第40話 観測協力者
【観測協力者:1】
表示は消えなかった。
「…………」
俺は高城さんを見る。
高城さんも俺を見る。
「まだ出ていますか?」
「出てます」
「数字は?」
「一」
「変化なし?」
「はい」
「…………」
高城さんが黙る。
珍しい。
さっきまでなら、表示が一つ増えるたびに質問が五個くらい飛んできていた。
「高城さん?」
「考えています」
「何を?」
「どこまでを事実として扱っていいか」
「…………」
「慎吾さん」
「はい」
「今、確実に言えることは三つです」
「もう整理したん?」
「一つ」
高城さんが指を一本立てる。
「昨日まで【観測協力者】という表示はなかった」
「はい」
「二つ」
二本目。
「慎吾さんが、私との関係を意識して観測した直後に表示された」
「はい」
「三つ」
高城さんが自分を指す。
「現時点で、慎吾さんと一緒に能力を分析している人間は私一人です」
「じゃあ、やっぱり」
「待ってください」
「はい」
「だからといって」
高城さんが言う。
「この『一』が、私を意味しているとは限りません」
「え?」
「観測協力者が人間とは書いていない」
「…………」
まただ。
「高城さん」
「はい」
「そういうとこですよ」
「何が?」
「俺なら絶対、高城さんだって決めつけてました」
「その可能性が一番高いとは思っています」
「でも」
「確定ではありません」
「…………」
「研究者めんどくさ」
「褒め言葉として受け取ります」
「褒めてない」
でも。
この面倒くささが、今はありがたい。
俺は数字や文字を見つけると、すぐに意味を決めたがる。
結衣の絵も。
三十七から三十四へ減った生存分岐も。
表示を見た瞬間、自分の中で答えにしてしまう。
高城さんは、その一歩手前で止めてくれる。
「じゃあ、どうするんです?」
「確認します」
「ですよね」
「何です、その反応」
「もう分かってきた」
「何が?」
「高城さんの行動」
「いい傾向です」
「嬉しくない」
高城さんがノートを開く。
「まず、この表示が本当に私と関係しているのか」
「どうやって?」
「簡単です」
「嫌な予感するな」
「私が部屋から出ます」
「…………」
「それだけ?」
「それだけです」
「珍しく簡単」
「では」
高城さんが立ち上がる。
「五分後に戻ります」
「はい」
「その間」
机の上の鍵を指す。
「同じ対象を観測してください」
「了解」
「ただし、深く見ない」
「分かってます」
「頭痛があれば中止」
「はい」
「新しい表示が出ても追わない」
「分かりましたって」
「記録は」
「スマホ!」
「よろしい」
「先生か」
高城さんが会議室を出る。
ドアが閉まった。
「…………」
静かになった。
室内には俺一人。
机の上には、さっきまでと同じ鍵。
ゆっくり視線を落とす。
【10年後の価格:3,200円】
【観測確度:72.4%】
「…………」
観測確度は出ている。
なら。
観測協力者は?
【観測協力者:1】
「…………え?」
消えていない。
「高城さん」
いないぞ。
当然、返事はない。
もう一度、鍵を見る。
【観測協力者:1】
変わらない。
「じゃあ……」
一人で呟く。
「高城さんじゃない?」
その瞬間。
表示が一度揺れた。
「…………」
文字が薄くなり。
その下に新しい一行が浮かぶ。
【観測協力者:1】
【接続状態:維持】
「…………」
増えた。
「いやいやいや」
すぐにスマホを取る。
『9:17 高城さん退室後も観測協力者1』
『接続状態:維持 新規表示』
「接続って何だよ……」
誰と。
何が。
つながっている?
