第12話 八百万円の土地
八百万円。
十年後、一億八千四百万円。
約二十三倍。
「……意味分からん」
ドライブから帰ってきても、あの土地が頭から離れなかった。
場所は覚えている。
売地の看板に書かれていた不動産会社も、信号待ちの間にスマホで写真を撮っておいた。
俺は自分の部屋で写真を拡大する。
土地面積。
二百八十六・四平方メートル。
「八十六坪くらいか」
広すぎるわけでもない。
狭くもない。
普通に家を建てるなら、十分な広さだ。
価格。
八百万円。
坪単価にすれば十万円を切る。
「まあ、あの辺ならそんなもんか」
周囲には古い住宅。
小さな工場。
空き地。
駅が近いわけでもない。
大きな商業施設があるわけでもない。
少なくとも。
俺が見た限りでは。
十年後に一億八千四百万円になる理由なんて、どこにもなかった。
「……調べるか」
俺は看板に書かれていた東和不動産の名前を検索した。
◇
物件情報はすぐに見つかった。
価格。
八百万円。
面積。
二百八十六・四平方メートル。
地目、宅地。
建ぺい率。
容積率。
接道。
用途地域。
上下水道。
「…………」
分からん。
文字は読める。
意味もなんとなく分かる。
でも。
投資目的で土地を買ったことなんて、一度もない。
「建ぺい率……容積率……前面道路……」
知らない言葉を一つずつ調べていく。
三十分後。
俺が出した結論は。
「……普通だな」
普通。
めちゃくちゃ普通の土地だった。
むしろ。
少し不便なくらいだ。
駅まで徒歩二十分以上。
バス停はある。
スーパーは車で数分。
学校も、それほど遠くない。
家を建てて暮らすなら。
まあ、悪くはない。
でも。
一億八千四百万円?
「絶対なんかあるだろ」
俺はもう一度、物件ページの写真を見る。
更地。
草。
古いブロック塀。
以上。
「未来価格の理由……」
そこで思い出す。
能力は。
価格以外の情報も見せることがある。
五百円で買った腕時計。
【価格上昇理由:製造数――希少――】
そして。
結衣の絵。
【価格上昇理由:作者死亡】
【関連事象:■■■■事故】
【関連企業:アステラ・ロボティクス】
完全ではない。
頭痛もする。
でも。
強く知りたいと思えば。
未来の情報を、ほんの少しだけ引き出せる。
「土地でも……いけるか?」
問題は。
現物が目の前にないこと。
俺はスマホに表示された土地の写真を見る。
【現在価格:7,600,000円】
【10年後の価格:184,000,000円】
「見える」
写真でもいける。
だったら。
俺は画面を睨む。
なぜ。
この土地が。
十年後、一億八千四百万円になる?
「理由……」
頭の奥が。
ズキッと痛んだ。
「来た」
表示が揺れる。
【価格上昇理由:――――】
ノイズ。
「見せろ」
痛みが強くなる。
【価格上昇理由:周辺――――】
「周辺?」
さらに集中する。
【価格上昇理由:周辺開――】
「開……?」
開発。
そう思った瞬間。
文字が消えた。
「くっそ……」
俺は額を押さえた。
でも。
十分だ。
「周辺開発……か?」
たぶん。
十年以内に。
この辺りで何か大きな開発が行われる。
だから。
土地の価値が跳ね上がる。
「駅?」
新駅。
大型商業施設。
高速道路。
巨大工場。
大学。
いくらでも考えられる。
「何ができるんだ?」
俺は検索を始めた。
◇
一時間。
二時間。
「……ない」
何も出てこない。
市の都市計画。
道路整備。
企業進出。
再開発。
商業施設。
検索できる範囲は、かなり調べた。
でも。
この土地を二十倍以上にするような計画は見つからない。
「まだ存在してないのか?」
考えてみれば。
十年後の話だ。
今はまだ。
計画すら始まっていない可能性もある。
「そりゃ検索しても出ないよな……」
未来の答えを。
現在のインターネットで探している。
我ながら無茶なことをしている。
俺は椅子にもたれた。
でも。
一つだけ分かった。
あの土地そのものに。
特別な価値があるわけじゃない。
周辺が変わる。
その結果。
土地の値段が上がる。
「……欲しいな」
八百万円。
十年後。
一億八千四百万円。
今まで見つけた物とは。
桁が違う。
そして。
問題も。
桁が違う。
俺は未来価格ノートを開く。
現在の軍資金。
三百七十八万円。
土地。
