第43話 守るべき二人
翌朝。
目が覚めて天井を見上げる。
時計は六時十二分。
「…………」
寝た気がしない。
昨日、美咲に全部話した。
未来が見えること。黒瀬のこと。高城のこと。HOSHIMI。
そして、結衣が十一年後に死ぬ未来があること。
横を見ると、美咲は目を閉じている。
昨日あれだけ泣いたのに、普通に寝ているように見えた。
「強いな……」
「起きとるよ」
「うわっ」
美咲が目を開けた。
「いつから?」
「強いな、くらいから」
「ほぼ今じゃん」
「何?」
「いや。寝れた?」
「まあまあ」
「嘘やろ」
「何で?」
「三時くらいまで起きとったやん」
「…………」
「俺も起きてたから分かる」
「慎吾も寝てないやん」
「はい」
美咲がゆっくり起き上がる。
「昨日の話」
「うん」
「夢じゃないよね?」
「……残念ながら」
「残念なん?」
「能力だけなら、ちょっと嬉しかった」
「未来の値段分かるんやもんね」
「そう」
「宝くじは?」
「無理」
「競馬」
「たぶん無理」
「株」
「それは使った」
「…………」
「あ」
「そこ詳しく聞いてない」
「後日でお願いします」
「逃げた」
「朝から長くなります」
美咲が小さく笑った。
昨日とは違う。
でも、やっぱり少しだけ目が腫れている。
「慎吾」
「ん?」
「結衣のこと、今日すぐ見たりせんよね?」
「しない」
「ほんと?」
「高城さんにも止められてる」
「ならいい」
「信用が高城さん経由なん?」
「慎吾だけなら怪しい」
「夫婦の信頼とは」
「昨日まで隠し事しよった人が言う?」
「すみません」
何も言えない。
そのとき、隣の部屋から声がした。
「ママー!」
「起きた」
「早いな」
「行ってくる」
美咲がベッドから降りる。
でも、ドアの前で一度止まった。
「慎吾」
「ん?」
「次に見るとき、約束忘れんでね」
「…………」
「私も一緒」
「分かってる」
「ならいい」
美咲が部屋を出ていく。
一緒。
その言葉で、どうしても昨日の表示を思い出す。
【観測協力者:2】
高城。
黒瀬。
そして次は、美咲。
「三になるんかな……」
誰もいない寝室で呟いた。
◇
その日は、結衣の未来を見なかった。
仕事中も、帰ってからも、何度か気にはなった。
でも見なかった。
昨日、美咲と約束した。
次に見るときは、一緒に見る。
それに高城にも言われている。
無理に能力を使わない。勝手に深追いしない。
今までの俺なら、たぶん結衣が寝たあと、一人で絵を出していただろう。
「…………」
少しは成長した。
たぶん。
高城なら、
『自己評価では判断できません』
とか言いそうだけど。
「便利だな、あの人」
「なにが?」
「うわっ」
振り向くと、結衣がいた。
「いつから?」
「べんり!」
「そこだけ聞かれたか」
「なにがべんり?」
「高城さん」
「おじちゃん!」
「そうです」
「ゼロつくる?」
「何で高城さんイコール、ゼロ作る人になってるん」
「つくれるよ!」
「本人に言ったら挑戦しそうだからやめて」
「パパ」
「何?」
「ゼロ、しゃべる?」
「まだその話続いてた?」
「しゃべる!」
「願望ですね」
そんな普通の夜を過ごした。
未来を見なくても、一日は普通に終わる。
それが少しだけ、ありがたかった。
◇
翌日の夜。
結衣を寝かしつけてリビングへ戻ると、美咲はソファでスマホを見ていた。
「美咲」
「ん?」
「今日、見てみる?」
美咲の指が止まった。
「…………結衣の絵?」
「うん」
「大丈夫なん?」
「大丈夫」
「頭痛は?」
「ない」
「体調は?」
「普通」
「無理してない?」
「してない」
美咲がじっと俺を見る。
「何?」
「いや。慎吾のほうから言うとは思わんかった」
「何で?」
「一人で勝手に見そうやったから」
「信用ないな」
「この前まで隠し事しよった人やけん」
「それ、しばらく使う気?」
「使う」
「…………」
「でも、一人で見ようとは思わんかった?」
「…………一瞬だけ」
「慎吾」
