第11話 一億円まで、あと九千九百万円
目標は、三億円をゼロ円にすること。
未来価格ノートの一ページ目。
そこに大きく書いた文字を、俺は朝から眺めていた。
『目標 3億円 → 0円』
「……壮大だな」
自分で書いたくせに、壮大すぎる。
昨日。
初めて未来が動いた。
三億円だった結衣の絵の未来価格が、
二億九千四百万円。
六百万円。
たったそれだけ。
いや。
「……六百万って、たったじゃないな」
俺が能力を使って必死に増やした金。
約百万円。
それよりもずっと大きな数字が、一日で動いた。
でも。
重要なのは金額じゃない。
未来価格が下がったこと。
つまり。
未来は固定されていない。
俺が何かを変えれば。
十年後も変わる可能性がある。
「こっちのほうが大事なんだよな」
俺が百万円を二百万円にするより。
二百万円を一千万円にするより。
結衣の絵の未来価格をゼロに近づける。
そっちが本当の目的だ。
ただ。
「そのためにも、金はいる」
何が結衣を救うのか。
まだ分からない。
治療かもしれない。
研究かもしれない。
会社かもしれない。
土地かもしれない。
あるいは、今の俺には想像もできない何かかもしれない。
そのとき。
金がないから何もできない。
それだけは嫌だった。
「選択肢を買うための金……か」
そう考えると、少ししっくりきた。
俺は金持ちになりたいわけじゃない。
十年後。
何が起きても動けるだけの力が欲しい。
俺はノートをめくり、現在の資産を書き出した。
中古品売買で増やした金。
残っていた小遣い。
ネクサリンク・バイオの悲惨な評価額。
その他もろもろ。
全部合わせて。
だいたい百万円。
「百万円か……」
少し前の俺なら。
十分すごいと思っただろう。
今だって百万円は大金だ。
でも。
娘の未来価格。
二億九千四百万円。
その数字を見たあとでは。
どうしても小さく感じてしまう。
そこで俺は、新しい目標を書いた。
『第一目標――総資産一億円』
「……遠っ」
百万円から一億円。
あと九千九百万円。
百倍。
ネクサリンク・バイオならできる。
十年後なら。
でも。
十年後じゃ遅い。
「一年で一億……?」
自分で言っておいて笑いそうになった。
普通なら絶対に無理だ。
でも。
俺には未来価格がある。
「……できるのか?」
分からない。
だったら。
やってみるしかない。
◇
「パパ、きょうおしごと?」
朝食を食べながら、結衣が聞いてきた。
「仕事」
「やすめば?」
「簡単に言うなぁ」
「パパ、おかねあるんやろ?」
「…………」
向かいに座っていた美咲が吹き出した。
「誰が教えたん?」
「ママ」
「私!?」
「きのう、ひゃくまんえんっていってた」
「聞いてたんか……」
結衣、恐るべし。
「パパ、おかねもち?」
「全然」
「ひゃくまんあるのに?」
「大人の世界は厳しいんです」
「ふーん」
どうやら納得していないらしい。
結衣はしばらく考えてから、とんでもないことを言った。
「じゃあ、おしごとやめればいいやん」
「百万で会社辞めたら、パパ半年後くらいに泣いてるぞ」
「なんで?」
「お金なくなるから」
「じゃあ、いっぱいふやせば?」
「…………」
俺は箸を止めた。
「美咲」
「ん?」
「この子、天才かもしれん」
「普通のこと言ってるだけやろ」
最近。
俺の周りの普通の人間が強すぎる。
◇
会社では、いつも通り働いた。
会議に出て。
電話をして。
書類を片付ける。
そして昼休み。
俺は未来価格ノートを開いた。
百万円から一億円。
そのための方法は、大きく三つ。
中古品。
株。
そして、将来大きく値上がりする物の長期保有。
「……これだけじゃ遅いな」
中古品売買では。
一万二千円のレンズで二万六千円を稼いだ。
九万八千円のアンプでは。
七十八万二千円の利益が出た。
ただ。
あのアンプは明らかに大当たりだった。
毎回、九万八千円で買った物が八十八万円で売れるわけじゃない。
「もっと金額のでかい物か……」
最初に思いついたのは車だった。
中古車なら扱う金額も大きい。
ただし。
保管場所。
名義変更。
税金。
売却。
考えることが多い。
何より俺は、車の売買なんてしたことがない。
「じゃあ、不動産?」
さらに金額は大きくなる。
でも。
百万円程度では話にならない。
「会社を買う……は、さすがにないな」
自分で言って笑った。
百万円を持った程度で何を言っているんだ、俺は。
結局。
今やるべきことは変わらない。
