第28話 未来を作る側
翌朝。
「パパ、みて!」
「ん?」
結衣が例のロボットを両手で持ち上げた。
「ゼロ!」
「うん。ゼロですね」
「きょうげんき!」
「昨日も元気だっただろ」
「きょうも!」
「それは何よりです」
床へ置き、スイッチを入れる。
ウィーン。
ゼロがぎこちなく歩き始め、そのまま真っすぐ進んで――
ゴン。
壁にぶつかった。
「…………」
「こけた!」
「元気だけど頭はよくないな」
「ゼロかしこいよ!」
「壁に突っ込んだけど?」
「わざと!」
「そんな高度なロボットだった?」
結衣は倒れたゼロを抱き上げる。
「ゼロはね」
「うん」
「おっきくなったら、とぶ!」
「飛ぶの?」
「うん!」
「どこまで?」
「おそら!」
「空?」
「うちゅう!」
「急に性能上がったな」
四歳児の設定追加に限界はないらしい。
俺は思わず笑った。
「パパ?」
「ん?」
「なんでわらってる?」
「結衣がいるから」
「いるよ?」
「うん」
当たり前みたいに言う。
昨日までは、その当たり前が十年後にはなくなると思っていた。
でも今は違う。
十四歳の結衣が生きている未来がある。
制服を着て、友達と駅にいて、笑っている。
黒瀬が見た、ほんの十秒にも満たない未来。
たったそれだけの話なのに、いつもの朝の景色が少し違って見えた。
◇
会社。
昼休み。
いつもなら未来価格ノートを開いている時間だった。
でも今日は、机の引き出しに入れたままにした。
「…………」
見ようと思えば見られる。
株や中古品、時計。
何か高くなる物はないか。
いつもなら、そうやって未来を探している。
でも今日は少し違った。
「十年もある、か」
昨日、黒瀬に言われた言葉を思い出す。
俺はずっと、十年しかないと思っていた。
残された時間が減っていく。
早く金を作らないと。
早く事故を調べないと。
早く未来を変えないと。
だから、ずっと焦っていた。
でも。
十年。
三千六百日以上ある。
結衣が四歳から十四歳になるまでの時間だ。
その間にできることは、きっと金を増やすことだけじゃない。
俺はスマホを開き、アステラ・ロボティクスについて改めて調べた。
まだ小さな会社だ。
赤字で、研究開発費ばかりかかっている。
それでも十年後。
【10年後の価格:42,800円】
一株が巨大な価値を持つ。
でも、今の俺が知りたいのは株価じゃない。
研究。
事故予測。
実証都市。
そして、高城、教授、黒瀬。
これまで拾ってきた情報は、どこかで結衣の未来につながっている。
だったら。
外から眺めているだけじゃなく、俺自身がその未来に関わればいい。
「……それだな」
金を出すだけじゃない。
もっと近くで、未来が作られていく場所を見る。
そこなら、結衣を救うための答えも見つかるかもしれない。
◇
仕事が終わったあと、俺は高城へ電話した。
『はい、高城です』
「慎吾です」
『どうも。今日はロボットですか?』
「違います」
『車?』
「違います」
『じゃあ何でしょう』
「研究です」
『…………』
「なんで黙るんです?」
『いや』
高城が少し笑う。
『最近ずいぶん熱心だなと思って』
「迷惑?」
『まさか。ありがたいですよ』
「あの、この前見せてもらったやつ」
『事故予測研究?』
「そう。それと実証都市」
『はい』
「一般人でも関われます?」
『一般人?』
「俺みたいな」
『慎吾さんが?』
「はい」
『何をするんです?』
「それが分からないから聞いてます」
『なるほど』
電話の向こうで、高城が笑った。
「金を出すだけじゃなくて」
『はい』
「何かできることないですか?」
少し間があった。
『ありますよ』
「あるんです?」
『というか、むしろ必要です』
「何が?」
『普通の人です』
「…………」
「今、ちょっと悪口言いました?」
『違いますよ』
「普通の人」
『大事なんです』
「どういう意味?」
『研究者だけで作ると、研究者が欲しいものを作るんです』
「なるほど」
『企業だけで作ると、企業が売りたいものになる』
「はい」
『行政だけなら、行政が管理しやすいものになる』
「…………」
『でも実際に使うのは、普通に生活している人でしょう?』
「まあ」
『子供、親、高齢者、学校、地域。そういう人たちの意見がないと、本当に必要なものにはなりません』
「役に立たない?」
『役には立ちます』
「そこは立つんだ」
『研究者なので』
「自信あるな」
『ただ』
高城が笑う。
『便利なものと、使いたいものは違うでしょう?』
「…………」
それは分かる。