「でも見てない!」
「ほんと?」
「約束したやろ。次に見るときは、美咲も一緒って」
美咲が俺を見る。
少しだけ、表情が柔らかくなった。
「覚えとったんや」
「失礼な」
「だって慎吾やもん」
「夫への評価が低すぎる」
「昨日までの実績」
「高城さんみたいなこと言わんで」
美咲が少し笑った。
「じゃあ、一緒に見よっか」
「うん」
俺は棚を見る。
結衣の絵を取りに行こうとしたところで、美咲に止められた。
「待って」
「何?」
「高城さんには連絡せんでいいと?」
「……それは俺も思った」
「じゃあ先に連絡しよう」
「うん」
スマホを取り出す。
『今日、美咲と一緒に結衣の絵を見ようと思います』
送信。
すぐに既読がついた。
『頭痛は?』
「…………」
「何て?」
「頭痛」
「ないって送って」
『ありません』
返信すると、すぐに次が来る。
『体調は?』
『普通です』
少しして。
『分かりました。可能であれば通話をつないでください』
「高城さんも一緒に見るって」
「見えるん?」
「いや。聞くだけ」
「じゃあ三人やね」
「…………」
「何?」
「いや」
三人。
その言葉で、昨日から頭に残っている表示を思い出した。
【観測協力者:2】
高城。
黒瀬。
今夜、美咲まで加わったら。
「慎吾?」
「何でもない。電話するよ」
「うん」
高城へ発信する。
数秒でつながった。
『はい、高城です』
「こんばんは」
『こんばんは。美咲さんもいらっしゃいますか?』
「います」
「こんばんは」
『こんばんは。以前はどうも』
「こちらこそ」
「…………」
『慎吾さん?』
「いや」
そうだ。
二人は前にも会っている。
なのに、今日は少し違って感じる。
あのときの美咲は、何も知らなかった。
高城が何を研究しているのか。
俺が何を見ているのか。
結衣の未来に何があるのか。
何も。
でも今日は全部知ったうえで、ここにいる。
『慎吾さん』
「はい?」
『聞いていますか?』
「聞いてます」
『今、明らかに聞いていませんでした』
「すみません」
「高城さん」
『はい』
「慎吾、こんな感じなんでよろしくお願いします」
「美咲?」
『分かっています』
「高城さん?」
「やっぱ仲いいね」
「どこが?」
『どこがです?』
「息ぴったりやん」
「やめて」
『やめてください』
「ほら」
「…………」
少しだけ緊張が抜けた。
『では、念のため確認します』
「はい」
『美咲さんは、慎吾さんからどこまで聞いていますか?』
「たぶん、ほとんど」
『観測協力者についても?』
「聞きました」
『未観測要因は?』
「それも」
『HOSHIMIとの関連については?』
「聞いてます」
『…………』
「何です?」
『本当に話したんですね』
「高城さん?」
「その反応、慎吾のこと信用してないですね?」
『少しだけ』
「美咲?」
『実績です』
「最近それ便利に使ってません?」
美咲が笑う。
「やっぱり仲いいやん」
「違います」
『違います』
「ほら」
「もう始めましょう」
『そうですね』
テーブルの上に、結衣の絵を置く。
『では、今日やることを確認します。結衣ちゃんの絵を慎吾さんが観測する。美咲さんは隣で、表示された内容を慎吾さんから聞く。まずはそれだけです』
「はい」
美咲が絵を見る。
「私が触ったら駄目ですか?」
『現時点では、触ること自体に危険性があるとは考えていません。ただし、最初は条件を増やしたくありません』
「…………」
美咲が俺を見る。
「ほんとに研究者やね」
「前に会ったときも研究者だったやろ」
「そのときは普通に研究者やったもん」
「今は?」
「慎吾の保護者」
「やめて」
『否定しづらいですね』
「高城さん?」
『では始めましょう』
「流した」
『流しました』
「認めた」
俺は絵を見る。
結衣。
俺。
美咲。
ゼロ。
三人と一台。
意識する。
十年後。
【10年後の価格:293,600,000円】
「出た」
美咲の表情が変わる。
「いくら?」
「二億九千三百六十万。昨日言ったやつ」
