第34話 未来が遠ざかる
高城さんから連絡が来たのは、翌週の水曜日だった。
『奥様にお礼を伝えておいてください』
「何のお礼?」
昼休み。
社員食堂の隅でスマホを見る。
『研究案、通りました』
「…………」
思わず姿勢を正した。
『あの端末?』
『はい。正式な研究テーマとして進められることになりました』
「早いな」
『まだ予備研究ですけどね』
『教授、よく通しましたね』
『慎重ではありましたが、可能性はあると』
「へえ」
続けて、一枚の画像が送られてくる。
研究計画書の一部らしい。
『児童向け個人警告インターフェースの基礎研究』
目的は。
危険予測情報を子供本人へ直接伝達し、行動変容につなげられるかを検証すること。
「…………」
ちゃんと研究になってる。
ほんの少し前まで。
美咲が朝飯を食べながら、
『子供に直接教えたら駄目なん?』
そう言っただけだった。
それが今。
大学の研究計画書に載っている。
『すごいですね』
『奥様の意見がきっかけですよ』
『本人たぶん忘れてます』
『忘れないようにしてください』
「無理だろうな」
美咲自身。
自分がそんなに大きなことを言ったとは思っていない。
何なら今日の夕飯を何にするかのほうが重要だと思っているはずだ。
『あと』
高城さんから、もう一通。
『試作機、改良します』
『もう?』
『軽量化と色ですね』
「…………」
『ピンク?』
『候補には入れます』
「本当に結衣基準になってるな」
『使用者の意見ですから』
研究者。
強い。
◇
その日の夜。
「研究になったって」
「何が?」
美咲は冷蔵庫を開けながら答えた。
「ほら。子供に直接教えるやつ」
「ああ」
「ああ、なん?」
「何?」
「もうちょっと驚かん?」
「なんで?」
「美咲の案ですよ」
「私が作るんじゃないやろ?」
「まあ」
「なら高城さんたち頑張って」
「軽いなぁ」
「研究者やもん。研究するのが仕事やろ」
「それはそうですけど」
美咲が牛乳を取り出す。
「でも、役に立つならいいやん」
「うん」
「事故減るんやろ?」
「そうなれば」
「じゃあ頑張ってもらお」
終わり。
本当にそれだけだった。
「美咲」
「何?」
「自分がすごいこと言ったと思わん?」
「思わん」
「即答」
「だって」
美咲が冷蔵庫を閉める。
「子供が危ないなら、子供に教えたほうが早いやん」
「…………」
「そんな難しいこと?」
「研究者が四日で試作機作るくらいには」
「暇なんやね」
「まだ言う?」
リビングから結衣の声が飛んでくる。
「ママー!」
「何ー?」
「ゼロこけたー!」
「パパに言ってー!」
「パパー!」
「はいはい」
俺はゼロを起こしに行く。
結局。
未来を大きく動かす人間って。
本人は案外。
こんなものなのかもしれない。
◇
結衣を寝かせたあと。
俺は自分の部屋へ入り。
未来価格ノートを開いた。
『個人警告端末 正式研究へ』
書き足す。
そして。
スマホに保存している例の土地の資料を開いた。
八百万円だった土地。
今は黒瀬さんの所有。
通常の未来では。
【10年後の価格:184,000,000円】
実証地域から除外された場合。
【条件付き未来価格:12,600,000円】
条件成立率は。
前に見たとき。
十八・四%。
「…………」
見る。
深くは潜らない。
数字だけ。
【条件成立率:27.9%】
「…………え?」
もう一度。
【条件成立率:27.9%】
「上がってる」
十八・四から。
二十七・九。
一気に。
九・五ポイント。
「美咲……?」
美咲が検討会に参加した。
子供本人への警告を提案した。
その案が研究になった。
そして今。
あの土地を実証地域から外す未来の成立率まで上がっている。
「どうつながってるんだ?」
まだ分からない。
でも。
偶然で済ませるには。
動きが大きすぎる。
もう一つ。
確認したいものがある。
「星見事故……」
以前。
俺が検討会で自動介入を提案したあと。
【発生予定時期:現在予測より184日後方へ変動】
事故の未来が。
百八十四日。
後ろへ動いた。
半年以上。
それだけでも。
あのときは信じられない変化だった。
今は?
