第41話 同じ未来を見る
【関連対象:結衣】
【未観測要因:1】
その表示は、結衣の絵から目を離すまで消えなかった。
大学でHOSHIMIの事故関連データを見たときにも出た数字――一。
同じ数字だからといって、同じ要因だとは限らない。高城なら、たぶん最初にそう言う。
俺も今は分かっている。
それでも。
「気になるよな……」
「なにが?」
「うわっ」
すぐ横から声がして振り向くと、結衣がゼロを抱えて俺を見上げていた。
「何でもないです」
「なんでもある!」
「どっち?」
「ある!」
「じゃあ何があるん?」
「ゼロ!」
「それはありますね」
結衣がゼロを差し出す。
「パパ、しゃべるようにして」
「無理です」
「おじちゃんできる!」
「高城さんへの信頼が重いな」
「できるよ!」
「本人が聞いたら、本当に作りそうで怖い」
そのとき、美咲がキッチンから顔を出した。
「慎吾」
「ん?」
「さっきから結衣の絵見て何しよるん?」
「…………」
「またその間」
「いや。上手だなと思って」
「十分くらい?」
「そんな見てた?」
「見てた」
「…………」
最近、美咲に隠し事をするのが少しずつ難しくなっている。
「慎吾」
「はい」
「何かあるなら言ってよ」
「…………」
美咲はそれ以上追及しなかった。
でも、そのほうが少し痛かった。
言わなきゃいけない日は、思っていたより近いのかもしれない。
◇
翌朝、仕事へ行く準備をしていると、高城からメッセージが来た。
『昨日の件、少し考えました』
昨日の件――未観測要因。
すぐに開く。
『一度、黒瀬さんにも同じ対象を見てもらいたいです』
「…………」
来た。
俺も考えていた。
俺の能力は、未来価格や観測確度、未観測要因を数字や文字として見せる。一方、黒瀬が見るのは未来の断片そのものだ。
その二人が同じ物を見たら、何が起きる?
『黒瀬さんには話しました?』
『まだです』
『俺から連絡します』
送ると、すぐに返信が来た。
『お願いします』
黒瀬の連絡先を開く。
『高城さんが、黒瀬さんにも同じ物を見てほしいそうです』
既読。
早い。
『HOSHIMIですか』
「…………」
何で分かるんだよ。
『そうです』
少し間が空いてから、返信が来た。
『分かりました』
「軽っ」
『いいんです?』
『私も確認したいことがあります』
「…………」
確認したいこと。
何だ?
『いつなら?』
『日曜日なら』
日曜。
また大学。
「…………」
美咲に怒られそう。
すると、追加でメッセージが来た。
『慎吾さん』
『はい』
『奥様には?』
「…………」
『まだです』
少し間が空く。
『そうですか』
それだけだった。
でも、その一言が妙に残った。
◇
「明日も大学?」
土曜日の夜。
風呂上がりの美咲が、ソファに座りながら聞いてきた。
「うん。ちょっとだけ」
「ちょっとって何時まで?」
「昼……くらい?」
「今考えたやろ」
「夕方には帰ります」
「もう伸びたやん」
「研究って予定通りいかんのよ」
「慎吾が研究者みたいな顔して言わんで」
「最近ちょっと染まってきた」
「嫌やねぇ」
美咲が笑い、俺も笑った。
でも、次の質問で少しだけ表情が固まる。
「誰と会うん?」
「高城さんと」
「また高城さん?」
「あと、黒瀬さん」
「黒瀬さん?」
「前に話した人」
「ああ。土地買った人?」
「そう」
「何の集まりなん?」
「…………」
「またその間」
「ちょっと研究の相談」
「慎吾が?」
「そこ毎回引っかかる?」
「引っかかるよ」
美咲が俺を見る。
「最近さ」
「うん」
「大学行くとき、前より変な顔しよるよね」
「変な顔?」
「何か考え込んどる顔」
「…………」
