第10話 その株を、買うのか
【関連企業:アステラ・ロボティクス】
その文字を見た瞬間。
俺は、しばらく動けなかった。
「……なんで」
もう一度見る。
結衣が描いた、家族三人とロボットの絵。
【10年後の価格:420,000,000円】
【価格上昇理由:作者死亡】
【関連事象:■■■■事故】
【関連企業:アステラ・ロボティクス】
消えない。
見間違いでもない。
昨日、俺が見つけた会社。
アステラ・ロボティクス。
現在株価、三百十円。
十年後。
四万二千八百円。
約百三十八倍。
買えば。
ほぼ間違いなく大金になる。
少なくとも、今まで見てきた未来価格が正しいなら。
でも。
その会社が。
娘の死と関係している。
「…………」
俺はスマホを開いた。
アステラ・ロボティクス。
注文画面。
十五万円分。
買うつもりだった。
あとは購入ボタンを押すだけ。
未来の大企業になるかもしれない会社の株を、今のうちに持てる。
でも。
「買って……いいのか?」
俺が十五万円分の株を買ったところで、会社の未来が変わるとは思えない。
十五万円。
企業からすれば鼻くそみたいな金額だ。
いや。
鼻くそ以下かもしれない。
そもそも株を市場で買ったところで、その十五万円がそのまま会社に渡るわけでもない。
分かっている。
分かっているけど。
怖かった。
もし。
俺がこの株を買うという行動そのものが。
未来のどこかに影響するとしたら?
ほんのわずかでも。
結衣が死ぬ未来へ近づくとしたら?
「…………」
買えない。
指が動かなかった。
◇
その夜。
眠れなかった。
ベッドの隣では、美咲が寝ている。
俺は天井を見つめていた。
アステラ。
結衣。
事故。
未来。
同じ言葉が頭の中をぐるぐる回る。
「……くそ」
眠れるわけがない。
俺は布団を抜け出した。
リビングへ向かう。
電気はつけない。
カーテンの隙間から差し込む月明かりの中で、未来価格ノートを開いた。
アステラ・ロボティクス。
現在――310円。
十年後――42,800円。
その横。
俺は大きく書いた。
『結衣の死亡事故に関連』
「…………」
文字にすると。
余計に重い。
少し離れたところには、結衣の絵が二枚置いてある。
三億円。
四億二千万円。
俺は立ち上がった。
まず。
一枚目。
家族三人だけの絵。
【10年後の価格:300,000,000円】
【価格上昇理由:作者死亡】
【関連事象:■■■■事故】
そして。
二枚目。
家族三人とロボットの絵。
【10年後の価格:420,000,000円】
【価格上昇理由:作者死亡】
【関連事象:■■■■事故】
【関連企業:アステラ・ロボティクス】
「価格が違う……」
何度考えても。
そこが気になる。
作者は同じ。
死亡予定日も同じ。
関連事象も、少なくとも今見えている部分は同じ。
なのに。
一億二千万円も違う。
「ロボットが描かれてるから?」
それとも。
アステラが関わっているから?
「だったら……」
俺は一枚目を見る。
家族三人だけの絵。
集中する。
「こっちは?」
頭の奥が痛む。
それでも見る。
「関連企業……」
表示が揺れた。
【関連企業:――――】
「……ない?」
消えた。
もう一度。
「見せろ」
ズキッ。
「っ……!」
痛い。
でも。
今度は少しだけ長く見えた。
【関連企業:該当なし】
「…………」
俺は息を止めた。
一枚目。
アステラは関係なし。
二枚目。
アステラが関係している。
同じ結衣が描いた。
同じように家族三人がいる。
死亡予定日も同じ。
なのに。
関連するものが違う。
「どういうことだ?」
事故そのものが違うのか?
それとも。
同じ事故に至るまでの過程が違う?
「…………」
一つの考えが浮かぶ。
「もしかして……未来って、一つじゃない?」
口にした瞬間。
鳥肌が立った。
未来が枝分かれしている?
俺の行動。
結衣の行動。
これから起きる出来事。
その積み重ねで。
たどり着く未来が変わる?
「いや……まだ分からん」
証拠はない。
二枚の絵の違いだって、単純に描かれている物が違うからかもしれない。
今見えている未来価格が何を基準にしているのかも分からない。
確定した未来なのか。
可能性の高い未来なのか。
それすら分からない。
でも。
もし。
本当に未来が一つじゃないなら。
「…………」
変えられるかもしれない。
結衣が死なない未来へ。
俺は初めて。
ほんの少しだけ。
希望を感じた。
◇
翌朝。
「パパー」
「ん?」
「たまごやきちょうだい」
「はい」
朝食。
結衣の皿へ卵焼きを一つ移す。
「ありがと」
「どういたしまして」
結衣は嬉しそうに卵焼きを口へ運ぶ。
美咲が味噌汁を飲んでいる。
俺も飯を食べる。
普通。
いつも通り。
美咲。
結衣。
俺。
三人。
それだけ。
でも。
俺は、この時間を。
十年後も続けたい。
「慎吾?」
「ん?」
「今日休みやろ?」
「うん」
「さっきからぼーっとしてるけど」
「ちょっと寝不足」
「また株?」
「…………」
鋭い。
「そんな気になるなら、やめたら?」
美咲が言う。
「え?」
「最近ずっとそればっかり考えてるやん」
「…………」
「お金増えても、ずっと難しい顔してたら意味ないやろ」
俺は何も言えなかった。
結衣が卵焼きを一気に口へ入れる。
「おいしい!」
「いっぱい入れすぎ」
「んー!」
「飲み込んでから喋りなさい」
美咲が笑う。
俺も。
つられて笑った。
そうだ。
俺は。
金が欲しいんじゃない。
この時間を守りたいだけだ。
◇
朝食後。
俺は一人で未来価格ノートを開いた。
前に書いた言葉。
『目的:結衣の未来を変える』
その下へ。
新しく書く。
『未来価格が高い=正しい未来ではない』
そして。
もう一つ。
『儲かるから買う、ではなく、未来を調べてから買う』
「よし」
アステラ。
今は買わない。
逃げるわけじゃない。
調べる。
なぜ結衣の事故と関係する?
