第42話 妻に話す
【観測協力者:2】
その数字が、帰りの車の中でも頭から離れなかった。
高城さんが俺の能力を分析し始めたあと、初めて【観測協力者:1】が表示された。
そして今日、黒瀬さんが未来を見て、その情報を俺の能力が【外部観測情報】として拾ったあと、数字は二に増えた。
まだ、一人目が高城さんで二人目が黒瀬さんだと確定したわけじゃない。
高城さんなら、きっとそう言う。黒瀬さんもたぶん同じだ。
それでも、俺の中ではほとんど答えが出ていた。
【観測協力者:2】
「…………」
赤信号で車を止めたところで、助手席に置いていたスマホが震えた。
美咲からだ。
『帰り何時くらい?』
時計を見る。
午後三時十二分。
『四時前には帰る』
送信すると、すぐに既読がついた。
『了解』
それだけだった。
「…………」
今日、話そう。
黒瀬さんに言われたからじゃない。高城さんが観測協力者になったからでもない。
もう、隠したままにするほうが難しくなってきた。
大学へ行くことも、高城さんや黒瀬さんと会っていることも、HOSHIMIのことも、株や土地のことも、全部が結衣の未来につながっている。
その中心に俺がいるのに、美咲だけが何も知らない。
信号が青に変わり、車を出す。
問題は、何て言うかだ。
『俺、未来が見える』
「…………」
駄目だ。
宗教にハマったと思われる。
『実は特殊な能力があって』
もっと駄目だ。
四十一歳が言う台詞じゃない。
『物の未来の値段が見えます』
「…………」
詐欺師だ。
「むず……」
一人、車の中で呟く。
黒瀬さん。
よく俺に話したな。
あのときは普通に聞いていたけど、いざ自分が話す側になると。
「めちゃくちゃ難しいな……」
◇
「パパー!」
「ただいま」
「おそい!」
「四時前です」
「おそい!」
「判定厳しいな」
玄関まで走ってきた結衣を抱き上げる。
「ゼロは?」
「あっち!」
リビングを見ると、ゼロがいつものように床を歩いていた。
ウィーン。
ゴン。
壁にぶつかり、そのまま倒れる。
「……元気そうですね」
「げんき!」
「元気とは」
結衣を下ろすと、美咲がキッチンから顔を出した。
「慎吾、おかえり」
「ただいま」
「早かったね」
「ちゃんと帰ってきました」
「昼くらいって言いよったけどね」
「それは……研究というものはですね」
「慎吾が研究者みたいな顔せんで」
「はい」
「研究どうやった?」
「…………」
「何その顔」
「いや」
「また何かあった?」
さすがに誤魔化す気にはなれなかった。
「美咲」
「ん?」
「今日、夜ちょっと話していい?」
美咲の表情が変わる。
「何?」
「悪い話じゃ――」
「会社辞めるん?」
「何でそうなるん」
「借金?」
「ないです」
「浮気?」
「もっとないです」
「じゃあ何?」
「夜話す」
「今言ってよ」
「結衣おるやん」
二人で結衣を見る。
床では、結衣が倒れたゼロを起こしていた。
「ゼロ! だいじょうぶ?」
平和だ。
非常に平和。
「結衣には聞かせんほうがいい話?」
「……たぶん」
「何それ」
「ごめん」
美咲はしばらく俺を見ていたが、それ以上は聞かなかった。
「分かった。でも、夜まで変な空気出さんでよ」
「出してた?」
「めちゃくちゃ」
「すみません」
「顔に出るんよ、慎吾」
「最近みんなに言われる」
「誰に?」
「高城さん」
美咲の目が細くなった。
「あ」
「高城さんと何しよるん?」
「それも話します」
「怪しすぎるやろ」
「違うから」
「男同士やろ?」
「そういう怪しさじゃない」
「分かっとるわ」
美咲が笑う。
俺も少しだけ笑った。
それだけで、胸の奥に張りつめていたものが、ほんの少し緩んだ。
◇
晩飯を食べ、風呂を済ませ、結衣の歯磨きまで終わったころ。
「パパ、ほん!」
「今日はママじゃないん?」
「パパ!」
「はい」
結衣の布団に横になり、絵本を開く。
「何冊?」
「さんこ!」