「ほら」
「いや」
「何?」
「大したことじゃない」
「ふーん」
それ以上、美咲は聞かなかった。
そのほうが、少し痛かった。
「パパ!」
結衣がゼロを抱えて走ってくる。
「明日だいがく?」
「パパだけね」
「ゆいもいく!」
「今回はお留守番」
「ゼロは?」
「ゼロも」
「なんで!」
「難しい話があるから」
「ゆいできる!」
「何が?」
「おはなし!」
「それはできますね」
「いく!」
「今回は駄目です」
「やだ!」
結衣がゼロをぎゅっと抱きしめる。
一瞬、連れていくべきかと思った。
ゼロには【未来状態:未確定】が出ている。未観測要因とも、何か関係しているかもしれない。
でも、やめた。
何でも能力に結びつけるな。
必要になったら、そのとき考えればいい。
「じゃあ明日は、結衣とゼロでママ守って」
「わかった!」
「私守られるん?」
「ゼロが」
「壁に負けるやつが?」
ゴン。
ちょうどゼロが椅子にぶつかって倒れた。
「…………」
「戦力外やん」
「まだ成長途中です」
「おっきくなるよ!」
「誰が育てるん」
「高城さん?」
「研究者を何だと思っとるん」
「俺も最近分からなくなってきた」
美咲が笑い、結衣も笑う。
俺も一緒に笑った。
でも、さっきの美咲の言葉だけが残っていた。
『何の集まりなん?』
もう、いつまでも「研究の相談」だけでは通せない気がしていた。
◇
日曜日。
午前十時五十六分。
大学の会議室へ入ると、高城はすでにいた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「早いですね」
「十一時集合ですよ」
「四分前です」
「普通です」
「昨日何時間寝た?」
「六時間」
「成長した!」
「何で慎吾さんに褒められるんです?」
「前回四時間だったから」
「今日はちゃんと寝ました」
「良かったです」
机を見ると、中央にはあのUSBメモリが一本だけ置かれている。
「今日は少ないですね」
「余計な物を置かないことにしました」
「何で?」
「条件が増えるので」
「なるほど」
高城がUSBを見る。
「慎吾さん」
「はい」
「昨日の結衣ちゃんの絵について、もう一度確認します」
「はい」
「見ようとしたわけではない?」
「全然」
「手に取っただけ?」
「そうです」
「そこで【観測対象を検知】」
「はい」
「そのあと【関連対象:結衣】」
「はい」
「そして【未観測要因:1】」
高城がメモを取る。
「USBとまったく同じ?」
「最後の表示は」
「どう思います?」
「関連している可能性はあります」
「はい」
「でも、同じ要因だとはまだ言えない」
「ですよね」
「覚えましたね」
「そろそろ俺も研究者」
「それは違います」
「即答」
コンコン。
ドアが鳴った。
「どうぞ」
扉が開く。
「失礼します」
黒瀬だった。
いつものスーツに、いつもの落ち着いた顔。
「黒瀬さん」
「慎吾さん」
黒瀬が高城を見る。
「お久しぶりです」
「どうも」
高城が立ち上がる。
「検討会では何度かお会いしてますけど」
「ええ」
「こうしてゆっくり話すのは、三年ぶりくらいですか」
「それくらいですね」
何だろう。
変な感じだ。
俺の中では、黒瀬は未来を見る人で、高城は未来を作ろうとしている人だった。
その二人が今、同じ机を囲もうとしている。
「慎吾さん」
「はい?」
「何です、その顔」
「いや」
「何か?」
「ちょっと豪華メンバーだなって」
「…………」
高城と黒瀬が、そろって微妙な顔をした。
「何のメンバーです?」
「未来対策チーム?」
「勝手に名前をつけないでください」
「HOSHIMIよりは分かりやすい」
