↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『俺だけ「10年後の値段」が見える。~未来価格で億万長者になるはずが、娘の絵に3億円の値札がついていた~』  作者: かばっち


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
32/67

第32話 母親の一言





 土曜日。


「パパ、まだ?」


「まだ」


「もういく?」


「まだ」


「ゼロも?」


「行きます」


「やった!」


 朝から結衣のテンションが高い。


 大学へ行く意味なんて、たぶん分かっていない。


 結衣にとって今日は、市民検討会の日ではなく、高城さんにゼロを見せに行く日なのだ。


「慎吾」


「ん?」


「これでいい?」


 美咲がリビングへ入ってくる。


 いつもの服に、いつものバッグ。


 市民として話を聞きに行くだけなのだから、それで十分だ。


「いいんじゃない?」


「ほんとに普通の格好でいいんよね?」


「市民検討会だから」


「私、何も勉強してないよ」


「しなくていいって」


「質問されたら?」


「思ったこと言えばいい」


「それが一番困るんやけど」


「昨日みたいなのでいいよ」


「昨日?」


「子供に直接教えたらってやつ」


「ああ」


 美咲は、大して特別なこととも思っていないように頷いた。


「でも、あれ普通に思っただけやけど」


「それでいいらしい」


「研究者って大変やね」


「何が?」


「普通のこと考えるために、わざわざ私ら呼ぶんやろ?」


「…………」


 ちょっと悪口に聞こえる。


「高城さんには言うなよ」


「言わんよ」


「おじちゃん!」


 結衣がゼロを抱えて叫んだ。


「おじちゃんにみせる!」


「だから高城さんな」


「おじちゃん!」


「もういいや」


 俺は笑いながら車の鍵を取った。


 ただ、玄関を出る直前。


 美咲の左手が目に入った。


 結婚指輪。


 昨日、そこから見えた数字。



【未来影響度:91】


【関連事象:星見事故】



「…………」


「慎吾?」


「ん?」


「行かんの?」


「ああ」


 慌てて視線を外す。


「行こう」


 今日は未来を見るために行くんじゃない。


 美咲が何を考え、何を言うのか。


 それを聞くために行く。



     ◇



「おじちゃーん!」


「え?」


 大学の会議室前。


 高城さんを見つけた瞬間、結衣が走り出した。


「ちょ、結衣!」


「おじちゃん!」


 高城さんが振り返る。


 そして、俺を見る。


「慎吾さん」


「すみません」


「私、もうおじちゃんなんですね」


「俺は止めました」


「ほんとですか?」


「三回くらい」


「パパいってた!」


「結衣」


「言ってたんですか?」


「言ってません」


 高城さんが笑う。


「こんにちは」


「こんにちは!」


「それがゼロ?」


「うん!」


 結衣が得意げにロボットを差し出した。


「みて!」


「名前まで書いてある」


「わたしがかいた!」


「上手だね」


「とぶよ!」


「え?」


「うちゅうまで!」


 高城さんが俺を見る。


「慎吾さん」


「俺に聞かないでください」


「日に日に性能が上がってるんです」


「なるほど」


 高城さんは真面目な顔でゼロを見る。


「将来有望ですね」


「でしょ!」


 結衣は満足そうだった。


「あ、高城さん」


「はい」


「妻です」


 高城さんが美咲へ向き直る。


「初めまして。高城です。いつもご主人には研究に協力していただいています」


「神崎です」


 美咲が軽く頭を下げた。


「主人が最近、大学大学って言うから、何してるのかと思ってました」


「怪しいことはしてませんよ」


「ならよかったです」


「美咲」


「何?」


「俺、そんな信用ない?」


「最近いきなり株とか車とか大学とか言い出した人やろ」


「…………」


 高城さんが笑いをこらえている。


「笑っていいですよ」


「すみません」


 そのとき。


「慎吾さん」


 聞き慣れた声がした。


 振り向く。


 黒瀬だった。


「どうも」


「こんにちは」


 黒瀬の視線が美咲へ移る。


 そして、一瞬。


 本当に一瞬だけ。


 表情が止まった。


「…………」


 俺は見逃さなかった。


「妻の美咲です」


「初めまして。黒瀬です」


「初めまして」


「主人がお世話になってます」


「いえ。こちらこそ」


 普通の挨拶だ。


 それだけなのに、黒瀬は美咲を見たあと、もう一度俺を見た。


「何です?」


「いえ」


「…………」


 絶対に何かある。


 でも、ここで問い詰める空気でもない。


「それでは入りましょうか」


 高城さんが会議室の扉を開ける。


「ゼロも?」


「もちろん」


「やった!」


 結衣が先に入っていく。