八百万円。
「四百二十二万円足りません」
終了。
「……いやいや」
終わるな。
何かあるだろ。
値引き。
ローン。
融資。
「土地だけでも金借りられるのか?」
調べる。
住宅ローンは。
基本的に、自分が住む家を建てるためのもの。
投資目的の更地。
当然。
同じようにはいかない。
「そりゃそうか」
銀行へ行って。
『この土地、十年後に一億八千四百万円になるんで金貸してください』
なんて言ったら。
たぶん。
別室へ案内される。
融資相談じゃない意味で。
◇
夕飯。
「土地?」
美咲が俺を見る。
「うん」
「なんで?」
「欲しい土地があって」
「家建てるん?」
「建てない」
「じゃあ何するん?」
「持っとく」
「…………」
美咲が箸を置いた。
嫌な予感がする。
「慎吾」
「はい」
「今度は土地?」
「今度は土地です」
「この前まで万年筆とか売ってたよね?」
「はい」
「急にスケールでかくなってない?」
「俺もそう思う」
「いくら?」
「八百万」
「無理やん」
「即答」
「だって三百七十八万しかないんやろ?」
「そうなんです」
「じゃあ買えんやん」
「そうなんです」
「何の話?」
「それを相談してるんです」
美咲は味噌汁を飲んだ。
「貯金は使わんよ」
「分かってます」
「家のお金も」
「使いません」
「じゃあ無理やん」
「だから困ってるんです」
「知らんよ」
「冷たくない?」
「八百万足りんって言われて、どうしろっていうん」
「四百二十二万です」
「細かい」
正しい。
ものすごく正しい。
結衣が横から聞いてきた。
「パパ、おうちかうの?」
「土地」
「おうちは?」
「ない」
「じゃあいらんやん」
「…………」
四歳児にまで論破された。
◇
翌日。
俺は仕事帰りに。
あの土地へ向かった。
今度は車を近くに停めて。
ちゃんと見る。
「……普通だなぁ」
本当に。
普通。
草。
土。
ブロック塀。
住宅。
電柱。
少し離れたところに小さな工場。
未来を知らなければ。
絶対に八百万円出して買おうとは思わない。
でも。
俺には見える。
【現在価格:7,600,000円】
【10年後の価格:184,000,000円】
「……やっぱり変わらない」
十年後。
一億八千四百万円。
俺は土地を見る。
「理由」
集中する。
頭の奥。
ズキッ。
【価格上昇理由:周辺開――】
「もう少し」
ズキン。
「っ……」
目の奥まで痛む。
それでも。
見る。
【価格上昇理由:周辺開発】
「やっぱり」
確定。
周辺開発。
だったら。
もう一段。
「何の開発だ?」
表示が揺れる。
【関連事象:――――誘致】
「誘致?」
何を。
企業?
大学?
工場?
「見せろ……」
頭痛が強くなる。
【関連事象:次世代――――誘致】
「次世代……?」
さらに。
もう少し。
「頼む」
文字が揺れる。
【関連事象:次世代研究――誘致】
「研究……?」
その瞬間。
表示が消えた。
「っ……!」
俺は思わずしゃがみ込んだ。
頭が。
痛い。
さすがに。
やりすぎた。
「……次世代研究」
何だそれ。
研究施設?
大学?
企業?
頭に。
一瞬だけ。
アステラ・ロボティクスが浮かんだ。
次世代。
研究。
あの会社も。
未来の技術を研究している。
「…………」
いや。
まだ結びつけるな。
次世代研究なんて言葉だけで。
アステラと決めつけるのは早すぎる。
それでも。
この土地が。
ただ金になるだけの土地ではない気がしてきた。
「欲しい」
さっきまでより。
ずっと。
◇
俺は売地の看板に書かれた番号へ電話した。
『はい、東和不動産です』
「あの、売地を見て電話したんですけど」
『ありがとうございます。場所はどちらでしょう?』
住所を伝える。
『ああ、八百万円の土地ですね』
「まだ売ってます?」
『はい。現在販売中です』
心臓が少し跳ねる。
「ちょっと興味があって」
『ご自宅用でしょうか?』
「いや……投資というか」
一瞬。
間があった。
『土地として保有されるということですか?』
「そうです」
『なるほど』
「ちなみに」
俺は少し迷ってから聞いた。
「値引きってできます?」
『売主様とのご相談にはなりますね』
「例えば……六百万円くらいとか」
『六百万円ですか』
「はい」
八百万円から。
二百万円引き。
さすがに無茶か?