「それは私が傷つきます」
黒瀬が少し笑う。
「相変わらずですね」
「黒瀬さん、高城さんのこと結構知ってます?」
「研究の話は何度か」
「慎吾さん」
高城が俺を見る。
「始めても?」
「はい」
「日曜日なので」
「俺が呼んだみたいに言わないで」
「慎吾さんも来たでしょう」
「それはそう」
「では」
高城がUSBを机の中央へ置く。
そこで、空気が変わった。
◇
「まず、黒瀬さん」
「はい」
「確認です」
「どうぞ」
「三年ほど前。研究の将来性や企業動向について、何度か予測をいただきました」
「ええ」
「全部が能力によるものではない?」
「もちろんです」
「では、一部は?」
「使いました」
「…………」
高城が小さく息を吐く。
「やっぱり」
「まだ引っかかってたんです?」
俺が聞くと、高城は真顔で答えた。
「三年間です」
「執念深いな」
「研究者なので」
「便利すぎるだろ、その言葉」
黒瀬が高城を見る。
「すみませんでした」
「いえ」
「怒ってない?」
「むしろ納得しました」
「そっち?」
「データだけであの精度なら、私が研究者を辞めたくなるところでした」
「そこまで?」
「かなり」
高城がノートを開く。
「では本題です」
「はい」
「昨日、慎吾さんがこのUSBを観測しました」
黒瀬がUSBを見る。
「条件は?」
「将来、このUSBにHOSHIMIの事故関連データが保存される場合」
「結果は?」
俺が答える。
「未来価格は算出不能」
「…………」
「観測確度も算出不能」
「観測確度?」
「新しく出るようになったやつです」
「他には?」
「【情報不足を検知】」
黒瀬の表情が少し変わる。
「【観測対象に未取得情報が存在します】。そして――」
一度区切る。
「【未観測要因:1】」
「…………」
黒瀬がUSBを見る。
「それを私にも?」
高城が頷く。
「同じ対象を見ていただきたいです」
「同じ未来を?」
「いいえ」
高城は首を振った。
「むしろ、そこが今日の確認点です」
「どういうこと?」
俺が聞く。
「慎吾さんは、条件を意識すると、その条件に応じた未来価格や関連情報が出る」
「はい」
「でも黒瀬さんは、慎吾さんと同じように未来の条件を指定できるわけではない」
黒瀬も頷く。
「少なくとも、私はそのような見え方ではありません」
「じゃあ、同じ条件で見るって無理じゃ?」
「完全に同じ条件ではありません」
高城がUSBを指す。
「黒瀬さんには、このUSBとHOSHIMIの事故関連データとのつながりを意識してもらいます。そのとき何が見えるかを確認する」
「なるほど」
「つまり、二人の能力差そのものも含めて比較します」
「…………」
俺には数字。
黒瀬には未来の断片。
ただ見え方が違うだけだと、今まではそう思っていた。
でも、そもそも拾っている情報そのものが違う可能性もある。
「だから今日は」
高城が続ける。
「同じ対象を、それぞれの能力で見てもらいます」
黒瀬が俺を見る。
「慎吾さんは?」
「昨日もう見てます」
「今日は?」
「まだ」
答えると、高城が止めた。
「慎吾さんは後で」
「何で?」
「先に黒瀬さん単独の結果が欲しい」
「なるほど」
「条件を混ぜたくありません」
「研究者だなぁ」
「研究者です」
黒瀬が椅子へ深く座った。
「では、見ます」
「無理はしないでください」
「分かっています」
会議室が静かになった。
◇
黒瀬はUSBを見た。
俺とは違って、外から見ても何が起きているのか分からない。ただUSBを見つめているようにしか見えない。
一分。
二分。
「…………」
長い。
「高城さん」
「待ちましょう」
「はい」
三分が過ぎたころ、黒瀬の眉がわずかに動いた。