「…………ほんとに出とるんやね」
「俺にしか見えんけど」
「他は?」
『慎吾さん、焦らずに』
「はい」
少し待つ。
【観測確度:41.8%】
「観測確度、四十一・八」
『前回の記録より低い』
「そうなん?」
「たぶん」
『たぶんではなく低いです』
「記録強いな」
さらに待つ。
【関連対象:結衣】
「関連対象、結衣」
美咲の手がわずかに動いた。
「大丈夫?」
「うん」
そして。
【未観測要因:1】
「…………」
「出た?」
「うん。一」
美咲が絵を見る。
「それが、まだ分からん何か?」
「そう」
「HOSHIMIにも同じのが出た?」
「うん」
美咲が黙る。
『慎吾さん』
「はい」
『観測協力者は?』
「…………」
忘れてた。
意識を向ける。
【観測協力者:2】
「…………」
「どうした?」
「二」
「…………」
「変わってない」
美咲も黙った。
『確認します。観測協力者は二のまま?』
「はい」
『他の表示は?』
「今のところないです」
美咲が小さく息を吐いた。
「私じゃ駄目なんかな」
「え?」
「いや。別に仲間外れとか、そういう話じゃないって分かっとるよ」
「美咲」
「でも、三になると思っとった」
「俺も」
『私も可能性は高いと思っていました』
「高城さんも?」
『はい』
「じゃあ何で?」
『分かりません』
「出た」
美咲が笑った。
「ほんとに言うんや」
「言うよ」
『現時点で分からないので』
「便利やね」
「俺と同じこと言ってる」
『慎吾さん』
「はい」
『今日はここまでにしましょう』
「え? もう?」
『美咲さんが同席した状態での基礎データは取れました』
「でも何も変わってない」
『それもデータです』
美咲が頷く。
「今日はやめよう」
「美咲まで」
「無理せん約束やろ」
「はい」
絵から視線を外す。
そのとき。
「…………」
「慎吾?」
「待って」
『何か出ましたか?』
「消えてない」
『何が?』
「表示」
「絵、もう見てないよ?」
「うん」
前にもあった。
USBを観測したとき、目を離しても表示が残った。
「高城さん」
『追わないでください』
「分かってます」
でも、俺が追わなくても表示は勝手に続く。
【関連対象:結衣】
【観測協力者:2】
「まだ二」
変わらない。
やっぱり、美咲は観測協力者ではない?
そう思った瞬間。
【新規関連性を検知】
「…………」
『慎吾さん?』
「新しいの出た」
「何?」
「新規関連性を検知」
『それ以上意識しないでください』
「してない」
次の表示が浮かぶ。
【対象情報を照合します】
「また照合」
『何と?』
「分からない」
美咲が俺の腕を掴む。
「大丈夫?」
「頭痛はない」
「ほんと?」
「うん」
数秒後。
【照合完了】
「終わった」
『結果は?』
「待って」
何も出ない。
十秒。
二十秒。
「終わり?」
「たぶん」
『慎吾さん』
「分かってます。たぶん」
美咲が笑う。
「教育されとるね」
「うるさい」
そのとき。
【保護対象を検知】
「…………」
声が出なかった。
「慎吾?」
『何が出ました?』
「保護……」
「何?」
「保護対象を検知」
俺の腕を掴む美咲の手に、少し力が入る。
『対象は?』
「まだ出てない」
そして。
【保護対象:2】
「…………」
二。
「高城さん」
『はい』
「二です」
『何が?』
「保護対象」
美咲が俺を見る。
「二人?」
「分からん」
『慎吾さん』
「はい」
『今の表現は重要です』
「…………」
『二人とは表示されていない。あくまで【保護対象:2】です』
「はい。でも普通に考えたら――」
『まだ考えない』
「厳しい」
美咲が表示の見えない絵をじっと見つめる。
「結衣は?」
「え?」
「保護対象に結衣って出とる?」
「…………」
今見えている表示を確認する。
【関連対象:結衣】
【保護対象:2】
「出てない」
「じゃあ、その二って誰?」
「…………」
分からない。
結衣。
美咲。
俺。
高城。
黒瀬。
誰だ?