そう考えた瞬間、意識が少しだけ深く入りそうになる。
「…………」
やめた。
昨日までなら、答えが出るまで追っていただろう。
今はスマホへ一行。
『意味不明。追わない』
「…………」
成長したな、俺。
自分で言うのも何だけど。
ちょっと偉い。
そのとき、ドアが開いた。
「どうでした?」
「早くない?」
「五分です」
「もう?」
「はい」
「研究してると時間早いな」
「何か出ました?」
「出ました」
高城さんの目が一気に変わる。
「何が?」
「その顔怖い」
「慎吾さん」
「はいはい」
スマホを見せる。
「観測協力者は一のまま」
「…………」
「あと、【接続状態:維持】って」
高城さんが止まった。
「やっぱり嫌な言葉ですよね?」
「嫌というより」
「はい」
「興味深いです」
「研究者だった」
高城さんは、すぐに考え始める。
「私が部屋から出ても維持された」
「はい」
「つまり、観測協力者は物理的な距離だけでは決まらない可能性があります」
「高城さんじゃない可能性は?」
「あります」
「でも?」
「私である可能性も残ります」
「何で?」
「一度成立した関係が、距離だけでは解除されない可能性がある」
「…………」
「ただし」
「はい」
「今の段階で『接続』という言葉の意味を決めないでください」
「分かってます」
「本当に?」
「さっき」
スマホを見せる。
「自分で追うのやめました」
高城さんが少しだけ笑った。
「それは偉いです」
「高城さんに褒められた」
「記録しておきます?」
「それはいらない」
高城さんがノートへ書き込む。
『観測協力者は距離に依存しない可能性』
「じゃあ」
俺は聞く。
「解除できるんです?」
「試したいですか?」
「いや」
「即答ですね」
「何か怖い」
「私もです」
「…………」
「高城さんが?」
「怖いですよ」
普通にそう言った。
「分からないものを触っているんですから」
「研究者って」
少し笑う。
「怖くないのかと思ってた」
「逆です」
「逆?」
「怖いから慎重に調べるんです」
「…………」
「それに」
少しだけ声が変わった。
「慎吾さんの能力は、単なる研究対象ではありません」
「…………」
「結衣ちゃんの未来に関わっている」
「はい」
「失敗できない」
「…………」
その一言に、少しだけ安心した。
高城さんは面白がっている。
間違いなく。
たぶん、ものすごく。
でも。
遊んでいるわけじゃない。
◇
「次は?」
「今日は終わりでもいいですが」
「嘘でしょ」
「何が?」
「その顔」
高城さんを見る。
「絶対まだやりたい顔」
「…………」
「ほら」
「一つだけ」
「出た」
「安全な確認です」
「何?」
高城さんが机の上のボールペンを取る。
「私が条件を言います」
「はい」
「慎吾さんが見る」
「はい」
「結果を私が分析する」
「さっきと同じじゃ?」
「少し違います」
「何が?」
「今度は、私と一緒に結果を見ることを意識した状態で観測してください」
「観測協力者を意識する?」
「そうです」
「それで何が変わるか見る?」
「はい」
「なるほど」
ボールペンを見る。
「条件は?」
「十年後」
「はい」
「このペンがHOSHIMI研究室で保管されている場合」
「了解」
意識する。
高城さんと一緒に。
この結果を見る。
数字だけじゃなく、その意味まで考える。
【条件付き未来価格:1,200円】
【観測確度:68.1%】
「千二百円」
「観測確度は?」
「六十八・一」
「さっきの鍵より低い」
「対象が違いますけどね」
「その通りです」
「他には?」
「ないです」
「では」
高城さんが少し考える。
「このペンが十年後、研究室ではなく慎吾さんの自宅にある場合」
「何で俺が持って帰るん?」
「条件です」
「はい」
見る。
【条件付き未来価格:0円】
【観測確度:91.2%】
「ゼロ」
「観測確度は?」
「九十一・二」
「上がった」
「ですね」
「つまり――」
「待って」
「…………」
高城さんが止まる。
「何です?」
「危ない」
「何が?」
俺は少し笑った。
「今、九十一・二だから、その未来が起きやすいって言おうとしたでしょ」
「…………」