「一冊じゃ?」
「さんこ!」
「交渉の余地なし?」
「なし!」
「そんな言葉どこで覚えた?」
「よんで!」
「はいはい」
一冊目を読み、二冊目、三冊目。
「はい。もう寝るよ」
「まだ!」
「三冊の契約でした」
「もういっこ!」
「契約違反です」
「おねがい!」
結衣が両手を合わせる。
「…………」
「パパ!」
「一冊だけね」
「やった!」
結局、四冊目。
読み終わるころには、結衣の目はもう半分閉じていた。
「パパ」
「ん?」
「ゼロもねる?」
「寝るんじゃない?」
「どこで?」
「結衣の横?」
「いっしょねる!」
「寝返りで潰すよ」
「つぶさん!」
「じゃあ布団の横に置いとこうか」
「うん」
ゼロを布団の横へ置くと、結衣は満足そうに目を閉じた。
「おやすみ」
「おやすみ……」
数分もしないうちに、小さな寝息が聞こえ始める。
俺はそのまま、しばらく結衣の顔を見ていた。
四歳。
自分の未来に何があるのかも、俺が何を見たのかも、この子は何も知らない。
今は、それでいい。
こんな顔で眠っていてくれればいい。
「…………」
守る。
絶対に。
それだけは変わらない。
静かに布団から抜け出し、部屋を出た。
◇
リビングへ戻ると、美咲はソファに座って待っていた。
テレビはついていない。
「寝た?」
「寝た」
「四冊?」
「何で分かるん」
「聞こえた」
「契約違反されました」
「甘いんよ」
「断れん」
「知っとる」
俺もソファへ座る。
向かいではなく、美咲の隣。少しだけ距離を空けた。
「で?」
「はい」
「何?」
「…………」
「慎吾」
「ちょっと待って」
「夜話すって言ったの慎吾やろ」
「そうなんですけど、どこから話せばいいか……」
「最初から」
「それが一番難しい」
「じゃあ、何があったかから」
「…………」
何があったか。
最初は、あの日だった。
物を見たら値段が出た。
しかも今の値段じゃない。
未来の値段。
「美咲」
「うん」
「変なこと言うけど、最後まで聞いて」
「…………」
「あと、笑わんで」
「内容による」
「そこは約束してよ」
「分かった。笑わん」
一度、息を吸う。
「俺、未来が見える」
「…………」
美咲が俺を見る。
数秒。
「…………」
「…………」
「ごめん」
「何?」
「もう一回」
「未来が見える」
「…………」
「笑わんって言ったよね?」
「笑ってない」
「顔が」
「だって……」
「分かるよ」
「慎吾」
「はい」
「大丈夫?」
「その反応になりますよね」
「何か変なもん飲んだ?」
「飲んでない」
「高城さんの研究で?」
「人体実験されてないです」
「じゃあ何?」
「本当に見える」
美咲は笑ってはいない。
でも、信じてもいない。
当然だ。
「正確に言うと、物を見ると、その物の未来の値段が見える」
「未来の値段?」
「うん。最初はそれだけだった」
「最初は?」
「今は、もう少しいろんなものが出る」
美咲の表情が少し変わった。
「いつから?」
「少し前から」
「何で今まで言わんかったん?」
「俺も最初、意味分からんかったから。自分がおかしくなったと思った」
「病院は?」
「行ってない」
「何で」
「だって未来が見えますって病院行くん?」
「……それはちょっと嫌やね」
「でしょ?」
「でも、何で未来って分かったん?」
「当たったから」
「何が?」
「値段」
そこから、できるだけ順番に話した。
物を見ると、現在の価格と未来の価格が表示されること。
最初から十年後の価格が基本として表示されてきたこと。
条件によって未来価格が変わる場合があること。
その能力を使って、株や中古品、旧車を買ったこと。
「だから最近、急に色々買いよったん?」
「はい」
「…………」
「ごめん」
「それはあとで話す」
「はい」
怖い。
非常に怖い。
結衣の未来を話す前に、家計監査で死ぬかもしれない。
「それから、黒瀬さんと会った」
「土地の人?」
「そう」
