る。
「うん」
「今日はここまで」
「うん」
『観測を終了してください』
「分かりました」
意識を切る。
表示がゆっくり消えていく。
最後まで残ったのは。
【接触まで:186日】
それも数秒後には消えた。
目の前には、いつもの結衣の部屋。
机やおもちゃ、クレヨン。壁に貼られた絵。
何も変わっていない。
でも、未来は確実に動いていた。
「百八十六日」
俺が呟く。
『慎吾さん』
「はい」
『今は、それだけです』
「分かってます」
『観測範囲外対象が何なのか』
「分からない」
『四人目なのか』
「分からない」
『第二の保護対象なのか』
「分からない」
『結衣ちゃんと、どう関係するのか』
「それも、まだ分からない」
『はい』
そこで美咲が言った。
「でも、一個だけ分かったやん」
「何?」
「半年後」
美咲が俺を見る。
「何かがある」
「…………」
「それまでに、できることいっぱいあるやろ?」
「うん」
百八十六日。
約半年。
ただ待つには長い。
でも、何かに備える期間として考えれば、決して長くはない。
「高城さん」
『はい』
「明日から――」
『今日は終わりです』
「まだ何も言ってない」
『明日から調べたい、と言うつもりでしょう』
「…………」
美咲が吹き出す。
「全部バレとるやん」
「未来見えてるんじゃない?」
『見えません』
「じゃあ何で」
『実績です』
「またそれか」
少しだけ笑う。
でも、今日いちばん大きかったのは、百八十六日という数字じゃない。
【10年後の価格:0円】
ずっと目指してきた数字。
三億円をゼロ円にする。
その目標は、今日、初めて本当に達成された。
もちろん、それだけで結衣が助かったと決まったわけじゃない。
【死亡予定日:変動中】
まだ終わってはいない。
それでも十年後、娘の絵はもう「遺作」として高値がつく未来ではなかった。
そして百八十六日後、俺は今はまだ観測できない何かと接触する。
それが誰なのか、何なのか。
結衣にとって敵なのか、味方なのか。
まだ何一つ分からない。
でも、未来はもう、最初に見た一つの道ではなくなっている。
だったら、これからも俺たちは。
結衣が生きる未来を、選び続ければいい。