会社でもよくある。
作った側は完璧だと思っている。
でも使う側からすれば、
「なんでこんな面倒なん?」
となるやつだ。
「じゃあ俺でも?」
『できます』
「具体的には?」
『ちょうど市民参加型の検討会を作る話が出てるんです』
「検討会?」
『まだ準備段階ですけどね』
「何するんです?」
『事故防止システムを実際に使う側の意見を集めます。子育て世帯も参加予定です』
「子育て世帯……」
『慎吾さん、ぴったりでしょう?』
「…………」
娘がいる。
しかも、その娘の未来を変えたい。
これ以上ぴったりな理由もない。
「参加したいです」
『本当に?』
「はい」
『仕事ありますよね?』
「調整します」
『平日の可能性もありますよ』
「有給使います」
『そこまで?』
「そこまで」
高城が少し黙った。
『分かりました。先生にも話しておきます』
「お願いします」
『ただ』
「はい?」
『慎吾さん』
「何です?」
『無理はしないでくださいね』
「…………」
『最近、何か焦ってません?』
鋭い。
「そう見えます?」
『見えます』
「黒瀬さんにも似たこと言われました」
『黒瀬さんに?』
「十年もあるって」
電話の向こうで、高城が黙った。
「何です?」
『いや』
「何?」
『黒瀬さんが、そんなこと言ったんですか?』
「はい」
『…………』
「高城さん?」
『あの人』
一拍。
『昔は逆のことを言ってたので』
「逆?」
『時間がない』
「…………」
『ずっと、そう言ってました』
俺の手が止まった。
「いつ頃?」
『三年くらい前かな』
三年前。
黒瀬が未来都市や生活支援技術の交流会に現れた頃だ。
「何に時間がなかったんです?」
『さあ』
「聞いてない?」
『何度か聞きましたよ』
「何て?」
『答えてくれませんでした』
「…………」
黒瀬。
三年前は、「時間がない」。
今は、「十年もある」。
何が変わった?
それとも。
誰かの未来が変わった?
◇
「検討会?」
夕飯。
美咲が怪訝そうに俺を見る。
「うん」
「何の?」
「大学の」
「また大学?」
「また大学です」
「慎吾」
「はい」
「ほんと転職せんよね?」
「しません」
「大学生にもならん?」
「四十一歳です」
「四十一歳の大学生もおるやろ」
「いるけど、ならないから」
「じゃあ何するん?」
「子供の事故を減らすシステム」
「この前の?」
「そう。それを実際に使う側の意見を聞きたいんだって」
「慎吾の?」
「なんでそんな不安そうなん」
「専門家じゃないやん」
「だからいいらしい」
「へえ」
美咲が味噌汁を飲みながら少し考える。
「いいやん」
「え?」
「いいと思うよ」
「…………」
意外だった。
「反対するかと思った」
「何で?」
「最近、いろいろやってるから」
株。
中古品。
旧車。
工場設備。
大学。
そして怪しい投資家。
改めて並べると、我ながらだいぶ怪しい。
「まあ」
美咲が箸を俺に向ける。
「勝手にお金使わんなら」
「そこ?」
「大事」
「はい」
「あと、家族ほったらかさんなら」
「…………」
「それなら好きにしたら?」
「うん」
「でも休日全部大学とかやめてよ」
「分かってます」
「結衣との時間も大事やろ」
「……そうだな」
未来の結衣を助けるために、今の結衣との時間を削る。
それじゃ本末転倒だ。
「分かった」
「ほんと?」
「ほんと」
「じゃあ今度の日曜」
「はい」
「動物園」
「…………」
「何?」
中古品を見に行こうと思っていた。
「動物園行きます」
「よろしい」
結衣が顔を上げる。
「ぞうさん!」
「いるかな」
「きりん!」
「いると思う」
「ペンギン!」
「たぶん」
「ゼロ!」
「それは家にいます」
「つれてく!」
「ロボット持って動物園行くの?」
「うん!」
美咲が笑う。
「なくさんでよ」
「俺が管理するん?」
「パパ!」
「はい」
決定らしい。
◇
数日後。
大学からメールが届いた。
『次世代生活支援技術 市民検討会』
「来た」
日時。
場所。
参加者。
大学研究者。
関連企業。
行政関係者。
教育関係者。
子育て世帯。
高齢者。
参加予定者の中には、俺の名前もある。
「本当に参加するんだな……」
少し不思議な気分だった。
数か月前まで、俺はこんな研究とは何の関係もない、ただの会社員だった。
それが今。
未来の街を作る話し合いに参加しようとしている。
画面をスクロールする。
高城。
教授。
アステラ・ロボティクス。
そして。
「…………」
参加企業一覧に、見覚えのある会社名があった。