「何で?」
「黒瀬さんも未来を見られるから」
美咲が完全に止まった。
「待って」
「はい」
「黒瀬さんも?」
「うん」
「同じのが見えると?」
「違う。黒瀬さんは、選択した先の未来の場面を見る」
「…………」
「俺みたいに値段が出るんじゃない」
「ちょっと待って」
「はい」
美咲が額に手を当てる。
「情報多い」
「ですよね」
「高城さんは?」
「見えない」
「普通の人?」
「能力はない」
「普通かどうか聞いたんやけど」
「研究者です」
「答えになってない」
「最近俺も分からん」
「で、何で高城さんが出てくるん?」
「俺の能力を一緒に調べてる」
「…………」
「大学行きよったの、それ?」
「うん」
「研究って」
「俺の能力も含まれてます」
美咲が大きく息を吐いた。
「だから最近あんなに大学行きよったん?」
「うん」
「高城さんと?」
「うん」
「黒瀬さんも?」
「今日来た」
「…………」
「ごめん」
「何で謝るん」
「隠してたから」
美咲は少し考えてから聞いた。
「証拠は?」
「え?」
「未来が見える証拠。あるん?」
「高城さんが検証してる」
「慎吾が見た値段とか?」
「そう」
「当たった?」
「現在価格は」
「未来は?」
「まだ来てないから」
「そりゃそうやね」
「でも、俺が知らない物の現在価格もかなり近かったし、条件を変えたら表示が変化することも確認してる」
「…………」
「高城さんは、まだ完全に信じたとは言ってない」
「そうなん?」
「研究者なので」
「それ最近お気に入りやろ」
「分かる?」
「分かる」
美咲が少しだけ笑った。
俺も笑う。
でも、ここから先は笑えない。
「あと」
「まだあるん?」
「あります」
「…………」
「結構あります」
「ちょっと待って。水取ってくる」
「俺が」
「いい」
美咲はキッチンへ行き、水を一口飲んで戻ってきた。
もう一度、俺の隣へ座る。
「いいよ」
「はい」
「続けて」
そこから、株のことも話した。
未来価格を使って金を増やしたこと。
大学へ三十万円寄付したこと。
そのあと、俺の行動に合わせるように未来に関係する表示が変わり始めたこと。
「前にさ、八百万くらいの土地の話したやん」
「あったね」
「あれ、黒瀬さんが買った」
「慎吾じゃないん?」
「俺じゃない」
「何で黒瀬さんが土地買うん?」
「未来に関係してる」
「どういうこと?」
「そこが将来、研究と強く関わる可能性がある」
「HOSHIMI?」
「そう」
美咲の顔が少し変わった。
「HOSHIMIって、高城さんの研究?」
「うん」
「前に言いよったやつ?」
「それ」
「それと未来が関係しとるん?」
「かなり。俺たちが思ってた以上に」
ここまでは、まだいい。
問題はここからだ。
「美咲」
「何?」
「一番大事な話する」
美咲がコップをテーブルへ置いた。
「結衣のこと」
「…………」
空気が変わった。
「結衣?」
「うん」
「何?」
逃げるな。
ここまで来た。
「その前に、一個だけ言わせて」
「何?」
「俺が実際に見たものと、俺がそこから考えたことは、分けて話す」
「何それ」
「高城さんに怒られた」
「何したん」
「表示されたものを見て、勝手に意味まで決めつけてた」
「…………」
「だから今から言うことも、分かってることと、まだ分からんことを分けて話す」
美咲は少し黙ってから頷いた。
「分かった」
「…………」
「言って」
「俺、結衣の未来に関係する表示を見た」
「何が見えたん?」
「最初は、絵」
「絵?」
「結衣が描いた絵」
「うん」
「その絵が十年後、二億九千三百六十万円になる未来が見えた」
「…………」
「何それ」
「俺も最初は分からんかった」
「何でそんな値段になるん?」
「そこは表示が出た」
「何て?」
喉が詰まる。
言いたくない。
でも、言う。
「価格上昇理由」
「うん」
「作者死亡」
「…………」
美咲の顔から表情が消えた。