「言おうとした?」
「少し」
「高城さんでもやるんだ」
「人間なので」
「ちょっと安心した」
「忘れてください」
「記録しときます」
「消してください」
少し笑う。
そのあと、高城さんはすぐに真面目な顔へ戻った。
「やはり、観測確度は対象や条件によって大きく変化する」
「うん」
「基準はまだ不明です」
「候補は?」
「情報量」
指を一本。
「未来までの時間」
二本。
「分岐の多さ」
三本。
「あるいは」
「はい」
「慎吾さん自身の理解度」
「俺?」
「可能性です」
「俺が詳しく知ってる物なら、観測確度が上がるとか?」
「あり得ます」
「逆に知らない物なら下がる?」
「それもあり得る」
「試す?」
「今日はやめます」
「え?」
珍しい。
「新しい情報が増えすぎています」
高城さんがノートを見せる。
『観測条件』
『観測確度』
『観測協力者』
『接続状態』
「昨日まで一つもなかったものが、一日で四つです」
「確かに」
「これ以上増やすと、意味を整理する前に次へ進んでしまう」
「研究者でも?」
「研究者だからです」
「また便利な言葉」
「便利でしょう?」
高城さんがノートを閉じる。
「今日はここまで」
「分かりました」
俺も立ち上がる。
そのとき。
机の端に、USBメモリが見えた。
「…………」
「慎吾さん?」
「いや」
「何です?」
「一個だけ」
「駄目です」
「まだ何も言ってない」
「顔で分かります」
「見るだけ」
「何を?」
USBを指す。
「昨日の」
「事故関連データの?」
「はい」
昨日は。
【未来価格:算出不能】
だった。
でも今は、観測協力者という表示がある。
「同じ条件で見たら」
「…………」
「何か変わるかもしれない?」
高城さんが黙る。
「USB自体は危なくないですよ」
「物自体は」
「深く見ません」
「…………」
「頭痛が来たら即やめます」
高城さんがため息をつく。
「一回だけです」
「よし」
「喜ばないでください」
USBを見る。
条件は昨日と同じ。
HOSHIMIの事故関連データを保存する。
【条件付き未来価格:――――】
【未来価格:算出不能】
「同じ」
「観測確度は?」
「見てみます」
少しだけ意識する。
【観測確度:算出不能】
「…………」
「どうです?」
「こっちも、算出不能」
高城さんがUSBを見る。
「通常の価格だけが算出できないわけではない」
「観測確度も?」
「はい」
「…………」
「つまり、何らかの理由で観測そのものが成立していない可能性があります」
「何で?」
「それが分かれば苦労しません」
「ですよね」
「本当に今日はやめましょう」
「はい」
視線を外そうとした。
その瞬間。
文字が浮かんだ。
【未観測要因:1】
「…………」
止まる。
「慎吾さん?」
「出た」
「何が?」
「未観測要因」
「…………」
「一」
高城さんの顔が変わった。
「他には?」
「ないです」
「深く見ない」
「分かってます」
俺も。
もう追わない。
「未観測要因……」
「言葉どおりなら」
高城さんが慎重に言う。
「私たちがまだ観測できていない何かが、一つ存在する」
「…………」
「でも」
「はい」
「それが人なのか、条件なのか、出来事なのか」
「…………」
「そもそも本当に『一個』と数えていい種類のものなのか」
「分からない」
「そうです」
高城さんが俺を見る。
「今言えるのは」
一拍。
「ここまでです」
「…………」
「それ以上は?」
「見ません」
「よろしい」
俺はUSBから目を離した。
表示が消える。
「…………」
今日はここまで。
本当に、ここまでだ。
◇
大学を出たあと。
車へ乗り込む。
エンジンをかける前に、今日の観測記録を見る。
【観測確度】
【観測協力者】
【接続状態】
【未観測要因】
「増えすぎだろ……」
最初は、値段だけだった。
物を見る。
今の価格。
十年後の価格。
ちょっと便利で、金儲けにも使えそうな能力。
それだけだと思っていた。
でも。
結衣の死を示した。
未来の分岐を見せた。
星見事故の発生予定まで動いた。
そして今。
俺以外の人間まで、能力の表示に関係し始めている。
「何なんだよ」