中古品で軍資金を増やす。
まずは一億円ではなく。
その手前。
俺はノートに書いた。
『次の目標――一千万円』
「これなら……」
百万円から十倍。
さっきよりは現実味がある。
普通の会社員が昼休みに考える目標としては、十分おかしいけど。
◇
その日の仕事帰り。
俺はいつものリサイクルショップへ寄った。
時計。
値札。
一万八千円。
【現在価格:21,000円】
「弱い」
カメラ。
値札。
四万八千円。
【現在価格:52,000円】
「これも弱い」
ゲーム機。
値札。
九千八百円。
【現在価格:12,000円】
「うーん……」
利益は出る。
でも。
店へ売れば、買取価格は現在価格より低くなる。
ネットで売れば手数料も送料もかかる。
この程度の差では、手間に見合わない。
「でかいのないかなぁ……」
店内を歩き続けた。
百点。
二百点。
たぶん、それ以上。
未来価格は見える。
でも。
能力が、
『掘り出し物はこちらです』
と案内してくれるわけじゃない。
結局。
一つずつ俺が見なければならない。
「この能力、地味に目が疲れるな……」
価格を見るだけなら。
あの激しい頭痛は起こらない。
それでも。
何百点と数字を見続ければ、普通に疲れる。
「今日はハズレか」
帰ろう。
そう思って出口へ向かったとき。
店の隅にある、小さなショーケースが目に入った。
万年筆。
ライター。
アクセサリー。
古い財布。
特に興味を引く物はない。
それでも念のため。
順番に見ていく。
値札。
三千八百円。
【現在価格:4,200円】
普通。
次。
値札。
一万二千円。
【現在価格:18,000円】
悪くないけど弱い。
次。
値札。
六千八百円。
【現在価格:5,100円】
ダメ。
そして。
「……ん?」
小さな木箱に入った、銀色の万年筆。
値札。
二万八千円。
【現在価格:340,000円】
「……いた」
疲れが一瞬で吹き飛んだ。
二万八千円。
現在価値。
三十四万円。
十二倍以上。
さらに。
【10年後の価格:1,100,000円】
「百十万か……」
迷う。
長期保有なら。
十年後に百十万円。
でも。
今は一千万円まで軍資金を増やすのが先だ。
それなら。
答えは決まっている。
「すみません」
俺は店員を呼んだ。
「この万年筆、見せてもらえますか?」
◇
「こちらですか?」
「はい」
店員がショーケースの鍵を開け、木箱を取り出した。
「古いモデルですね。一部のコレクターには人気がありますよ」
「状態は?」
「多少使用感はありますけど、悪くないですよ」
俺は万年筆を手に取る。
【現在価格:340,000円】
変わらない。
「これください」
「ありがとうございます」
二万八千円。
支払いを済ませる。
以前なら。
正体も分からない中古の万年筆に二万八千円を払うなんて、絶対にできなかった。
でも。
今は違う。
「……慣れてきたな」
自分でも分かる。
そして。
その慣れが。
少しだけ怖かった。
◇
翌日。
仕事帰りに、万年筆を専門店へ持ち込んだ。
査定を待つこと十五分。
「お待たせしました」
「はい」
「こちらでしたら、二十八万円で買い取らせていただきます」
「…………」
購入価格。
二万八千円。
買取価格。
二十八万円。
ちょうど十倍。
「売ります」
「よろしいですか?」
「はい」
「ずいぶん思い切りがいいですね」
店員が笑った。
そりゃそうだ。
普通なら。
二十八万円と言われたら、
『もっと高く売れるんじゃないか』
と考える。
でも。
俺には分かっている。
【現在価格:340,000円】
店側の利益を考えれば。
二十八万円は十分に妥当だ。
十年持てば百十万円。
それも分かっている。
それでも。
今は売る。
未来の百十万円より。
今日の二十八万円。
今の俺には。
金よりも。
時間のほうが高い。
◇
それから俺は。
時間を見つけて中古品を探した。
時計。
カメラ。
楽器。
古書。
万年筆。
オーディオ。
玩具。
ゲーム。
ブランド品は偽物が怖いので、なるべく避けた。
能力が価格を示してくれるとはいえ。
俺はまだ。
この力のすべてを理解しているわけじゃない。
だから。
無茶はしない。
五万円で買った物が十一万円。
二万円が八万円。
十七万円が三十一万円。
ほかにも。
一万円。
三万円。
五万円。
小さな利益を何度も積み上げた。
買って。
売って。
また探す。
アンプのような大当たりはなかった。
でも。
少しずつ。
確実に増えていく。