「何?」
「…………」
「作者って」
「結衣」
「…………」
「今見えている未来の中に、結衣が亡くなる未来がある」
「…………」
「今、何て言った?」
「結衣が亡くなる未来がある」
「いつ?」
「能力が出た最初のころは、死亡予定日まで三千六百日以上って表示も出てた。だから、およそ十年後」
「…………」
「でも、今は正確な残り日数が分からん」
「何で?」
「表示が欠けるようになったから」
「じゃあ、今いつ死ぬかは分からんと?」
「うん。そこは勝手に決められん」
「事故?」
「星見事故っていう未来の事故が、結衣の未来に強く関係してる」
「その事故で死ぬと?」
「それも、まだ分からん」
「え?」
「能力に出てるのは【関連事象:星見事故】って表示なんよ」
「…………」
「関連してることは分かる。でも、星見事故そのものが結衣の直接の死因なのかは、まだ分からん」
「じゃあ車なのかも分からん?」
「分からん」
「場所も?」
「分からん」
「誰かに何かされるとかも?」
「分からん」
美咲の声が少しずつ強くなる。
「じゃあ何が分かるん!」
「美咲」
「何で死ぬって分かるん!」
「【作者死亡】って表示が出てるから!」
「…………」
思わず声が大きくなった。
二人とも同時に結衣の部屋を見る。
静かだった。
「……ごめん」
美咲がゆっくり座り直す。
目が赤い。
「死ぬと?」
「確定じゃない」
「…………」
「そこは違う」
「何で分かるん?」
「未来が動いてるから」
「何が?」
「星見事故の発生予定」
「…………」
「最初に確認した時点から、今までに合計三百三十七日、後ろへ動いた」
「三百三十七日?」
「うん」
「じゃあ結衣が生きられる期間が延びたってこと?」
「それは分からん」
美咲が俺を見る。
「違うん?」
「そこも大事なんよ。三百三十七日動いたのは、あくまで星見事故の発生予定。結衣の死亡予定日が三百三十七日延びたって表示は出てない」
「…………」
「前の俺なら、たぶん同じだって決めつけてた」
「高城さん?」
「はい」
「怒られた?」
「何度も」
「…………」
「でも、未来が変化すること自体は確認できてる」
「何で動いたん?」
「俺が検討会で意見を言ったり、美咲が参加したり、高城さんが研究を進めたり。そのタイミングで未来に関係する表示が動いた」
「私も?」
「うん」
「…………」
「美咲が言ったこと、かなり未来に影響してる」
「子供に直接教えたらってやつ?」
「それも」
「…………」
「だから今やってるHOSHIMIにも、美咲は関係してる」
「じゃあ」
美咲が少し身を乗り出す。
「変えられると?」
「未来が変わること自体は確認できてる」
「…………」
「ただ、何か一つ良くなったから、全部良い未来になったとも言い切れん」
「何で?」
「安全性が上がったのに、結衣が生きてる分岐の数が減ったこともある」
「分岐?」
「未来の候補みたいなもの」
「何個あるん?」
「前に確認した時点で千百九十六。その中で、結衣が生きている結果を含むものが三十四」
「三十四……」
「でも、それも三十四分の一とか、三十四回チャンスがあるって意味じゃない」
「何で?」
「一個ずつの確率が同じか分からんから」
「…………」
「そこも高城さんに」
「怒られた?」
「はい」
ほんの少しだけ、美咲の口元が動いた。
「でも」
俺は続ける。
「生きてる未来はある」
美咲の表情が変わった。
「……何?」
「黒瀬さんも見てる」
「…………」
「十四歳の結衣」
「…………」
「制服を着て、友達と駅にいて、笑ってたって」
美咲の目から涙が落ちた。
「ほんと?」
「うん」
「結衣が?」
「うん」
「生きとる?」
「生きてる」
「…………」
「確定した未来じゃない。でも、そういう未来がある」
美咲が口元を押さえる。
「それだけじゃない。さっき言った三十四の分岐もある。数が多いから安心とは言えんし、正しい意味もまだ全部分かってない」