黒瀬の投資会社。
「やっぱり来るのか」
不思議ではない。
投資家であり、企業支援もしている。
実証都市に興味を持つ黒瀬なら、関わっていて当然とも言える。
さらに下へ。
開催目的。
『将来的な実証地域の選定に向け、生活者視点からの課題抽出――』
「実証地域の選定……」
あの土地が頭に浮かんだ。
八百万円。
黒瀬が現金で買った土地。
【10年後の価格:184,000,000円】
価格上昇理由は、周辺開発と次世代研究施設。
「ここから始まるのか?」
もちろん、今回の検討会だけで場所が決まるわけじゃない。
でも、未来へつながる最初の一歩にはなるかもしれない。
俺は以前保存していた土地の資料を開いた。
写真に写っているのは、ただの更地。
何度見ても普通だ。
そこへ意識を向ける。
【10年後の価格:184,000,000円】
変わっていない。
「…………」
その下に、新しい文字が浮かんだ。
【価格変動要因:実証地域選定】
「やっぱり」
あの土地の価格は、実証都市と直接つながっている。
さらに。
【関連人物:黒瀬隆一】
それは分かる。
土地の所有者だ。
そして。
【関連人物:高城直人】
「高城さんも……」
研究側の中心人物になるなら、不思議ではない。
そして。
三人目。
【関連人物:――――】
「…………」
表示がゆっくり形を作っていく。
【関連人物:慎吾】
「……俺?」
思わず声が出た。
もう一度見る。
【関連人物:慎吾】
間違いない。
「なんで……」
俺はまだ、検討会への参加を決めただけだ。
実証地域を決める権限なんてない。
土地を持っているわけでも、研究者でもない。
ただの参加者。
それなのに。
十年後、一億八千四百万円になるあの土地の未来に、俺が関係している。
「…………」
未来影響度。
そう意識しかけて――止めた。
黒瀬に言われたばかりだ。
深く見すぎるな。
「やめとくか」
画面を閉じようとした、そのとき。
スマホが震えた。
「ん?」
メール。
黒瀬からだった。
『検討会に参加されるそうですね』
「早いな……」
続き。
『慎吾さんが未来へ関わろうとすること自体は、止めません。』
「…………」
さらに。
『ただし、一つだけ忠告しておきます。』
「また忠告かよ」
先を読む。
『あの場では、発言に気をつけてください。』
「発言?」
意味が分からない。
検討会なんだから、意見を言えば何かしら影響する。
そんなことは当たり前だ。
だが。
次の一文で俺の指が止まった。
『あなたの一言で、未来が大きく変わる可能性があります。』
「…………」
そして。
最後。
『私が見た未来の中には――』
一拍。
『星見事故が、三年前倒しになる未来もあります。』
「…………」
もう一度読む。
三年前倒し。
今の未来では、約十年後。
それが。
七年後になる。
「結衣……十一歳?」
背中が冷たくなった。
さっきまで。
俺は未来へ関わろうと思っていた。
見るだけじゃなく。
自分から未来を作る側へ行く。
それが結衣を助けるための一歩になると。
でも。
そこで初めて気づいた。
未来を作るということは。
良い未来だけを作るという意味じゃない。
俺の選択次第では。
星見事故そのものを。
三年早める可能性だってある。
「…………」
スマホを握り、黒瀬へ返信する。
『何を言ったら前倒しになるんですか?』
送信。
すぐ既読がついた。
返信。
『分かりません。』
「は?」
続けて届く。
『私が見えたのは結果だけです。』
「…………」
また。
結果だけ。
そして。
最後にもう一通。
『だからこそ、慎重に。』
「…………」
俺は椅子にもたれた。
参加する。
未来へ関わる。
それはもう決めた。
でも。
怖い。
何を言えば正解なのか。
何を言えば間違いなのか。
未来価格みたいに。
答えは表示されない。
「……難易度上がりすぎだろ」
思わず呟いた。
今までは。
高くなる物を買えばよかった。
安く売られている物を見つければよかった。
そこには。
数字という答えがあった。
でも。
ここからは違う。
未来は見える。
それでも。
正解は見えない。
俺はもう一度、検討会の案内を見る。
開催日は。
あと五日。
参加者の名前が並んでいる。
黒瀬。
高城。
教授。
そして。
俺。
「…………」
未来を見るだけだった俺が。
初めて。
未来を作る側へ入っていく。
その一歩が。
結衣を助ける未来へ続いているのか。
それとも。
星見事故を三年早める未来へ続いているのか。
今の俺には。
まだ分からなかった。