 俺も続こうとしたところで、黒瀬に小さな声で呼び止められた。


「慎吾さん」


「何です?」


「奥様を連れてくる未来」


「はい」


「私は見ていません」


「…………」


「今日のことですか?」


「ええ」


 俺は、美咲と結衣が会議室へ入っていく後ろ姿を見る。


「じゃあ、また新しい未来?」


「おそらく」


 黒瀬はそれ以上、何も言わなかった。



     ◇



 二回目の検討会は、前回より人数が増えていた。


 子育て世帯。


 学校関係者。


 福祉関係者。


 市の職員。


 研究者。


 企業関係者。


 子供連れの参加者も何組かいる。


 結衣は会議室の後ろに用意されたキッズスペースへ向かった。


「ゼロもいく!」


「なくすなよ」


「なくさない!」


「前なくしたやん」


「あれはとんだ!」


「洗面所までな」


 美咲が笑う。


「行っておいで」


「はーい!」


 結衣が走っていく。


 俺と美咲は並んで席に座った。


「結構ちゃんとしてるね」


「何だと思ってたん?」


「公民館みたいなの」


「大学です」


「同じようなもんやろ」


「教授に聞かれたら怒られるぞ」


「聞こえてますよ」


「え?」


 前を見る。


 教授が笑っていた。


「すみません」


「いえいえ」


「今日はよろしくお願いします」


 美咲が小さく俺を見る。


「聞こえとるやん」


「声でかいんよ」


「慎吾もやろ」


「夫婦喧嘩も聞こえますよ」


「すみません」


 周囲から笑いが起きた。


 前回より、少し柔らかい空気だった。



     ◇



「前回の意見を受けて、研究側でも検討を進めました」


 高城さんがスクリーンへ資料を映す。



『危険予測に基づく段階的介入』



「現在は、危険を検知して人へ通知することが中心です。しかし前回、慎吾さんから一つ意見をいただきました」


「…………」


 急に名前を出すなよ。


「危険が起きる前に、環境側が介入できないかというものです」


 前回、俺が話した案。


 車両や信号、道路設備などが、危険を予測した時点で人間より先に動けないか。


 そういう話だった。


「ただし」


 教授が続ける。


「完全な自動制御には、まだ多くの問題があります」


 責任の所在。


 誤作動。


 プライバシー。


 緊急車両への対応。


 システム障害。


 いろんな課題がスクリーンに並ぶ。


 美咲が小声で聞いてきた。


「慎吾、こんなこと言ったん?」


「まあ」


「珍しくまともやん」


「珍しくは余計」


「家でもそのくらい考えて」


「何を?」


「洗濯物」


「研究テーマ変わってる」


 高城さんがこちらを見る。


「何か?」


「何でもありません」


 美咲が笑いをこらえていた。



     ◇



 議論は、前回より具体的になっていた。


 どこまで機械に任せるのか。


 誰に警告を出すのか。


 どの段階で人間の判断を挟み、どこから機械が介入するのか。


「子供の場合が難しいですね」


 学校関係者の男性が言った。


「低学年では、スマートフォンを持っていない子も多いです」


「そうですね」


「保護者への通知だけでは、間に合わない場合もある」


「…………」


 俺は隣を見る。


 美咲も話を聞いている。


 昨日、美咲が言った言葉。



『子供に直接教えたら駄目なん?』



 今だ。


「美咲」


「何?」


「言えば?」


「え?」


「昨日の」


「嫌よ」


「なんで」


「恥ずかしい」


「普通に言えばいいって」


「慎吾が言って」


「美咲の意見やん」


「夫婦で何を相談されてるんです?」


 教授だった。


 また聞こえてる。


「すみません」


「いえ。何かあればぜひ」


「…………」


 美咲が俺を睨む。


 俺は目を逸らした。


 しばらくして。


「……あの」


 美咲が小さく手を上げた。


「はい」


「素人なので、変なこと言ってたらすみません」


「そのための検討会です。ぜひ」


「昨日、主人から話を聞いてて思ったんですけど」


 美咲が少し考えながら話し始める。


「危ないって分かったときに、親に知らせるんですよね?」


「はい」


「でも、親が近くにいなかったら意味ないですよね」


 高城さんが頷く。


「そこは課題です」


「だったら」


 美咲が言った。


「子供本人に教えたら駄目なんですか?」


 高城さんのペンが止まった。


「本人に?」


「はい」


「どのようにですか?」


「例えば」


 美咲が自分の手首を指す。


「時計みたいなのを持たせて、危ないときに音が鳴るとか」


「はい」


「小さい子なら文字を出しても読めんから、声で言うとか」


「声……」


「『止まって』とか」


 俺は無意識に結衣を見た。


 キッズスペースで、ゼロを床に歩かせている。


「うちの子だったら、親から離れて急に走っていくことあるんですよ」


「ありますね」