『かなり大きなお値引きにはなりますね』
「ですよね」
知ってる。
言ってみただけだ。
『ただ』
「はい?」
『こちら、長く売りに出ている物件ではあります』
「どれくらいです?」
『一年以上ですね』
「…………」
一年以上。
誰も買っていない。
俺は土地を見る。
【10年後の価格:184,000,000円】
「……ちなみに」
『はい』
「売主さん、早く売りたい感じなんですか?」
『そうですね。事情もありますので、条件次第では交渉できる可能性はあると思います』
「六百万円台は?」
『そこは実際にお話をしてみないと何とも言えませんが』
否定されなかった。
「…………」
六百万円台。
もし。
六百五十万円まで下がれば。
今の俺の軍資金。
三百七十八万円。
全部は使わないとしても。
必要な借入額は。
一気に小さくなる。
八百万円の土地が。
ほんの少し。
現実に近づいた。
『もし本当にご興味がおありでしたら、一度お話されますか?』
「お願いします」
俺は。
東和不動産へ行く約束をした。
◇
翌日。
仕事帰り。
東和不動産。
「いらっしゃいませ」
担当者は。
三十代くらいの男性だった。
テーブルの上に。
物件資料が置かれる。
「こちらですね」
「はい」
「八百万円で出ていますが、昨日のお電話の件、売主様にも少し確認してみました」
「え?」
もう聞いてくれたのか。
「六百万円はさすがに難しいとのことでした」
「ですよね」
まあ。
そうだよな。
「ただ」
「はい」
「早めに話をまとめられるのであれば、六百八十万円程度までは検討してもいいとのことです」
「…………」
俺は。
一瞬。
聞き間違えたかと思った。
「六百八十?」
「はい」
八百万円。
↓
六百八十万円。
百二十万円引き。
「…………」
俺は頭の中で計算する。
軍資金。
三百七十八万円。
もちろん。
全部は使わない。
例えば。
二百万円を自己資金。
残り。
四百八十万円。
「ローンって」
「はい」
「こういう土地でも使えます?」
「融資自体は可能ですが、お客様の属性や購入目的によりますね」
「投資目的です」
「でしたら住宅ローンではありません」
「ですよね」
「ただ、自己資金を入れていただいて、残りを金融機関から借り入れる形は考えられます」
「例えば」
俺は聞く。
「二百万円入れて、残りを借りるとか?」
「審査次第ですが、可能性はあります」
「…………」
買える。
まだ。
審査もある。
諸費用もある。
簡単じゃない。
でも。
手が届かないと思っていた。
八百万円の土地。
それが。
六百八十万円。
しかも。
【10年後の価格:184,000,000円】
未来価格は。
変わっていない。
「ちょっと考えて――」
「あ」
担当者がパソコンを見る。
「すみません」
「はい?」
「今確認したんですが」
マウスを動かす。
「こちらの土地」
嫌な予感。
「昨日、別のお客様からも問い合わせが入っていますね」
「…………え?」
「まだ購入申し込みではありませんが、明日、現地をご案内する予定になっています」
「…………」
昨日。
俺が電話したのと。
ほぼ同じタイミング。
「その人……買いそうですか?」
「そこまでは何とも」
担当者は苦笑する。
「ただ、具体的に資金計画までご相談いただいているようなので」
「…………」
俺の背中に。
嫌な汗が流れた。
一年以上。
売れなかった土地。
それを。
俺が見つけた直後。
別の人間も。
買おうとしている。
「もし先に申し込みされたら?」
「条件にもよりますが、基本的には先に具体的なお話をいただいた方から進めることが多いですね」
「…………」
時間がない。
でも。
焦って買っていい金額じゃない。
六百八十万円。
俺にとっては。
十分すぎるほど大金だ。
俺は。
未来価格を知っている。
買えば得をする。
そのはず。
でも。
もし。
この土地を買うこと自体が。
未来を変える行動だったら?
「…………」
まただ。
未来を知っているからこそ。
決められない。
◇
帰宅。
俺は未来価格ノートを開いた。
土地。
販売価格。
800万円。
交渉価格。
680万円。
現在価格。
760万円。
十年後。
1億8400万円。
価格上昇理由。
周辺開発。
関連事象。
次世代研究――誘致。
その下。
大きく書く。
『明日、別の購入希望者が現地確認』
「どうする……」
俺の金。
三百七十八万円。
自己資金を二百万円出す。
残り。
四百八十万円。
融資が通れば。
買えるかもしれない。
ただ。
借金になる。
家族もいる。
能力があるからといって。
何をしてもいいわけじゃない。
「…………」
今までとは。
違う。
時計も。
レンズも。
アンプも。
万年筆も。
買うかどうかを決めるのは。
俺一人だった。
そして。
待ってくれる商品もあった。
でも。
土地は違う。
未来価格が見えるのは。
俺だけだ。
でも。
価値のある物を欲しがる人間は。
俺だけじゃない。
「……早い者勝ちか」
未来が見えても。
金がなければ買えない。
金があっても。
決断できなければ買えない。
「未来を見るだけじゃ……ダメなんだな」
俺は。
スマホを握った。
東和不動産の番号を表示する。
電話する?
しない?
六百八十万円。
十年後。
一億八千四百万円。
数字だけなら。
迷う理由なんてない。
でも。
俺には。
守るものがある。
親指が。
発信ボタンの上で止まる。
そのとき。
スマホが震えた。
「うわっ」
画面。
東和不動産。
「…………」
嫌な予感がする。
「はい」
『先ほどはありがとうございました』
担当者の声。
『例の土地の件なんですが』
「はい」
『先ほど、明日ご案内予定のお客様から連絡がありまして』
「…………」
『予定を変更して、今から現地を見たいとのことで』
心臓が跳ねる。
「今から?」
『はい』
そして。
担当者は言った。
『もし条件が合えば、そのまま購入申し込みを入れたいそうです』
「…………」
一年以上。
売れなかった土地。
なのに。
今日。
突然。
俺の目の前から。
消えようとしている。
六百八十万円。
十年後。
一億八千四百万円。
その数字が。
頭に浮かぶ。
『どうされますか?』
「…………」
俺は。
答えられなかった。
未来が見える。
でも。
未来は、待ってくれない。