意識する。
頭の奥に。
わずかな痛み。
まだ軽い。
【関連事象:星見事故】
続く。
【発生予定時期:前回予測より153日後方へ変動】
「…………」
一瞬。
意味が分からなかった。
「百五十三日……?」
前回から。
さらに。
百五十三日。
机の上のノートへ視線を落とす。
百八十四。
百五十三。
「…………」
スマホの電卓を開く。
足す。
337
「三百三十七日……」
ほぼ。
一年。
「また遠ざかった……」
俺は椅子から立ち上がった。
「やった……」
小さく。
声が出る。
事故そのものは消えていない。
結衣の絵も。
まだ高いまま。
それでも。
星見事故は。
確かに遠ざかっている。
「美咲の案で……?」
未来改変率を見る。
【未来改変率:2.47%】
表示が一度揺れる。
【未来改変率:3.06%】
「三%……」
まだ小さい。
でも。
最初は。
〇・一四%。
今は。
三・〇六%。
数字だけなら。
二十倍以上。
「いける」
胸の奥が熱くなる。
「これ、いけるぞ」
星見事故を。
もっと先へ。
もっと遠くへ。
そして最後には。
なくせるかもしれない。
「…………」
結衣の絵を見る。
表示する。
【現在価格:0円】
【10年後の価格:293,600,000円】
【価格上昇理由:作者死亡】
「…………」
変わっていない。
星見事故は遠ざかった。
でも。
結衣の死亡未来が遠ざかったとは。
まだ分からない。
「別なのか……?」
星見事故と。
結衣の死。
強くつながっている。
それは間違いない。
でも。
同じものだとは。
まだどこにも表示されていない。
「…………」
喜びたい。
実際。
嬉しい。
それでも。
まだ。
全部が良くなったとは言えない。
◇
スマホを取った。
黒瀬さん。
電話をかけようとして。
時間を見る。
午後十時十八分。
「遅いか」
メッセージにする。
『星見事故がまた動きました』
送信。
三十秒ほどで既読。
そして。
すぐに着信。
「電話するんかい」
出る。
「もしもし」
『どれくらいです?』
「いきなりそこ?」
『重要なので』
「前回から、さらに百五十三日」
沈黙。
「黒瀬さん?」
『前回が百八十四日でしたね』
「はい」
『合わせて三百三十七日……』
「ほぼ一年です」
『…………』
「すごくないです?」
『何をしました?』
「何をって」
『前回確認してから今日までに』
「美咲の案が正式に研究になりました」
『個人端末ですか』
「知ってる?」
『高城さんから概要は』
「あと、土地」
『土地?』
「実証地域から外れる条件成立率が上がってます」
『何%に?』
「二十七・九」
黒瀬さんが黙った。
「黒瀬さん」
『…………』
「良い方向ですよね?」
『数字だけ見れば』
「またそれ?」
『慎吾さん』
「はい」
『少し待ってください』
「何を?」
『喜ぶのを』
「…………」
腹が立った。
「何で?」
『変化が大きすぎます』
「良くなってるんですよ」
『分かっています』
「事故が合計で三百三十七日も遠ざかった」
『はい』
「未来改変率も三%超えた」
『…………』
「結衣が助かる未来に近づいてるんじゃないんですか?」
『その可能性はあります』
「なら」
『だから怖いんです』
「…………」
意味が分からない。
「良くなったから怖い?」
『はい』
「何で?」
黒瀬さんがしばらく黙った。
電話の向こうから。
かすかに車の音。
外にいるのか。
『慎吾さん』
「はい」
『未来が大きく動くときには、必ず原因があります』
「美咲の案でしょ?」
『それだけならいい』
「それだけじゃない?」
『分かりません』
「…………」
『未来を変えたのが奥様の提案だけなのか』
一拍。
『それとも、別の何かが同時に動いているのか』
「別の何か?」
『私たちには、未来の全部が見えるわけじゃない』
「…………」
『見えている部分が良くなったからといって』
黒瀬さんの声が。
少し低くなる。
『見えていない部分まで良くなったとは限らない』
「またそれか……」
『慎吾さん』
「はい」
『私は昔――』
そこで。
黒瀬さんの声が止まった。
「何?」
『…………』
「昔、何です?」
『いえ』
「今言いかけたでしょ」
『今日はやめておきましょう』
「黒瀬さん」
『遅い時間です』
「そういう逃げ方?」
『便利でしょう?』
「全然笑えないです」
『すみません』
絶対に。
何かある。
「黒瀬さん」
『はい』
「昔」
一度。
言葉を切る。
「未来を変えたことあるんですよね」
沈黙。
「前に言ってた」
『…………』
「未来を知って」
一拍。
「変えようとして」
さらに。
「もっと悪くしたことがあるって」
『覚えていましたか』
「そりゃ覚えてます」
『…………』
「今の俺と同じ?」
『違います』
「何が?」
『私は』
黒瀬さんが。
一度息を吐く。
『もっと急いでいました』
「…………」
『そして』
少し間。
『うまくいったと思った』
「何が?」
今度は。
長い沈黙。
『死ぬはずだった人が』
「…………」
『一度、生き残ったんです』
俺は。
何も言えなかった。
「助けた……?」
『そう思いました』