ハンドルへ手を置く。
「お前……」
誰もいない。
当然、答えはない。
スマホには、昨日撮った結衣の写真。
ゼロを抱えて笑っている。
「…………」
大学で出た表示を、もう一度思い出す。
【未観測要因:1】
HOSHIMIの事故関連データには、俺たちがまだ知らない何かがある。
だったら調べればいい。
でも。
急がない。
決めつけない。
今は一人じゃない。
高城さんがいる。
黒瀬さんもいる。
美咲には、まだ話せていないけど。
「…………」
一人で決めない。
俺はエンジンをかけた。
そのとき、ふと頭に浮かんだ。
結衣の絵。
いや。
正確には、もう一枚。
家族三人とゼロが描かれた、あの絵。
「…………」
あれにも。
未観測要因があるんだろうか。
「…………」
見るな。
今日はやめる。
高城さんにも言われた。
自分でも、そう決めた。
俺はスマホを伏せ、車を出した。
◇
「パパー!」
玄関を開けた瞬間、結衣が走ってくる。
「ただいま」
「ゼロね!」
「はい」
「いっぱいあるいた!」
「電池は?」
「ある!」
「充電池強いな」
「慎吾」
「ん?」
美咲がリビングから顔を出す。
「研究どうやった?」
「…………」
「何その間」
「いっぱい」
一度考える。
「分からないことが分かりました」
「何それ」
「俺も分からん」
「研究向いてないんじゃない?」
「今日、高城さんにも似たようなこと言われた気がする」
「パパ!」
「はい」
「ゼロみて!」
「はいはい」
結衣に手を引かれる。
リビング。
ゼロはいつものように床を歩いている。
ウィーン。
ゴン。
壁にぶつかって倒れる。
「パパ!」
「はい」
「またぶつかった!」
「でしょうね」
「なおして!」
「俺にどうしろと」
「HOSHIMI!」
「…………」
美咲を見る。
「私じゃないよ」
「まだ何も言ってない」
「顔で分かる」
結衣が笑う。
美咲も笑う。
俺も少し遅れて笑った。
そのとき。
棚の端に、一枚の絵が見えた。
「…………」
前から置いてある絵。
家族三人。
そして。
ゼロ。
以前、未来価格を見た。
【10年後の価格:420,000,000円】
【価格上昇理由:作者死亡】
【関連企業:アステラ・ロボティクス】
あの絵だ。
「パパ?」
「ん?」
「なにみてる?」
「絵」
「ゆいの!」
「そうですね」
結衣が嬉しそうに絵を取る。
「パパとー」
「うん」
「ママとー」
「うん」
「ゆいとー」
「はい」
「ゼロ!」
「覚えてます」
「ゼロ、かぞく!」
「昇格したもんな」
「うん!」
結衣が笑う。
俺も笑った。
未来価格は見ない。
今日はそう決めている。
でも。
絵から目を離そうとした、その瞬間。
【未観測要因:1】
「…………」
指が止まった。
「パパ?」
表示は、それだけ。
未来価格も。
価格上昇理由も。
何も出していない。
なのに。
【未観測要因:1】
大学で。
HOSHIMIの事故関連データから見えた数字。
【未観測要因:1】
そして今。
家族三人とゼロが描かれた絵にも。
同じ。
一。
「…………」
同じ何かを指している?
そう思いかけて。
止めた。
決めつけるな。
USBにはUSBの未観測要因が一つ。
絵には絵の未観測要因が一つ。
ただ、それだけかもしれない。
同じ対象なのか。
まったく違うものなのか。
今はまだ分からない。
「パパ?」
「ん?」
「じょうず?」
結衣が絵を持って俺を見る。
「上手」
「ほんと?」
「うん」
一度、息を吐く。
「めちゃくちゃ上手」
「やったー!」
結衣が笑う。
俺も笑った。
でも。
表示は消えない。
【未観測要因:1】
俺は深く見ない。
追わない。
ただ一つだけ、分かった。
見えていないんじゃない。
俺たちはまだ。
観測できていない何かがある。
HOSHIMIにも。
結衣の絵にも。
同じなのか。
違うのか。
それすらまだ分からない。
でも。
もし。
その一つが。
星見事故の未来を決める最後の欠片だとしたら。
「…………」
俺たちはまだ。
一番大事なものを。
見てすらいない。
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