『慎吾さん』
「はい」
『今日は終了です』
「でも」
『終了です』
「高城さん」
『新しい表示が出た時点で十分です。しかも保護という、これまで存在しなかった概念です』
「……はい」
『今日は意味づけもしない。解析もしない。結衣ちゃんを観測しない』
「はい」
『ゼロも見ない』
「何でゼロまで」
『慎吾さんならやりそうなので』
「…………」
美咲が吹き出した。
「分かってるね」
「何回も止められてるからね」
『慎吾さん』
「はい」
『休んでください』
「分かりました」
通話を切る。
急にリビングが静かになった。
俺と美咲。
そして、テーブルの上の絵。
「二か」
「うん」
「誰やろ」
「分からん」
「結衣は入っとるよね?」
「…………」
「何?」
入っている。
そう思う。
だって、俺が守ろうとしているのは結衣だ。
この能力が結衣の未来に反応しているなら、当然、一つは結衣。
――そう思う。
でも、高城なら言う。
まだ確定していない。
「たぶん、結衣は入ってると思う」
「じゃあもう一つは?」
俺は美咲を見る。
「私?」
「可能性はある」
「慎吾?」
「それもある」
「高城さん?」
「あるかも」
「黒瀬さん?」
「ある」
「全然分からんやん」
「はい」
「研究向いてないね」
「また言われた」
美咲が笑う。
俺も笑った。
でも、頭の中にはずっと残っている。
【保護対象:2】
「慎吾」
「ん?」
「もし私やったら」
「何が?」
「保護対象」
「…………」
「どうする?」
「守る」
「即答やね」
「当たり前やろ」
「じゃあ慎吾やったら?」
「俺?」
「うん」
「……自分は別によくない?」
「よくない」
「でも」
「よくない」
「はい」
美咲は迷わなかった。
「結衣も守る。慎吾も守る。私も守ってもらう。それでよくない?」
「…………」
昨日と同じだ。
俺はまた、自分だけを数から外そうとした。
「美咲」
「何?」
「やっぱ強いね」
「今さら?」
「はい」
「遅い」
「すみません」
美咲が絵を持つ。
「これ片づけていい?」
「うん」
「明日、一人で見たりせんでよ」
「しません」
「解析も?」
「しません」
「ほんと?」
「ほんと」
「高城さんに言うよ」
「小学生か」
美咲が絵を棚へ戻す。
その瞬間だった。
【保護対象:2】
消えかけていた表示が、もう一度強く浮かんだ。
「…………」
さらに、その下に新しい文字が現れる。
【保護対象の一部が観測範囲外に存在します】
「…………」
「慎吾?」
美咲が振り返る。
「出た」
「また?」
「うん」
「何て?」
意味を考えるな。
今は、そのまま読む。
「保護対象の一部が……観測範囲外に存在します」
美咲の顔から笑いが消えた。
「それ、どういう意味?」
「分からん」
「一部って?」
「分からん」
「観測範囲外って?」
「それも分からん」
「…………」
「ほんとに、分からん」
でも。
嫌な考えだけは、勝手に浮かんでくる。
保護対象は二。
その一部が観測範囲外にいる。
もし、一つが結衣なら。
もう一つは――。
「慎吾」
「…………」
「誰なん?」
「分からん」
本当に分からない。
高城の言う通り、今ここで答えを作るべきじゃない。
結衣なのか。
美咲なのか。
俺なのか。
それとも、まだ俺たちが知らない誰かなのか。
何一つ確定していない。
ただ。
【保護対象:2】
この数字だけは、確かに表示された。
俺たちはずっと、結衣一人を守ろうとしていた。
結衣の死ぬ未来を変える。
そのために俺が未来を見て、高城が調べ、黒瀬が別の未来を探す。
全部、結衣のためだと思っていた。
でも。
未来は最初から。
俺たちがまだ見つけていない、もう一つの「守るべき何か」を数えていた。




