皇子と皇子
タワンティンスユの宮廷、輝く太陽の下で、アティク・アマル皇子と、帝国の客分として育てられているクアウテモック2世は、庭園の芝生に寝転がっていた。
「兄上。……間もなく、私は遠いメシカへ戻り、王と成らねばなりません。あそこは……祖父たちが治めていた、かつての地ですから」
クアウテモックの悲しげな言葉に、アティク・アマルは力強く彼の肩を組んだ。
「何を言う。たとえ海を隔てようと、我らは兄弟だ! 離れ離れになることなどない。……そうだ、ニナン父上に頼んで、二人だけの『イリャパ・キプ(通信機)』を繋いでもらおう! インカの科学力で、クスコとメキシコを結ぶ『皇室専用ホットライン』を作るんだ!」
「兄上!」 「クアウテモック!」
二人は抱き合い、少年らしい純粋な友情を誓い合う。そのあまりの健気さと美しさに、通りがかったワスカルは眼鏡を曇らせながら、静かに拍手を送った。
「素晴らしい。肉親の絆をインカの通信技術が担保する……。まさに理想的な帝国の継承プロセスです」
ニナンもまた、その光景を眺めながら満足げに頷いた。
「美しい兄弟愛だな。互いに国を背負い、海を越えても結びついている……これぞまさに、タワンティンスユがもたらす『世界連邦』の原型だ」
たまたま来ていて会話を聞いていたピサロが帳面から顔をあげて微笑む。
——そして、所変わってパナマのピサロ商会支局。。
「……と、いうような素晴らしい出来事がありましてな。いやあ、実に微笑ましく、胸が温まるご兄弟の姿でございましたよ、総督閣下」
ピサロ商会のピサロが、上質なコカ茶を優雅に啜りながら、向かいに座るパナマ総督に心温まる(?)エピソードを語り聞かせていた。
それを聞いていたパナマ総督は、最初は「ふむふむ、子供の兄弟愛か……」と聞いていたが、途中で急激に顔面を蒼白にさせ、ガタガタと震え出した。そして、テーブルを叩き割らんばかりの勢いで立ち上がった!
「ま、待てぇぇぇーーーーっ!!?? なんでクアウテモック2世が、将来メシカ(現新スペイン)の皇帝に返り咲く前提で話が進んでるんだアァァァァァーーーッ!!???」
パナマ総督の絶叫が応接室に響き渡る!
「え? だってメシカの先住民豪族の皆様も『クアウテモック2世様こそが我が真の主君!』と大歓迎のご様子ですし、フアン・カノ・デ・サアベドラ行政官も『総督府はお飾りで結構ですので命だけは……』と胃薬を飲みながら納得しておられますが?」
「納得してるかぁぁぁ!! 降参して諦めてるだけだろーーーっ!! ヌエバ・エスパーニャ副王領を完全にインカの皇子に明け渡す気かァァァッ!!」
「おや、ご心配なく。パナマ総督閣下のところにも、アティク・アマル皇子とクアウテモック2世皇子の『ご成婚&ご即位祝い』の寄付金口座のご案内をお送りしておきますので。……支払われない場合、サクサ・アマル(固い蛇)殿がダンボールを被って夜に現れるかもしれませんよ?」
「ひぃぃぃぃっ!! 支払いますぅぅぅぅぅうl!!」
二人の少年皇子が、通信機で未来の「共同統治」を語り合っている間に、インカの商売敵(?)であるスペインの既得権益は、もはや跡形もなく消滅する運命にあった。
「兄上、復権の後はメシカの王宮で皇帝会談を!」
「ああ、必ずや!」
少年たちの夢は、インカの覇道という現実となって、着実に大西洋の向こう側を塗り替えようとしていた。
宮廷の片隅、アンタチャが持ち込んだ最新の実験機――無骨な真鍮製のハウジングから伸びるイヤホンを、二人の皇子は一つずつ耳に当てていた。
本来、これは国家の命運を分かつ極秘通信のための試験運用のはずだった。しかし、幼い兄弟にとって、それは世界で一番楽しい「内緒話」の装置に過ぎなかった。
アティク・アマルが不器用に送信ボタン(キー)を叩く。
「ぶっ、ぶー、ぶっぶー」
隣の部屋にいるクアウテモックⅡ世が、真剣な顔つきで受け答えをする。
「ぶーぶー、ぶつ、ぶつ、ぶーぶー、ぶつ、ぶーぶー、ぶっ」
(「あのラマ変な顔!」「ワスカル叔父上にツッコミしてる父上みたい!」)
意味を解した二人が、顔を見合わせて転げ回って笑う。
「きゃははははは!」
そばでその様子を、無線機のモニタリング用ヘッドセットを首から下げて眺めていたアンタチャは、淡々とした表情のまま口角をわずかに上げた。
「……将来の、皇室ホットラインの、先行練習。今は、二人とも、リズムを合わせるの、一生懸命。……ほほえましい」
彼女にとっては、軍事機密の送受信も、皇子たちのたわいもない笑い声も、同じ「符号」の羅列に過ぎない。ただ、そのリズムが以前よりも少しだけ軽やかになっていることには気づいていた。
一方、その光景を柱の陰から見ていたピサロは、苦笑を禁じ得ない。
ピサロが知っているのは、インカの通信兵が冷酷な表情で打ち込む、敵軍の配置や砲撃目標を指示する死のモールス符号だ。それが今、無邪気な少年たちの手によって、ラマの顔や親の物真似を伝えるための「遊び」に使われている。
「……おやまあ、お二人様?」
「ああ、ピサロか! 見ろよ、クアウテモックとの通信が成功したんだ。この『ぶーぶー』っていうリズム、最高だろう?」
アティク・アマルが屈託のない笑顔を見せる。
「ははは、そうですね、最高に『未来的』です。世界がこのリズムで塗り替えられていくのが、手に取るように分かりますよ」
ピサロは苦笑いする。
インカの脅威は、軍隊の強さや銀貨の多さだけではない。かつて自分たちが必死に抗おうとしていたその「文明の深淵」を、皇子たちが遊び道具として使いこなしているという事実。
その傍らで、アンタチャが再びヘッドセットを装着し、リズムを刻み始めた。
彼女のその言葉が、実はピサロの商会事務局宛の「高級菓子納入の督促」という立派な業務連絡であることに、ピサロはまだ気づいていない。タワンティンスユの日常は、今日も高度な通信網の上で、どこまでも穏やかで、そしてどこまでも圧倒的に進んでいた。