四分。
「黒瀬さん?」
俺が呼んでも返事がない。
額には、うっすら汗が浮かんでいた。
「黒瀬さん」
今度は高城が呼ぶ。
「一度やめましょう」
「…………」
「黒瀬さん」
その瞬間、黒瀬が大きく息を吸った。
「っ……」
「大丈夫ですか?」
「ええ」
USBから目を外し、ゆっくり椅子へ背中を預ける。
「頭痛?」
「少し」
「水あります」
「ありがとうございます」
俺がペットボトルを渡すと、黒瀬はキャップを開けて何口か水を飲んだ。
さっきまでより顔色が悪い。
「無理しないでくださいよ」
「慎吾さんに言われるとは思いませんでした」
「俺も最近、よく言われるんで」
黒瀬がわずかに笑う。
少しだけ呼吸が落ち着くのを待ってから、俺は聞いた。
「それで……何が起きたんです?」
「慎吾さん」
高城に呼ばれる。
「はい?」
「今は、起きたことを聞かないほうがいいです」
「…………あ」
分かった。
「見えたものだけ?」
「はい」
高城が頷く。
「まず黒瀬さんが実際に見たものを整理しましょう。意味や原因は、そのあとです」
「なるほど」
俺は黒瀬を見る。
「じゃあ改めて。何が見えました?」
黒瀬は俺と高城を交互に見た。
「慎吾さん」
「はい」
「高城さんに話したのは正解だったかもしれませんね」
「何で?」
「以前のあなたなら、今ので十個くらい先まで質問していたでしょう」
「そんなに?」
「していました」
高城も頷く。
「しますね」
「高城さんまで?」
「続けましょう」
「俺の扱い雑だな」
黒瀬が少し笑った。
「では、見えたものだけ話します」
「お願いします」
高城がノートへペンを走らせる。
「最初に見えたのは、研究室です」
「場所は分かります?」
「ここではありません」
「大学?」
「分かりません」
「時期は?」
「それも分かりません」
「人は?」
高城の質問に、黒瀬が少し考える。
「います」
「何人?」
「少なくとも四人」
「知っている人は?」
「います」
「誰?」
「慎吾さん」
「俺?」
「高城さん」
「私も?」
「ええ」
「黒瀬さん自身は?」
「います」
高城がメモを取る。
「では、三人は分かる。あと一人?」
「…………」
「顔は?」
俺が聞く。
「見えませんでした」
「何をしていました?」
「モニターを見ています」
「HOSHIMI?」
「おそらく」
「何が映ってました?」
「道路です」
「…………」
心臓が少し速くなる。
「道路?」
「夜です」
「場所は?」
「分かりません」
「他には?」
「雨が降っています」
「…………」
雨。
夜。
道路。
星見事故。
つなげたくなる。
でも、まだだ。
黒瀬が見たのは、夜の雨の道路。
今分かっているのは、そこまで。
「続けてください」
高城が言う。
「モニターの道路を見ていた」
「はい。そのあと……飛びました」
黒瀬の表情が曇る。
「何が?」
「場面です」
「いつもの分岐?」
「違います」
黒瀬はすぐに否定した。
「いつもは、未来が変われば場面そのものが変わります」
「今回は?」
「途中が抜けた感じです」
「抜けた?」
「研究室にいたはずなのに、次の瞬間には道路に立っていた」
「黒瀬さんが?」
「私の視点が、です」
「同じ道路?」
「おそらく」
「夜?」
「はい」
「雨?」
「はい」
「人は?」
「見えません」
「車は?」
「遠くに光だけ」
「信号?」
「あります」
そこで高城が一度質問を止めた。
黒瀬は呼吸を整えてから続ける。
「音がします」
「何の?」
「警報音」
「HOSHIMIの?」
俺が聞く。
「分かりません」
「声は?」
「…………」
黒瀬が止まった。
「ありました」
「誰の声です?」