どう関係する?
味方なのか。
敵なのか。
事故の原因なのか。
それとも。
事故を防ごうとした会社なのか。
まだ何も分からない。
だったら。
百三十八倍になるという理由だけで買うのは早い。
俺は注文画面を閉じた。
◇
代わりに。
ネクサリンク・バイオを開く。
現在株価。
二十八円。
「また下がってる……」
俺が最初に買ったときは百二十六円。
もはや笑えてくる。
【現在価格:28円】
【10年後の価格:18,740円】
「ほんと、お前何なんだよ」
でも。
こっちは今のところ。
結衣の絵をどれだけ深く見ても。
名前は出てこない。
もちろん。
だから安全だとは限らない。
それでも。
アステラよりは。
今の俺には買いやすかった。
俺は予定していた長期投資枠から。
十万円だけ。
追加することにした。
全額じゃない。
小さく。
少しずつ。
注文。
成立。
「……よし」
これでいい。
能力を使う。
でも。
能力に使われない。
◇
午後。
俺は結衣を連れて公園へ行った。
美咲は買い物。
今日は二人。
滑り台。
ブランコ。
砂場。
「パパ!」
「ん?」
「みて!」
結衣が滑り台の上から手を振る。
「見てるぞー」
「いくよー!」
「はいはい」
滑る。
笑う。
「もういっかい!」
「元気だなぁ」
また登る。
また滑る。
また笑う。
「…………」
俺はその姿を見ていた。
この子が。
十年後。
死ぬ?
「絶対ないな」
小さく呟いた。
「パパー!」
「おう!」
「ちゃんとみてー!」
「見てるって!」
俺は手を振った。
◇
帰宅。
夕方。
遊び疲れた結衣は。
ソファで寝てしまった。
俺はその隣へ座る。
寝顔を見る。
「…………」
何も表示されない。
人には。
値段がつかない。
最初からそうだった。
俺にも。
美咲にも。
結衣にも。
未来価格は表示されない。
「それでいいよな」
今まで。
物の値段。
株の値段。
絵の値段。
数字ばかり見ていた。
いくらになる。
何倍になる。
いくら稼げる。
でも。
結衣自身には。
数字がない。
「…………」
俺にとって。
この子の価値は。
最初から。
数字になんかできない。
当たり前のことだった。
◇
その夜。
俺はもう一度。
一枚目の絵を見る。
【現在価格:0円】
【10年後の価格:300,000,000円】
【価格上昇理由:作者死亡】
【死亡予定日まで:3,638日】
「…………」
変わらない。
まだ。
三億円。
俺はスマホを取り出す。
今日。
公園で撮った写真。
滑り台の上で笑っている結衣。
「絶対変える」
もう一度。
絵を見る。
「三億なんかにさせない」
その瞬間だった。
「…………え?」
表示が揺れた。
ノイズ。
文字が滲む。
三億。
その数字が。
一瞬。
消えた。
「おい……」
そして。
再び。
数字が現れる。
【10年後の価格:294,000,000円】
「…………」
俺は。
瞬きを忘れた。
三億円。
だった。
間違いなく。
今までずっと。
三億円だった。
それが。
二億九千四百万円。
「下がった……?」
六百万円。
減っている。
「なんで……」
今日。
俺は何をした?
アステラを買わなかった。
ネクサリンクを買った。
結衣と公園へ行った。
美咲と朝飯を食べた。
未来について考えた。
何が。
この六百万円を動かした?
「…………」
分からない。
何が原因なのか。
どの行動が影響したのか。
そもそも。
今日の行動が原因なのかさえ分からない。
でも。
そんなことは。
今だけは。
どうでもよかった。
「変わった……」
声が震える。
初めて。
未来価格が。
変わった。
株価みたいに。
現在価格が変わったんじゃない。
十年後の価格が。
変わった。
「未来……変わるじゃん」
俺は。
眠っている結衣を見る。
「いける」
三億円。
まだ。
二億九千四百万円。
馬鹿みたいに高い。
ゴールなんて見えない。
でも。
三億円じゃなくなった。
未来は。
固定されていない。
少なくとも。
俺が最初に見た未来だけが。
絶対じゃない。
「待ってろ」
俺は絵を見る。
「絶対、ゼロ円にしてやるからな」
十年後。
娘の絵を。
三億円の遺作になんかさせない。
誰にも高く評価されなくていい。
美術館にも。
オークションにも。
並ばなくていい。
家の壁に貼られて。
古くなって。
色褪せて。
端っこが少し破れて。
美咲に、
『そろそろ片付けたら?』
なんて言われて。
俺が、
『いや、これは取っとく』
なんて言って。
結衣本人には、
『もう捨てていいやん』
って笑われる。
そんな。
ただの絵でいい。
「…………」
いや。
それがいい。
俺は初めて。
目標を数字にした。
未来価格。
三億円。
それを。
ゼロ円にする。
金を稼ぐ。
未来を調べる。
必要なら。
会社だって。
土地だって。
何だって買う。
でも。
目的は一つ。
娘が。
十年後も。
生きていること。
俺は未来価格ノートの一ページ目を開いた。
その一番上に。
大きく書いた。
『目標 3億円 → 0円』
これが。
俺の。
本当の投資目標になった。
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