「そのとき私のスマホが鳴っても、追いつけんかもしれん」


「…………」


「でも、結衣が持ってるものが直接『止まって』って言ったら、一回くらい止まるかもしれん」


「…………」


 高城さんだけじゃない。


 教授。


 アステラの社員。


 何人かが一斉にメモを取り始めた。


「それ」


 高城さんが言う。


「かなり面白いです」


「そうなんです?」


「はい」


「普通じゃない?」


「そこなんです」


「また?」


「またです」


 俺は思わず笑った。


「研究者、普通に弱すぎません?」


「慎吾さん」


「はい」


「傷つきます」


「すみません」


 会議室に笑いが起きる。


 でも、黒瀬だけは笑っていなかった。


 美咲を見ている。


 いや。


 美咲の左手。


 そこを見ていた。



     ◇



「ただ、一つ問題があります」


 アステラの社員が言った。


「子供が、その警告を信頼するかです」


「ああ」


 美咲が頷く。


「知らない機械に突然『止まって』と言われても、驚くだけかもしれません」


「確かに」


「毎日何度も誤警告が出れば、いずれ無視するようになるでしょう」


「それは嫌ですね」


「では」


 教授が口を開く。


「子供が信頼できるインターフェースが必要になる」


「インター……?」


 美咲が俺を見る。


「見た目とか声とか、そういうことじゃない?」


「最初からそう言って」


「俺に言われても」


 高城さんが笑いながら説明する。


「簡単に言えば、子供が『この子の言うことなら聞く』と思える存在ですね」


「…………」


 その瞬間。


 俺と美咲が、ほぼ同時に後ろを見た。


「ゼロ!」


 結衣の声。


 床の上をゼロが歩いている。


 ウィーン。


 ゴン。


「こけた!」


 俺と美咲は顔を見合わせた。


「まさかね」


 美咲が笑う。


「いやいや」


 俺も笑った。


 ただのおもちゃだ。


 八百円で買った古いロボット。


 十年後、市場価値はゼロ。


 そう思った瞬間だった。



【未来変動を検知】



「…………!」


 笑顔が止まる。


「慎吾?」


「何でもない」


 来た。


 美咲の発言で、未来が動いた。



【未来改変率:0.31% → 1.82%】



「…………」


 一・八二%。


 前回、俺が一言言ったときとは、上がり方がまるで違う。


「慎吾?」


「大丈夫」


 黒瀬を見る。


 向こうも俺を見ていた。


 俺に何かが見えたことに気づいている。


 さらに表示が続く。



【星見事故との関連性:低下】



「…………!」


 良い方向。


 少なくとも、今見えている範囲では。


 美咲の一言は、結衣の未来を悪化させていない。


 そして。



【新規関連物を検知】



「関連物……?」


 文字が揺れる。


 何かに視線を引っ張られるような感覚。


 ゆっくり、会議室の後方へ。


「…………」


 まさか。


 俺は振り返った。


 結衣が抱えているロボット。


 ゼロ。


 見る。



【現在価格:186,000円】


【10年後の価格:0円】



「…………」


 変わっていない。


「違う?」


 そう思った直後。


 表示が揺れた。



【10年後の価格:算出不能】



「…………!」


 待て。


 今までゼロ円だった。


 未来に市場へ流れない。


 だからゼロ円。


 そう表示されていた。


 それが今。



【10年後の価格:算出不能】



「何だよ……」


「パパー!」


「ん?」


 結衣がゼロを抱き上げる。


「ゼロ、またこけた!」


「ああ」


「なおして!」


「あとでな」


「いま!」


「はいはい」


 俺は席を立ち、キッズスペースへ向かった。


 ゼロを受け取る。


 ただの古いロボット。


 プラスチックのボディには細かな傷。


 底には、結衣が書いた『ゆい』の文字。


 もう一度見る。



【現在価格:186,000円】


【10年後の価格:――――】



「…………」


 数字が出ない。


 ゼロの十年後の価格が、初めて消えた。


「パパ?」


「ん?」


「ゼロこわれた?」


「いや」


 俺はロボットを結衣へ返す。


「まだ大丈夫」


「ほんと?」


「うん」


「よかった!」


 結衣が笑う。


 その顔を見ながら、俺の頭には黒瀬のノートの一節が浮かんでいた。



『星見事故後 約四か月』


『駅ホーム』


『対象:結衣』


『生存確認』


『左手に――』



「…………」


 その先は黒く塗り潰されていた。


 そして今。


 美咲が提案したのは、子供本人へ直接危険を知らせる仕組み。


 しかも、子供が信頼できる存在から。


「まさか……」


 俺は結衣の腕の中のゼロを見る。


 違う。


 こんなおもちゃを、十四歳になった結衣がそのまま持ち歩いているとは思えない。


 でも。


 ゼロそのものじゃなかったら?