「分かりません」
「何と言っていた?」
「一言だけです」
「何て?」
「『足りない』」
「…………」
高城のペンが止まった。
「足りない?」
「ええ」
「何が?」
「そこまでは分かりません」
情報不足。
未取得情報。
未観測要因――一。
頭の中で勝手につながり始める。
「慎吾さん」
「はい」
「今、答えを作ってません?」
「…………」
「顔に出てます」
「作りかけてました」
「まだです」
「はい」
高城。
ほんと必要だな。
「黒瀬さん」
高城が改めて向き直る。
「それで終わりですか?」
「ほぼ」
「ほぼ?」
一瞬、黒瀬が迷った。
「何かあります?」
俺が聞く。
「見えたことなら、意味が分からなくても教えてください」
高城がそう続けると、黒瀬はしばらく黙ったあと、頷いた。
「研究室に四人いたと言いました」
「俺たち三人と、もう一人」
「ええ」
「その人が?」
「私を見ていました」
「…………」
空気が変わった。
「黒瀬さんを?」
「はい」
「未来の中で?」
「ええ」
「顔は見えなかったんですよね?」
高城が確認する。
「見えませんでした」
「では、なぜ見ていたと?」
「分かるんです」
黒瀬の声が、初めて少しだけ硬くなった。
「視線を感じた?」
俺が聞く。
「近いです」
「普通の未来では?」
「ありません」
「一度も?」
「私が見る未来の中にいる人間は、私を認識しません」
「なぜ?」
「私はそこにいないからです」
「…………」
「未来の外側から、断片を見ているだけ」
「映像を見るような?」
「完全には違いますが、近いです」
「なのに今回は」
高城のペンが止まる。
「その人物が、未来の外側にいる黒瀬さんを見たように感じた?」
「…………」
「そうです」
背中が冷たくなる。
「目が合った?」
「顔は見えていません」
「でも」
「目が合った。そんな感覚でした」
「…………」
気持ち悪い。
俺の能力は、高城を認識した。
【観測協力者:1】
そして黒瀬は、未来の中の誰かに見返された。
「高城さん」
「はい」
「これ」
「まだです」
「まだ何も言ってない」
「顔で分かります」
「美咲みたいになってきたな」
「何が?」
「いや」
でも、高城もさっきまでより少し顔色が悪かった。
◇
「十分休みましょう」
高城が言った。
「賛成」
黒瀬も頷く。
「コーヒー買ってきます」
「俺、水」
「分かっています」
「黒瀬さんは?」
「ブラックで」
「二人とも研究者みたい」
「黒瀬さんは投資家です」
「知ってます」
高城が部屋を出る。
俺と黒瀬の二人になった。
「大丈夫です?」
「ええ」
「無理してない?」
「慎吾さんに言われるとは」
「俺、最近成長したんです」
「高城さんに?」
「調教されてるみたいに言わないで」
黒瀬が少し笑った。
「でも、良かったですね」
「何が?」
「話して」
「高城さんに?」
「ええ」
俺も思う。
「一人じゃ気づかなかったこと、多いです」
「でしょうね」
「黒瀬さんも誰かに話せばよかったのに」
「…………」
言ってから、しまったと思った。
紗奈。
あの頃、黒瀬は一人で未来を追い続けた。
「すみません」
「いえ」
黒瀬が首を振る。
「そうかもしれません」
「…………」
「当時は、自分以外の人間が未来に触れること自体が怖かった」
「何で?」
「未来を知れば、その人も変わるでしょう?」
「…………」
「私だけなら、私の行動だけ管理すればいい。でも家族にも影響する」
「ええ」
黒瀬は少しだけ目を伏せる。
「結果的に、全部一人で背負ったつもりになっていました」
「つもり?」
「家族は巻き込まれていましたから」
「…………」
