グスマンの怒り
グスマンの居る総督執務室は、まるで嵐の前の静けさのように張り詰めていた。窓の外、遠くから聞こえてくるのは「行軍の足音」ではなく、街全体が歓喜に湧く「パレードの喧騒」だ。
「此れは侵攻だ! 明白な主権侵害だ! 全軍、直ちに反撃しろ!」
グスマンは血走った目で地図を叩いた。彼にとって、この状況は自分の権勢を根底から揺るがす危機だった。
しかし、その場にいた行政官フアン・デ・サアベドラは、青い顔で返した。
「……し、しかし、本国からの勅令状には『タワンティンスユを悪戯に刺激するな。経済的関係を最優先せよ』と明記されております。今、我々が攻撃を仕掛ければ、それはスペイン王室の意向に対する反逆となりますが……」
「黙れ! これは本国の権益そのものの危機なのだ!」
グスマンはデスクの上の書類をとペン立てひっくり返し、側近の将校たちに叫ぶ。
「いいか、奴らインカ軍は『皇子の里帰り』という甘いマスクを被っているだけの明らかな軍事進攻!。撃退さえしてしまえば、あとは本国に『我々の防衛行動が帝国の栄光を守った』といくらでも言い訳はつく! 歴史は勝者が書くのだ!」
その時、冷ややかな声が部屋の空気を切り裂いた。
「総督、残念ですが……街の民意はすでに、スペインではなくタワンティンスユに向いていますわ」
テクイチポツィンが優雅に扇を広げ、グスマンを冷たく見下ろした。表情にはもはやスペインへの畏怖など微塵もなかった。
「……我らの支配の正当性を証明する宣伝道具のお前は黙れ!」
グスマンが毒づく。彼にとってテクイチポツィンは、メシカの民を統治するために「担ぎ出した」はずの飾り物に過ぎなかった。しかし、彼女は今や、タワンティンスユという巨大な後ろ盾を得て、グスマンを「過去の遺物」として葬り去ろうとしていた。
「宣伝道具、ですか。光栄ですわ」
テクイチポツィンは不敵に笑う。
「では、その『道具』が教えて差し上げます。今、あなたの部下の兵士たちが手にしている銃……あれの火薬は、インカから輸入した『肥料』から精製されたものです。食料が届かず、兵の給与も滞っている現状で、彼らがスペインの旗のために死ぬと思いますか?」
グスマンはハッとして、部下たちの方を向いた。
将校たちは顔を見合わせ、誰も武器に手をかけようとはしなかった。彼らの目には、恐怖よりも、インカのパレードに対する「憧れ」と、生活の安定を求める「打算」が宿っていた。
「……総督。戦う必要はありませんよ。ただ静かに降伏し、開門するだけでいいのです。そうすれば、あなたは『タワンティンスユとの平和的合意を導いた寛大な指導者』として、歴史に残れるかもしれません」
テクイチポツィンの冷徹な宣告に、グスマンは歯噛みして睨み付ける。
遠くからからは、焼玉重機の低音を響かせながら、さらに熱狂的な歓声が響いてくるのが聞こえるようだった。もはや、戦いなど必要なかった。スペインの統治は、グスマンが叫ぶよりも先に、内側から完全に消滅していたのだ。
「くそっ……俺こそが……俺こそがこのヌエバ・エスパーニャの『真の王』なのだ……! 誰にもこの座は渡さん! 人質としてお前を連れて逃亡させてもらうぞ!!」
「ちょっ、閣下!一体何を!ほぶっうっ!!!!!」
グスマンは制止するサアベドラの鳩尾にヤクザキックをぶち込んで悶絶させ、その隙にテクイチポツィンの細い腕をガシッと掴み、逃亡を図ろうと総督府裏手の馬車庫へ引きずって行く——
「あら、私と手に手を取って愛の逃避行ですか?ちょっとそれは遠慮したいかしら?」
艶然と微笑むテクイチポツィンが豊かな胸の谷間からスッと取り出したのは、ピサロ商会経由で仕入れたインカ製・アルコール度数70度超ハイパワー・コーンウイスキー『クスコ・ゴールド』の小瓶!
キャップを親指で勢いよく跳ね飛ばすと、グスマンの顔面至近距離へ向けて、熟練の手つきで浴びせかけた
「えいっ!」
バシャッッッ!!!!
「ごふぁっ!!?? ぎゃああああああっ!!?? 目が、目がああぁぁぁぁぁッ!!?? 痛い! 焼ける! 粘膜が猛烈に燃えるぅぅぅぅッ!?」
アルコール度数70度の銘酒『クスコ・ゴールド』が両目を直撃! グスマンは顔を押さえてのたうち回り、地面を転がりながら絶叫した。
そんな哀れな総督を、テクイチポツィンは豪華なドレスの裾をエレガントに少し持ち上げ、華麗なステップで軽く飛び越える。
「さ、よ、う、な、ら~~♪」
楽し気な捨て台詞を残し、優雅に走り去っていくと、そのまま旧メシカ豪族の元に身を寄せ、インカ軍の歓迎準備に入るのだった。