 結衣が信頼する『ゼロ』という存在が、別の形になって未来へ残るとしたら。


「…………」


 頭の奥が。


 ズキッ。


「痛っ」


 これ以上は見るな。


 分かっている。


 それでも一瞬、文字が浮かんだ。



【関連事象:星見――】



 そこで消えた。


 俺はゼロから目を逸らした。



     ◇



 検討会が終わった。


「疲れた」


 美咲が大きく伸びをする。


「どうだった?」


「思ったより面白かった」


「また来る?」


「それは別」


「厳しい」


「でも」


 美咲が結衣を見る。


「ちゃんと考えてるんやね」


「何を?」


「子供の事故とか」


「うん」


「もっと、よく分からん未来の研究かと思ってた」


「どんな研究だよ」


「空飛ぶ車とか」


「ゼロじゃん」


「ゼロとぶよ!」


「ほら」


 結衣がゼロを持ち上げる。


「うちゅう!」


「宇宙まで行くそうです」


「研究費いくらかかるんやろね」


「やめて。急に現実的」


 三人で笑った。


 そのとき。


「神崎さん」


 高城さんが追いかけてきた。


 呼ばれた美咲が振り向く。


「私?」


「はい」


「先ほどのご意見なんですが」


「子供に言うやつ?」


「そうです。研究側でも検討させてもらっていいですか?」


「私に聞くんです?」


「もちろんです」


「別にいいですよ」


「ありがとうございます」


「でも」


「はい?」


 美咲が結衣を見る。


「子供が嫌がるものは駄目ですよ」


「…………」


「親が持たせたいものと、子供が持ちたいものって違うから」


 高城さんの表情が変わる。


「なるほど」


「かわいくないと持たんし」


「はい」


「面倒なら外すし」


「はい」


「充電しろって言っても忘れるし」


「はい」


 美咲が少し考える。


「あと、なくす」


「…………」


「高城さん?」


「すみません」


 ものすごい勢いでメモしている。


「もう一回お願いします」


「え?」


「今の最初から」


「嫌ですよ」


「そこを何とか」


「慎吾」


「俺に振るな」


 美咲が笑う。


 高城さんは本気だった。


 俺は、その二人を見る。


 高城さん。


 未来影響度、九十四。


 美咲。


 九十一。


 研究者と母親。


 まったく違う立場の二人が、今、初めて同じ未来を作ろうとしていた。



     ◇



「慎吾さん」


 帰る直前。


 黒瀬が俺を呼び止めた。


「何です?」


「見えましたね」


「奥様が発言したあと」


「はい」


「何が?」


「未来改変率です」


「上がった?」


「一・八二%」


 黒瀬の眉が動く。


「そんなに?」


「はい」


「他には?」


「星見事故との関連性が低下しました」


「…………」


 黒瀬が黙る。


「良いことですよね?」


「おそらく」


「おそらく?」


 黒瀬が少しだけ笑う。


「今度は、素直に喜んでいいと思います」


「珍しい」


「私だって良い未来は喜びますよ」


「じゃあ、何でそんな顔してるんです?」


「…………」


 答えない。


「何か見えた?」


「私には今、別のものが見えました」


「何?」


「未来ではありません」


「じゃあ?」


 黒瀬の視線の先。


 結衣が抱えているゼロ。


「あのロボット」


「ゼロ?」


「ええ」


「それが何?」


「以前見たときと、違って見える」


「…………」


 背中が冷える。


「黒瀬さんにも?」


「慎吾さんには、何が見えたんです?」


「十年後の価格が」


 俺は声を落とす。


「算出不能になりました」


「…………」


 黒瀬の笑顔が完全に消えた。


「何?」


「慎吾さん。あのロボットは捨てないでください」


「…………」


「壊れても?」


「はい」


「何で?」


「分かりません」


「またそれ?」


「ですが」


 黒瀬は、はっきり言った。


「私が見た、十四歳の結衣さん」


 心臓が跳ねる。


「左手に――」


「待って」


 黒瀬のノート。


 黒く塗り潰されていた場所。



『左手に――』



「何を持ってた?」


 黒瀬が俺を見る。


「言っていいんですか?」


「…………」


 前なら迷わず聞いた。


 全部、今すぐ知りたい。


 そう言っていた。


 でも俺は、一度結衣を見る。