「話していないだけで」
その言葉が胸に刺さる。
美咲。
俺は何も話していない。
でも大学へ行く。休日が減る。頭痛がある。急にぼーっとする。
金。
株。
土地。
全部。
美咲はもう十分巻き込まれている。
「慎吾さん」
「はい」
「奥様には」
「分かってます」
「…………」
「近いうちに話します」
黒瀬は何も言わなかった。
ただ、少しだけ安心したように見えた。
◇
「お待たせしました」
高城が戻ってくる。
「水」
「ありがとうございます」
「ブラック」
「どうも」
「では」
「もう再開?」
「十分経ちました」
「研究者の時間管理怖い」
「慎吾さん」
「はい」
「次はあなたです」
「…………」
USBは机の中央にある。
「見る?」
「はい」
「昨日と同じ条件?」
「いいえ」
「違う?」
「昨日までと違う点が一つあります」
「何?」
高城が黒瀬を見る。
「黒瀬さんが、このUSBに関係する未来を観測した」
「…………」
なるほど。
「その内容を聞いた俺が」
「はい」
「同じUSBを見る」
「そのとき、表示に何か変化が出るか確認します」
怖い。
でも、見たい。
「やります」
「深く追わない」
「分かってます」
「頭痛が強くなったら中止」
「はい」
「黒瀬さん」
「はい」
「慎吾さんが何か言っても、意味づけは後で」
「分かりました」
「俺だけ信用低くない?」
「実績です」
「反論できない」
USBを見る。
条件は昨日と同じ。
将来、このUSBにHOSHIMIの事故関連データが保存される場合。
ただ、俺の頭の中には、さっき黒瀬から聞いた未来もある。
研究室。
夜の道路。
雨。
警報。
『足りない』
そして、正体不明の四人目。
意識を向ける。
【条件付き未来価格:――――】
【未来価格:算出不能】
「未来価格は同じ」
「観測確度は?」
高城に言われ、少し意識する。
【観測確度:算出不能】
「同じ」
「他には?」
「待って」
表示が続く。
【情報不足を検知】
【未観測要因:1】
「ここも同じ」
高城が記録する。
「変化なし?」
「今のところ」
そのとき、表示が揺れた。
「…………」
「何か?」
高城が顔を上げる。
「待って」
新しい文字が浮かぶ。
【外部観測情報を検知】
「…………」
「何です?」
「外部観測情報」
高城の顔が変わり、黒瀬も反応した。
「外部?」
「何を指している?」
「分からない」
「直前に増えた情報は?」
高城が聞く。
「黒瀬さんが見た未来」
「…………」
三人とも黙った。
最初に口を開いたのは高城だった。
「可能性の一つとして、黒瀬さんの観測内容を、慎吾さんの能力が『外部観測情報』として扱ったのかもしれません」
「俺の能力が?」
「断定はできません。ただ、タイミングは一致しています」
さらに表示が続く。
【観測情報を照合します】
「…………」
「照合?」
「そう出てます」
「何と何を?」
「俺が聞きたい」
頭の奥が少し痛む。
「慎吾さん」
「まだ軽い」
「追わないでください」
「俺、何もしてない」
「え?」
「勝手に出てる」
「…………」
そう。
前から少しずつ増えている。
俺が見ようとしなくても、能力のほうから表示が出る。
「慎吾さん」
黒瀬が言う。
「一度、目を離しては?」
「やってみます」
USBから目を外し、壁を見る。
「消えました?」
高城が聞く。
「消えない」
目を閉じる。
「どうです?」
「まだ見える」
「…………」
高城の顔から笑いが消えた。
「慎吾さん」
「はい」
「今、何を観測しているんです?」
「…………」
USBではない?
もう見ていない。
でも、表示はある。
【観測情報を照合します】
何と何を照合している?