「でも」
「うん」
「結衣が生きとる未来は、あるんやろ?」
「ある」
「…………」
「だから、俺は変える」
「ほんと?」
「うん」
「絶対?」
「…………」
絶対。
未来のことに、そんな言葉は使えない。
それでも。
「絶対に助ける」
「それ答えになってない」
「分かってる」
「…………」
「でも、そのためにやってる」
美咲が一つずつ確認するように聞いた。
「株も?」
「うん」
「黒瀬さんも?」
「うん」
「高城さんも?」
「うん」
「HOSHIMIも?」
「そう」
「土地も?」
「それも」
美咲は長い間、何も言わなかった。
部屋には時計の音だけが聞こえている。
「美咲」
「…………」
「ごめん」
「何が?」
「黙ってて」
「…………」
「怖かった」
「何が?」
「言うのが」
「私に?」
「うん」
「何で?」
「結衣が死ぬ未来があるって、そんなこと母親に言える?」
「…………」
「俺でも聞きたくないのに」
美咲は何も言わない。
「それに、俺が何とかできるなら――」
そこまで口にして、気づいた。
「あ」
「何?」
黒瀬さん。
同じだ。
「俺、一人で何とかしようとしてた」
「…………」
「黒瀬さんに今日言われた。話してなくても、家族は巻き込まれてるって」
「…………」
「そのとき、美咲のこと思った」
「遅い」
「はい」
「遅すぎ」
「すみません」
「大学行って、頭痛いとか言って、急にぼーっとして、お金の使い方も変わって。土地の話までし始めて」
「買ったのは黒瀬さんです」
「そこ今どうでもいい」
「はい」
美咲の声が震えた。
「私、ずっと何かあると思っとった」
「…………」
「浮気とは思ってなかったけど」
「よかった」
「今それ言う?」
「すみません」
「でも、まさか未来とは思わんやん」
「それはそう」
「しかも結衣って……」
「…………」
「一番言ってよ」
「ごめん」
「そこは一番最初に言ってよ」
美咲が俺を見る。
「私、母親やん」
「うん」
「慎吾だけの娘じゃないやん」
「…………」
「二人の娘やろ」
「うん」
「だったら――」
また涙が落ちた。
「二人で守ればいいやん」
「…………」
何も言えなかった。
ずっと、俺が守ると思っていた。
俺が未来を見て、俺が変えて、俺が結衣を助ける。
それしか考えていなかった。
「美咲」
「何?」
「ごめん」
「もういい」
「でも」
「もういいって」
「…………」
「その代わり、もう隠さんで」
「分かった」
「ほんと?」
「うん」
「能力のことも」
「うん」
「結衣のことも」
「うん」
「高城さんのことも」
「うん」
「黒瀬さんのことも」
「うん」
「お金も」
「…………」
「何で止まった?」
「いや」
「慎吾」
「はい」
「全部」
「はい」
美咲が鼻をすすり、少しだけ呼吸を整えた。
「で、その未来」
「何?」
「私にも見せて」
「……え?」
「慎吾が見よるやつ」
「見せるって言われても、表示は俺にしか見えんよ」
「じゃあ言って」
「何を?」
「全部。次に結衣の未来を見るとき、私も知る」
「美咲」
「知ったら怖いよ」
「もう怖いよ」
「…………」
「娘が死ぬ未来があるって聞いて、今さら何を怖がるん?」
美咲がまっすぐ俺を見る。
何も言い返せなかった。
「分かった。でも今日は見ない」
「何で?」
「高城さんと約束した。無理に能力を使わないって」
「高城さんが?」
「うん」
「…………」
「何?」
「ちゃんとした人やね」
「そこ?」
「慎吾より」
「そこまで?」
「暴走しそうやもん」
「否定できない」
「じゃあ、次に見るとき」
「うん」
「私もおる」
「…………」
「いい?」
「分かった」
「絶対?」
「うん」
「約束」
「約束」
美咲が小指を出す。
「何?」
「指切り」
「四十歳が?」
「何?」
「やります」
小指を絡める。
「指切りげんまん」
「嘘ついたら」