 ゼロを抱えている。


 そして少し考えてから、首を振った。


「いや。今日はやめときます」


「いいんですか?」


「急がないんでしょ?」


「…………」


 黒瀬が少し笑った。


「成長しましたね」


「先輩面するな」


「先輩ですから」


「何の」


「観測者の」


「そんな部活みたいに」


 俺も笑った。


 そして、もう一度結衣を見る。


 ゼロ。


 ただのおもちゃ。


 昨日まで、十年後の価値はゼロ円だった。


 それが今日。



【10年後の価格:算出不能】



 美咲の一言で未来が動き、その変化は結衣が抱えている小さなロボットにまで届いた。



     ◇



 帰りの車。


 後部座席では、結衣が眠っている。


 その隣にはゼロ。


 助手席の美咲も、眠そうに窓の外を眺めていた。


「今日どうだった?」


「さっき聞いたやん」


「もう一回」


「まあまあ」


「まあまあか」


「でも」


「ん?」


「また行ってもいいよ」


「…………」


「何?」


「いや」


「嬉しそうやね」


「別に」


「分かりやす」


 美咲が窓の外を見る。


「結衣の役に立つかもしれんし、こういう研究」


「うん」


「十年後とか、本当に普通になってるかもしれんね」


「…………」


 十年後。


 その言葉は、今の俺にはもう普通には聞こえない。


「そうだな」


「その頃、結衣十四歳か」


「うん」


「中学生?」


「たぶん」


「反抗期かな」


「嫌だな」


「パパ嫌いとか言われるよ」


「やめろ」


「絶対言われる」


「言われません」


「今のうちに遊んどき」


「…………」


 バックミラーを見る。


 眠っている結衣。


 黒瀬が見た未来では、十四歳になったこの子が制服を着て、友達と駅にいて、笑っている。


 その未来が今日、ほんの少しだけ近づいた気がした。


 そして。


 結衣の隣に転がっているゼロ。


「…………」


 十年後。


 お前は、何になってるんだろうな。



     ◇



 その夜。


 俺は未来価格ノートを開いた。



『未来改変率 1.82%』


『美咲の提案』


『子供本人への直接警告』


『星見事故との関連性低下』


『ゼロ 10年後の価格算出不能』



 そこまで書いて、ペンを止める。


 黒瀬は言わなかった。


 十四歳の結衣が、左手に何を持っていたのか。


 俺も聞かなかった。


 今は、それでいい。


 ページを閉じようとして、昨日見た表示を思い出す。



【主要影響要因:――――】



 美咲の指輪から見えた表示。


 あのときは、途中で見るのをやめた。


「…………」


 今日は見ない。


 そう決める。


 ノートを閉じた。


 その瞬間。


 リビングから。


「慎吾ー!」


「何ー?」


「ゼロの電池切れた!」


「今日何回目?」


「結衣がずっと動かしよったから」


「今行く」


 椅子から立ち上がる。


 未来じゃない。


 今。


 まずは、こっちだ。



     ◇



 美咲の何気ない一言で、未来改変率は大きく動いた。


 ゼロの十年後の価格は消えた。


 黒瀬が見た十四歳の結衣。


 その左手に何があったのか。


 俺はまだ知らない。


 そして、美咲が口にした。



『子供本人へ危険を伝える』



 という、ただの思いつき。


 それがどこまで未来につながっているのかも、まだ分からない。


 ただ一つ。


 高城さんは、あのとき本気でメモを取っていた。


 あの人なら、たぶん考えるだけでは終わらない。


「…………」


 リビングへ行くと、結衣が電池の切れたゼロを抱えて待っていた。


「パパ、おそい!」


「今来たやん」


「ゼロうごかん!」


「はいはい」


「なおして!」


「電池替えるだけです」


「はやく!」


「研究者より厳しいな」


「けんきゅうしゃ?」


「何でもありません」


 ゼロを受け取る。


 今はまだ、ただのおもちゃだ。


 電池が切れれば止まる。


 壁にもぶつかる。


 宇宙になんて、もちろん行けない。


 それでも。


 電池を替えながら、俺は少しだけ考えていた。


 次に高城さんがゼロを見るとき。


 このロボットは。


 まだ『ただのおもちゃ』なんだろうか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。