「じゃあ成功じゃ」
『そのときは』
「…………」
嫌な。
言い方。
「そのあと?」
『慎吾さん』
「はい」
『今日は、本当にここまでにしましょう』
「いや」
『話すなら会って話します』
「また?」
『これは電話でする話じゃない』
「…………」
黒瀬さんの声は。
さっきまでとは違っていた。
いつもの。
余裕がない。
「分かりました」
『すみません』
「いつ会えます?」
『連絡します』
「早めに」
『ええ』
通話が切れた。
「…………」
死ぬはずだった人を。
一度は。
助けた。
それなのに。
黒瀬さんは今。
未来が良くなることを怖がっている。
「何があったんだよ……」
◇
翌朝。
「パパ!」
「ん?」
「十一!」
「何が?」
「じゅういち!」
結衣が両手を広げている。
「急にどうした?」
「きのうママがいってた!」
「何を?」
美咲を見る。
「何?」
「十一って教えた?」
「ああ」
美咲が笑う。
「結衣が何歳まで大きくなるって聞くから」
「それで十一?」
「違うよ」
結衣が割り込む。
「じゅういちさい!」
「十一歳?」
「うん!」
「何で十一?」
「しょうがくせい!」
「…………」
心臓が。
一瞬だけ。
止まりそうになる。
十一歳。
黒瀬さんが見た。
星見事故が三年前倒しになった未来。
結衣が。
死ぬ年齢。
「慎吾?」
「ん?」
「何その顔」
「いや」
結衣が笑っている。
「じゅういちさい、おっきい?」
「大きいよ」
「パパより?」
「それは無理かな」
「ママより?」
「それもまだかな」
「ゼロは?」
「ゼロよりは大きい」
「やった!」
何に勝ったんだ。
美咲が笑う。
「十一歳になったら、もうパパと遊んでくれんかもね」
「遊ぶ!」
「ほんと?」
「うん!」
「約束な」
「やくそく!」
結衣が小指を出す。
俺も出して。
指を絡める。
「十一歳も」
「うん!」
「十四歳も」
「じゅうよん?」
「その先も」
「うん!」
「ずっと遊ぼうな」
「うん!」
結衣は。
何も知らずに笑う。
俺も笑った。
「…………」
星見事故は。
昨日。
また遠ざかった。
でも。
それで結衣の寿命まで延びたとは限らない。
絵の未来価格は。
まだ変わっていない。
だから。
十一歳も。
十四歳も。
その先も。
まだ。
俺が勝手に約束できる未来じゃない。
それでも。
約束したかった。
絶対に。
そこまで連れていく。
その先にも。
『うまくいったと思った』
黒瀬さんの言葉が。
頭の奥に残っている。
死ぬはずだった人を。
一度は救った。
それでも。
失敗した。
◇
会社へ向かう前。
俺は車の中で。
未来価格ノートを開いた。
『星見事故 前回予測より153日後方』
『累計337日後方』
『条件成立率 27.9%』
『未来改変率 3.06%』
その下。
書く。
『未来は良くなっている?』
「…………」
疑問符。
昨日までなら。
つけなかったと思う。
事故が遠ざかった。
改変率が上がった。
だったら成功。
そう思っていた。
でも。
黒瀬さんは違う。
あの男は一度。
成功したと思って。
その先で。
失敗した。
「…………」
ペンを動かす。
『黒瀬が救った人物は誰?』
『その後、何が起きた?』
そして。
『なぜ、未来が良くなることを怖がる?』
少し考えて。
もう一つ。
『星見事故が遠ざかることと、結衣の死は同じなのか?』
ノートを閉じる。
答えは。
まだ。
どこにもない。
◇
その日の夕方。
高城さんから。
また一枚の資料が送られてきた。
『教授から正式に許可が出ました』
「何の?」
開く。
研究計画。
個人警告端末。
街側の危険予測。
複数の安全機構。
まだ。
初期構想。
そこまでは。
さっき見た内容と大きく変わらない。
でも。
ページの上。
仮称。
「…………」
俺の指が。
止まった。
『次世代危険予測・生活支援システム』
『Project HOSHIMI(仮称)』
「…………」
HOSHIMI。
読む。
「ほしみ……」
もう一度。
「星見……?」
背中が。
冷たくなる。
黒瀬さんのノート。
結衣の絵。
何度も見た表示。
【関連事象:星見事故】
「…………」
事故の場所じゃない。
地名でもない。
人の名前でもない。
星見。
それは。
今。
まさに。
高城さんたちが作り始めた。
事故を防ぐためのシステムの名前だった。
「嘘だろ……」
結衣を助けるために。
俺と美咲が関わって。
未来を変えるために。
作られ始めたもの。
それが。
未来では。
結衣が死ぬ事故の名前になっている。
「…………」
事故は。
遠ざかった。
未来改変率も。
上がった。
土地の条件成立率まで。
動いた。
全部。
良い方向へ進んでいる。
そう思っていた。
でも。
黒瀬さんは言った。
『見えている部分が良くなったからといって』
『見えていない部分まで良くなったとは限らない』
「…………」
俺は。
しばらく。
画面から。
目を離せなかった。
未来が。
遠ざかった。
そう思っていた。
でも。
もしかすると。
俺たちは今。
その未来を。
自分たちの手で。
作り始めているのかもしれない。