「……地味だな」
派手じゃない。
ただ。
続けているうちに。
俺は、この能力の本当の強さに気づき始めた。
百倍になる物を見つけられることじゃない。
大きなハズレを避けられること。
何百点見ても。
買うのは。
現在価格との差が十分に大きい物だけ。
だから。
大勝ちは少なくても。
大負けしにくい。
「これ……かなり強いな」
未来価格。
使い方さえ間違えなければ。
こいつは。
とんでもない武器になる。
◇
三週間後。
俺は未来価格ノートとスマホを交互に見ながら。
もう一度、計算した。
「……三百七十八万円」
百万円から始めて。
三週間。
現在。
三百七十八万円。
「おお……」
さすがに。
自分でも引いた。
普通に働いていたら。
三週間で二百万円以上増えるなんて、ありえない。
「慎吾」
「うわっ!」
突然。
背後から声がして飛び上がった。
美咲だ。
「何してるん?」
「計算」
「何の?」
「まあ……いろいろ」
「増えた?」
「…………」
この人。
最近ほんと鋭い。
「いくら?」
「三百七十八万」
「…………え?」
「今の軍資金」
「三百?」
「七十八万」
美咲が俺を見る。
スマホを見る。
もう一度、俺を見る。
「慎吾」
「はい」
「ほんとに何してるん?」
「中古品売買」
「それだけ?」
「あと株」
「株、下がってるんやろ?」
「株は現在、戦力外です」
「じゃあ中古品だけで?」
「だいたい」
美咲の目が細くなる。
「……犯罪してない?」
「してません!」
「変な物売ってない?」
「売ってません!」
そこへ。
結衣が走ってきた。
「パパ、けいさつにつかまるの?」
「捕まりません!」
「なんで?」
「何も悪いことしてないから!」
「パパ、わるいひと?」
「違います!」
美咲が笑っている。
完全に面白がってやがる。
結衣はしばらく俺の顔を見たあと。
言った。
「じゃあアイスかって」
「なんでそうなるんだよ」
◇
夜。
俺は一人で未来価格ノートを開いた。
現在。
三百七十八万円。
目標。
一千万円。
「あと六百二十二万か」
まだ遠い。
でも。
一億円よりは。
ずっと近い。
そこで。
ふと思う。
三百七十八万円。
これだけあれば。
中古品より大きな金額の物も。
少しずつ視野に入ってくる。
「車……土地……不動産……」
まだ早い。
分かっている。
それでも。
完全な夢物語ではなくなってきた。
数週間前まで。
俺は。
五百円の時計を買うところから始めた。
それが今。
三百七十八万円。
「一千万……いけるかもな」
そう。
思い始めていた。
◇
次の休日。
俺は美咲と結衣を乗せ。
三人でドライブに出かけた。
「どこいくー?」
後部座席から結衣が聞く。
「決めてません」
「えー!」
「たまにはいいやろ」
美咲が笑う。
「天気もいいしね」
郊外を適当に走った。
古い住宅街。
小さな工場。
コンビニ。
空き地。
どこにでもある景色。
そして。
交差点で信号待ちをしていたとき。
俺は道路脇に立っている看板を見つけた。
『売地 800万円』
「…………」
何気なく見る。
【現在価格:7,600,000円】
ほぼ販売価格と同じ。
「普通か」
そう呟いた直後。
その下に。
未来価格が現れた。
【10年後の価格:184,000,000円】
「…………は?」
八百万円。
十年後。
一億八千四百万円。
「何だこれ……」
「慎吾?」
「え?」
「青」
「あっ」
後ろからクラクションを鳴らされた。
「ごめん!」
慌てて車を発進させる。
でも。
頭から離れない。
八百万円の土地。
十年後。
一億八千四百万円。
約二十三倍。
「……なんで?」
ただの土地だ。
周囲に特別なものがあるようにも見えない。
普通の住宅。
小さな工場。
空き地。
駅前でもない。
商業地でもない。
「慎吾」
「ん?」
「さっきから後ろ見すぎ」
「……土地」
「土地?」
「あ、いや。なんでもない」
俺は笑って誤魔化した。
でも。
頭の中では。
もう決まっていた。
あの土地を調べる。
時計。
レンズ。
アンプ。
万年筆。
今まで俺が見てきたのは。
せいぜい。
数十万円。
数百万円の世界だった。
でも。
八百万円の土地が。
十年後。
一億八千四百万円になる。
もし。
未来価格が示している通りなら。
「…………」
一億円まで。
あと九千六百二十二万円。
その距離が。
ほんの少しだけ。
縮んで見えた。
俺はとうとう。
億の世界への入口を。
見つけた。