「針千本飲ます」
「死ぬわ」
「未来変わるね」
「…………」
「美咲」
「何?」
「それ今笑っていいやつ?」
「知らん」
俺は笑った。
美咲も、泣きながら少しだけ笑った。
◇
その夜、美咲が寝たあと。
一人でリビングに残った俺は、高城さんへメッセージを送った。
『美咲に話しました』
すぐに既読がつく。
『すべて?』
『ほぼ全部』
少しして返信が来た。
『反応は?』
『怒られました』
『当然だと思います』
「味方しろよ」
続けて送る。
『でも、一緒に結衣を守るって』
今度は少し間が空いた。
『そうですか』
それだけ。
さらに一通。
『次に結衣ちゃんの未来を観測する際は、奥様も同席されますか』
「…………」
さすが。
『そのつもりです』
『分かりました』
『何か問題あります?』
既読がついてから、今度は少し長かった。
『現時点では分かりません。ただ、観測協力者という表示が慎吾さん以外の人間との関係で変化しているのだとすれば、奥様が同席した際にも何らかの変化が起きる可能性はあります』
「…………」
やっぱり。
俺も考えていた。
高城さんと黒瀬さんが関わったことで、表示は【観測協力者:2】になった。
だったら、美咲が一緒に観測へ関わったときはどうなる?
『でも、美咲は能力ありませんよ』
返信。
『私もありません』
「…………」
確かに。
『重要なのが能力の有無ではない可能性はあります』
『じゃあ何です?』
少しして。
『まだ分かりません』
「でしょうね」
さらに一通届く。
『仮説の一つですが、慎吾さんと一緒に観測へ関わること自体が条件なのかもしれません』
「…………」
その文章をもう一度読む。
一緒に観測へ関わること。
今日、美咲は言った。
『私にも見せて』
『私も知る』
『二人で守ればいいやん』
高城さんは俺の能力を分析した。
黒瀬さんは自分の能力で未来を見て、その情報を俺の能力が拾った。
だから二人が【観測協力者】として認識されたのだとしたら、美咲はどうなるんだろう。
美咲には未来を見る能力もなければ、研究者でもない。
ただ、結衣の母親だ。
それでも今日、自分も未来を知り、一緒に守ると言った。
それだけで、能力は美咲を「一緒に未来を見る人間」として認識するんだろうか。
もし認識されたら。
【観測協力者:3】
になる?
「…………」
スマホを手に取り、高城さんへ聞こうとしてやめた。
どうせ答えは分かっている。
『分かりません』
「便利だな、あの人」
スマホを置く。
今日はもう終わりだ。
未来は見ない。
明日も仕事。
寝よう。
立ち上がった、そのときだった。
廊下から小さな足音が聞こえる。
「パパ……」
「ん?」
結衣が眠そうな顔で立っていた。
「どうした?」
「おしっこ」
「はいはい」
抱き上げる。
「トイレ行こうか」
「うん……」
結衣が俺の肩に顔を乗せた。
「パパ」
「ん?」
「ママないた?」
「…………」
足が止まる。
「起きてた?」
「ちょっと」
「そっか」
「パパおこった?」
「怒ってないよ」
「ママおこった?」
「ちょっと怒られた」
「なんで?」
「パパが大事なこと、ママに言ってなかったから」
「だめやん」
「はい」
「ちゃんと言わな」
「はい」
四歳児に正論で刺された。
「パパ」
「何?」
「ごめんなさいした?」
「したよ」
「ママ、いいよした?」
「してくれた」
「よかった」
「はい」
「なかよし?」
「仲良しです」
「ゆいも」
「うん」
「なかよし」
「うん」
結衣を抱いたまま、トイレへ向かう。
肩に乗った小さな体は、ちゃんと温かい。
未来で何が起きても、今度は一人で変えようとしない。
美咲もいる。高城さんも、黒瀬さんもいる。
結衣を守りたいと思う人間は、もう俺一人じゃない。
肩に乗った結衣の重みを、少しだけ抱き直した。
未来を見るのは、まだ俺だ。
でも。
未来を変えるのは――
もう、俺一人じゃない。