数秒後、文字が変わった。
【照合完了】
「終わった」
「結果は?」
「待って」
次の表示。
【未観測要因:1】
「…………」
「同じ?」
高城が聞く。
「はい」
高城のペンが止まる。
「黒瀬さんの観測情報が加わっても、一のまま」
「ですね」
「では――」
「待って」
もう一行浮かぶ。
【未観測要因の一部を外部観測情報から補完】
「…………」
「何です?」
「一部補完された」
「何が?」
「未観測要因」
高城が立ち上がる。
「外部観測情報で?」
「そう読めます」
高城は一度だけ頷いた。
「今のところ、事実として言えるのはそこまでですね」
「はい」
黒瀬が少し笑う。
「慎吾さん」
「何です?」
「だいぶ高城さんに慣らされましたね」
「やっぱり調教みたいに言うな」
でも、表示は続いている。
頭痛も少し強くなってきた。
「高城さん」
「はい」
「次」
「何です?」
【未観測要因:解析可能】
「…………」
声が出ない。
「慎吾さん?」
「解析可能」
「何が?」
「未観測要因」
黒瀬の表情も変わる。
「見られるんですか?」
「たぶん」
「…………」
見たい。
喉の奥が乾く。
結衣。
HOSHIMI。
未観測要因。
その正体。
今なら、もしかしたら分かる。
「慎吾さん」
「…………」
「私なら、今日は見ません」
高城が静かに言う。
「理由は?」
「今、初めて黒瀬さんの観測情報が慎吾さんの能力に影響した可能性があります」
「はい」
「何が起きるか分からない。それに頭痛も出ている」
「まだ我慢できます」
「我慢できるかどうかではありません」
「…………」
黒瀬も続ける。
「私も今日はやめたほうがいいと思います」
「黒瀬さんまで?」
「ええ」
「理由は?」
「急いで失敗した経験があります」
「…………」
強い。
その言い方は。
「ずるいな」
「経験です」
表示はまだ出ている。
【未観測要因:解析可能】
一歩踏み込めば、見えるかもしれない。
でも、俺は一人じゃない。
高城も黒瀬も、やめたほうがいいと言っている。
「…………」
「やめます」
高城が小さく息を吐いた。
「賢明だと思います」
「俺も成長しましたね」
「今日は褒めます」
「やった」
「よく止まりました」
「四歳児みたい」
「結衣ちゃんのほうが素直かもしれません」
「それは否定できない」
黒瀬が笑い、俺も笑う。
少しだけ緊張が抜けた。
その瞬間。
【解析を保留します】
「…………」
笑いが止まった。
「どうしました?」
高城が聞く。
「保留された」
「何が?」
「解析」
「慎吾さんがやめたから?」
「分からない」
高城がまたノートへ書き込む。
「意思に反応した可能性……」
「それもまだ?」
「仮説です」
「はいはい」
すると、もう一つ表示が出た。
【観測協力者:2】
「…………」
数字を二度見る。
一じゃない。
二。
「高城さん」
「はい」
「増えた」
「何が?」
「観測協力者」
「…………」
黒瀬も俺を見る。
「いくつに?」
「二」
「…………」
会議室が急に静かになった。
昨日、高城と能力を分析したあとに現れた。
【観測協力者:1】
そして今日。
黒瀬が未来を見て、その情報を俺の能力が照合した。
そのあとに。
【観測協力者:2】
「高城さん」
「はい」
「一が高城さんで」
「断定はまだできません」
「分かってます」
俺は黒瀬を見る。
「でも、二人目は黒瀬さんじゃない?」
高城はすぐには答えなかった。
「可能性は――」
一拍。
「かなり高くなりました」
「…………」
黒瀬には表示が見えていない。
それでも、俺を見る顔はいつもと違った。
「何です?」
「いえ」
「何?」
「私も」
黒瀬が言う。
「能力に見られているんでしょうか」
「…………」
その言葉が、少し怖かった。
俺たちが能力を調べている。
ずっと、そう思っていた。
高城が入ったことで、能力は高城を認識した。
黒瀬が未来を見たことで、その情報まで取り込んだ。
そして今度は、黒瀬まで認識したように見える。
【観測協力者:2】
「高城さん」
「はい」
「これ」
「何です?」
「俺たちが能力を調べてるんですかね」
「…………」
「それとも」
表示を見る。
「能力のほうが、一緒に見る人を増やしてるんですかね」
「…………」
高城も黒瀬も答えなかった。
まだ答えられない。
俺にも分からない。
ただ、一つだけはっきりしている。
もう、未来を見るのは俺一人じゃない。
高城と黒瀬。
そして俺。
三人で初めて、同じ未来そのものではなく――
その入口を、一緒に見始めた。




